聖女の兄は傭兵王の腕の中。

織緒こん

文字の大きさ
上 下
35 / 47

埃まみれの床と青い宝石。

しおりを挟む
 艶やかに微笑むその男は、たった今、人間に剣を突き刺したばかりとは思えないほど落ち着き払っていた。誰? と問うた俺は、こんなにも動揺しているのに。

 シュウさんの背中に庇われながら、ブチの顔をももに押し付けるように引き寄せる。こんな恐ろしい光景を、小さな子どもには見せたくない。⋯⋯もはや手遅れではあるけれど。

 ブルブル震えているブチの呼吸がおかしい。しゃっくりを堪えるようにヒッヒッと肩を揺すっている。こんな状況なのに、声を上げまいと頑張っている。

「⋯⋯治癒師を」
「もう死んでいるよ」

 男は笑みを深くした。若い男だ。ギィよりも幾つか若そうに見えるけれど、俺よりは断然年上だろう。背が高くて顔も整っている、とろりとした美形だ。毒がしたたっているようで背中が寒くなる。身なりから考えるに、おそらく貴族だ。躊躇ためらいなく山賊の生命を奪ったと言うのに、微笑んでいられる思考回路がおかしい。

「あんた、誰?」

 敵か味方かわからない。でも俺を聖女様って呼んだ。少なくとも、カリャンテ領の関係者じゃない。

さえずる声もいいね。哭かせてみたくなっちゃうよ。嬉しいな、僕の花嫁がこんなに可愛い人で」

 敵だ!

 コイツは宰相サイドの人間だ! それもボンクラじゃない。大人の男を一突きで絶命させる、知識と腕を持っている。見たくもない死体をチラ見すると、剣が刺さっている場所は心臓の裏側だ⋯⋯たぶん。

 この世界は日本と違うって、転移初日に身に沁みた。俺の背中の傷は、それを忘れさせてくれない。きっとギィやヤンジャンコンビだって、必要とあれば相手の生命を奪うだろう。けれどこの男みたいに微笑んだりしない。

 シュウさんがわずかに腰を落として、ひたりと男を睨み据えた。

「うわぁ、やっぱり聖女様には護衛がついているんだね。結構やりそうだなぁ。隙が見当たらない。ねぇ美人さん、名前を教えてよ」
「あなたに名乗る名はありません」
「つれないなぁ。僕のことはヌゥトと呼んで」

 おしゃれな街でナンパを楽しむように、ヌゥトは朗らかだ。

「後ろに下がって身をせてください。ブチを絶対に離さないで」

 言うが早いか、シュウさんの姿が消えた。いや、上体を下げて全身をバネのようにたわませて、ヌゥトに飛びかかったんだ。気づけばヌゥトの背後に立って武器を首に突きつけていた。なんて言う武器なのか知らないけれど、俺にはバーベキューの串に見えた。

「聖女様を妻にと仰るならば、それなりの身分のお方でしょう。人質くらいにはなっていただけますか?」

 シュウさん、台詞が悪役だよ! あと、聖女がどうのは一般論であって、俺がそうだってのは否定しないと面倒臭いことになるよ‼︎

「聖女様の護衛は少々短気だね。でも美人に蔑んだ目で見られるなんて、ゾクゾクするなぁ」

 おい、特殊な性癖は黙っておいたほうがモテるぞ。お前、顔だけはいいから。

 ヌゥトは首に突きつけられた凶器を恐れるそぶりを見せない。実に堂々としたものだ。シュウさんが背後から首に腕を絡めているが、ヌゥトのほうが背が高い。後ろに引かれて顎が上がっている。喉が晒されてとても無防備なんだけどな。

「美人さん、腕はいいようだけれどもっと冷酷にならなくちゃ。子どもを見捨てて聖女様だけを担げば、逃げられたんじゃないの? ふふふ、その子ども、もう薬が効いているんじゃない?」

 その言葉に、俺はブチを見下ろした。お風呂に入って清潔にした流民の子どもは、もともとの可愛らしさと肌の白さを取り戻しつつある。普段は薔薇色に染まっているほっぺたが、血の気を失って蒼白だった。

 ヌゥトはガタガタと震えながらしがみついてくるブチを見てまなじりを下げた。愛玩動物を愛でるような慈愛に満ちた表情だ。こんな状況でなければ見惚れていたかもしれない。だが弱者をいたぶりながらそれをするのは、常軌を逸した狂者だ。

「ブチ!」

 慌ててかがみ込んでブチの顔を覗き込む。信じられなほどの力でしがみついてくるのは、必死に苦痛から逃れているからじゃないのか? 手足を折られた次は、薬だって? 冗談じゃない。

「ブチ! ブチ!」

 抱き上げようとして、失敗した。かくんと腰が抜ける。

「⋯⋯なに?」

 舌が回らない。

「ルン様!」
「らいじょーぶ」

 言ってはみたものの、説得力はまるでない。噛み噛みの台詞は間抜けだ。ブチと同じように、俺にも薬が使われたんだろうか?

