ヤマトナデシコはじめました。

織緒こん

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 シェランディア王国は、ひとまず国としての形骸を保ったけど、今のところ王位は空だ。王宮は宗主国の侯爵、ジョエーレ・ステッラ卿が責任者になった。駐在外務官の他に今回随行した補佐官も、ステッラ侯爵と一緒に残ることになった。

 魔術師団副団長としてでなく、侯爵として残るとは言え、彼がシュザネット王国の高位魔術師である事実は変わらないので、シェランディア王国の中枢で甘い汁を吸いつつ、侯爵夫人の誘拐を見て見ぬ振りをしていた輩は恐怖に打ち震えていることだろう。

 旦那さまと一緒に残ることになった侯爵夫人は、ちょっとご機嫌斜めである。

「ハヤテに逢いたい! 大怪我してたんだ、よく頑張ったねって褒めてあげなきゃ。ユーリャたちだって、寂しい思いをしてるに決まってる。ねぇ、ハリーさま、ぼく、ここにいなきゃだめかなぁ?」

「⋯⋯アルノルドさんがって言うより、ステッラ副団長がここにいなきゃいけないんだと思う」

「置いて帰る?」

「可哀想だから、やめたげて」

 シェランディア王宮の貴賓室に、盛り盛りクッションを並べて犬猫をモフり倒している。カーペットに直座りの、アラビアンっぽい部屋なので、ダラーンと半分寝そべっている。シェランディアの寛ぎスタイルは、体を動かすことがままならないアルノルドさんにはちょうどいいんじゃないかな。

 後宮で飼われていた美しい犬猫は、すっかりアルノルドさんに骨抜きになっていて、元々の主人のところに帰ろうとしない。ステッラ副団長に抱き潰されて腰の立たないアルノルドさんのそばで、存分に癒しの効果を発揮していた。

 サリエル・ダビ内務卿との非公式の会談から一晩経ち、「朝まで呼ぶな」と言っていたステッラ副団長は、アルノルドさんを抱きかかえて王宮の執務室に現れた。見るからに上機嫌でツヤツヤしていて、腕の中のアルノルドさんはしどけなくグッタリしていた。

 こっちが照れて顔を赤くしていると、ロベルトさんに「いつもの貴方たちです」と耳打ちされた。ごめんなさい、寧ろピカピカしてる分、おれたちのがあからさまですね。

 おれとアルノルドさんは貴賓室でまったり中。執務室でブライトさまたちが、今後についてサリエルさんを交えて協議している。高位貴族のステッラ副団長を王太子の名代として残し、外務省の駐在管理官が実務を担って行くことになる。

 エルメル・ダビに政権を奪われなければ、北の連邦国家との挟み撃ちのリスクは減るからね。エルメル本人はやり切ったつもりでも、北は彼の離脱を許さないだろうって話だった。

 とにかく、シェランディア王国での結婚話がデマだと証明できれば、おれの仕事は終わりである。シャツにズボンにジレという楽な格好で過ごしている。

 王太子の婚約者おれ侯爵夫人アルノルドさんのために用意された貴賓室には、ジーンスワークの家令ロベルトさんと、王妃さま直属の侍女さんトリオが控えている。奥さま枠の人しかいないから、アルノルドさんが結構あけすけだ。

「ジョエルったら酷いんだ。もうダメだって言ってるのに、シツコイったらないの。可愛いって言えば、なんでも許されると思ってるんだよ!」

 気怠げに唇を尖らせる表情カオは可愛いですよ~。お友だちモードなので口調は気安い。そもそも侯爵夫人と伯爵子息じゃ侯爵夫人の方が身分は上だ。

「ロベルトのところはどう? あの穏やかな従僕でしょう? ゆったり優しそうだなぁ」

「あー、えー、その、うーん」

 ロベルトさんの視線が宙を泳いだ。うん、おれもそう思ってたんだけど、ジーンスワークに帰った時の様子じゃあ、そこそこケダモノだ。ロベルトさんてすごい美人さんなんだけど、デレると超可愛い。モジモジしてる姿、絶対マリクさんには見せないんだけどね。

「そっか、優しくないんだ」

「優しいですよ! ただちょっと、愛が深すぎ⋯⋯ってなんでもありませんっ!」

 先輩奥さまたちがエロいです。アルノルドさんはあっけらかんとステッラ副団長との夜を話すし、ロベルトさんの恥じらいっぷりは余計に色を感じさせる。⋯⋯新米奥さん(まだ婚約者)のおれは居た堪れない。

「大体、ぼくとジョエルじゃ体格が違いすぎて、体力が保たないんだよ。王太子さまは気を使ってくれるでしょう? ハリーさま、こんなにちっちゃいんだし」

 うわぁ、こっちに来た!

