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ステッラ副団長の手から、火球がぶっ放されるのは回避された。めっちゃ不満そうだけど、グッジョブ、ロベルトさん。氷の花がシュワシュワ溶けて水蒸気が視界を遮る。
「こんな好色爺に時間を取られるも勿体ない。はよう、侯爵夫人を連れて参られよ。無論、丁重にじゃ。わかっておろうな? そこなお前、疾く行きやれ」
はい、ロベルトさん、ご領主さま憑依バージョン来ました! 高座から侮蔑の眼差しで見下す姿は、まさに女王様だ。⋯⋯あんなに儚げな容姿なのに、怒ると氷の彫像のようだ。
ロベルトさんに邪魔をされたステッラ副団長が、忌々しげに舌打ちした。あの~、王太子殿下の御前ですよ~。
「シュザネット王立騎士団ヴァーリ団長である」
ヴァーリ団長が参戦した!
「シェランディア元国王を捕縛する。罪状は以下だ」
シュザネット王国王太子殿下への不敬。シュトーレン伯爵子息の誘拐未遂。虚偽の婚約発布。ステッラ侯爵夫人への傷害及び誘拐監禁、暴行未遂。シュザネット王国への不法入国。シュザネット王立騎士団所属一等騎士所有の獣魔破損。
「以上を以って、シュザネット王国、延いてはシュザネット帝国への叛逆とみなすものなり」
並べると凄いな。異母弟が申し込んだ相手を横取りしようとしただけで、こんなになるんだ。
「なにを言っておられるか⁈ その姫は天より降りた神の娘でありましょう! 我が国の神は紅の神鳥ぞ。神鳥の娘は王家に賜りし宝ですぞ!」
それ、おれが着替えたら意味なくない?
赤地に鳳凰柄の着物と金の帯。脱いだら紅の神鳥要素はどこにもない。第一、性別からして間違っている。突っ込みどころ満載の上、ヴァーリ団長の言葉に逆らった。
「なるほど、鳥ね。それでウチのかわい子ちゃんを拐ったわけか」
忌々しげな声はステッラ副団長。アルノルドさんは、ハヤテに乗って飛んでたところを射られたんだっけ。
ブライトさまが、片手を挙げた。ちらりと管理官に視線を流すと、彼は大仰に頷いた。
「そなた、神の娘と思う者を射たのか?」
低く問う。ブライトさまの目が冷たく光った。
「我が伴侶を神の娘と思うて尚、空を翔けるのを射落とさんとしたか。そなたが射落としたは我が国の騎士であった。玻璃本人であったら、受け身を取ることもならず、今頃は神の御許へ帰っていたであろうな。空から落ちた人間は、いかほど生きられようか。ステッラが死んでおれば神の娘ではなかったと、屍を捨て置いたのではないか?」
空気が凍った。
忠臣さんがよろめいて膝を付き、そのまま額突いた。
「死んでおらぬので良いではありませんか」
おれはこの痩せた老人が、再び恐ろしくなった。けろりとして、いや、心底不思議そうに言うシェランディア国王は、得体の知れない生き物に見える。
「王太子殿下、我が王は心の病にございます。これ以上は殿下をご不快にさせるばかりにて、何卒退出をお許しください」
「ならぬ」
額突いたまま、忠臣さんが呻いた。この人がどんなに頑張っても、この場を取り繕うことは無理だ。ブライトさまが間髪入れずに却下したのが、その証しだ。
「すでに我が騎士団長が、捕縛の命を下した」
「⋯⋯それは」
「反意はない」
「では、わたくしめも共に」
あー、この忠臣さん、事件の一切合切片付けたら、ハラキリしちゃうタイプの人だ。阿呆の王さまを支え続けて舵取りして来て、これ以上どうしようもなくなって、全部ひっかぶるつもりだなぁ。
「何を言うておる! その方、いちいち出しゃばりおって! 殿下は我が花嫁を伴って、祝いに来てくださったのだ! はよう、歓待の支度をせぬか!」
「陛下! なりませぬ!」
なんか忠臣さんが可哀想になってきた。高座の上は、全員が忠臣さんに同情の眼差しを向けている。ステッラ副団長までだ。
国王を捕縛するために、謁見の間にはシュザネットの騎士が入ってきた。居並ぶ臣下が右往左往し始めると、数人がこっそり退出しようとしていた。高座からはよく見える。多分、なんか悪いことしてるんだろうなぁ。巻き添えで捕まって、後ろ暗いことが晒されるのを恐れてるとか。
ステッラ副団長が火球を手のひらに乗せた。それを逃げ出そうとしている連中に投げようとして、再び霧散させる。今度は自分で力を逃したみたいだ。ふっと口元に笑みが浮かぶ。馬鹿な臣下が開こうとしていた扉が、外側から開かれた。
アオーン、ニャアニャア、ブルルッ、チュチュウ、動物たちが一気に雪崩れ込んできて、謁見の間の家臣たちが一斉にこちらに向かって逃げて来て、騎士に剣を向けられていた。
猫と鼠はともかく、牙を剥いた犬と鼻息の荒い馬は怖い。然りとて、騎士に剣を突きつけられるのも怖いだろう。恨むなら自国の阿呆な王を恨んでくれ。
「ジョエル、黒い巻き毛の熊さんみたいな人居る? 居たら、その人は殺さないでね。鶏ガラジジイがぼくに厭らしいことするの、止めてくれたから」
カッポカッポと蹄の音を立て、謁見の間を馬がやって来る。建物の中、いいんだろうか? 日本の道路交通法では、確か車両扱いだった気がする。私有地なら無問題?
