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 ブライトさまヤンデレ疑惑が浮上したところで、本人の来訪が告げられた。マーサさんが城に赴いて、ブライトさまに直接奏上した結果だと言う。

 侍女さんトリオはブライトさまと王妃さまから特別な許可をいただいていて、昼夜を問わず謁見を申し出ることができる。無論、遣いのものではいけない。必ず、三人のうち誰かが直接行かねばならないのだとか。

 門番さんからすれば、そんなイレギュラーは困るんだろうけど、そこは騎士の端くれ、総団長のサイン入り通行許可証はなにを放っても受理しなければならない、とモーリンさんが良い笑顔で言った。

 侍女さんトリオ、ただものじゃないのでは?

 ともかく先触れもなく、単身騎馬で乗り込んできたブライトさまは、わぁわぁ言ってるアントニオさんの声を振り切って、部屋に駆け込んできた。さすがと言おうか、カナリーさんが素早く扉を開けてブライトさまを招き入れた。モーリンさんが扉近くの高そうな壺を保護している。いやホント、何者ですか?

「玻璃、無事か!」

 ブライトさまはおれの足元に跪いて、手のひらに唇を落とした。汗ばんだ手と熱い唇がブライトさまの必死さを伝えてきた。

「⋯⋯よかった。玻璃になにかあったら、わたしはなにをするかわからない」

 胸の奥から長く息を吐き出して、安堵の声をもらした。

 おれの肩を抱いていたるぅ姉が、ソファーを立ってブライトさまに場所を譲った。

『ないわー。この場の誰より偉い人だけど、ないわー』

 るぅ姉、日本語!

「殿下、お気持ちは察しておりますが、せめて先触れをよこしてくださりませ。こちらはルーリィの居室にて、未婚女性の部屋に押し入るとは嘆かわしゅうございます」

 ご領主さまがいらっしゃるからいいが、使用人だけなら既成事実と取られてもおかしくない。ブライトさまはたった今気づいたと言うように、甘い雰囲気の調度を眺めて頭を振った。それから場所を譲ったるぅ姉と入れ違いでソファーに腰を下ろすと、ナチュラルにおれを膝に乗せた。ブライトさまの体温が温めてくれる。

『ないわー』

 るぅ姉、だから日本語!

「さて、部屋の窓から落下したと聞いた。なにが起こったのだ?」

 おれには聞かない。妃候補を保護する家臣に向けての誰何すいかだから。おれはご領主さまの非後見人から、特別なお客様にジョブチェンジしたらしい。

 ご領主さまは立ったまま居ずまいを正した。美しいカーテシーでブライトさまに礼をする。おれは行儀悪く膝の上にいて、居心地悪く身動ぎした。

「ハリーさまの居室に侍従を入れましてございます」

「⋯⋯手落ちだな」

 ご領主さまに敬称を付けられた。なんか寂しい。そしてブライトさまには、おれがパニックになったことがバレたみたいだ。背中に添えられた手が、宥めるようにトントンとリズムを刻む。

「このまま攫って行こうか」

 しきたりとか飛ばしていいの? あ、内縁の妻とかならいいのか。

「殿下、それは承服致しかねます」

「そうか?」

 るぅ姉が冷たい声で反対した。返すブライトさまの声音は面白がっているようだ。

「なぜ攫ってはいかぬのだ? 侍従に怯えて事故を起こすなど、心配で心の臓がいくつあっても足りぬのだが」

「可愛い弟を妾に落としたい姉などおりませんわ」

 妾って、内縁の妻とどう違うんだっけ?

「正式な申し込みもなく、しきたりもなにもかもすっ飛ばされては、愛人風情と侮られても仕方ありませんもの」

「わかっている。本当に攫ってしまえば、取り返しのつかないことになるのであろうからな」

「ご領主さまへ釘を刺されたおつもりでしょうが、うちのはーちゃんはアホの子なんです。すぐに変なことを考えるに決まっています」

 るぅ姉がなんか言ってるけど。そっか、ちゃんとお妃教育を受けたお姫さまがいるんだろな。やっぱりおれ、ちゃんとお妃さまする自信ないし、お妾さんでもいいから一緒にいたいな。お妾さんってお手当もらって、旦那さんが飽きるまでは側にいられるんだよね。時代劇でやってた。

