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桜木家の兄妹。

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 俺の朝は早い。

 父さんが経営する土建屋の従業員寮で、腹をすかせた野郎どもに朝食を食わせなきゃならないからだ。

「カオルン、今日の味噌汁の具はなんだ?」
「おはよう、やっさん。大根と油揚げだよ」
「カオルン、おっはよ~。俺の飯、大盛りね!」
「おはよう、シゲさん。言われなくても毎日大盛りじゃん」

 カオルンカオルンうるさい。俺の名前は桜木さくらぎかおるだ。

「カオルン兄ちゃん、おはよう。お醤油足りない小瓶に、継ぎ足していい?」
「おはよう、ミヤビン。さすが可愛い妹だ。おっさんたちと違って、気が利くな!」

 ちょっと歳の離れた可愛い妹のみやびーーミヤビンが呼ぶのは許す。可愛いは正義だ。

「おっさん言うな!」
「言われたくなかったから、飯くらい自分でよそえ!」

 可愛くないおっさんだ。やっさんもシゲさんも三十路手前だから、確かにおっさんと呼ばれるのは嫌だろう。しかし俺は高校を卒業したばかりの十七歳だ。ひとまわりも離れてりゃ、充分おっさんだ。

「運転免許証も取得できないお子ちゃまが、生意気言ってんじゃねぇよ」
「うるさいな、仮免試験までは一発合格だ!」

 四月一日生まれはなにかとついてない。エイプリルフールで揶揄われたりするのはもう諦めたけど、まさか自動車教習所で仮免許が取れないとは。

 この辺りは田舎だから、大学に通うにも就職するにも自家用車は必要だ。地元の高校には秋になると教習所から所長が来て、三年生を対象に申し込み説明会を行う。進路が決まった奴から教習所に通い出すんだけど⋯⋯大問題、発生。教習所内で運転するのは許されるんだけど、公道での運転が出来ない。見極めを一度でパスして仮免試験に受かったのに、誕生日まで発行してもらえない。

「あと三日で十八歳だ。仮免貰ったら練習に付き合ってよ」

 やっさんに味噌汁の入った椀を渡しながら言うと、彼は日に焼けて皺の浮いた眦を下げて笑った。ガテンなおっさんのメラニン色素は、一冬越えても元気に活動しているらしい。

「まぁ、シゲより俺の方がマシだからな」
「うっせぇな、やっさん。カオルン、俺も付き合ってやるから最速で免許証取れよ」
「そしたら私も乗せてね!」
「可愛いミヤビンは、一年後だ。若葉マークが取れるまでは駄目」
「えー、ヤダぁ。ドライブ連れてって!」

 やっさんとシゲさんが、ミヤビンを見てうんうんと頷いている。まるで子犬を見守る菩薩のような眼差しだ。この春から小学五年生になるミヤビンは、歳の離れた兄である俺の目から見ても可愛い。

「こぉら、ビンちゃん。我儘言わないの。ルンルンはビンちゃんが大好きだから駄目だって言ってるんだよ」
「ビンちゃんはともかく、ルンルンはやめてよ」
「ビンちゃんもちょっと⋯⋯」

 俺とミヤビンには甘々なミノリンがくすくす笑いながら食堂に入って来る。綺麗な顔に作業着のツナギと首にかけたタオルが激しく似合わない。柔和な雰囲気のミノリンは俺たち三兄妹の長兄、みのりだ。

 ミノリンは醤油を小瓶に継ぎ足すミヤビンの手からそれらをそっと引き取ると、膝を曲げて視線を合わせた。

「ねぇビンちゃん。今朝は変な耳鳴りはしてない?」
「⋯⋯もうずっとしてるから、よくわかんなくなってきちゃった」

 額をコツンと合わせて、ひとまわり年齢の違うミヤビンを気遣うミノリンは、お兄ちゃん然としている。

 三学期の修了式あたりから、ミヤビンが耳鳴りを訴え始めた。二、三日経ってもおさまらないから、耳鼻科に行って検査してもらったけど原因はわからない。長く続くようなら大きな病院の脳神経外来を紹介すると言われて、父さんが死にそうな表情カオをしていた。俺たちの歳の離れた妹は、父さんにとってもお姫様だからな。

