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真綿の檻と新たな力。

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 流民の女性たちはあっさり解放された。と言うか、生け贄に差し出されたそうだ。誘拐野郎たちは、盗賊に扮して夜闇に紛れた騎士たちに向かって命乞いをした。その際に金品を惜しんで女性を差し出し、売るなりなんなり好きにしろとのたまったらしい。

 相手のクズっぷりのおかげで女性たちは傷ひとつなく救い出すことができたけど、なんとも胸糞悪い話だ。騎士のヤンの報告を聞いたみんなの眉間に、深い皺が刻まれたのは当然のことだ。

 サリャさんもお腹の赤ちゃんも何事もなく帰ってきて、無事にススとブチに会えた。もちろん、父親のザレスさんにも。

 おじいさんおばあさんは相変わらず「ナンマンダブ」を繰り返し、俺はなんだか気が抜けそうだ。本当は神聖な言葉なんだろうけれど、お寺の方丈ほうじょうさん(住職さん)を思い出す。理解できなくてもいいから、こっちの言葉で聞きたいものだ。

 その後ギィはあちこちと連絡を取りつつ忙しくしていて、俺は市場に買い物に行かせてもらえなくなった。以前はフードをかぶっていれば街に行かせてもらえたのに、近所を散歩する程度しか出してもらえない。中庭もあるし、掃除や洗濯を手伝えば運動不足にはならないけれど、どうしたって鬱屈はたまる。

「ギィは過保護が過ぎると思わない?」

 巨大な魚をシュウさんと一緒に捌きながら、ブツブツと文句を言う。初競はつせりのニュースで見るマグロみたいな魚は俺の力では包丁を刺すこともできないので、押さえる係をしている。このサイズでもまだ子どもなんだって。解体ショーで使うノコギリみたいな包丁を用意してもらうべきなんだろうか?

「何をおっしゃいますか。殿下は本当なら、ルン様のことを絹の真綿にくるんで大事に大事にしまっておきたいと思っていらっしゃいますよ」

 ⋯⋯それは言葉の端々はしばしに感じている。それが愛とか恋とかいう感情に基づいていることも。

 そんなギィはお父上と連絡を取り合って、王様が王城から出発する日を探っている。先代王の庶出の第一子だと言うギィのお父上は、誰に話を聞いても、『外見みてくれ中身せいかくもギィがそのまま年齢を重ねたような御仁』だそうだ。それはつまり、身体が大きくて顔立ちが整っていて、包容力のあるいい男だと言うことだ。改めて考えると、俺がギィを形容する言葉が恥ずかし過ぎる。

「充分、真綿にくるまれているよ」

 ブスくれているのは仕方がない。ギィは自分が留守にしている間は俺が勝手をしないと知っていて、やたらと外出する。おとなしく言う事を聞いている俺も俺だが、実際問題なんの武術も履修していないから、やらかすとなったらシュウさんやヤンジャンコンビを道連れにしなきゃならないんだもん。

「聞き分けてくださってありがとうございます」

 細腕ですいすいと巨大魚を下ろしながら、シュウさんが微笑んだ。日本刀みたいな長刃が血に濡れて鈍く光って見えるのが薄寒い。

「先にお礼を言われちゃうと、無理なことできないじゃん」

 公共施設の張り紙と同じだ。『××をするな』より『◯◯をありがとう』って書いてあるほうが決まりを守らない?

 それに俺がおとなしくしているほうがいいって言うのはわかっているんだ。ゲームやラノベのヒロインってやたらと行動力があって、思いついてやらかした挙句に拐われるじゃないか。物語は拐われないと話が始まらないからそんなものだけれど俺が同じ事をしたら、ただの馬鹿だ。

 そう思っていた俺は、自分が本当に馬鹿だと思い知ったのは、サリャさんのお産が始まってしばらくしたときだった。

 流浪の民の出産は、治癒士など傍にいない。出産経験のある女性たちが協力して産婦を手助けするんだそうだ。以前は不衛生な産屋での出産は当たり前で、生まれたばかりの赤ちゃんはもちろんのこと、お母さんも命懸けなんだって。

 サリャさんはお風呂に入って清潔にして、いざという時のために治癒士のサイが待機することになった。俺の感覚から言うと万全には程遠いけれど、流民の女性たちは『お妃様のお産みたいだね』と笑った。本当のお妃様はこんなどころじゃなく手厚く介助されるんだろうけど、彼女たちには想像もつかないことだ。

 そんなこんなで女性たちはサリャさんにかかりきりになって、男性陣はソワソワしながら生活の糧を探しに出掛けて行って、いつもの時間を過ごしていたらしい。俺は流民たちが居住している場所に行かせてもらえないので、全部ヤンジャンコンビから聞いた話だ。

 ギィは王様がいよいよ出発されたとの報告を受けて、朝から出掛けて行った。王妃様のご実家の領地は、大公領とは反対側の辺境で、彼女は辺境伯爵の娘なのだそうだ。結構王都から離れているから、体調の悪い王様を連れて旅に出るのは不自然だ。どんなに静養に向く土地柄であっても、長く馬車に揺られて移動することほど疲れることはなかろうに。