 おれはいつまでブライトさまの側に居させてもらえるかなぁ。

 悲しくなってきて、涙がこぼれた。さっきまでの恐怖とは違う涙だ。

「どうした、玻璃。わたしがいるのになにを泣く」

 止まらない涙をブライトさまの指先が拭う。この指もいつか知らない誰かのものになるのかなぁ。

「恐れながら王太子さまは阿呆でございますか? 弟は妾になるのが辛くて泣いているのでございます」

「そんな馬鹿な。今の流れでどうしてそうなる?」 

「はーちゃんがアホの子だからです。謎掛けのごとく遠回しに言ったところで、裏の意味なんて思いつきもしませんわ。殿下はわたしたちに『そんなことにならないよう、足場固めのためにも、しっかり守れ』と言外の意味も含ませて仰ったのでしょうが、はーちゃんはそのまま『攫って妾にしよう』と認識してます。えぇ、そうに決まってますとも!」

 るぅ姉が宇宙語を話している。言い回しが難解すぎて、なにを言ってるのかよくわからない。

 涙はますます溢れてきて、ブライトさまの胸におでこをくっつけた。泣き顔はきっとブサイクだから、見せたくないな。

「お妾さんでもいいから、今だけぼくのブライトさまでいて⋯⋯」

「ほら! 王太子さま、聞きまして⁈」

「ルーリィの言葉が達者なので、つい忘れがちですが、ふたりはまだ言葉を習うて一年ほど。ハリーさまには子供に話す言葉でないと通じない時がございますれば⋯⋯」

「⋯⋯誤解を解きたい。ルーリィ嬢、ふたりきりになっても良いだろうか?」

 ふたりきり? 正式に婚約しないとふたりきりはダメだって言われたよ? 男同士だから大丈夫なのかな。

 ダメだ、泣きすぎて頭がぼーっとしてきた。

「仕方ありません。日本には青少年保護法がありますが、未成年でも特例があります。本人の意思と保護者の許可があれば、十六歳で嫁ぐことができます。だいぶ曲解しますが、ある程度は目を瞑りましょう」

「感謝する」

 るぅ姉がまた難しいこと言ってる。女の子は十六歳でお嫁に行けるけど、男は十八歳なんだぞ。お妃さまもお妾さんもお嫁に行く側だからいいのか?

 ブライトさまはおれを抱いたまま立ち上がった。ソファーに座った状態からそれをするって、いったいどんな筋力しているんだろう。

 向かった先はおれのために用意された部屋で、さっきはあんなに怖かった部屋が、ぽかぽかと暖かかった。ブライトさまがいるだけで、こんなにも違う。

 居間を抜けて寝室の扉をくぐり、ベッドにそっと下された。怖くない。ブライトさまだからだ。

「大丈夫、なにもしないよ。ここに来たのは、君が疲れて眠ってしまってもいいように、だからね」

 ブライトさまはおれの靴を脱がせて、足をベッドの上に上げさせた。今日は着物じゃないので、裾の乱れを気にしなくていい。

「なにもしないの? してもいいのに」

 おれ、なに言ってるんだろう? してもいいってエッチなことだよね。⋯⋯うん、ブライトさまがいい。ブライトさまじゃなきゃイヤだ。

「ダメだよ、玻璃。君が誤解しているままじゃ、何もできない。せっかくお許しが出たけれど、まずは話をしよう」

 止まらない涙を拭って、おでこをコツンと合わせる。おれはびっくりして身動いだ。

「わたしは君を妾にするつもりは毛頭ないよ。ただひとりの妃として迎えることは、父王陛下にも赦しを得ている。同時に叔父上⋯⋯副王殿下にも、わたしの従弟にあたる王子を養子に貰う約束を交わしていただいた」

 マジで? それってすごいことなんじゃ。

「それに玻璃を妾として迎えたって、他に目が行かないのでは正妃の席は空いたままだ。結局妾妃から正妃に格上げされるだけだよ。わたしの隣は、君にしか座らせない」

「お妾さんになっても、ブライトさまを他の人に渡さなくてもいいの?」

「何度でも言うよ、玻璃はわたしの唯一だ」

 どうしよう、嬉しい! 思わず腕を伸ばしてブライトさまの首にしがみ付いた。涙がどんどん溢れてきて、しまいにはワァワァ泣いた。最近こんなんばっかりだけど、止まらない。

 しゃくり上げながら、おれは「ブライトさまがいい」って言い続けた。知らない若い男が怖いこと、侍従の入浴の世話が怖いこと、このままじゃお妃さまの仕事ができないんじゃないかと言う不安。出会ったばかりのブライトさまを好きになりすぎるのも怖いけど、他の男に触られるのも怖い。だから全部の初めてはブライトさまがいいこと。胸にわだかまるアレコレを、涙と一緒に吐き出した。

