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 口から魂を吐き出すこと暫し、俺の硬直を解いたのはご領主様の到着を告げるメイドさんの声だった。

「ご領主様!」

「これルーリィ、カルロッタと呼ぶように、何度言うたらわかるかえ?」

 るぅ姉の華やいだ声に返るご領主様の柔らかな声音に、彼女の機嫌が良いことが窺える。黙っていれば嫋やかな美魔女だが、辺境伯領は武門の一族が拝領する領地である。当然彼女の剣の腕前は、国の十本指に入る。昨日はナンパ男の大事なところを切り取りに行く勢いだったので、機嫌が良いなら何よりだ。彼女は俺の頬を優しく撫で、柔らかく微笑んだ。

「ハリー、昨日は災難であったな。よしよし、綺麗に仕上げてもろうたの。可愛い顔に腫れは⋯⋯うむ、ないな」

「ご心配をおかけしました。メイドさんたちのおかげで、すっかり良くなりました」

「メイドとはなんじゃ? また異世界の言葉かえ?」

 まさかのメイド通じなかった件。

 俺たちのお世話係の三人は侍女さんと言うらしい。それにしても上機嫌の理由が、俺の女装。可愛いさ、あぁ可愛いとも! 自分でもびっくりだ!

 それからご領主様と献上品の確認やら、口上の練習をした。俺の日本語は脳内ツッコミでもわかるように、日本の男子高校生としては一般的だと思う。異世界語は教えてくれたのが辺境伯領の家令さんだから、多分綺麗な言葉遣いなんだろう。

 少し時間が余ったので、ご領主様に言われて王太子様にお礼状を書いた。なんのって、真珠のブローチと髪飾りのだ。

「先程殿下にご挨拶いたしたが、そなたの様子をひどく案じておられたよ。侍女に礼状を持たせて、元気なさまをお知らせするが良い」

 昨日王太子様に、お姫様抱っこされたことを思い出す。殿下は王妃様の私室を辞するとき、王妃様、ご領主様、るぅ姉の順に指先に口付けて挨拶をした。最後に俺の手を取って手のひらに唇を落とすと、颯爽と去って行ったのである。女性と男性では挨拶の口付けの場所が変わるらしい。

 思い出していたら、顔が熱くなってきた。あのお姫様抱っこは運搬だ。ただの犯罪被害者へのレスキューだ。のたくった字で手紙を書いて、最後に署名する。異世界語のあと、思い付きで『花柳玻璃』と付け足した。ハリーじゃなくて玻璃でいたかった。贈られたジュエリーケースに添えられたカードに、レオンブライトと名があった。称号でなく個人の御名である。だから俺も、きちんと本名を書くのだ。そうだ、そうに違いない。

 って、俺はどこの乙女だ! 振袖に意識まで引き摺られているんじゃないだろうな⁈ 脳内で悶えているうちに時間がきて、俺たちは夜会が開かれる広間に向かうことになった。

 会場に入るのは身分が下の者から順番である、と付け焼き刃で習った。入り口に近い方から先に会場入りしたものが陣取り、後に来る自分より高貴な方々をお迎えするんだとか言ってたなぁ。ご領主様は公爵と同等の辺境伯爵だから、ほとんど最後の方だ。昨日のヒステリックなお嬢様、入り口からどのくらい奥にいるんだろう。

 俺には教えて貰えなかったけど、るぅ姉はお馬鹿兄妹とコンラッド様とやらが、どこの誰だか聞き出したっぽい。兄の強姦未遂事件をぶっ飛ばすくらい、お嬢様の王太子様に対する不敬が酷すぎた。普通だったら夜会に参加どころか今頃牢に叩き込まれててもおかしくないんだけど、王太子様はあの場で身分を明かさなかった。夜会中にドカンとやらかすんだろうなぁ。

 
 
 ご領主様は女性だけど領主なので、適任がいなければエスコートはいらない。るぅ姉には俺が紋付き袴で付き添うはずだったのに、何故か振袖で並んでコマドリ姉妹だ。え、古すぎてわかんない? 振袖姿で歌う昭和の双子歌手だ。

