ヤマトナデシコはじめました。

織緒こん

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 ジーンスワーク辺境伯の岩城は、かつてない人口密度だった。貴人を含め王都からのお客さんを、相当数迎え入れたからだ。

 お客さんじゃないな。ツァージャイル共和国に隠密潜入するメンバーだから、物見遊山じゃないし。

 王さまの執務室で我ながら恐ろしい発言をしてしまったおれは、不安になってるぅ姉に助言を求めた。いくらなんでも考えすぎだって笑い飛ばされるんじゃないかと思ったのに、るぅ姉は深刻な顔をした。

 ブライトさまがジーンスワークの惑わしの森のへ視察に行くことが決定して、土地に詳しいご領主さまとミケさまも帰領することになった。参勤交代(違うけど)は緊急事態につき、免除だそうだ。

 ステッラ侯爵夫妻の帰国は、おれたちから遅れること半月。ふたりはそれぞれ魔術師団副団長、獣魔騎士としてジーンスワーク行きの面子に選出されている。

 あとは団長以下騎士団員、ジーンスワークのな家令と従僕頭と侍従、王妃さまのところの侍女さんトリオ。そして暁の獅子。

 魔導砲の動力になりうるおれたち姉弟は、王城の奥深くに仕舞い込むか議論がなされたらしい。結局、異世界の知識が役に立つこともあるかも知れないと、共に行くことになった。

 騎士団の行軍に同行なので馬で移動した。宿泊も全て夜営だった。

 びっくりしたのは、マウリーノさんが一緒だったこと。いやもう、あんな病みやつれた人を馬で運んで夜営させるなんて、とんだ人非人ひとでなしじゃないかと憤ったりしたものの⋯⋯。

 ヴィンチさんがいないと夜眠れないんだって。

 王妃宮の奥で誰も知り合いがいない中、怯えて泣いて眠り香で無理やり意識を奪って、目が覚めたら馴染みのない場所に錯乱する。

 暁の獅子と言う二つ名持ちの傭兵のヴィンチさんだけど、一時は本気で離脱も検討された。でも戦力にはどうしても欲しいって話で。

 ジーンスワーク行きの面子には、シェランディア王国に残してきたステッラ侯爵夫妻も入っていて、彼らの帰国を待っての出立だった。ふたりを待つ間、ギリギリまでマウリーノさんの体調を整えることになって、おれと顔合わせもした。

 ブライトさまはおれとマウリーノさんを会わせるのに難色を示したんだけど、同行するなら知らんぷりも出来ないし、それ如何によってはヴィンチさん、本当に離脱だし。

 会ってみて思ったこと。めっちゃ下世話な言い方すると、マウリーノさんってこっち側の人だった。ええと、あれだ、奥さま側の人。それにぶっちゃけ、コンラッドでいっぱいいっぱいだったので、彼の顔を覚えていなかった。

 こんなに線の細い人だった? ヴィンチさんの腕の中でひたすら謝り続けるマウリーノさんに、るぅ姉はそっと近づいて「大丈夫よ」と囁いた。

 しばらく前のおれ自身を見ているようで、胸が痛くなった。おれはブライトさまが側にいてくれて立ち直った。マウリーノさんもヴィンチさんがいれば大丈夫だと思う。でもそれには時間ときっかけが必要だ。

「ヴィンチさんがマウリーノさんの目の前で、をぶん殴ってやればいいんだ」

 コンラッド・チェスターは、おれの目の前でブライトさまの覇気に気圧されて無様な姿を晒した。恐る価値のない姿をこの目で見たのをきっかけに、トラウマを克服出来つつある。

 ヴィンチさんの離脱問題は別として、ぜひ実行することを勧めてみた。るぅ姉に付き添っていたミケさまが「ハリー、チェスターを殺す気か?」と呟いたけど、実行したヴィンチさんが加減はしてくれたらしい。

 結果的にマウリーノさんの同行を決定づけたのは、彼が北の情報を持っていたからだ。密使への接待の酒宴の際、酔っ払って機嫌よくあれこれ喋っていたらしい。

「大きな荷物は小さくして運ぶ。使う時に組み立てれば良いって」

「山を越えるのは、冬になる前なんだって」

 マウリーノさんは、それが重要な情報だと思っていなかった。切れ切れに思い出しては口にする。辛いことも一緒に思い出してパニックになるので、こちらから尋問めいたことはできない。