馬の背に乗った人は、草臥れた騎士服とボサボサの髪の毛でも可愛らしかった。人間を寄せ付けず、動物たちと数日を過ごしたことがわかる。
馬に蹴られたくない人々が、まろぶように道を空ける。その真ん中を悠々と進んできたアルノルドさんは、鬣をひいて馬を止まらせた。
壇上のステッラ副団長が、ふわりとローブをはためかせて馬の傍に降り立った。跳躍って言うより浮遊って感じで、多分魔法を使ったんだろう。
「アルノー、おいで」
デロッデロに甘い声で言って、馬上に手を差し伸べると、アルノルドさんが微笑んでスルリとステッラ副団長の腕に飛び込んだ。
軽々と抱き上げられて、すっかり安心しきった柔らかな笑顔で、アルノルドさんはステッラ副団長の首元に額をつけた。
「待ってた」
「悪いな、遅くなっちまった。風呂入ってさっぱりしたら、なんか腹に入れような。ちゃんと眠れてたか?」
「ん、この子たちが見張っててくれたよ」
甘い⋯⋯。
甘えた声と甘やかす声のダブルパンチ、蜂蜜に砂糖をぶち込んだみたいだ。さっきまでのギスギスしてたのに、なんとも言えない空気が漂っている。
「よう、殿下。おれはこいつを連れて宿舎に帰る。明日の朝まで呼びに来るなよ」
「許す」
アルノルドさんの体調が一番大事だし、ステッラ副団長も奥さんを早く休ませてやりたいんだろう。ブライトさまが速攻で許可を出した。ここにいても、シェランディア国王を殺す権利を主張するだけなので、帰ってくれた方が話が進むかも。落ち着いたら後日、アルノルドさんから話を聞く時間が設けられるだろう。
ステッラ副団長がローブを翻しながら、優雅に礼をして踵を返すと、その背中を空気を読まない声が追いかけた。
「畜生に汚された偽物はお返ししました。さぁさ、我が神の娘よ。安心して我が褥に参られよ」
何言ってんの、このキ◯ガイ国王! ステッラ副団長が凄い勢いで振り向いて、ブライトさまがパチパチと紫電を放出させ始めた! 平伏していた忠臣さんは額を床に擦りつけているし、家臣たちは絶望の表情で固まっている。
シュザネットの騎士は、得体の知れない化け物を見るような目で、シェランディアの国王を見ていた。捕縛を命じられてはいるが、新たな失言をした罪人をこのまま捕らえて良いものか、悩んでいるようだ。
「⋯⋯殿下、このイカれ野郎、頭吹き飛ばしてもいいか?」
「ならぬ。わたしの獲物だ」
ステッラ副団長、炎がチラついてるよ! ブライトさまも、参戦しないでぇ!
アルノルドさんの無事な姿を見て、ほっと一息だと思ったのに、シェランディア国王のせいであっと言う間に殺伐とした空気に支配された。
「そこな侍従も共に迎えようぞ」
KY?
MKY?
AKY?
