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無駄な喧嘩と情操教育。

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 ただ今、絶賛黄昏たそがれ中。喧嘩はやめてくれ、俺のために争うな。放っておいてくれ。

 領主の館に連れて行かれた俺とブチは、三食昼寝付きでもてなされた。もとい、監禁された。領主は王都に出向いていたらしく、帰ってきたのは三日後だった。王様のお見送りだってさ。

 そうして現れた領主はジージュエル侯爵と名乗った。ビア樽みたいなおっさんだった。本物のビア樽を見たことはないがな! そしてビア樽は逆さまにしたほうきを連れて来た。髪の毛が不自然にふさふさとした棒切れみたいに細いおっさんは、コンセンス伯爵。⋯⋯宰相だ。

 俺とミヤビンがこの世界にやって来たときに、パルテノンモドキ神殿で聞いた声だ。

 この声が宰相の声だと気づいた瞬間はハラワタが煮え返るほどムカついたものの、おっさんふたりで俺の所有権を巡って言い争うのを見て、ちょっと冷静になった。コイツら、王様を王妃様の領地に送り出して、国をほぼ手中に収めたつもりでいるらしい。

 三日間、俺はブチと片時も離れなかった。食事もお風呂も、なんならトイレまで一緒に行った。ミヤビンが小さいころ、外出先で母さんが一緒にトイレに入ってたのを思い出したんだよな。ブチが三歳児並みに小さいのと、流浪の生活のせいでお風呂やトイレの設備の使い方がわからないってのも理由だけど。

 男の子でよかった。女の子だったらさすがに照れた。実妹ならともかく、お他所の大事なお嬢さんと一緒のお布団に眠るのはどうかと思うんだ。

 ⋯⋯あれ?

 ギィにとって俺の立場は『お他所の大事なお嬢さん』扱いなのか? まぁいい。今はそれは置いておこう。

 おっさんたちの不毛な言い争いは、俺の所有権を巡ってのものだ。神殿で漏れ聞こえてきたところでは、宰相を筆頭に数人でシェアする予定だったようだが、ここに来て欲が出たようだ。

 独り占めしたい。もしくは所有権の筆頭を宣言したいと言ったところか。あの時点では王様はまだ体調を崩した程度で、王兄であるギィのお父上の蟄居も曖昧な理由だった。だから聖女をシェアすることで自分達の結束を固めようとしていたのに、王様を王都から追い出して俄然やる気を出したんだな。

「私は陛下より宰相の位を授かっておる。聖女を娶るのに私ほど相応しいものはない」
「なにを言うか、伯爵風情が。家格は侯爵である儂の方が上だ」

 ビア樽と箒が喧嘩を始めたので、俺はそっとブチの耳を両手で覆った。この三日ですっかり俺に懐いた見た目三歳の五歳児は、不安そうにしがみついてくる。

 俺たちにあてがわれた部屋に先を争うようにドヤドヤと入ってきたふたりは、俺をほったらかして喧嘩を始めた。俺のことを見もしないなら、他所でやってくれないかな。

 黒い髪の毛と低い鼻だけ確認すると、後はどうでもいいんだな。個人的に興味を持たれても嬉しくないけどさぁ。

 争点はどちらがより聖女に相応しいか。どう考えたって、どっちも相応しくない。ミヤビンが年頃だったとして、こんな奴らに可愛い妹を嫁がせようと思う兄はいないだろう。俺を聖女と勘違いしていたとしても、一昨日きやがれだ。

「ルンさまぁ。おいちゃんたち、こあい」
「俺から離れるなよ。ぎゅっとしてような」

 ブチを抱く手に力を込める。大人の男が大声で罵り合う姿は、小さな子どもにはひどく恐ろしいんだろう。

「新王朝の王は、私が相応しい!」
「なにを言うか、儂であろう!」
「その肥え太った腹で聖女にのし掛かったら、潰れてしまうわ!」
「おぬしこそ、三回も腰を振ったら脳の血管が切れてしまいそうではないか!」

 おっさんどもいい加減にしろや! ブチが五歳児でよかったよ! ミヤビンやコニー君なら中途半端に意味がわかるところだったよ。わからなきゃ、なにを聞かせてもいいわけじゃないけどな‼︎

「わーわーわー‼︎」

 ブチの耳をもう一度押さえて、意味不明に叫んでしまった。それでもコイツら、権力争いだか猥談だかわからない論争を止めやしない。

 相手を刺激したくないものの、このまま黙っていたら俺が聖女だと肯定しているみたいだ。酒場のマスターたちには違うと言い張ったが、コイツらには伝わっていないか、信じていないか。俺は本当に嫌々口を開いて、ビア樽と箒の意識をこっちに向けた。

「なぁ、おっさんたち」
「無礼な! 誰のおかげで我が国に顕現できたと思うておるのだ!」

 じゃなくてだろう?