 いつ何を思い出すか分からないので、置いていけなくなったのが正しい。

 そんな訳でジーンスワークの岩城は大所帯になっていた。

 ロベルトさんやマリクさんは本来の仕事に戻ったものの、状況によっては戦力として駆り出される。ブライトさま率いる騎士団と魔術師が幾人かで魔女さまを訪ねている間、おれは移動で疲れた体を休めていた。馬って全身運動なんだね。身体中が痛いよ。

 戦力外の面子は割とひとところに固まっていることが多い。緊急時には纏まっていた方が守りやすいし、スマホとかないから安否確認も難しい。侍女さんトリオとアルノルドさんが、護衛兼話し相手で侍ってくれている。

 なんと、モフモフパラダイスだ。ご領主さまに許可してもらって、獣魔たちを岩城の中に入れたんだ。アルノルドさんは怪我をしているハヤテを鳥使いのおっさんに任せ、モフモフちゃんたちを連れてきた。て言うか、ユーリャちゃんとエリシャちゃんに交互に乗って来た。銀狼の背中に美人さんが乗るって、巨匠のアニメ映画にありませんでした?

 マウリーノさんも獣魔は平気みたいで、レアンちゃんを膝に乗せて寛いでいる。彼は獣魔に会わせてからとても落ち着いた。アニマルセラピーだね。

「バル兄さまはどこ?」

 レアンちゃんを優しい手つきで撫でながらマウリーノさんが不安げに視線を揺らした。幼い頃ヴィンチさんを兄のように慕っていたと言う彼は、良人おっとを兄と呼ぶ。

「惑わしの森だよ。お昼ご飯の頃には帰ってくるからね」

「惑わしの森⋯⋯」

 騎士団と魔術師団と共に、傭兵のヴィンチさんも魔女さまの結界を見に行っている。騎士を辞めたのも、男爵家の継嗣だったマウリーノさんと離れるためだったらしいので、これを機に騎士団復帰もあるかも知れない。

「森を燃やして、魔女を燻り出せばいいって」

「誰が言ったか分かる?」

「後ろにいたから、分からない」

 諦め切った虚ろな眼差しを見て、なんて言えば良いのかわからなかった。るぅ姉がおれを制して、何も言うなと合図してきた。

 そいつらはマウリーノさんに酷いことをしながら、話していたに違いない。壊れた彼には何も分からないとでも思っていたのだろうか。気持ち悪い、吐きそうだ。

 侍女のカナリーさんがるぅ姉に目配せして、そっと出て行った。マウリーノさんの言葉を風に乗せてブライトさまに届けるんだろう。

 こんなふうに、ふと何かを呟くのでとてもひとりにはできない。おれたちはモフモフと戯れながら、楽しいことだけを話した。

 そのうちに昼が来て、帰ってきたヴィンチさんの腕に抱かれたマウリーノさんは、安心したように眠りに落ちた。夜の眠りが浅く昼間も緊張で疲弊しているようで、旦那さまがいるとすぐに眠ってしまうんだ。

 揃って昼食を終えサロンでお茶を飲みながら、ブライトさまが言った。

「ヴィンチ夫人の言葉を聞いたよ」
 
 森を燃やすってヤツだね。漠然としすぎていて、北がどうしたいのかわからない。

「アレッシアどのを結界から離すためなら、居住区や結界の近くより、森の外れに火をつけるだろうな。消火に駆けつけさせるつもりだろう」

「そんな簡単にいきますか? 乾燥する季節でもないでしょう」

「魔法使いがいればなんとでもなる」

 もしかして、エルメル・ダビがスカウトされたのって、マッチ役? あの人、火の魔法使いだったよね。

 マウリーノさんが寝室に下がったので、騎士団長や魔術師団副団長も顔を出している。病みやつれた他人ひとの奥さまをやたら人目に晒すものじゃないってるぅ姉が一喝したので、基本的にマウリーノさんの前に出るのは女性か奥さま側の男だった。