 真っ赤なベルベットのドレスを着たご領主様を先頭にして、俺たちはまるで花魁道中のように歩いた。会場の中ほどまであとしばらく、と言う場所にくだんのお嬢様が立っていた。礼もせず、あんぐりと口を開けて俺たちを凝視している。一緒に立っているのは青い顔をした中年男で、グレイ味の強い金髪がお嬢様と同じである。父親だろう。やはりと言おうか、兄と婚約者は解放されなかったようだ。

 ちらりとるぅ姉を見ると俺の視線に気付いて、わずかに目元を緩めた。人形めいた硬質な面貌が一気に柔らかくなって、瞳が悪戯っぽく輝いた。どうやらるぅ姉もお嬢様に気付いていたようだ。キラキラ輝く瞳は「してやったり」って言っているみたいだ。

 俺たちは家臣側の一番奥に着いて所定の位置に収まった。この国には公爵家がふたつあるが、本日は欠席なのだと事前に聞いた。よって会場内の家臣の最高位はご領主様である。

 程なくして会場最奥の袖から王族の方々が姿を現した。第二王子殿下、副王殿下、副王妃殿下、まずはこのお三方がお出ましになる。この国ちょっとややこしいんだけど、属国をいくつも抱えた帝国の宗主国なんである。国王陛下は帝国の皇帝陛下でもあるので、執務は其方が優先である。国王の仕事を担うのは副王殿下で、実質属国の国王のような役割だ。

 第二王子殿下は王妃様にそっくりで、優しい顔立ちの金髪美形だった。歳は俺と同じくらいに見えるけど、外国人は老け⋯⋯ゲフンゲフン、大人っぽく見えるから、年下かもしれない。副王殿下はがっしりした体格をした甘い顔立ちの美中年で、副王妃殿下はポッチャリしたふんわり美魔女だった。さすが異世界、王族はみんな美形だ。

 それから王太子殿下がお出ましになった。豪奢な金髪がシャンデリアの光に輝いている。さすが獅子の輝きレオンブライト、黄金のライオンみたいだ。そう言えば王太子様は帝国の皇太子でもあるわけで、あれ、どっちで呼んだら良いんだろう?

 いよいよ国王陛下が王妃陛下をエスコートしてお出ましになると、俄然緊張感が増した。俺はるぅ姉と一緒に、献上品を捧げなくてはならないんだ。

 両陛下が壇上から、居並ぶ家臣に向かって王都へ上ってきたことへの労いを述べると、下座の家臣は一斉に頭を垂れた。後ろの方はお声など届かないと思ったが、スピーカーみたいなものがあるらしい。前に立つご領主様も見事なカーテシーを披露しておられる。俺は女装の際の挨拶は習っていない。もっともドレスの中で膝をカエル開きにすると言うカーテシーは、着物では不可能だ。日本人の立位での最敬礼、すなわち深々とお辞儀をした。

 夜会は進行し、家臣より両陛下への挨拶の段になった。いよいよだ。

 挨拶はその日の参加者のうち、爵位の上位五十組が許される。時間短縮と警備の問題だろう。全員に挨拶させたらそれだけで夜が明けるし、顔が知られていない末端の田舎貴族などになりすます慮外者を近づけないためだ。陛下が特別に会いたい者や、爵位は低いが役職持ちなんかは、事前に手廻しをして上位貴族の連れとして挨拶に紛れ込む。俺とるぅ姉がそれだ。

 辺境伯領にある惑わしの森の魔女様は、領地を持たない伯爵である。姉弟はその養い子に過ぎない。これから異世界の品を献上する事によって、異世界からの迷い人であることの証を立て、陛下の臣民として認めてもらう必要がある。物はともかく、人が落ちてきたのは前例がないため、こんな回りくどいことになっている。俺たちがもっと小さな子供だったら、孤児として手続きして終わりだったろう。

 しきたりでは会場入りとは逆に、挨拶は身分の高い者が後になる。挨拶後そのまま両陛下のお話相手になったり、王族方のダンスの相手になったりするからだそうな。確かにみんな二言三言お声をいただくだけで、礼をして下がる。俺たちは入念に口上の練習を繰り返したが、普通の挨拶から逸脱する者はなかった。