謁見の間がうっすらと白く輝いた。霜が降りてるんだ。だらしなく目尻を下げたシェランディア国王を、壇上からロベルトさんが絶対零度の眼差しで見つめていた。
氷の彫像のようだ。
「妻を略奪した者は、その夫に報復されても文句は言えぬと言うたかえ? わたくしの夫に殺される覚悟は、有りや、無しや? 人のものばかり欲しがりやる下郎め。殿下、同じ空気を肺に収めるも気分が悪うごさいます。早う首を撥ねておしまいなさいませ」
「いやいやいや、待て待て待て。色々聞かなきゃならんからな。おい、お前たち、ボーッとしてないでさっさとしょっ引け!」
ヴァーリ団長が泡食って騎士さまに手を振った。
「火薔薇姫の生霊憑けて、脅してんじゃねぇ!」
ヴァーリ団長も、ロベルトさんがご領主さまモード発令してるって思ったんだね。それにしたって、生霊。ご領主さまに知られたら、ヴァーリ団長の命がなさそうだ。
「何をする! 無礼者!」
国王がわあわあ言いながら騎士さまに左右を挟まれて引き摺り出され、それを見送ってから、今度こそステッラ副団長はアルノルドさんを連れて退出して行った。動物たちもついていく。
馬が二頭、大型犬四頭、小型犬二匹、猫⋯⋯ 七匹までは数えた。動くな! 鼠は元から数える気もない。とにかくワンワンニャアニャアチュウチュウと姦しい。嵐が去った謁見の間に残されたシェランディア王国の家臣は、解熱した直後のような惚けた顔をして、去って行く動物たちを見送った。
忠臣さんは伏したままだ。
なんかすっごい気の毒。綺麗事を言えば阿呆な国王を諫められない時点で、政治家として失格なんだろう。でも無理な時ってあるじゃん。法学部の学生とかなら、もうちょっと違うことが思えたかも知れないけど、キチ◯イ相手じゃどうしようもないって思っちゃう。
ブライトさまに手を伸ばして、そっと袖を引いた。厳しい表情が緩んで、振り向いた瞳は甘やかだった。
ん?⋯⋯て感じで微笑まれて、おずおずと口を開く。
「シェランディア国王の側近の人、なんとかならないですか?」
高度に政治的問題に口を挟むなんて、なんて愚かなことだろう。
国家ぐるみで宗主国の侯爵夫人を誘拐監禁したことだけでも、国王ひとりの首を撥ねて終わりにはできない。その上、王太子の婚約者に懸想し、王太子本人の前で口説いたのだ。それも焦がれての求愛でなく、まるで玩具を手に入れるように軽々しく。
愚王を戴いた罪は、国の中枢全てにある。
考えながら、つっかえつっかえ言葉を綴る。
「でも、後ろにいる沢山の知らん顔している家臣の人たちと、一緒にしちゃダメだと思ったんです。⋯⋯ごめんなさい。余計な口出しでした」
恥ずかしくなって俯いたので、ブライトさまやロベルトさんがどんな表情をしているのかは見なかった。しばらく続いた沈黙を破ったのは、ヴァーリ団長の押し殺した笑い声だった。
「殿下、貴方の未来のお妃さまは、とてもよく見ている。そこの髭面のおっさんが使える人材だってことも、後ろの有象無象どもがなんの役にも立たないってことも、黒いお目々でしっかりとね」
ヴァーリ団長の声はよく響いた。さすが、騎士団に檄を飛ばすだけのことはある。肯定されて、おれはハッと顔を上げた。ヴァーリ団長を見てから、ブライトさまに視線を移すと、微笑んで頷いてくれた。⋯⋯よかった。差し出がましい奴だって、嫌われたらどうしようって思ってたから、安心して涙が滲む。
今、すっごくハグして欲しい。それどころじゃないけど、ドキドキする。
ヴァーリ団長の言葉に慌てたのは謁見の間にいる家臣たちだ。彼らは動物たちが入ってきたときに列を乱し、おれたちがやってきたときの整然とした並びは崩れていた。その場で右往左往する者がほとんどだったけど、そのうちひとりが平伏すると、それに倣って次々と石の床に平伏した。