 そう言えば、魔女さまはどうしてるんだろう。ジーンスワークの岩城は魔女さまの活動圏内だから、ここに顔出すくらいしそうだけど。

「わたしが森に参りましょう。シュトーレン伯爵の手助けになるかと存じます」

 騎士団の制服を着たアルノルドさんが『わたし』って言った。公私の区別をつけていて、今は侯爵夫人ではない。

「ユーリャとエリシャを連れて行きます」

 そうか魔女さま、現在進行形で森の警戒してるんだな。手助けに獣魔はうってつけだ。それに広い森の中には動物が沢山いるだろう。アルノルドさん、獣王の眼でナンパしちゃうんだろうなぁ。

 ブライトさまもおれと同じことを思ったに違いない。

「では何人かつけよう。適性のある者を見繕え。人選はヴァーリ団長に任せる」

「御意」

「ステッラ副団長、通信魔術の符をステッラに持たせてやってくれ」

「御意」

 人選は旦那さんのチェックが入るのかなぁ? 通信魔術の符とやらは、ステッラ副団長のお手製か。だとしたらアルノルドさんを辿るために、ものすごい機能をつけそうだ。と思ったら、早速ローブの懐から紙の束を出していた。覗き込んだ魔術師さまが『うっわ、エゲツな』て呟いたから、やっぱりものすごい機能は付いているんだろう。

 それから話は、山脈を越えてジースワークに入るルートの検証に移った。こちらに内緒で正規のルートを通らずに来るには、険しく、細く、時にはロープで体を吊りながらの道程と聞いて、実働部隊は捨て駒だなって思った。

ろくでなしの偉い人が納める国って、住んでる人は大変だなぁ」

 地図を広げて真剣な討論をしている横で、うっかり口から出ちゃった。

「それはそうだが、玻璃はどうして急にそう思ったの?」

「どうせ自分では来ないんでしょ? 分解した部品を持たされた人は、自分が何を運んでいるのか知らないかも知れない。組み立てた魔導砲を撃ち込んだとして、砲撃士は確実に命はないはずです。成功したら魔硝石の破裂に巻き込まれるし、失敗してもジーンスワークの騎士に討たれるもの」

 北は万年食糧難だと聞いた。飢える一家のお父さんが「この荷物をジーンスワークまで届けてくれないか。代わりに麦を一袋あげよう」って言われて、ネジが詰まった袋を渡されたとする。運んじゃうだろ?

「軍人さんなら良いですよ、ご自分で任務内容を納得していれば」

「玻璃は本当に、ニホン国でどんな学問を修めたんだ。ドレスメーカーの跡取りは、そんなことを考えないよ」

 学問て言うか、ニュースとかドキュメンタリー番組かなぁ。お人好しの旅行者が知らないうちに麻薬の運び屋にされてたり、紛争地帯の貧しい人が騙されて銃の部品を運んでたりとか。

「砲身など明らかに魔導砲の部品と分かるもの以外は、商人などが知らずに通常の山越えをしてくる可能性もあるのか」

「冬を迎えれば、訓練を積んでいない者には山越えなど無理だな」

「探索に当たるとはいえ、範囲が漠然としすぎている。どう人手を割いたものか」

 みんなが喧々轟々始めた。その時ふと、アルノルドさんが呟いた。

「その情報っていつのだろうね?」

 少なくとも、三ヶ月以上前だね。おれとるぅ姉に関わって以降、マウリーノさんは仲介役のハスキー犬野郎とは接触していない。ヴィンチさんが殴りに行ったのは、ノーカンとしても。 

「すでに持ち込みが完了している可能性もあるか」

「森の警戒強化を。すぐに参ります」

「では、わたしも御前失礼いたします。人選はジーンスワークの騎士からも宜しいですか?」

 アルノルドさんが礼をしてサロンを離れ、ヴァーリ団長がご領主さまにお伺いを立てた。王都の騎士よりジーンスワークの騎士の方が森に慣れている。肝試しで森に入るのは、やんちゃな少年時代のステータスらしい。

「なれば、アレッシア気に入りの坊やを連れて行くがよい」

 あぁ、ミカエレさまと騎士団の数名が、現在のお気に入りだもんね。魔女さまに遊ばれ⋯⋯基い、鍛錬について行ってるなら、森には詳しいし、腕も立つ。かつてお気に入りだったブライトさまやロベルトさんが、相当な剣の使い手だから、彼らも期待が持てる。