 順番が回ってくると衝立の影から漆塗りの盆を掲げた侍従がふたり現れて、献上品を持たせてくれた。ご領主様は俺たちの準備が整ったのを見計らったように、優雅に足を踏み出した。

 るぅ姉の盆には掛け軸、俺は絵皿と簪。

「今宵はよう参った、カルロッタ。相変わらず美しいな。もちろん我が妃には負けるがの」

 国王陛下は朗らかに言った。

「ご機嫌麗しゅうござります。これより二年、お側に侍り申し上げます。陛下の手足として、存分に使うてくださいませ」

「わたくしもカルロッタが王都にいてくれること、嬉しく思うておる。城にも繁く通うておくれ」

 王妃殿下からもお声を賜り、打ち合わせの通り異世界の品を披露するときが来た。

「ときにカルロッタ、そこな対人形はそなたの家人か?」

 きた!

「我が領内に落ちてきた、異世界よりの迷い子にござります。時忘れの森の魔女が養い子といたしました。ふたりより異世界の珍しき品を献上奉ります」

「うむ、許す」

 台本ないけど台本通りだ。

「お初にお目もじいたします。日本国より迷うて参りました、うじ花柳はなやぎ名を瑠璃と申します。隣にあるは弟の玻璃にございます。これなる品は、我らと共に落ちてきたる物。日本国の美術品でございます」

「これらの品に、陛下の宝物殿の片隅にて微睡む栄誉をお与えください」

 言葉が難し過ぎて丸暗記の文章である。ようは物置の隅にでも仕舞っておいてってことだ。るぅ姉より台詞は少ないが、そこはご愛敬だ。

「ありがたく受け取ろう」

 陛下が鷹揚に頷くと侍従が現れて盆を下げて行った。受け取り完了をもって、俺たちは陛下公認の異世界人となったのだ。変な宗教に担ぎ出されたり、逆に迫害されたりするのを防ぐために、こんな茶番が必要だった。

「では、みなの者、今宵は存分に楽しもうぞ」

 陛下の一言で挨拶の場は終了となり、楽団が楽器をかき鳴らした。王族方が壇上を降り、両陛下が広間の真ん中で向かい合うと曲が変わった。緩やかな音楽に合わせて両陛下は優雅に踊り、一曲終えると副王殿下夫妻に場所を譲る。その後はみな、好きに踊ったり歓談したりするようだ。

 俺たちはすぐに侍従が呼びに来て、王妃陛下のところに連れて行かれた。ご領主様は身分を越えて両陛下と友情を築いておられるからいいが、俺は右手と右足が一緒に出そうだ。平然としているるぅ姉が信じられない。

 側に侍ると早速王妃様がにこやかに微笑んでくださった。

「まぁまぁ、なんて可愛らしいんでしょう。それにこの不思議なドレスはなぁに? ニホン国の民族衣装なのでしょう? 昨日のドレスと形は同じなの? まるで絵画を身に纏っているようだわ!」

 王妃様が俺たち姉弟の手を取って、興奮した様子で訊ねた。壇上での威厳はどこかに行って、可愛い美魔女がそこにいた。るぅ姉は落ち着いて、袂の長い着物は未婚の証であること、袂の短い着物は婚姻歴を問わないこと、柄付けや布の織り方によって普段着や礼装の格が決まることを説明した。

「本日の装いは未婚女性の第一級礼装になります」

「まぁ、ではふたりは未婚なのね」

 王妃様、俺の性別にツッコミはなしですか?

「あら、ハリー。うちの息子が送った真珠はそれね。とてもよく似合っているわ。でもそのドレスは首が見えないから、首飾りが贈れないのは残念ね」

「まるで美術品のような装いだね。贈ったジュエリーがよくお似合いだ」

 麗しい声と共に横から手が伸びてきて、王妃様の手から俺の手を引き戻した。突然のことにびっくりして、背中がピョンと伸びた。

「で、殿下っ! 素敵な贈り物、ありがとうごじゃいましゅっ」

 ひーーっ! 噛んでもうたぁあぁぁっ!