最終的に、檀の下には立っている者はいなくなった。
「ヴァーリ、場所を変える。その男とあと数人、其奴に推薦させて話を聞こう。残りは騎士団で監視せよ。⋯⋯誘拐の件はこれで落着の運びだが、それだけでは終わらぬ」
「御意」
ヴァーリ団長は胸に片手を押し当てて、恭しく頭を下げた。
ブライトさまが立ち上がって、おれに手を差し伸べた。エスコートされて来たときとは逆に向かって歩く。平伏した家臣団と彼らに睨みを利かせるシュザネット王国の騎士さまたちの真ん中を通り、謁見の間を進む。
おれは美しく着飾り、そこに座っていただけだった。それがおれの仕事だったからだ。
シェランディア王国の神話を彷彿とさせる、朱金の神鳥。先に囚われていた偽りの神の娘を救い、宗主国の王太子に寄り添った。シェランディアの民には王の上に正義はなかった。
宗主国の王太子って言うのは、大きな存在のはずだ。けど、それ以上に建国神話の神の娘っていうのが信仰の対象なんだと思う。だからこそシェランディア国王はおれを欲しがり、家臣はその姿を見て、神の娘を引き摺り下ろそうとする姿を恐れた。
おれの想像だけどさ、家臣たちはアルノルドさんを拐って来たとき、本物の華姫だなんて思ってなかったと思うんだ。女好きな王さまが、また何処かから可哀想な娘を拐ってきたくらいの認識で、権力に阿って、王さま本人が華姫だと思いこんでるんならいいんじゃねってさ。
だから、今になってガタガタ震えてる。
落ち着いて悔いているのは、シェランディア国王に仕置された忠臣さんだけだ。
そうか。
だから、エルメル・ダビは。
おれの足が止まり、ブライトさまがそれに合わせて立ち止まった。
「何か不安が?」
抱き留められて、首を振る。
おれは振り返って、平伏したままの家臣の姿を目に刻んだ。自分の身を心配するだけの人々だ。
「エルメル・ダビは、ここにいる人たちを見限ったんだね」
スルリと口から言葉が出た。南国の鳥男は、もしかしたら忠臣さんと同じくらい、国の行く末を憂えているのかもしれない。
ブライトさまがあやすように、おれの背中をぽんぽんと叩いた。
「そうだとしても、わたしから玻璃を奪うことは容認できないな」
「ぼくも離れたくありません」
シェランディアの礎になんかなりたくない。どうせなるならシュザネット王国のだろ? ブライトさまの守る国なら、おれは何にでもなってやろうと思った。
今はまだ、お飾りになるしかないけれど⋯⋯。
「こんな好色爺に時間を取られるも勿体ない。はよう、侯爵夫人を連れて参られよ。無論、丁重にじゃ。わかっておろうな? そこなお前、疾く行きやれ」
はい、ロベルトさん、ご領主さま憑依バージョン来ました! 高座から侮蔑の眼差しで見下す姿は、まさに女王様だ。⋯⋯あんなに儚げな容姿なのに、怒ると氷の彫像のようだ。
ロベルトさんに邪魔をされたステッラ副団長が、忌々しげに舌打ちした。あの~、王太子殿下の御前ですよ~。
「シュザネット王立騎士団ヴァーリ団長である」
ヴァーリ団長が参戦した!
「シェランディア元国王を捕縛する。罪状は以下だ」
シュザネット王国王太子殿下への不敬。シュトーレン伯爵子息の誘拐未遂。虚偽の婚約発布。ステッラ侯爵夫人への傷害及び誘拐監禁、暴行未遂。シュザネット王国への不法入国。シュザネット王立騎士団所属一等騎士所有の獣魔破損。
「以上を以って、シュザネット王国、延いてはシュザネット帝国への叛逆とみなすものなり」
並べると凄いな。異母弟が申し込んだ相手を横取りしようとしただけで、こんなになるんだ。
「なにを言っておられるか⁈ その姫は天より降りた神の娘でありましょう! 我が国の神は紅の神鳥ぞ。神鳥の娘は王家に賜りし宝ですぞ!」
それ、おれが着替えたら意味なくない?
