ヤマトナデシコはじめました。

織緒こん

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 俺は今、女装している⋯⋯。

 鏡越しに口から魂が抜け出ていく幻を見ていたら、ニンマリ笑った姉と目が合った。俺に女装を施したのはこのるぅ姉だったが、何もここまで完璧にせずとも良いではないか。

 身につけているのは、振袖である。

 紅系の赤から裾に向かって海老茶のぼかしが入り、模様は四季華と流水、地紋に菊菱、もちろん金駒刺繍きんこまししゅうも施されている。帯は黒地に金系の花模様で、帯締めは帯のど真ん中で、真珠の輝きを放っている。髪飾りにも揃いの真珠が輝いていて、俺はすでに気絶しそうだった。


 なんで俺が女装してるかって?

 それはるぅ姉が、売られた喧嘩を買ったからだ。 

「これであの高慢ちきな女をギャフンと言わせてやるんだから!」

「ルーリィ様、ギャフンとはどう言う意味ですの?」

 るぅ姉の隣で化粧道具を片付けていたメイドさんが首を傾げたが、改めて考えると説明が難しい。るぅ姉は適当に「精神的に衝撃を与えられたときの、カエルが潰れたような声」と答えていた。いや、マジそれでいいのだろうか?

「大丈夫! はーちゃんの可愛さなら、あの女、絶対にグゥの音も出ないから!」

「もちろんですわ。でもハリー様だけではありませんわ。ルーリィ様とおふたりで、ギャフンと言わせておやりなさいませ」

「そうですわ。なんてお可愛らしい対人形なんでしょう」

 鼻息の荒いるぅ姉にメイドさんたちが追従した。勘弁してくれ。

 事の起こりは昨日、ご領主さまに連れられて王城に登ったときだ。

 俺たち姉弟はうっかり異世界トリップをやらかした後、優しい魔女様に保護されて、さらにご領主様預かりになった。魔女様の養子として行儀見ならいに上がり、一年ほどここの生活を覚えながらご領主様に異世界の話をして過ごしていた。

 ご領主様は女性の身で辺境伯爵領を預かっていて、二年ごとに領地と王都を行ったり来たりで生活しているんだそうだ。今年は王都に上る年にあたり、ご領主様と魔女様は「気楽に王都見物して来なさい」と、俺たちを随行員に選出した。

 そんなわけで王都に上り、ご領主様が国王陛下への挨拶のため登城するのにお供した。侍従らはそれぞれ主人に与えられた控室で待つが、お茶の用意などで廊下を出歩く事は禁じられていなかったので、お湯の手配がてら探検しようと部屋を出た時だった。チャラい貴族のボンボンたちにナンパされたのである。

 ご領主様は俺たちが異世界情緒溢れるこしらえをするのを好まれるので、普段から着物を着て生活している。実は魔女の森に祖母の自宅ごと転移してきたので、着替えには困らなかった。今日は登城するので、紋付きの鮫小紋だ。

 中世ヨーロッパに似た世界で、小柄で平たい顔の着物を着た子供はさぞかし珍しかった事だろう。チャラいナンパ貴族にあっという間に小部屋に連れ込まれ、るぅ姉とふたりで大ピンチに陥った。

 俺たちは小さい。高校三年生のおれは伸び代ありの百六十七センチ、女子大生のるぅ姉は多分打ち止めの百五十三センチ。民族的に童顔なのも相まって、実年齢より幼く見える。それなのに小部屋に連れ込むなんて、コイツラ変態か! 

 ふたり組のナンパ貴族はそれぞれ俺をベッドに、るぅ姉をソファに押しつけて来た。頬を張られて馬乗りされる。体重差がありすぎて息が詰まって気が遠くなったとき、部屋の扉を壊す音がして、のしかかっていた男が引き剥がされた。朦朧としているなか、るぅ姉が俺を呼ぶ声がする。ふわふわと揺れてぐるぐると目がまわってボンヤリしていたら、今度は金切り声がした。

 キンキン響く声にびっくりして覚醒すると、目の前に超絶イケメンの顔がありました⋯⋯。

 アンタだれ?
 コレなに?
 イマどこ?

