ヤマトナデシコはじめました。

織緒こん

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 久しぶりのジーンスワークだ。ホントは二年離れる筈だったけど、これで見納めになるかもしれない。⋯⋯お嫁に行くってそう言うことだよね。

 岩と城壁に囲まれた城は、何度見ても圧倒される。城下の人々がミカエレさまに親しく挨拶している声が聞こえる。

 馬車の紋章を見たのか、歓声が上がった。ブライトさまは、ジーンスワーク辺境伯爵領で少年期を過ごしている。おれとトレアくんは歓声を聞きながらニッコリした。ブライトさまが領民に人気で嬉しい。つまりは、少年時代のブライトさまが愛されていたってことだ。

 ジーンスワークの岩城は、玄関間近に馬車だまりがない。馬車を降りてから、城まで少々歩くんだ。石畳で整備されているから、足元には不安はない。

 馬車を降りると出迎えてくれたのは、ロベルトさんと従僕頭のマリクさん。辺境騎士団のみんなも居た。貴人を迎えるにあたり、形式は大事だ。美しく整列して顔を上げている。日常の彼らを知っているだけに可笑しい。いつもこんなにカッコよくないよって言ったら、怒られるかな。

 ブライトさまにエスコートされたおれは、ロベルトさんの挨拶を受けた。恭しく頭を下げたロベルトさんは美しい所作で出迎えてくれる。

 ハリーさまって呼ばれて、ちょっと寂しかったけど。昨日まで呼び捨てだったのは、ロベルトさんなりの甘やかしだったんだろう。

 ロベルトさんに先導されて岩城に入り、客間に通される。おれが馴染んだ奥の間でなく、表の客間。おれは完全にお客さんになった。ロベルトさんが下がると、ブライトさまがおれの切ない気持ちを感じたのか、そっと肩を抱いてくれた。

「大丈夫だよ。領民たちの目がないところでは、今まで通りだ。心配しないで」

 そっか。そうだよね。王太子殿下の婚約者が侮られてはダメってことだ。ジーンスワークの領民は、素朴で懐こくて団結力があるのが特徴だ。個人の差はあるけど、概ねおおらかで愛情深い。王太子殿下の婚約者として帰ってきたって、近所の子の里帰り並みに良い意味で雑に扱われただろうな。⋯⋯ロベルトさんがよそよそしくしなけりゃ。

「ありがとう、寂しかったのはちょっとだけ」

「ちょっとでも寂しい思いはさせたくないな。わたしで埋められるかい?」

「多分、ブライトさまじゃ埋まらないです」

 大事な兄ちゃんが遠くに行っちゃった感じだ。ブライトさまが居てくれても、埋まらない。でも、家族からは、いつか巣立つんだ。

「ブライトさまとは違うところに住んでるから、ブライトさまじゃダメです。ロベルトさんはるぅ姉と同じところに住んでるみたい」

 心の中のいちばん深いところに、ブライトさまは住んでいる。あっという間にるぅ姉を飛び越えて、おれの心のいちばん深くていちばん柔らかいところに住み着いちゃったんだ。

 日本にいたとしても、おれとるぅ姉はいつかそれぞれ自立して、離れて暮らすようになっただろう。それは寂しさと一緒に未来への憧憬もある。ホントはひとり暮らしとか、ちょっと憧れてたんだ。だけどもう、ひとりでなんか暮らせない。ブライトさまと離れて暮らすなんて、想像できないもん。

「どうしよう、ぼく、ブライトさまがいないと死んじゃうかも」

 ぽろっと口から漏れた。おれ何言ってるの⁈

「いいい、今のナシです!」

 顔が熱い。絶対真っ赤だ。居た堪れなくなって俯くと、ブライトさまの「ふふっ」と言う、いつもの笑いが聞こえた。

「可愛いこと言うと、口付けしたくなってしまうよ?」

 旋毛つむじに吐息を感じる。もうキスしてるじゃん! 頭のてっぺんだけど。肩に腕が回って体を引き寄せられる。ブライトさまは空いた手でおれの顎を掬い上げると、チュッと音を立ててキスをした。

 全部がスマートで、あんまりにも自然に行われたので、完全な不意打ちだ。旋毛だけじゃ終わらなかったよ!

 内心でワタワタしていると、ブライトさまはチュッチュッと小鳥のキスを繰り返し、最後にペロリと唇を舐めて終わりにした。もっと凄いこと、色々されているはずなのに、恥ずかしくて仕方がない。

「可愛い。そんなに瞳を潤ませて、わたしをどうしたいの?」

 どうしたいって、それはおれのセリフです!