赤地に鳳凰柄の着物と金の帯。脱いだら紅の神鳥要素はどこにもない。第一、性別からして間違っている。突っ込みどころ満載の上、ヴァーリ団長の言葉に逆らった。
「なるほど、鳥ね。それでウチのかわい子ちゃんを拐ったわけか」
忌々しげな声はステッラ副団長。アルノルドさんは、ハヤテに乗って飛んでたところを射られたんだっけ。
ブライトさまが、片手を挙げた。ちらりと管理官に視線を流すと、彼は大仰に頷いた。
「そなた、神の娘と思う者を射たのか?」
低く問う。ブライトさまの目が冷たく光った。
「我が伴侶を神の娘と思うて尚、空を翔けるのを射落とさんとしたか。そなたが射落としたは我が国の騎士であった。玻璃本人であったら、受け身を取ることもならず、今頃は神の御許へ帰っていたであろうな。空から落ちた人間は、いかほど生きられようか。ステッラが死んでおれば神の娘ではなかったと、屍を捨て置いたのではないか?」
空気が凍った。
忠臣さんがよろめいて膝を付き、そのまま額突いた。
「死んでおらぬので良いではありませんか」
おれはこの痩せた老人が、再び恐ろしくなった。けろりとして、いや、心底不思議そうに言うシェランディア国王は、得体の知れない生き物に見える。
「王太子殿下、我が王は心の病にございます。これ以上は殿下をご不快にさせるばかりにて、何卒退出をお許しください」
「ならぬ」
額突いたまま、忠臣さんが呻いた。この人がどんなに頑張っても、この場を取り繕うことは無理だ。ブライトさまが間髪入れずに却下したのが、その証しだ。
「すでに我が騎士団長が、捕縛の命を下した」
「⋯⋯それは」
「反意はない」
「では、わたくしめも共に」
あー、この忠臣さん、事件の一切合切片付けたら、ハラキリしちゃうタイプの人だ。阿呆の王さまを支え続けて舵取りして来て、これ以上どうしようもなくなって、全部ひっかぶるつもりだなぁ。
「何を言うておる! その方、いちいち出しゃばりおって! 殿下は我が花嫁を伴って、祝いに来てくださったのだ! はよう、歓待の支度をせぬか!」
「陛下! なりませぬ!」
なんか忠臣さんが可哀想になってきた。高座の上は、全員が忠臣さんに同情の眼差しを向けている。ステッラ副団長までだ。
国王を捕縛するために、謁見の間にはシュザネットの騎士が入ってきた。居並ぶ臣下が右往左往し始めると、数人がこっそり退出しようとしていた。高座からはよく見える。多分、なんか悪いことしてるんだろうなぁ。巻き添えで捕まって、後ろ暗いことが晒されるのを恐れてるとか。
ステッラ副団長が火球を手のひらに乗せた。それを逃げ出そうとしている連中に投げようとして、再び霧散させる。今度は自分で力を逃したみたいだ。ふっと口元に笑みが浮かぶ。馬鹿な臣下が開こうとしていた扉が、外側から開かれた。
アオーン、ニャアニャア、ブルルッ、チュチュウ、動物たちが一気に雪崩れ込んできて、謁見の間の家臣たちが一斉にこちらに向かって逃げて来て、騎士に剣を向けられていた。
猫と鼠はともかく、牙を剥いた犬と鼻息の荒い馬は怖い。然りとて、騎士に剣を突きつけられるのも怖いだろう。恨むなら自国の阿呆な王を恨んでくれ。
「ジョエル、黒い巻き毛の熊さんみたいな人居る? 居たら、その人は殺さないでね。鶏ガラジジイがぼくに厭らしいことするの、止めてくれたから」
カッポカッポと蹄の音を立て、謁見の間を馬がやって来る。建物の中、いいんだろうか? 日本の道路交通法では、確か車両扱いだった気がする。私有地なら無問題?