 不安定な浮遊感を感じてもがいたら、イケメンが困ったように微笑んだ。なんだか妙に安心して、状況を確認しようと辺りを見回すと、王城の絢爛豪華な廊下の真ん中で、るぅ姉がヒステリックに喚く派手なドレスのお嬢様と口論していた。何故かるぅ姉は三人のメイドさんを従えている。

「兄様とコンラッド様を解放なさいッ! おふたりが乱暴なんてするはずありませんわ。卑しい下女が色を使って兄様に媚びたに違いありません!」

「貴女のお兄様とやらがどこのどなたか存じませんが、私たちの尊厳を奪おうとなさった下衆な輩なら、そちらの騎士さまが然るべき場所に勾留してくださいました。私の一存で解放など出来ませんし、して欲しくもございません」

「何ですって? この小娘ッ! お兄様を侮辱するのッ⁈ 」

「私を侮辱なさったのは、そのお兄様です。あぁ、私にのしかかっていたのはコンラッド様とやらかもしれないので、違うかもしれませんね。どちらにしろ、私の連れに無体を働いたので、同罪ですが」

「コンラッド様はわたくしの婚約者ですわ! あの方がお前ごとき薄汚い小娘など相手にするはずありませんッ!」

 お嬢様、やたらとびっくりマーク過多なうえ、甲高い声が耳に刺さる⋯⋯。そしてるぅ姉、怒りが過ぎてブリザード引き起こしてるな。メイドさんたちはるぅ姉の後ろに数歩下がって控えている。知らない人たちだけど、るぅ姉の味方みたいだ。

「お話にならないわ! そこの男、兄様たちのところに案内なさいッ⋯⋯って、あらオホホホホ」

 何を言っても冷静に返するぅ姉に焦れたドレスの女は、すごい形相でこっちを見た。ひっ、般若がいる! が、息を飲みすぐに笑顔を取り繕った。

 イケメン様の効果すごい。しかしそれも一瞬のことで、俺に視線を移すとすぐに眉を釣り上げた。ビクッとなった俺を抱くイケメン様の腕に力が込められる。

 ⋯⋯あれ?

 この浮遊感と背中の腕の感触、もしかしてお姫様抱っこ中?

 プチパニックに陥ってアワアワしてたらずり落ちそうになって、咄嗟にしがみついた。どこにって、イケメン様の首に手を回して額を肩に擦り付ける感じで。そしたら更にイケメン様の腕に力が入った。

「大丈夫、怯えないで。私がいるから」

 耳元にそっと、吐息のように囁かれる。色気がすごい! パニックはドレスの女のせいじゃなく、お姫様抱っこのせいです~っ。とは口に出さず、せめて顔だけは隠そうと身を縮めた。

「まぁなんて図々しい。殿方に媚びて生きる卑しい女など、城から追い出してしまえばよろしいのにッ! 貴方もいつまでもそんなに触れていては、身が穢れてしまいましてよ!」
「貴女の言い分はわかった。きちんと手続きを踏むことを約束しよう」

 イケメン様の声は優しげだったが、ナンパ貴族を解放するとはひとことも言っていない。

「ところで明日の夜会に彼らは招待されているのだろうか?」

「もちろんですわ! わたくしをエスコートしていただくのですもの。あぁそうだわ、わたくしもいつまでも暇じゃないのですわ。今日のうちからお肌の手入れをしなければなりませんのよ。まぁお前たちのような下賤な者は、夜会などには縁などないでしょうけれどね」

 女は自分以外を小馬鹿にするように言った。

 それに待ったを掛けたのが、るぅ姉だった。

「あら、私たちも夜会の招待客ですよ。ねぇ、騎士様?」

「⋯⋯ええ」

 イケメン様、一瞬の逡巡ののちにるぅ姉に乗っかった! 夜会には出るけど、ご領主様のお供だから!