 そろそろ昼食の前に身支度を整えなきゃいけない。ロベルトさんと打ち合わせをしている、侍女さんトリオとトレアくんがやって来ちゃう。その前にこの赤面カオなんとかしなきゃ。

「ブライトさまの⋯⋯馬鹿⋯⋯」

「ほんとに君は、どうしたいの!」

 ブライトさまは強く言って、おれを胸に抱き込んだ。ひゃあ、これじゃ顔の熱がいつまで経っても引かないじゃないか!

「玻璃、わたしも君に何かあったら生きてはいられない」

 切ない声で言われて、胸がキュンとした。

「その時は、国も一緒に滅亡しそうなので、ハリーさまは死ぬ気で長生きしてくださいねー」

 うひゃッ⁈

 まままマーサさん⁈ いつ部屋に戻ってきたの⁈ 第三者の声が突然降ってきて、心臓がドッキーンってした! 体もビクってなって、ブライトさまの顎に頭突きしそうになったじゃないか。⋯⋯踏み止まれて良かったよ。

「そんな大袈裟な。滅亡って冗談が過ぎますよ、ねぇ?」

「⋯⋯⋯⋯ふふっ」

 何、その間?

「ブライトさま?」

「玻璃は可愛いね」

 チュッと顳顬にキス。おれは呆然とマーサさんの顔を見つめた。彼女はしたり顔で頷いた。

「ハリーさまが亡くなった後ですので、ハリーさまご本人には何らご不自由はないのですが、国民にとっては重大な問題ですわ」

「ぼくの生死って、そんな重要なの⁈」

「はい。なので是非とも、殿下より長生きなさってくださいませ。でなければ、お養子さま、お孫さまに囲まれて、幸せに微笑みながら殿下の腕の中で、ご一緒に旅立たれることをお勧めします」

⋯⋯マーサさん、殿下が儚くなられるときのシチュエーション予想は、不敬にはならないのだろうか? マシュマロ系キュートなマーサさんは、時々不思議ちゃんだ。

「それはともかく、支度を始める時間なんですね」

 あからさまに、話を変えてみた。ちょっと唐突だったかな。彼女の提案はとても素敵だけど、先のことはわからない。死ぬときのことを心配するより、ブライトさまと一緒にあれこれ体験することを優先したいなぁ、なんて思ったり。

「玻璃」

 艶のある声。

「マーサの言うことは大袈裟ではないよ」

「え?」

 束の間、ブライトさまと見つめあった。そのうちに怖いくらい真剣な眼差しがとろりと溶けて、甘く微笑みながらおでこにキスをくれた。

「忘れないで。君は誰よりも君自身を大切にして」

 これ、本気のやつだ。そして、おれは最大限の注意を払って、リスクを回避しなきゃならないんだ。今回はブライトさまが助けてくれた。でもそれは本当に奇跡的なことだった。

 ブライトさまはいずれ王様になる。その隣に立つおれは、厳重に守られるだろう。じゃあ、おれを守る人は? おれを守るために傷付いて、命を落とす人だっているかもしれない。ブライトさまはそれでも、おれはおれを優先するように言ってるんだ。

「ごめんね。もう、君を手放してあげられないんだ」

 おれの葛藤を感じたのか、ブライトさまが言った。二度三度、おでこにキスを繰り返す。

「ぼくも⋯⋯ブライトさまに何かあったら、死んじゃうって言ったでしょう? 手放されてなんか、あげません」

「そうか、手放されてはくれないか」

 おでこ、顳顬、ほっぺ、鼻、最後に唇。チュッチュッとキスが続いて、ギュッと抱きしめられた。それから体が離れて、また唇にキス。

「いつまでもこうしていたいけど、諦めて支度をしようか」

「⋯⋯はい」

 名残惜しげに言われた。おれも同じ気持ちだ。

「そろそろよろしいですか?」

 はっ! マーサさん、忘れてたぁッ!

「みみみ見てました⁈」

「はい、最初から最後まで」

 うわぁあぁあぁぁっ。ダメじゃん、おれ。人前でのスキンシップのハードルが下がってるのか? ブライトさまが切ない表情カオするのが悪いんだ。⋯⋯人のせいにしちゃダメだけど、やっぱりブライトさまのせいだ。彼のこと好きになり過ぎて、おかしくなっちゃったんだ。

 生ぬるく微笑んだマーサさんに連れられて、パウダールームに向かう。ブライトさまがそっと背中を押してくれた。

 昼食は簡単に済ませるらしい。いわばおれの実家だからそんなもんだけど、ブライトさまを迎えての食事だから、ある程度は大仰になるかと思ったけど、それは晩餐にするとマーサさんが言った。

 男物のお召しに着替えて角帯を締めると、マーサさんがサイドの髪を細かく編んで後ろに流してくれた。そろそろ後ろ髪が邪魔なのでなんとかしたいけど、侍女さんトリオに却下されている。

 薄羽織を羽織って整えると、ブライトさまの支度も整ったようだ。侍従長さんがそっと下がっていくのが見えた。

「では、ご案内いたします」

 マーサさんに先導されて食堂に向かう。こぢんまりした小食堂の方に通されて、ほんとにプライベートな食事会なんだなぁと安心した。丸テーブルにカトラリーが並んでいる。序列をつけない円卓式だ。

「おかえりなさい、ハリー」

 先に食堂で待っていたロベルトさんが、にっこり微笑んだ。ハリーって言った!