馬の背に乗った人は、草臥れた騎士服とボサボサの髪の毛でも可愛らしかった。人間を寄せ付けず、動物たちと数日を過ごしたことがわかる。
馬に蹴られたくない人々が、まろぶように道を空ける。その真ん中を悠々と進んできたアルノルドさんは、鬣をひいて馬を止まらせた。
壇上のステッラ副団長が、ふわりとローブをはためかせて馬の傍に降り立った。跳躍って言うより浮遊って感じで、多分魔法を使ったんだろう。
「アルノー、おいで」
デロッデロに甘い声で言って、馬上に手を差し伸べると、アルノルドさんが微笑んでスルリとステッラ副団長の腕に飛び込んだ。
軽々と抱き上げられて、すっかり安心しきった柔らかな笑顔で、アルノルドさんはステッラ副団長の首元に額をつけた。
「待ってた」
「悪いな、遅くなっちまった。風呂入ってさっぱりしたら、なんか腹に入れような。ちゃんと眠れてたか?」
「ん、この子たちが見張っててくれたよ」
甘い⋯⋯。
甘えた声と甘やかす声のダブルパンチ、蜂蜜に砂糖をぶち込んだみたいだ。さっきまでのギスギスしてたのに、なんとも言えない空気が漂っている。
「よう、殿下。おれはこいつを連れて宿舎に帰る。明日の朝まで呼びに来るなよ」
「許す」
アルノルドさんの体調が一番大事だし、ステッラ副団長も奥さんを早く休ませてやりたいんだろう。ブライトさまが速攻で許可を出した。ここにいても、シェランディア国王を殺す権利を主張するだけなので、帰ってくれた方が話が進むかも。落ち着いたら後日、アルノルドさんから話を聞く時間が設けられるだろう。
ステッラ副団長がローブを翻しながら、優雅に礼をして踵を返すと、その背中を空気を読まない声が追いかけた。
「畜生に汚された偽物はお返ししました。さぁさ、我が神の娘よ。安心して我が褥に参られよ」
何言ってんの、このキ◯ガイ国王! ステッラ副団長が凄い勢いで振り向いて、ブライトさまがパチパチと紫電を放出させ始めた! 平伏していた忠臣さんは額を床に擦りつけているし、家臣たちは絶望の表情で固まっている。
シュザネットの騎士は、得体の知れない化け物を見るような目で、シェランディアの国王を見ていた。捕縛を命じられてはいるが、新たな失言をした罪人をこのまま捕らえて良いものか、悩んでいるようだ。
「⋯⋯殿下、このイカれ野郎、頭吹き飛ばしてもいいか?」
「ならぬ。わたしの獲物だ」
ステッラ副団長、炎がチラついてるよ! ブライトさまも、参戦しないでぇ!
アルノルドさんの無事な姿を見て、ほっと一息だと思ったのに、シェランディア国王のせいであっと言う間に殺伐とした空気に支配された。
「そこな侍従も共に迎えようぞ」
KY?
MKY?
AKY?
謁見の間がうっすらと白く輝いた。霜が降りてるんだ。だらしなく目尻を下げたシェランディア国王を、壇上からロベルトさんが絶対零度の眼差しで見つめていた。
氷の彫像のようだ。
「妻を略奪した者は、その夫に報復されても文句は言えぬと言うたかえ? わたくしの夫に殺される覚悟は、有りや、無しや? 人のものばかり欲しがりやる下郎め。殿下、同じ空気を肺に収めるも気分が悪うごさいます。早う首を撥ねておしまいなさいませ」
「いやいやいや、待て待て待て。色々聞かなきゃならんからな。おい、お前たち、ボーッとしてないでさっさとしょっ引け!」
ヴァーリ団長が泡食って騎士さまに手を振った。
「火薔薇姫の生霊憑けて、脅してんじゃねぇ!」
ヴァーリ団長も、ロベルトさんがご領主さまモード発令してるって思ったんだね。それにしたって、生霊。ご領主さまに知られたら、ヴァーリ団長の命がなさそうだ。
「何をする! 無礼者!」
国王がわあわあ言いながら騎士さまに左右を挟まれて引き摺り出され、それを見送ってから、今度こそステッラ副団長はアルノルドさんを連れて退出して行った。動物たちもついていく。
馬が二頭、大型犬四頭、小型犬二匹、猫⋯⋯ 七匹までは数えた。動くな! 鼠は元から数える気もない。とにかくワンワンニャアニャアチュウチュウと姦しい。嵐が去った謁見の間に残されたシェランディア王国の家臣は、解熱した直後のような惚けた顔をして、去って行く動物たちを見送った。
忠臣さんは伏したままだ。
なんかすっごい気の毒。綺麗事を言えば阿呆な国王を諫められない時点で、政治家として失格なんだろう。でも無理な時ってあるじゃん。法学部の学生とかなら、もうちょっと違うことが思えたかも知れないけど、キチ◯イ相手じゃどうしようもないって思っちゃう。
ブライトさまに手を伸ばして、そっと袖を引いた。厳しい表情が緩んで、振り向いた瞳は甘やかだった。
ん?⋯⋯て感じで微笑まれて、おずおずと口を開く。
「シェランディア国王の側近の人、なんとかならないですか?」
高度に政治的問題に口を挟むなんて、なんて愚かなことだろう。
国家ぐるみで宗主国の侯爵夫人を誘拐監禁したことだけでも、国王ひとりの首を撥ねて終わりにはできない。その上、王太子の婚約者に懸想し、王太子本人の前で口説いたのだ。それも焦がれての求愛でなく、まるで玩具を手に入れるように軽々しく。