 いつだ?

 埃まみれの床に座り込んで、ブチを抱きしめる。さっきまですごい力で俺のズボンを握りしめていた子どもは、今はくったりと身を預けてくる。

「くっ」

 シュウさんが呻いた。俺たちを気にしながら、ヌゥトから離れられないようだ。

「僕を殺しちゃったら、解毒が出来なくなっちゃうよ。聖女様は全身の力が抜ける程度かもしれないけど、子どもはどうだろうねぇ。身体が小さいから、心の臓の力まで抜けちゃって、息をしなくなっちゃうかもよ」

 ヌゥトの声は歌のようだ。楽しげに軽やかに舌から毒を滴らせる。俺はそれを聞きながら、何も言えないでいた⋯⋯物理的に。口を開くことさえ億劫だ。

「ほら、美人さん。これを収めてくれないか?」

 余裕綽々。憎たらしいほど甘やかに、ヌゥトは要求した。串を優雅に指先で辿って、シュウさんの手をなぞる。

「チッ」

 シュウさんはあからさまな舌打ちをした。いつでも穏やかなシュウさんが、俺の知らない別の表情かおをしている。こんなときだが、呆気に取られた。

「解毒が先です」
「これじゃ解毒剤を持って来られないでしょ」
「身分のある方が、おひとりでこんなところへいらっしゃるわけがない」
「それはそうだけど、そろそろ君も薬が効いてくるころだよ」
「⋯⋯く」
「あ、もうキてるっぽいね」

 シュウさんは淡々としているけれど、凶器を手にする腕が細かく震えている。

「何をした?」
「入り口で香をちょっとね」

 香って、お線香みたいなのだろうか? 煙の臭いも薬の臭いもしないぞ?

「無臭の優れものだよ。もちろん僕は事前に中和剤を飲んでいるけれどね。もっともそれが効くまで時間がかかっちゃって、むさ苦しい男に君たちを好きにさせちゃった⋯⋯って、美人さん、頑張るね。でも、もう終わりだ」

 ヌゥトがシュウさんの手から、スルリと凶器を抜いた。それと同時にシュウさんの細い身体が崩折れる。

「しゅ⋯⋯さン」

 回らない舌で名を呼ぼうとしたけれど、うまく声が出ない。

「さぁ、僕の花嫁。お待たせしたね」

 山賊の死体を踏みつけて、ヌゥトはすぐ側までやって来た。言葉の綾なんかじゃなく、本当に踏んでいるんだよ。亡骸なきがらを冒涜するなんて、なんてヤツだ!

「ルンって、言うんだ? 可愛い人には可愛い名前が似合うね」

 ヌゥトが屈んだとき、胸元からシャラリと鎖がこぼれ落ちた。

 輝石⋯⋯。

 こいつ、魔術師だ!

 ゴツゴツとして研磨されていない青い宝石は、ミヤビンの聖蹟せいせき輝石きせきとよく似ている。アロンさんのは見たことないけれど、紅い宝石だと聞いたから、それぞれ色は違うんだろう。

 ここに魔術師が現れる意味は何だ?

 はっはっと変な呼吸が漏れる。いやな予想が胸に迫る。こいつ、俺たちをこの世界に引き摺り込んだ魔術師じゃないのか⁈

「ふふふ、そうだよ。馬鹿な父上を唆して、君を呼んだのは僕だよ」

 ヌゥトの美しい面貌を見ながら、俺の意識は黒く染まった。
しおりを挟む
感想 175

あなたにおすすめの小説

田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?

下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。 そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。 アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。 公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。 アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。 一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。 これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。 小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。

【完結】悪役令息の役目は終わりました

谷絵 ちぐり
BL
悪役令息の役目は終わりました。 断罪された令息のその後のお話。 ※全四話+後日談

俺の義兄弟が凄いんだが

kogyoku
BL
母親の再婚で俺に兄弟ができたんだがそれがどいつもこいつもハイスペックで、その上転校することになって俺の平凡な日常はいったいどこへ・・・ 初投稿です。感想などお待ちしています。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

あなた方はよく「平民のくせに」とおっしゃいますが…誰がいつ平民だと言ったのですか?

水姫
ファンタジー
頭の足りない王子とその婚約者はよく「これだから平民は…」「平民のくせに…」とおっしゃられるのですが… 私が平民だとどこで知ったのですか?

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました! 時々おまけのお話を更新しています。 『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく、舞踏会編、はじめましたー!

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

婚約破棄署名したらどうでも良くなった僕の話

黄金 
BL
婚約破棄を言い渡され、署名をしたら前世を思い出した。 恋も恋愛もどうでもいい。 そう考えたノジュエール・セディエルトは、騎士団で魔法使いとして生きていくことにする。 二万字程度の短い話です。 6話完結。+おまけフィーリオルのを1話追加します。

処理中です...