「ぼく魔力も微々たるものだから、ジョエルとするとデロンデロンに酔っ払っちゃうの。あとはもう、好き勝手にされちゃってさ。なまじ記憶は消えないもんだから、自分のアレコレが胸に痛すぎて⋯⋯。ハリーさまは魔力酔いってどうしてる?」

 聞かないでーッ! どうにも出来てないから!

 あれ、そう言えばおれ、アルノルドさんに旦那さまの喜ばせ方を聞きたかったんだっけ? いつも未婚のるぅ姉が一緒だったから聞きそびれてたけど、今チャンス? 兄代わりのロベルトさんがいるのは恥ずかしいけど⋯⋯。あ、侍女さんトリオは未婚女性だ!

 チラッと侍女さんトリオに視線を向けると、ニッコリ微笑みを返された。

「お茶のお仕度を致しましょうね」

 何もかも察した菩薩のような眼差しって、ああ言うのを指すんだろうな。うう、恥ずかしいよう。

 女性陣が退出したので、意を決して聞いてみた。

「アルノルドさんは、旦那さまが喜ぶことって、なにかしてます?」

「夜のこと?」

 漠然としすぎたのか質問返しが来た。頷くとくふふと可愛く笑って、クッションをギュッと抱きしめた。猫が三匹、ゴロゴロとすり寄っている。うん、眼福。

「王太子さまからご不満でも出たの?」

「そんなことないけど⋯⋯ぼく、マグロだから」

「まぐろ?」

 ブライトさまと同じ反応が返ってきた。冷凍マグロの説明をしてから、自分がなにも出来ないことを打ち明けると、ロベルトさんがギュッとしてヨシヨシってしてくれた。

「素直に感じてるのが一番じゃないかなぁ」

 うーんと唸りながら、アルノルドさんが言った。

「アレ、舐めてあげても喜ぶけど⋯⋯」

 舐め⋯⋯ッ? アレって、アレ? 舐めるの⁈

「それより、気持ちいい時はちゃんと気持ちいいって伝えてあげたり、して欲しいことや自分がしたいことをオネダリした方が喜ぶと思うよ。だいたい魔力酔いしちゃうと言わなくてもいいことまで言っちゃうし、なにされても従っちゃうから、ジョエルはやりたい放題なわけ。好きなこと好きなだけしてるから、結果あっちは満足みたいだよ。⋯⋯多分、殿下も同じじゃない?」

 ⋯⋯そうかも。

 真っ赤になって俯いていると、横からすうっと冷気が漂ってきて、キラキラと空気が凍った。ロベルトさん、どうしたの⁈

「レオンさまは、好き放題してるんですか? してるんですね⁈ ⋯⋯ハリーが何もできないと言いつつ、あれだけ魔力を注がれているってことは、それが答えですよね? あのムッツリが⋯⋯ッ!」

「なんだ、殿下も大満足じゃない。良かったね、ハリーさま」

 極寒のブリザードを放つロベルトさんと、ほんわか春の陽だまりみたいなアルノルドさん。対極するふたりの気配に、ワンコが尻尾を丸めてアルノルドさんの後ろに隠れた。

「まだ心配なら、直接やり方を教わったらいいよ。どう舐めたら気持ちいいの?って」

 プシューって音がする。幻聴かな。顔から火が出てる。

 アルノルドさん、大人だ! この世界の人にしては小柄で童顔だけど、人妻の色気が半端ない。今だって、とろりと微笑んでどこか遠くを見てるのは、絶対ステッラ副団長のこと考えてるんだ! 経験談を語ってるんですね!

 なんか、盛大に惚気られてる気がする⋯⋯。

「ぼくはハリーさまよりロベルトの方が気になるなぁ。魔力の量、良人おっととあんまり変わらないでしょ? 酔わない代わりに素面だから、乱れるとなったら純粋に相手の腕次第だしね」

 きらきらーんと氷の結晶が舞った。

 カーペットにガックリと両手をついたロベルトさんは、長い髪をカーテンのように垂らして顔を隠している。でも、チラ見えしている耳が真っ赤。

 腕次第⋯⋯いい腕してるんだね、マリクさん。

 ロベルトさんは完全に貰い事故に遭っていた。申し訳ない。おれがピンクな話題を振ったばっかりに。

 自分になにかを言い聞かせるように、ぶつぶつ言っているロベルトさんを心配して眺めているところに、侍女さんトリオが帰ってきた。

 ティーセットの乗ったワゴンから、お菓子の匂いがする。小麦と卵とバターを焼いた香りって、幸せの匂いだよね。

 可愛い猫足のついたトレイをカーペットに置いて、お茶を並べてくれる。

「さぁさ、もうすぐ殿下方の執務も終わられます。明日は出立いたしますから、本日はごゆるりとなさいませ」

「そうだよ、ハリーさま帰っちゃうんだよね。ぼくも帰りたいなぁ。冗談はさておき、そろそろ獣魔が心配」

 そっか、ユーリャちゃんたち、騎士団ではアルノルドさん以外には懐いていない。ハヤテでの飛行訓練の時も三日と空けずに帰っていたから、こんなに長らく会っていないのは初めてなのか。