 箒が不自然にフサフサした頭髪を逆立てて、こちらに鋭い視線を寄越した。眼球が大きくて三白眼が陰険そうだ。第一印象が悪すぎて、容姿に対しても嫌な印象しか受けなかった。

「根本的な問題だよ。俺は聖女じゃない。だから俺を手に入れたって、国は手に入らないよ」

 これ、大事。

「だって俺、魔法なんて使えないよ」
「は?」
「なんだと?」

 マスターからは俺がブチの怪我を癒したと報告があったとみえる。残念ながらそれをしたのはブチの兄のススだ。なにが起こったのかはよくわからないが、ススの身体からものすごい光が湧き起こったのが見えた。本来なら俺には見えるはずのない、魔法の光だ。思うに力が強すぎて魔力のない俺にも見えたんだろう。

「もうひとり、流民の子どもがいたって聞いてない?」

 ブチとべったり過ごしたこの三日で、ススが魔法を使うのを見たことがあるのか聞いてみた。ブチがキョトンとしていたから、見たことはないと確信したけれど。おそらく弟が瀕死の状態に陥っているのを見て、覚醒しちゃったんだな。いきなり凄い力を使っちゃったから、幼い身体が保たずに失神したんだろう。シュウさんがサイに診せているんだろうけど、早く元気な姿が見たい。

「館の魔術師は、胸の辺りから魔力を感じると言うておったぞ」
「文献では、聖女は異世界から来た当初は、自らに眠る力の存在を知らぬという」

 こういうときは仲がいいのな? ふたりで頷きあっている。胸の辺りの魔力⋯⋯ミヤビンの髪の毛を、ロケットペンダントに入れて首から下げてたよ。あれ? ススが覚醒したのって、俺の近くにいて髪の毛にこもったミヤビンの魔力に反応したってことか? ブチは大丈夫だろうな?

 あり得る考えが浮かんできたのを、なかったことにする。魔力増幅機みたいなものを胸に下げているなんて怖すぎる。

 俺はなにも気づかなかった。よし、これでいい。

「なぁ、おっさん。俺、どう見ても男でしょ? 聖女? ないない!」

 わざとぞんざいに言い放つ。聖女というからには嫋やかな女性をイメージしているんじゃないかと踏んで、ガサツでズボラなカンジに見えるように。学校で同級生を相手にしていたようにしていれば、貴族のおっさんは充分ガサツに感じるだろう。

 案の定、宰相は鼻白んでタタラを踏んだ。本当にコイツ、政治のてっぺんにいる男か? 怒りか驚きか知らないが、手足をバタバタさせて大人げない。ギィならもっとどっしり構えているはずだ。

「何度でも言う。俺は聖女じゃない」
「それは性別のことを言っておるのか? ならば心配はいらぬぞ。文献によれば聖女が生まれる世界は男は男、女は女で固定しておるそうだな。自らの変態に順応できずにひどく取り乱した者もいたと記されておる」

 そうきたか。都合よく年頃の女性ばかり来るわけがないもんな。⋯⋯まさか、すっごいゴリマッチョが来ても変態させたのか? 誰得だよ。なんだか嫌な想像をしてゲンナリする。

「ともかく、召喚した聖女はことごとく王族にとついでおる」
「それさぁ、元から相手が王族だったんでしょ? あんたらが王族になれるわけじゃないじゃん」

 それで言ったら、俺がお姫様に婿入りするのが自然だ。今の王族にはお姫様はいないっぽいけど。

 俺の言葉に怒ると思った宰相は、ニヤリと嫌な笑みを口の端に乗せた。

「存外頭が良いな。我が正妃に相応しい。陛下亡き後、宰相たるこの私が新王朝を興すのだよ。さすればそなたは初代王の正妃だ」
「なにを言うか。新王朝を興すのは侯爵たる儂だ。だいたいそなたには奥方がおるではないか。嫉妬深くて有名なあの奥方が、若く清らかな聖女に正妻の座を譲るとは思えぬなぁ。その点、儂の妻はとうに身罷っておる」
「孫までいる身で抜かしおる。聖女に五、六人産ませた後で、ひとりくらいはそなたの孫の嫁にやろう」
「は? そなたが五人も六人も孕ませられるものか⁈  そんな枯れ木のような身体で、魔羅もどうせ貧相なのだろう?」
「そなたこそ、肉に埋もれて自分のお粗末なモノを見たことがないのではないか⁈ はんッ肉どころか皮にまで埋もれておるやもしれんのう⁈」

 猥談なら他所でやれ‼︎

「わーわーわーッ‼︎」

 ブチの耳が穢れるだろう! 猥談を聞かせるなんて、立派な幼児虐待だ‼︎ ついでに俺に対するセクハラだからな‼︎

「ともかく俺は聖女じゃないって言ったからな! その上で俺を嫁にしようって言うのなら、俺は自分で選んだたったひとりのモノになる! わかったら、この部屋から出て行け‼︎」

 俺の剣幕に押されたのか、おっさんふたりはピャッと背筋を伸ばして黙って出て行った。Uちゅーぶで見た昔のコントみたいだ。ちっとも笑えないけどな!

 もっと暴力的にことに及ばれる可能性も考えていたから、セクハラ発言程度なら許容範囲内だ。受け流していくしかない。あぁあぁぁ⋯⋯ブチの情操教育にめっちゃ悪い。

「ルンしゃまぁ」

 俺を呼ぶブチが、舌をもつれさせた。ずっと耳を押さえたままだったから、イヤイヤしている。可愛い⋯⋯心のオアシス!

「ごめんな、ブチ」

 自由にしてやって髪の毛を手櫛で整える。さすが侯爵家のアメニティだ。軋んでいたブチの髪はスルスルと指通りが良くなってきた。

 それにしても、これからどうするかな。おっさんふたりで牽制しあっているうちはいいけど、一致団結して来られたら逃げようがない。かぐや姫的に両方に気を持たせて時間を稼ぐか? ⋯⋯どんな小悪魔だ。俺にできる気がしない。

 なにも解決策が浮かばないまま午後になり、宰相と侯爵から贈り物が届けられた。物で釣ろうったってそうはいかないが、あっちが俺をかぐや姫扱いし始めたってことだな。

 そんなことよりも。

 贈り物を捧げ持ってやって来た遣いの従僕が、シュウさんだった。

「王都へご移動なさると伺いました。どうぞ、お世話係はわたくしをご指名ください」

 シュウさんはしれっと曰った。
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