「私的な場所では、あなたの兄がわりで居させてくださいね」

「もちろんです! とても嬉しい!」

「晩餐の席はご一緒できませんが、昼食は楽しみましょうね」

 程なくしてロベルトさんの旦那さん、マリクさんも合流した。マリクさんは食堂に入って来るなりブライトさまに殴りかかって、軽く躱されていた。ふたりは暫くじゃれあうように拳を交えていて、おれはただ驚いた。口なんか、ぱっかーんだよ。

「いい加減にしなさい!」

 ロベルトさんがマリクさんの頭をはたいた。ブライトさまとマリクさんは肘と両腕と手の甲をテンポ良くタッチさせると、最後にがっしりと手を組んだ。

「よう、レオン。ぼくの大事な弟分に何してくれるんだ。こんなにピカピカするほどナニするなんて、ちぃちゃいハリーが壊れたらどうするんだ?」

 仲良しだなぁ。て言うかマリクさん、魔力が見える人なんだ? マリクさんが魔法を使うところ見たことないから、知らなかったよ。従僕が魔法使うことってないけどさ。ん? おれがブライトさまとイチャイチャしてるの、全部わかっちゃう?

 おれはそろそろとマリクさんに手を伸ばした。ハスキー犬野郎と同年代のマリクさんだけど、おれの兄さんがわりの大事な人だ。ジャケットの袖をそっとつまんで引き寄せると、ブライトさまと組んだ拳の上に掌を乗せた。

「マリクさん、ジーンスワークの兄さん。ぼく、ブライトさまのところに行くんだ。応援してくれる?」

 マリクさんは銀がまだらに散った緑色の瞳を見開いた。垂れ目がちの甘いイケメンは、おれの顔と手を交互に見て、ほっと息を漏らした。ロベルトさんから話を聞いていたんだろう。

「ミケさまとアントンを怖がったと聞いて、ぼくも駄目だと思ってたよ」

「ミカエレさまはそうでもないよ。アントニオさんとは少しずつ距離を縮めてるよ」

「そうか、よかった」

 おれとマリクさんのやりとりを、ブライトさまとロベルトさんが穏やかに見ている。マリクさんがおれの頭をポンポンと叩いて離れると、ブライトさまがすぐにおれの腰を抱いた。

「お前にはロブがいるだろう。返してもらうよ」

「ロブは奥さん、ハリーは弟だ。返すも返さないもないね」

「はいはい、ふたりとも食事が先ですよ。まったく十年前から変わらないんですから」

 ブライトさまとマリクさんの応酬を、ロベルトさんが軽くいなす。慣れた様子に幼馴染みの気やすさと信頼を感じた。ホントに仲良しさんだなぁ。

 四人で席に着く。ホントにプライベートなんだな。幼馴染み三人と、その彼氏(?)って感じだ。家令のロベルトさんでもギリアウト、従僕頭のマリクさんは完璧アウトで王太子殿下と同席する身分ではない。

 食事がサーブされて、女中さんが退出する。順番に出てくるコースでは無くて、全部の皿が並べられた。やった、箸がある。ばあちゃん家から持ってきて置き箸してるんだ。

「ミケはどうしたんだ?」

「アレッシアさまの元に、ハリー帰還の知らせに行ったよ」

「魔女さまのところに?」

 シュトーレン伯爵アレッシアは、おれの養い親だ。領地を持たない伯爵で、ジーンスワーク領内の惑わしの森の番人をしている。惑わしの森には国を守る北の結界石が封印されていて、その守護者である魔女さまは基本的に領内から出ない。おれはそれをつい最近知った。