「るぅ姉がたまにモフりに行くって言ってたよ」

「わぁ、助かる! ルーリィ嬢が宥めてくれれば安心だよ。世話は獣舎の当番がしてくれてるはずだけど、新人は怖がって最低限の世話しかしてくれないから」

 うーん、例えるなら飼い主不在時に、土佐犬の散歩係りは勘弁して欲しいって感じかな。噛まれたら死ぬ。

「大丈夫だよ」

 柔らかな声がした。ブライト様だ。侍女さんトリオとロベルトさんが、サッとかしこまった。ロベルトさんのお兄ちゃんモードがどっかに行った。残念。

「エリア・アレ公爵が暫定国守として、既に王都を発ったと連絡が来ている。侯爵位のステッラ魔術師団副団長は、それまでの繋ぎだよ」

「アレ公爵さまなら適任ですね。宗主国とは言え此方が侯爵では、ダビ公爵に対して強気に出られない」

 強気に出てもいいんだよ、本当は。サリエルさん公爵の弟で本人じゃないし、なんてったって宗主国の上位貴族だからね。ステッラ副団長はあんな性格だし、いくらでも強く出そうだし。

 でも、有象無象がうるさすぎるって事だ。自分のことを棚に上げて、家臣団が騒ぎ立てるに決まっている。キレた副団長が魔法をぶちかまして王宮を破壊しても困るから、チェンジで! てトコだろう。

「待たせたな、アルノー」

 魔術師のローブが翻って、ステッラ副団長がやって来た。なんとも自然な流れでアルノルドさんの傍に座り、膝の上に抱き上げた。⋯⋯王太子さまが立ったままですが、いいんでしょうか?

 触発されたのか、そばに腰を下ろしたブライトさまが、おれの腰を掬い上げて膝に乗せた。

「ふむ、玻璃の屋敷でも思ったが、床に直に座るのも楽で良いな。クッションがあれば、このまま寝そべっても寛げる」

 うーん、国を背負って立つ人々が、膝に奥さん(まだ婚約者)を乗せてご満悦だなんて、身内以外には見せられない。これじゃ色ボケなシェランディア廃王のこと、笑えない。

 むーんとしていたら、ブライトさまに鼻の頭をつつかれた。

「仕事は終わったよ。私的な空間だからね。こうしていてもなんの問題もない」

「そうだそうだ」

 ステッラ副団長がアルノルドさんにちょっかいをかけながら尻馬に乗った。

「侯爵邸にも設えようか? 存分にいちゃつけるぞ」

「もう、ジョエル。お行儀!」

 どうしよう、ステッラ侯爵夫妻を見ていると、口から砂糖を吐きそうだ。怒るアルノルドさんを見つめるステッラ副団長の目が熱い。

「王太子宮も一室模様替えしようか?」

「無駄な出費は控えましょう。血税です」

「こりゃしっかりした嫁さんだな」

「そうだろう」

 なんか話がおかしな方に転がったぞ。そりゃ日本人としては、床に座る文化は嬉しいさ。けど、おれが一言「模様替えしたい」と言ったら、恐ろしい値段の絨毯が用意されそうな気がするんだよ。テレビで見たペルシャ絨毯みたいに、二メートル四方で八百万円とかさ。ペルシャ絨毯、この世界にないけどね。

「僕の居間のテーブルををよけるくらいならいいですけど、新しいカーペットやラグを購入したりはダメですよ」

「王城の管理庫に代々の備品があるから、そこから選ぼう。死蔵品だから使ったほうが物も喜ぶんじゃないかな」

「⋯⋯それならいいですけど」

「ハリーさま、駄目です。殿下に丸め込まれてるよ!」

 あれ? いつの間にか模様替えすることが決定している! アルノルドさんに突っ込まれて気がついた。

「いいじゃないか。それに⋯⋯」

 ブライトさまが、おれの耳元に口を寄せて小さく囁いた。

「クッションにもたれて、いちゃつこうか」

 そっとおれだけに聞こえる声。なに言ってるんですか、王太子殿下! ステッラ副団長に感化されちゃダメです!

 ぼふんと顔を赤くしたおれを、ステッラ侯爵夫妻が笑いながら見ている。明日にはシュザネットに向けて発つと言うのに、こんなんで良いんだろうか? おれはひとり、頭を抱えた。

 ブライトさまの膝の上なので、全く締まりはなかったけれどね。
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