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神龍シェーンジェーン。
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神龍シェーンジェーンは歓喜に震えた。大地の上の何処かには感じていたけれど、百と数年ぶりに愛し子の気配を間近に感じて、さざめいた全身の鱗がシャラシャラと歌い、星が瞬くように光が弾けた。
その日リュッケン山では一斉に花々が咲き乱れた。季節を無視した百花繚乱は神龍シェーンジェーンの歓喜がもたらしたものに違いない。
『ヘロネよ!待ち侘びたぞ‼︎』
頭の中に直接響く声の音量に、マリーはガツンと殴られたような衝撃を感じて呻いた。突然頭を抱えてしゃがみ込んだので、神龍シェーンジェーンは大いに焦った。見れば久々にやって来たヘロネの末裔は、なんとも弱々しげで小さな娘だった。マリーは成人した大人の女性だが、神龍から見れば赤子に等しい。
ぽってりした丸い身体に不釣り合いな小さな手が、慌ててマリーに伸ばされる。短い手では届かぬと巨体ごと前屈みになって迫りくる姿は、恐ろしく凶暴に見えてどこか滑稽だった。マリーの護衛としてリュッケン山にやって来た三人の青年は、彼らが詣でたときには姿も現さなかった巨大な神龍に驚いた。
蹲るマリーに駆け寄って膝をついたのはフェルナンで、オズワルドはその傍らに背筋を伸ばして立ち、リアムは腰の長物に手を掛けて腰を落とした。
『童ども、我が愛し子から離れよ!』
マリーは再び響いた神龍の声に苦しげに眉根を寄せた。青年たちにはなんの声も響いていなかったが、ヘロネ辺境伯爵から神龍の言葉は頭の中に直接注ぎ込まれると聞いていたので、マリーの身に起こっていることを把握していた。
「神龍シェーンジェーン、マリー嬢が苦しんでいる。神の龍が大声で叫べば、只人であるあなたの愛し子は衝撃に耐えられまいぞ」
オズワルドが朗々と呼びかけると、神龍はさりさりと鱗を鳴らして半歩下がった。半歩とはいえ龍の脚である。大地が揺れて灌木が踏みつけられた。
奇妙な沈黙が場を支配して、しばらく後にマリーが小さく頭を振って立ち上がった。
「⋯⋯あなた、本当に王子様だったのね」
「酷いな、マリー嬢。信じていなかったのかい?」
見下ろす神龍よりも、オズワルドのまともな言動の方に注意を向けるのは、彼がマリーとの最初の出会いを失敗したせいである。マリーに合わせて立ち上がったフェルナンも同様に。
青年たちはマリーを護衛してリュッケン山に詣でる前に、改めて場を設けて自己紹介をした。王弟オズワルド、王妃の甥で侯爵継嗣フェルナン、伯爵家次男リアム。オズワルドの遊び相手として幼いころから城に出仕していたらしい。マリーにはどうでもいい情報だった。
ともかくマリーは、三人の人選が国王によって成されたものと確信した。龍の守護の血を、王家に取り込もうとしているのだろう。王弟のオズワルドは言わずもがな。フェルナンは王妃の甥で、リアムでさえ祖母が国王の叔母なのだという。真実マリーが辺境伯爵家の令嬢なら、相手の身分はそれくらいが妥当なのだそうだ。
マリーは国王が用意した馬車にオズワルドとフェルナンと共に押し込まれた。軍籍に身を置くリアムは騎馬で並走する。王弟と王妃の甥はそれなりに鍛錬はしているが、身分的に自由には出来ないのだと言った。馬車の中で始終口説き文句を垂れ流すオズワルドと優雅でいつつも甘ったるい雰囲気を崩さないフェルナンに辟易して、マリーは王妃が付き添い役として寄越したキャシー程の年齢の女官と親睦を深めるのに集中した。
そんな道行だったので、王弟オズワルドの凛々しい態度に驚いたのだった。
『すまぬな、ヘロネ。我の愛し子の血に連なる、新たな愛し子よ。こればかりなら、問題ないか?』
「神龍様、ありがとうございます。楽になりました。⋯⋯私にだけ神龍様の声が聞こえるということは、私がヘロネ家の末裔というのは真実でありましょうか?」
青年たちには、マリーが一方的に神龍に向かって語りかけているようにしか見えなかった。しかし神龍シェーンジェーンがマリーの言葉を聞いて、嬉しげに鱗をさざめかせたのを感じて、本当に会話が成り立っているのだと理解した。
マリーは真っ直ぐに神龍を見上げた。神龍も真っ直ぐに彼女を見下ろす。白目のない朱金に輝く瞳、尖った牙が並ぶ大きな口。背中の羽根は皮膜に覆われてツヤツヤとしている。バケモノと呼ばれても不思議はない、恐ろしげな姿をしている。
幼いころから、神龍シェーンジェーンは人間の友であると教えられて育つ世代はともかく、最初にこの地に降り立ったとき、脅威には思われなかったのだろうか。マリーは不思議に思った。
『我が間違えるものか! そなたはヘロネの正当なる末裔ぞ‼︎ 硬い殻の中でもはや孵化するは不可能と諦めていた我を、温め、孵し、育てた男の血脈ぞ』
なるほど。卵から孵したのなら、最初は小さかったのだろう。初代のヘロネ辺境伯爵は、生まれたばかりの神龍と誼みを繋いだのだろう。
しかしマリーには、そんなことは関係ない。