「さっきね、玻璃が『妾でもいいから』と言ったとき、あまりの健気さに胸が潰れそうになったよ。日陰の身に落ちても、わたしの側にいたいと思ってくれて、とても嬉しい。出会ったばかりなど関係ないよ。ねぇ、口付けてもいい?」

 おれは頷いた。

 ブライトさまの唇がまぶたに降りてくる。両方のほっぺたの涙を交互に唇で拭って、時折甘噛みされる。口付けってほっぺかぁ、なんてほえほえ考えていたら、不意打ちでおれの唇が塞がれた。

 角度を変えて何度もキスされて、ポーッとしていると今度は下唇を優しく食べられた。唇で挟まれたり軽く歯で齧られたりしているうちに、ぬるりと舌が滑り込んできた。不意打ちで上顎を舐めあげられて、衝撃で背中がしなった。変な声が出そうになったけど、それすらブライトさまに食べられた。ピチャピチャと子猫がミルクを舐めるみたいな音がする。

 長い時間、キスをした。何度も舌で舌をつつかれて、おれもそっと返したら、ますます激しく絡められた。息が苦しくなって飲み込みきれなかった唾が顎を伝う。おれが胸で苦しげな息をし始めると、ブライトさまはキスを解いた。

 それから首まで伝った唾を唇で追いかけて、丁寧に拭うと、ようやく全てが終わった。

 そのあいだ、ブライトさまはずっとおれの背中をトントンしてくれていて、その心地よさにとろとろしてくる。

「眠っていいよ」
「イヤ」

 眠って起きたら、ブライトさまはいなくなってる気がする。

「じゃあ少し、お喋りしようか。玻璃の国で玻璃がどんなふうに育ったのか、話してくれる?」

 あのね、おれ普通の学生だったの。まだ親に守られて生活してて、外で働いたこともなかったよ。たまにばあちゃんの手伝いで、るぅ姉と一緒に着物の展示会とか行ったけど、おれはお客さんにお茶をお運びしたり話し相手になるだけだったし。恋人? いなかったよ。友達はいたけど、ドキドキする女の子には出会えてなかったなぁ。カッコいい男? おれより背の高いやつはみんな羨ましかった。いつか旋毛つむじ見てやるってずっと思ってたよ。おれはまだ伸びしろあるんだ! 母さん百四十七センチで父さん百六十九センチだけど! ブライトさま、笑っちゃダメ! 

 取り留めなく喋り続ける。気を抜くと日本語になるから、ゆっくり喋る。ブライトさまが途中で相槌を打ったり質問したりする。

 背中のトントン気持ちいい。しがみついた体温も、ぬくぬくして幸せ。ぽやぽやしたまブライトさまの胸にすがって眠ってしまった。

 と、思う。

 ぽかっと目を覚ました。自分の部屋のベッドの上だった。住み始めて四日ほどなので、まだ馴染んでいないけど、たしかにおれの部屋だ。

 もそもそ起き上がると、見覚えのある上着があった。昨日、ブライトさまが着ていた藍色の騎士服だ。またやっちゃった、じゃない、昨日のアレコレ夢じゃないのか。

 パニック起こして窓から落ちて、ブライトさまにすがり付いた⋯⋯おれ、なに言ったかな⁈「してもいいのに」って、パニックにも程がある!

 ブライトさまもブライトさまだ。あのキスなに?    チュッてするだけじゃなかった。いつも手のひらにしてくれるようなのを口にするんだと思ったのに、あれ、おれの知ってるエロコメのキスじゃない! おっぱい触るよりエッチじゃないか。

 上着だけ残して本人がいないのも寂しいけど、今目の前にブライトさまがいたら、恥ずかしさで死んでしまいそうだ。

「お目覚めですか?」
「はいっ」

 控えめな声がして返事を返すと、カナリーさんが入ってきた。ニコニコして朝の挨拶を済ませると、手早くカーテンを開けた。まだ相当早い時間らしく、うっすらとした明るさだった。

「王太子殿下はただ今ご入浴中ですので、だいぶ早いですが、朝食をご一緒にどうぞ」

「え?」

「ハリーさまのお風呂は、殿下のお見送りを済ませてからにしましょうね」

「そうじゃなくて、ブライトさま、まだいらっしゃるの?」

 どうしよう、嬉しいけど恥ずかしい!