愚王を戴いた罪は、国の中枢全てにある。
考えながら、つっかえつっかえ言葉を綴る。
「でも、後ろにいる沢山の知らん顔している家臣の人たちと、一緒にしちゃダメだと思ったんです。⋯⋯ごめんなさい。余計な口出しでした」
恥ずかしくなって俯いたので、ブライトさまやロベルトさんがどんな表情をしているのかは見なかった。しばらく続いた沈黙を破ったのは、ヴァーリ団長の押し殺した笑い声だった。
「殿下、貴方の未来のお妃さまは、とてもよく見ている。そこの髭面のおっさんが使える人材だってことも、後ろの有象無象どもがなんの役にも立たないってことも、黒いお目々でしっかりとね」
ヴァーリ団長の声はよく響いた。さすが、騎士団に檄を飛ばすだけのことはある。肯定されて、おれはハッと顔を上げた。ヴァーリ団長を見てから、ブライトさまに視線を移すと、微笑んで頷いてくれた。⋯⋯よかった。差し出がましい奴だって、嫌われたらどうしようって思ってたから、安心して涙が滲む。
今、すっごくハグして欲しい。それどころじゃないけど、ドキドキする。
ヴァーリ団長の言葉に慌てたのは謁見の間にいる家臣たちだ。彼らは動物たちが入ってきたときに列を乱し、おれたちがやってきたときの整然とした並びは崩れていた。その場で右往左往する者がほとんどだったけど、そのうちひとりが平伏すると、それに倣って次々と石の床に平伏した。
最終的に、檀の下には立っている者はいなくなった。
「ヴァーリ、場所を変える。その男とあと数人、其奴に推薦させて話を聞こう。残りは騎士団で監視せよ。⋯⋯誘拐の件はこれで落着の運びだが、それだけでは終わらぬ」
「御意」
ヴァーリ団長は胸に片手を押し当てて、恭しく頭を下げた。
ブライトさまが立ち上がって、おれに手を差し伸べた。エスコートされて来たときとは逆に向かって歩く。平伏した家臣団と彼らに睨みを利かせるシュザネット王国の騎士さまたちの真ん中を通り、謁見の間を進む。
おれは美しく着飾り、そこに座っていただけだった。それがおれの仕事だったからだ。
シェランディア王国の神話を彷彿とさせる、朱金の神鳥。先に囚われていた偽りの神の娘を救い、宗主国の王太子に寄り添った。シェランディアの民には王の上に正義はなかった。
宗主国の王太子って言うのは、大きな存在のはずだ。けど、それ以上に建国神話の神の娘っていうのが信仰の対象なんだと思う。だからこそシェランディア国王はおれを欲しがり、家臣はその姿を見て、神の娘を引き摺り下ろそうとする姿を恐れた。
おれの想像だけどさ、家臣たちはアルノルドさんを拐って来たとき、本物の華姫だなんて思ってなかったと思うんだ。女好きな王さまが、また何処かから可哀想な娘を拐ってきたくらいの認識で、権力に阿って、王さま本人が華姫だと思いこんでるんならいいんじゃねってさ。
だから、今になってガタガタ震えてる。
落ち着いて悔いているのは、シェランディア国王に仕置された忠臣さんだけだ。
そうか。
だから、エルメル・ダビは。
おれの足が止まり、ブライトさまがそれに合わせて立ち止まった。
「何か不安が?」
抱き留められて、首を振る。
おれは振り返って、平伏したままの家臣の姿を目に刻んだ。自分の身を心配するだけの人々だ。
「エルメル・ダビは、ここにいる人たちを見限ったんだね」
スルリと口から言葉が出た。南国の鳥男は、もしかしたら忠臣さんと同じくらい、国の行く末を憂えているのかもしれない。
ブライトさまがあやすように、おれの背中をぽんぽんと叩いた。
「そうだとしても、わたしから玻璃を奪うことは容認できないな」
「ぼくも離れたくありません」
シェランディアの礎になんかなりたくない。どうせなるならシュザネット王国のだろ? ブライトさまの守る国なら、おれは何にでもなってやろうと思った。
今はまだ、お飾りになるしかないけれど⋯⋯。
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だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。
その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。
女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。
もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。
周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか?
侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
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