「御意」

 ヴァーリ団長が出て行った。

「ツァージャイル、今から行っても色々手遅れよね。もう、出発してるだろうし」

「途中で捕らえるってむずかしくない? 効果は期待できないけど、水際作戦? 要だけ関所とか」

「要ねぇ⋯⋯。あ、熊騒動の時のあの人、道知らないかな?」

 るぅ姉とコソコソ話す。熊騒動って言うのは、別名山菜採り事件だ。去年の春先、ロベルトさんと城の女中数名と、早春の山菜を採りに山に入った先で、冬眠明けの熊に遭遇しちゃったんだ。

 仁王立ちの熊の足元に人がぐったり伏していて、おれは驚いて叫んでしまった。後になって致命的なミスだったと反省したけど、結果的におれに注意を向けた熊の隙をついたロベルトさんが、氷魔法の氷柱で熊の喉から脳髄にかけて一突きして仕留めた。

 襲われていた人は助かり、おれたちは熊と山菜を手に入れて、みんなでクマパーティーしたんだけどさ。その時の人、北からの亡命者だったの。山を越えるのに、ルートを幾つか下調べしているはず。その出口を重点的に押さえれば、闇雲に巡回するより効率がいい。

 北の亡命者を呼び出す手筈を整えて、城の書庫から地図を運び込む。騎士団の製図士に縮尺を大きく、山脈と手前のジーンスワークの地図を写させた。安全だけど迂回してうんと遠回りする、主に商人が使うルートを描き込み、その他に険しいルートも幾つか描き込まれる。

 沢山の地図と過去の侵略記録を引っ張り出して、製図士は鬼気迫る勢いでガリガリと描き殴っている。ある程度満足したのか突然ピタリと止まり、彼はニンマリと笑った。

 この人、天才バカかも。地形とか地図にロマン感じちゃうタイプだ。

 覗き込むと、それはそれは美しい地図だった。観光できる登山道にあるルート案内板、それの超細密版。

 しばらくしてやって来た北の亡命者は、当たり前だけど、怪我もなく健康そうで普通のおじさんだった。いや、熊の下敷きになってた姿しか覚えてなくて⋯⋯。

 おじさんはブライトさまが何者か聞くと失神しそうになったけど、ヴァーリ団長に支えられて踏みとどまった。でも目の前にいたステッラ副団長が魔術師団副団長と聞いて、再び前後不覚に陥りそうになる。そういえば、おじさんも魔法使いだっけ。

 ジーンスワークでこんなに大勢の偉い人に会うなんて、思ってなかったんだろうなぁ。

 ものすごく緊張しながら、おじさんは地図を指差して製図士とやりとりしている。かなり本格的で、おれはチンプンカンプンだ。ここは任せることになって、サロンの一角に彼らの作業スペースを作り、おれたちは少し離れたところに腰を落ち着けた。

「ツァージャイル共和国への潜入は、中止した方が良さそうです。魔導砲をツァージャイルで破壊すべきと思いましたが、おそらく分解されて移動中です」

「うむ、玻璃とルーリィ嬢も言っていたな」

 騎士団長とブライトさまがこっち見てる。

「ルーリィ嬢に頼みがあるのだが」

「はい、なんなりと、とは申せませんが。出来ることならば承ります」

「⋯⋯魔力持ちと順番に、握手をしてくれないか?」

「お断りします!」

 ミカエレさまがテーブルをバンと叩いた。いくら従兄弟でもブライトさまは王太子さまなんだけど、大丈夫かなぁ。

「心配なら、其方が膝に乗せていればいい。握手以上のことができぬよう、一番近くで見張っていろ」

「かしこまりました」

「なに言ってますの、ミケさま!」

 ブライトさま、ミカエレさまを転がすの上手すぎ。そしてミカエレさまはチョロすぎ。るぅ姉は頑張れ。ミカエレさまのお膝抱っこで握手会。どんなアイドルだ。

 しばらくして地図が出来上がった。山脈に幾つかルートが足されているのを見た。製図士が地図の前を団長に譲り、国の偉い人たちが再び意見を交わし始めるのを見て、全部が杞憂であって欲しいと思った。なのに亡命者のおじさんまでが険しい表情カオをしているのを見て、おれの想像がただの想像じゃないと分かってしまった。

 結界を守り抜かなきゃ。

 硬く拳を握ったら、るぅ姉がそっと寄り添って来た。ハグハグ、ギュッギュ。

 ブライトさまとミカエレさまが、なんとも言えない表情カオをして見てる。⋯⋯ごめん、姉弟だから許してね。
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