 ギィは数名の腹心を連れて辺境に旅立った。恥ずかしいことに、みんなの前で行ってきますのキスをされて腰が抜けた。ニコニコしたシュウさんに助け起こされて、満足げなギィを見送ったときにその背中に向かって『バカ』と叫んでしまったのは仕方がないだろう。

 カモフラージュのために傭兵の仕事をしている隊とサリャさんのお産に付き添うサイの護衛が宿舎を離れると、今までになく人気ひとけがなくなった。残されたのはシュウさんとヤンジャンコンビ、あと一個小隊って言うの? 数名のグループだけになった。と言っても実力はギィのお墨付きだ。

 こういうときはおとなしく留守番をしているに限る。そう思っていたのに、夕方になって勝手口がドンドンと叩かれた。夕食の仕込みをしていた俺を制してシュウさんが扉を開くと、飛び込んできたのはススだった。

「ブチがきてねぇだか?」

 走ってきたのか、薄い肩を激しく上下させて縋り付く小さな身体を抱きとめる。

「母ちゃんがみて、父ちゃんをさがしにいくっていったんだ」

 シュウさんが僅かに首を捻った。なまり言葉がわからないようだ。

「サリャさんが苦しがっているのを見て、お父さんを探しに飛び出して行ったらしいよ」
「父親を⋯⋯」

 ススとブチのお父さんは、すでに亡くなっている。まだ小さいブチはそれを理解できずにいて、いつか帰ってくると思っていた。シュウさんはそれを知っているので、いたまし気につぶやいた。

「母ちゃんが父ちゃんを呼ぶんだ」

 俺はたまらなくなって、ススの前に膝をついた。清潔だけれど痩せて目がキョロンと大きな幼児は、鼻の頭を真っ赤にして、涙をぐしぐしとこすった。それをやんわりと止めてハンカチで涙と洟水はなみずを拭ってやると、ススはさらに声を上げて泣いて、俺の首ったまにかじりついてきた。

「父ちゃん、もういねがら、オレがブチを見でねといけんのに」

 小さくても兄の責任感を持っている。それを全うできなくて、悲しくて悔しくて、弟が心配で心配で。俺も兄の立場だからよくわかる。

「部隊のみんなに相談してみよう」

 ススの手をそっと外して立ち上がった瞬間、小さな子どもが大きな声を出した。

「まちだ! 父ちゃんはまちにしごとをさがしにえったんだや‼︎」

 言うがいなやススは勝手口から飛び出した。ちょっと待て‼︎ もう日も落ちるぞ‼︎

 慌てて追いかけて、追いかけて、追いかけ⋯⋯子どもすばしっこい‼︎

 受験勉強で鈍った上に、こっちに来てからやたら抱っこで運ばれて、すっかり運動不足だ。料理や掃除で使う体力とは違うらしい。横っ腹が痛い。

「スス! このままじゃ、君まで迷子だ‼︎」

 ようやく引っ捕まえたときには、もう市場の近くだった。この辺りは午前中は大賑わいだけれど、夕方は早い時間から静かになる。もうちょっと先に行くと、飲み屋が並ぶ通りになる。俺は昼間にしか通ったことがないから、店が開いているのは見たことがない。

「父ちゃん、あそこでしんだんだ」

 ススは飲み屋通りを指差した。夜に店を開く酒場の裏手の仕事は残飯処理など不衛生で街の人はやりたがらない。それを求めてやって来て、酔っ払い連中に面白おかしく袋叩きに合い、石を投げられて死んでしまった。それを語るススの声は平坦で、とても子どもの口調じゃない。

「⋯⋯ねぇ、ルンさま。ブチもころされたりしない?」

 子どもの口から『死ぬ』とか『殺す』とか、普通に吐き出されていいわけがない!

「スス、スス! 大丈夫、絶対見つける! 俺も探すから⋯⋯!」

 小さな身体を抱き上げずにはいられない。俺の腕力で抱き上げることができるなんて、日本の七歳児だってありえない小ささだ。

 一旦帰るべきか、ここまで来たからにはちょっとだけ覗いてみるか? 悩んでいると酒場の扉が開いて、荷物が放り出された。

「⋯⋯荷物じゃない」

 人だ! 子どもだ‼︎

「ブチ‼︎」

 砂利の上に放り出された小さな子どもは、ピクリとも動かない。手足が変なふうに折れ曲がっていて、俺の口からは情けない声が漏れた。

「あ、あ、あ⋯⋯」

 腕の中のススの身体がガクガクと震えた。

「あああぁぁああーーッ‼︎」

 魂切たまぎる悲鳴と共に、ススの身体が熱くなった。熱と共に光が溢れて、それが真っ直ぐに意識のない子どもに降り注ぐ。

 光が消えると同時に腕の中のススの身体から力が抜けた。ぐったりとのしかかる重さに、流石に支えきれなくて尻餅をついた。

「スス⁈」

 呼んでも返事がない。気を失ってしまったようだ。あたふたしているとブチがひょっこり起き上がって、のんびりした声で兄を呼んだ。

「にいちゃ?」

 は?

 え?

 もしかして、ススがブチを治したのか?

 魔力の全くない俺でも見える光って、どんだけだよ。呆然としていると光に驚いたらしいむさ苦しいおっさんたちが、店から飛び出して来て、ブチと俺を交互に見た。

「⋯⋯聖女様?」

 治したのは、俺じゃない。
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