「⋯⋯それ、三百年とか四百年とか昔の話ですよね。もはや他人です。そっとしておいてくれませんか? 迷惑なんですけど」
『⋯⋯迷惑?』
マリーの声はやけに明るく響いた。
その日リュッケン山では一斉に花々が咲き乱れた。季節を無視した百花繚乱は神龍シェーンジェーンの歓喜がもたらしたものに違いない。
『ヘロネよ!待ち侘びたぞ‼︎』
頭の中に直接響く声の音量に、マリーはガツンと殴られたような衝撃を感じて呻いた。突然頭を抱えてしゃがみ込んだので、神龍シェーンジェーンは大いに焦った。見れば久々にやって来たヘロネの末裔は、なんとも弱々しげで小さな娘だった。マリーは成人した大人の女性だが、神龍から見れば赤子に等しい。
ぽってりした丸い身体に不釣り合いな小さな手が、慌ててマリーに伸ばされる。短い手では届かぬと巨体ごと前屈みになって迫りくる姿は、恐ろしく凶暴に見えてどこか滑稽だった。マリーの護衛としてリュッケン山にやって来た三人の青年は、彼らが詣でたときには姿も現さなかった巨大な神龍に驚いた。
蹲るマリーに駆け寄って膝をついたのはフェルナンで、オズワルドはその傍らに背筋を伸ばして立ち、リアムは腰の長物に手を掛けて腰を落とした。
『童ども、我が愛し子から離れよ!』
マリーは再び響いた神龍の声に苦しげに眉根を寄せた。青年たちにはなんの声も響いていなかったが、ヘロネ辺境伯爵から神龍の言葉は頭の中に直接注ぎ込まれると聞いていたので、マリーの身に起こっていることを把握していた。
「神龍シェーンジェーン、マリー嬢が苦しんでいる。神の龍が大声で叫べば、只人であるあなたの愛し子は衝撃に耐えられまいぞ」
オズワルドが朗々と呼びかけると、神龍はさりさりと鱗を鳴らして半歩下がった。半歩とはいえ龍の脚である。大地が揺れて灌木が踏みつけられた。
奇妙な沈黙が場を支配して、しばらく後にマリーが小さく頭を振って立ち上がった。
「⋯⋯あなた、本当に王子様だったのね」
「酷いな、マリー嬢。信じていなかったのかい?」
見下ろす神龍よりも、オズワルドのまともな言動の方に注意を向けるのは、彼がマリーとの最初の出会いを失敗したせいである。マリーに合わせて立ち上がったフェルナンも同様に。
青年たちはマリーを護衛してリュッケン山に詣でる前に、改めて場を設けて自己紹介をした。王弟オズワルド、王妃の甥で侯爵継嗣フェルナン、伯爵家次男リアム。オズワルドの遊び相手として幼いころから城に出仕していたらしい。マリーにはどうでもいい情報だった。
ともかくマリーは、三人の人選が国王によって成されたものと確信した。龍の守護の血を、王家に取り込もうとしているのだろう。王弟のオズワルドは言わずもがな。フェルナンは王妃の甥で、リアムでさえ祖母が国王の叔母なのだという。真実マリーが辺境伯爵家の令嬢なら、相手の身分はそれくらいが妥当なのだそうだ。
マリーは国王が用意した馬車にオズワルドとフェルナンと共に押し込まれた。軍籍に身を置くリアムは騎馬で並走する。王弟と王妃の甥はそれなりに鍛錬はしているが、身分的に自由には出来ないのだと言った。馬車の中で始終口説き文句を垂れ流すオズワルドと優雅でいつつも甘ったるい雰囲気を崩さないフェルナンに辟易して、マリーは王妃が付き添い役として寄越したキャシー程の年齢の女官と親睦を深めるのに集中した。
そんな道行だったので、王弟オズワルドの凛々しい態度に驚いたのだった。
『すまぬな、ヘロネ。我の愛し子の血に連なる、新たな愛し子よ。こればかりなら、問題ないか?』
「神龍様、ありがとうございます。楽になりました。⋯⋯私にだけ神龍様の声が聞こえるということは、私がヘロネ家の末裔というのは真実でありましょうか?」
青年たちには、マリーが一方的に神龍に向かって語りかけているようにしか見えなかった。しかし神龍シェーンジェーンがマリーの言葉を聞いて、嬉しげに鱗をさざめかせたのを感じて、本当に会話が成り立っているのだと理解した。
マリーは真っ直ぐに神龍を見上げた。神龍も真っ直ぐに彼女を見下ろす。白目のない朱金に輝く瞳、尖った牙が並ぶ大きな口。背中の羽根は皮膜に覆われてツヤツヤとしている。バケモノと呼ばれても不思議はない、恐ろしげな姿をしている。
幼いころから、神龍シェーンジェーンは人間の友であると教えられて育つ世代はともかく、最初にこの地に降り立ったとき、脅威には思われなかったのだろうか。マリーは不思議に思った。
『我が間違えるものか! そなたはヘロネの正当なる末裔ぞ‼︎ 硬い殻の中でもはや孵化するは不可能と諦めていた我を、温め、孵し、育てた男の血脈ぞ』
なるほど。卵から孵したのなら、最初は小さかったのだろう。初代のヘロネ辺境伯爵は、生まれたばかりの神龍と誼みを繋いだのだろう。
しかしマリーには、そんなことは関係ない。
「⋯⋯それ、三百年とか四百年とか昔の話ですよね。もはや他人です。そっとしておいてくれませんか? 迷惑なんですけど」
『⋯⋯迷惑?』
マリーの声はやけに明るく響いた。
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