「レオンの魔力を感知してるはずだから、多分ご存知だけど、晩餐の招待状も持っていくって」

 遣いをやらず時期辺境伯爵が自ら赴くのは、敬意の表れだ。それにミカエレさまは魔女さまの名代を務めたのだから、その報告もあるんだろう。

「帰還の挨拶、ぼくから出向かないでいいの?」

 ブライトさまも、お師匠さま呼びつけちゃって良いのかな。

「アレッシアさまが退屈だから出向くと。帰還の知らせはミケさまを寄越せと言うのも、あの方の望みですよ」

「ルーリィが一緒でないからって、拗ねてるミケさまの顔が見たいんだよ」

 なるほど、魔女さまらしい。

「アレッシア殿も相変わらずだな。今はミケが玩具か」

「そんなところです」

「ミケさま頑張れーって感じ?」

 幼馴染み三人が、しみじみ頷いた。三人揃って玩具だったらしい。

 おれとるぅ姉もそこそこ玩具要員だけど、着飾るとか揶揄うとかそんな感じだ。ミカエレさまは魔法の素質があるので、体を張って弄られている。⋯⋯うん、修行の一環で今頃ボロボロかも。弟子が玩具。帰ってきたばかりでご愁傷さま。ミカエレさま、頑張れ。

 話しながら食事を進める。うん、みんなよく食べる。体が大きいからね。ロベルトさんはブライトさまたちよりは少ないけど、おれよりはたくさん食べる。

「そのカトラリーは不思議だね」

「箸と言います。ぼくの国ではこれが基本のカトラリーなんです。正式なマナーでは反対の手でお皿も持ちます」

 洋食のマナーではお皿を持ち上げるのは厳禁だけど、和食の器は基本持てるように出来ている。お刺身のお皿は持たないけど、醤油の入った小皿は持ち上げるのが正式なマナーだ。左手で滴をガードするのは実はマナー違反なんだ。日本文化研究家の山田さまが言ってた。

 おれ用に用意されていた小皿を手に取って、箸でお肉を一切れ取る。ソースが垂れたけど小皿で受け止めると、ブライトさまにはその用途が分かったようだ。

「そうか、では王太子宮でも用意しよう。普段の食事で使えるようにしようね」

 やった、地味に嬉しい。些細なことだけど、豆とかめっちゃ箸のほうが楽。あれってプチストレスなんだよね。

「ありがとう、ブライトさま」

「カトラリーの使い方が完璧だから、食事の仕方が違うなんて思わなかったよ」

「ニホンでは箸を使う文化ですけど、世界にはフォークが主流の国もありましたし、手で食べる国もありましたよ」

 和洋折衷だから、日本人は箸以外も使う。なんなら、箸がうまく持てない若者もいる。めんどくさいからそこまで言わないけど。

 和やかに食事が進み、女中さんが再び入ってきた。顔見知りでにっこり微笑みながらデザートをサーブしてくれた。おれの好きなベリーのケーキだ。なるほど、さっきの笑顔はおれがこれを好きなの知ってるからだね。おれは満面の笑みを返した。きっと調理番におれが喜んでいたと伝えてくれるはずだ。

「その笑顔は妬けるな。可愛すぎるのも困る」

「ケーキに妬いてどうするんですか。ハリーはそっちの好意には鈍感ですから」

 なんかボソボソ言ってる。

「何言ってるんですか、彼女はぼくのこと男性扱いしてませんよ。いつだって、可愛いってキャンディくれたんですから。良いとこ弟、悪くてワンコです」

 おれより背も高いし、彼氏いるし。雰囲気的には部活の先輩。

「そっちじゃ無くて、料理番⋯⋯」

 マリクさん、なんか言った? ボソボソ言うから聞こえない。

「さて、そろそろお開きにしましょうね。晩餐の席はハリーさまですからね。マリクも忘れないでくださいよ」

「いや、ぼくは給仕係じゃないから会えないよ。そうだ、ハリー。今夜は早めに休んでくれると嬉しい。ロブを早めに帰してくれたら最高だ。ついでに明日は休みをくれないか? ロブはダメだって言うだろうから、レオンに許可貰っとく」

「わかった。ミケにも口添えしておくよ」

 マリクさんが超嬉しそうだ。

「待ってください。何を言ってるんですか⁈」

「今夜はロブを抱き潰すって言ってるの」

 は?

「今朝から口付けもさせて貰えないんだ。夜になったら覚悟して」

 マリクさん、おれの前でそんな色を匂わせる台詞、言ったことなかったでしょ⁈ 顔がめっちゃ熱いんだけど! ロベルトさんも真っ赤な顔して震えている。

「ハリーの前で何を言うんですか! お行儀!」

「ハリーだってこんなにピカピカなんだ。もう大人だろ。な、レオン」

 おれも貰い事故! ブライトさま、満足げな微笑み浮かべないで! ロベルトさん、絶句してないで旦那さんをなんとかして!

「こんなイヤらしい兄さん、嫌いだぁ」

 おれは勝手知ったる岩城のなか、幼馴染み三人組を放って食堂を駆け出したのだった。
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