「お嬢様は、さぞかし素敵なお召し物でご参加なさるんでしょうね」

「わたくしのドレスが素晴らしいのは間違いありませんが、お前なんかに広い会場内で会えるわけないでしょう! 招待客と言っても、ピンからキリまでッ! どうせ入り口近くの下っ端のたまり場までしか入れないんでしょうにッ!」

 思い込みスゲェ。最初から自分の兄ちゃんの犯罪を棚に上げてたけど、ここまで自分本位で物事を考えられるのって、ある意味才能かもしれない。大体俺たちのこと、散々貶めているけど、そもそもある程度の後見がない人間が、王城の門を潜れるわけがない。そこのメイドさんたちだって、自宅に帰れば良い家のお嬢様のはずだ。イケメン様も生まれか実力か分からないが、城の奥である程度自由に采配する権限を持っている。

 姉弟で魔女様の養子になってご領主様に預けられた俺たちは、魔女様の持つ爵位とご領主様ーー女辺境伯の庇護下にある。特に辺境伯爵ってのは地位が高い。国の辺境、つまり国境の防衛を担う重要な役割を持ち、伯爵と言えど、公爵に近い身分を持つ。

 俺とるぅ姉は、ものすごい虎に背中を守られた狐である。

 ドレスの女とアホ貴族兄妹の家は、公爵より家格が上なのだろうか? コンラッド様とやらは、こんな女が婚約者で大丈夫なんだろうか?

「まぁいいわ。わたくしは一旦帰ります。お父様から抗議していただきますので、あしからず」

 ツッコミどころ満載の退場だった。俺たちの名前とか所属とか聞かずに、どこに抗議するんだろう。お父様とやらは今頃、騎士団か王宮司から息子の悪行の知らせを受け取っている頃だろう。

 そっと顔を上げて女の後ろ姿を窺うと、しゃなりしゃなりと腰を振って去っていく姿が見えた。なんか六本木のネオンが見えた気がした。ご令嬢って言うよりキャバ嬢っぽかった。

 ぼんやりしていたら、るぅ姉が静かに歩み寄ってきて、イケメン様に丁寧に頭を下げた。

「ありがとう存じます。殿下におかれましては不埒な者より救っていただきました上に、あのようなお耳汚しをいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。また、お話を合わせていただき、感謝いたします」

 さすが、辺境伯領での淑女教育が行き届いていらっしゃる。

「ほう、気付いたか? いつだ?」

「初めより。お手元の指環に御紋が⋯⋯。それに王太子様が騎士団を統べていらっしゃるのは、就学前の幼子でも存じておりますもの」

 そっか~、イケメン様、指環してるんだぁ。俺お姫様抱っこされてるから見えないなぁ⋯⋯じゃねぇよ。 に運んでもらってるのかよ、俺⁈

 それからは怒涛の展開だった。

 緊張でガッチガチの俺をお姫様抱っこした王太子様は颯爽と王妃様の私室に向かうと、歓談中の王妃様とご領主様にことの次第を説明した。その結果、美魔女ふたりは激怒し(なんとふたりは親友同士)王太子様とるぅ姉に向かって「やっておしまい!」と言い切った。

 美魔女ふたりとイケメンと美少女が悪巧みをしている横で、俺はと言えば、着いてきたメイドさんたちに腫れた頬を冷やしてもらったり、ちょっとだけ切れていた唇に軟膏を塗ってもらったりした。

 そのまま王城の客間に部屋を用意されて一泊し、昼過ぎまでゆっくり過ごした。王妃様からお見舞いを頂戴して、それにお礼状をしたためて、午後のお茶をいただいたあと、るぅ姉の仕度を手伝う手筈になっていた。本来なら昨日はご領主様の王都邸に帰るはずだった。夜会の支度は邸で済ませて、改めて登城するのが正しい。けれども城でご厄介になってしまったので、着替えがない。

 王太子様が手配を申し出てくださったが、るぅ姉とご領主様が断った。王太子様は残念そうにしていたけど、ご領主さまが俺たちには特別な民族衣装があると説明した。高慢ちきな自惚れ女には、絶対に真似の出来ない衣装だと請け負ったので、王太子様は納得してくれた。せめてアクセサリーをとの言葉に、さすがにこれ以上のお断りは失礼かと、真珠のブローチと髪飾りをお願いした次第である。

 ご領主様はご自分の邸でお支度する方が都合よく、昨日のうちにお帰りになられた。俺たちの衣装は夜のうちにご用意くださったのだろう。朝には長持ちふたつに収められて、城まで届けられていた。