「さぁ、ひとまずお着替えなさいませ」

 カナリーさんはニッコリ笑って寝室を出て行った。侍女さんトリオはおれが嫌がるとこや緊張するとこは、妥協してくれるから気が楽だ。

 ドレッサールームに飛び込んで、普段着用の着物を引っ張り出す。シワだらけのシャツとスラックスを脱ごうとして、シャツの第一ボタンが外されて、ウエストが緩められているのに気がついた。うわぁ、ブライトさまだよね。寝苦しくないように、寛げてくださったんだ。またまた顔に血が上る。

 男物の和装は、慣れれば着付けに五分もかからない。半襟のついたウソつき半襦袢を着て、ファストファッションブランドのリラックスパンツを履く。淡い辛子色の万筋に、黒茶の角帯を前で侍結びにしてから背中に回す。足袋と草履で足元を整え、ちょっと悩んで薄羽織を羽織った。

 ちょうどいいタイミングでモーリンさんがやってきて、髪の毛のサイドを細かく編んでくれた。半端に伸びて、自分じゃどうにもならないのだ。

 居間に戻るとブライトさまがいて、おれに気づいて微笑んだ。腰を抱かれて唇にチュッてされる。

 これ、はじめてのチュウでするヤツ!

 じゃない、朝からキスって欧米か!

 地味に古いセルフ突っ込みを脳内で炸裂させつつ、昨日の濃厚なキスを思い出してひとりアワアワしていると、ブライトさまが色気のしたたる声で「おはよう」と宣った。耳元で囁かれて、腰が砕けそうだ。

 ブライトさまはおれの反応に気を良くして、とても上機嫌だった。反対に朝食の支度をする侍女さんトリオはジト目でブライトさまを見ていた。あの、その目、不敬になりませんか?

 シャツにスラックス、長靴ちょうか姿のブライトさまに、おれがシワだらけにした上着のことを謝ると、今身につけているものを含めて、全部の着替えを城から持ってきたのだと笑われた。

「昨日、殿下に置いてけぼりされたので、どうせ追いつけないならと、宿泊の準備を整えましてございます」

 マーサさんは騎士団の執務室に乗り込んでブライトさんを見送った後、王太子宮に行って着替えを調達してきたのだという。王太子宮ってそんな簡単に入れるところか? 侍女さんトリオの謎は深まるばかりだ。

 ブライトさまは体が資本な騎士さまなので、朝から素晴らしい食べっぷりだった。なるほど、おれも頑張って食べれば背が伸びるかもしれない。

 その後出仕、あれ、自宅に朝帰り? するブライトさまに、いってらっしゃいのエッチなキスをされてしまい、見送りが完了する頃には早朝だと言うのにすっかり疲れ果てていた。

「玻璃は玻璃のままでお嫁においで」

 別れ際、甘やかに囁かれて胸が熱い。ほうと溜息をもらしたら、後ろから抱きつく衝撃があった。るぅ姉だ。

『ずいぶん色っぽい溜息じゃない』

『からかうなって』

『でも思い知ったでしょ。殿下ははーちゃんを愛人になんてしないわよ。大事に思ってなかったら、昨夜のうちに食べられちゃってるわ』

『エッチしてないって、わかるの?』

 キョトンとして言うと、背中にへばりついていたるぅ姉が前に回ってきて、下からおれの顔をまじまじと見上げてきた。

『エッチしてたら、今ごろはーちゃん起き上がれないわ』

『そうなの? 精々せいぜい腰がだる⋯⋯って、わーわー』

『ちょっと待ちなさい! はーちゃん、男同士のこと何処まで知ってるの? 大事なことよ!』

 るぅ姉の目がマジだ。これ、からかってるときの表情かおじゃない。第一、ずっと日本語だ。

『えっと、お互い裸になって、ち⋯⋯ん触りっこしたり、すり合わせて気持ち良くなる』

 るぅ姉の体がくずおれた。朝の光がだんだん眩しくなってくる広い玄関に、ペッタリと座り込んでしまった。

『どうしたの、るぅ姉?』

「侍女さんズーっ! 殿下に伝令!」

 くわっと侍女さんトリオを振り向いたるぅ姉は、呼び寄せた彼女たちに言い放った。

「うちのはーちゃんの知識は、口付けと兜合わせしかありませんって伝えて!」

「まぁ、なんてお可愛らしい!」

 か、カブ? カブがどったの?

 よくわからないけど、昨日の重い空気を何処かに吹っ飛ばす、しょーもない会話なんだと思う。
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