「大丈夫? 舌を噛んでないかい?」

 気遣いがイケメンすぎて辛い⋯⋯。むしろ笑い飛ばしてくれ。王妃様から取り戻した手を返し、王太子様は流れるように手のひらに唇をかすめた。

 あれ?

 王太子様はデカイ。俺は伸び代ありの百六十センチだが現状の身長差は如何ともし難い。だからこそ昨日は軽々と運搬されたわけなのだが。そんな俺の目の高さに、王太子様の胸元がある。白に金の縁取りがされた盛装で、真珠のブローチが飾られている。

 俺のと同じじゃね?

 帯留めのブローチを見て、王太子様の胸元を見て、それから王太子様の顔を見上げた。「ん?」て感じで甘く微笑まれて、また視線を下げる。ふたつのブローチは何度見ても同じだ。

 王太子様は掴んだままの俺の手のひらに、再び唇を落とした。今度はチュッと音がした。

『うわぁ、独占欲ぅ』

 隣でるぅ姉が呟いた。日本語だ。

『どどど独占欲ってなに⁈』

『ペアアクセと手のひらにチュウなんて、夜会の会場中にこの子は俺のって宣言してるようなものでしょ』

『手にキスって挨拶でしょ? 海外映画で見るじゃん。るぅ姉にだってしてたしさ』

『場所が違うの。甲や指先は敬愛、手のひらは懇願』

 懇願? 懇願ってなんだ? お願いごとは初詣に神社でどうぞ! って、焦ってアホなこと考えてるな、おれ!

「不思議な響きの言葉だね。でも除け者にされているみたいで、ちょっと寂しいな」

 王太子様、今はちょっとパニクってるので黙っててくれませんかね。うわぁ、反対の手がほっぺたすりすりしてるぅ。そこ、昨日叩かれたとこだよね。ご領主様にも同じところ撫でられたよ!

「ああああの、で殿下! 手の⋯⋯手のひらの口付けって⋯⋯っ⁈」

「ふふ」

 イヤーーーッ、意味深に微笑まないでぇ!

「僕、恥ずかしいです。ここではイヤです」

 俺、めっちゃ恥ずいからこんなところで揶揄わないでくれ、と言いたかったが、焦りすぎて単語が出てこない。幼児英語レベルの異世界語になってんじゃね?

「可愛らしいね。うなじが真っ赤だよ。この民族衣装はここがとても無防備だ」

「殿下、そこまでじゃ」

 ほっぺたを撫でていた手が耳を通り過ぎて頸に回ったとき、ご領主様から待ったがかかった。

「口付けの意味も解らぬ子供に、無体を働くでないよ。昨日のたわけ者と、同じところに行く気かえ?」

 ご領主様、笑ってるけど目が怖い。言葉遣いもおれたちに話すときと同じ言い回しっぽい。まるでご領主さまの方が立場が上みたいだ、と思ったらすぐに答えが出た。

「お馬鹿な弟子は、わたくし自らの手で切って捨てようほどに」

 王太子さまの剣の師匠だった! さすが国境の防衛の要。女の身で辺境伯爵を名乗るのは伊達じゃない。

『今のはアンタも悪い。あの言い回しじゃ、ここじゃない場所ならオッケーて意味になる』

『るぅ姉、マジか⁈』

『曲解すれば、今からふたりきりになりたいわってことね。よかったわね、王太子が紳士な方で』

 そんな馬鹿な! 俺たちは昨日出会ったばかりで、ろくな会話もしていないじゃないか。ピンチを救ってもらって、運搬されて、手のひらにチュウされただけだろ! そもそも懇願ってなんだよ⁈

「あのあのあの、ご領主様、手のひらの口付けの意味ってなんですか!」

「懇願じゃ」

「だから懇願の意味です!」

「私を愛してください。愛をこいねがうという懇願じゃな。殿下はそなたに婚姻を申し込んでおるのよ」

 マジすかっ⁈
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