 午後のまだ早すぎる時間、るぅ姉は支度を開始した。長持ちから白地の振袖を引っ張り出し、衝立の奥で素早く長襦袢まで羽織った。慣れたものである。なぜならおれたちの祖母は、呉服屋の女将だったからだ。

 祖母の四十九日の法要を済ませ、遺品整理のために祖母宅を訪っていた。夏の暑い日で、茶の間の棚の上に仕立てたばかりの浴衣を二着見つけた。そうだ、祖母が倒れた日は、姉弟のために仕立ててくれた浴衣を受け取りに行った日だった。結局夏祭りも花火大会も行けなかったけど、るぅ姉とふたりして、新品の浴衣に袖を通した。お互いに着姿を褒め合って、ばあちゃんに見せたかったね、としんみりした。

 しばらくして窓の外が真っ暗になり、バタバタと雨の音がした。ゲリラ豪雨は毎年のことなのでため息をつきながら外を見ると、向かいの家が見えないほどの雨だった。時おり視界が真っ白になるような雷が、轟音と共に落ちていた。

 一時間ほど経ったころ、外が明るくなってきた。雨音も静かになってきて、ほっとして窓の外を見た。

 ⋯⋯知らない森の中だった。

 祖母宅の敷地丸ごと、蔵や離れまで異世界転移。異世界からの落ち物は稀ではあるが無いことはない。それでも家屋丸ごとなんてのは記録になく、ましてや人が一緒になんてと、森を管理する魔女様が血相を変えて飛んできた。

 保護されて、世話になって、言葉を習った。それから一年、俺たちはここにいる。

 姉弟が随行員に選ばれたのは俺たちに王都を見せたいと言うのもあったが、蔵から出した珍しい絵付きの皿や額縁に入っていない絵画(掛け軸)、珊瑚や鼈甲の簪を異世界の品として陛下に献上するためである。着物姿でご領主さまに侍り、献上の品を捧げ持つ役割を担っていたのだ。るぅ姉の振袖は、異世界の民族衣装として両陛下と夜会の招待客を大いに驚かせるはずだ。

 そして、あの高慢ちきなご令嬢も。

 長襦袢姿で衝立の後ろから出てきたるぅ姉に、振袖を着せ掛ける。るぅ姉はさっと袖を通すと裾を床スレスレに持ち上げて、流れるように紐で留めた。メイドさんが、興味津々で見つめている。ボタンもリボンもない衣服の着付けが珍しいのだろう。ちなみにこのメイドさん、昨日の事件のときの三人組で、そのまま俺たちの担当になっていた。

 俺はるぅ姉の後ろで襟を整えて伊達襟を入れたり、背中のお端折りを真っ直ぐにしたり、着替えのアシスタントをしている。伊達締めで胸元を整えたら帯に取り掛かる。るぅ姉は基本的に自装出来るが、振袖の帯結びは手伝いが必要だ。背中で襞を取って羽根を作ってから仮紐を脇を通して前に回してやる。程なくして、るぅ姉の着付けが完成した。あとはメイドさんにヘアメイクを頼んで、その間に俺はじいちゃんの紋付きを⋯⋯。

 長持ちの中には、じいちゃんの紋付き袴は入っていなかった。振袖がもうひとセット入っていて、その上メイドさんが静々とアクセサリーケースを捧げ持ってきた。恭しくケースを開くと真珠のブローチと髪飾りが入っていた。

 王太子様、るぅ姉への貢ぎ物じゃなかったのか!

 あれよと言う間に部屋着(借り物のシャツとパンツ)を脱がされて、裾除けからるぅ姉に着付けられる。男の着物の下履きはステテコかリラックスパンツだから、裾除けなんか付けたことない。テキパキと着付けられ帯結びの最後に帯締めを締められた。真珠のブローチが帯留め代わりに留められている。

 茫然としている間に、るぅ姉と並んでドレッサーの前に座らされ、メイドさんにヘアメイクを施された。

 そして冒頭に戻る。

 平べったい顔の東洋人は、盛れば盛っただけ変わるんだな⋯⋯。俺は口から魂を吐き出しながら、鏡の中の見知らぬ大和撫子を眺めていたのだった。


 

 


 

 



 

 
 
 
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