「耳鳴りっていうかね、最近は変な声が聞こえてるみたい」
「変な声?」
「『助けて』とか『聖女様』とか。ドコドコ太鼓の音みたいなのもするよ」

 なんだよ、それ? ここにいるみんなが首を傾げた。誰もミヤビンが嘘をついてるなんて思ってないだろう。勘違いとか、思い込みとかは思ってるかもしれないけどな。

「それって、どっか別の世界から呼ばれてるとかじゃね?」
「阿呆か、シゲ。お前は漫画の読みすぎだ」
「俺が読んでるのはラノベだ。漫画じゃねえ」
「どっちでもいい。それとミヤビンちゃんを一緒にするんじゃ無いって言ってんの」

 やっさんが正しい。シゲさんはいつものようにやっさんに頭をはたかれた。

「せっかくの春休みだけど、ビンちゃんはお家でゆっくりしておこうね。耳鳴りだけならいいけど、頭が痛くなったりしたら大変だ」
「うん」
「いつもと体調が違うようなら、母さんにちゃんと言うんだよ。もちろん、僕とルンルンも聞くからね」

 ミノリンさんや、父さんも入れてやってくれ。末っ子ひとり娘を愛し過ぎてポンコツだけど、一応桜木家の大黒柱で、有限会社サクラギ土木工業の社長だ。

「ねぇミノリン兄ちゃん。桜を見に庭に出るくらいは良いでしょ?」
「ルンルンと一緒ならね」
「わぁい」

 ミヤビンめ、俺が断るとは微塵も思ってないな。断らないけどさ。

 それから俺たちは、ゾロゾロとガレージを改造した食堂にやって来る、独身寮の野郎共に朝食を食べさせることに必死になる。ガテン野郎共は朝からよく食べる。⋯⋯たまに二日酔いで死にそうな顔色で味噌汁だけ啜ってる奴もいるけど、食わないと肉体労働はやっていけないから、お握りをラップにくるんで持たせてやる。

 昼食は地元の惣菜屋さんと契約して、希望者を募って弁当を届けてもらっている。コンビニメシで構わないヤツや米以外が食べたいヤツは、各自で確保してくれ。

 独身寮の住人が仕事に出かけていくと、残されたのは大量の食器だ。普段はこのタイミングで近所の婆ちゃんが皿洗いのバイトに来る。今は俺が春休みだから、休憩してもらってるけどな。

 食器がたくさんだと食器拭きの布巾もたくさんだ。濡れた布巾を電気バケツに突っ込む。脱水機能がないのが残念だけど、まあ、許容範囲だ。

「カオルン兄ちゃん、まぁだ?」
「よっしゃ、オーケーだ」

 五年生にもなるのに庭にひとりで出さないなんて、過保護もすぎると言われるかもしれないが、変な耳鳴りが気になるんだよ。田舎の住宅事情舐めんな。無駄に敷地が広いから庭木の影で倒れてたりしたら、灌木に隠されて見つけるのが大変なんだぜ。

「うわぁ、キレイ!」

 昨日よりも花が多い。うちの庭の桜は地元でちょっと有名だ。苗字にちなんで家族が増えるたび桜の苗木を植えるから、となりのおっちゃんに『桜木じゃなくて桜林に改名しろ』って笑われた。

 子どもが産まれた、お嫁さんがやって来た、嬉しいときには取り敢えず記念の桜を植樹する。あれは叔父さんの木、これは爺ちゃんの木と順番に辿っていくと、父さんの木と母さんの木とミノリンの木があって、俺の木の向こうにミヤビンの木。

 ソメイヨシノだけじゃなくて、色んな種類の桜が植っているから花期が長い。

 春の風が花びらを舞い上げる。ミヤビンがきゃあ、と楽しげに声を上げた。少し風が冷たいかな。

「カオルン兄ちゃん、これなぁに?」

 満開の桜の下にしゃがんだミヤビンが、黒い石を拾い上げた。打ちつけあって割れたばかりのような煌めく断面は虹色の輝きが浮かんでいて、ミヤビンが太陽にかざすと一層煌めきを増した。

「黒曜石⋯⋯かな?」

 中学生のとき学校のなにかで行った、郷土資料館で似たようなものを見た。あれはやじりだったっけ? あれは土の中から発見されたとかで、こんなにキラキラしてなかったけど。

「断面がナイフみたいになってるから気をつけろよ。お前が怪我でもしたら、父さんが泣いて大変だぞ」

 大袈裟に言ってやると、ミヤビンは「はぁい」と返事をした。父さんもさすがに泣きはしないかもしれないが、大騒ぎはするだろう。

「イタッ」

 言ったそばから! ミヤビンも返事しただろ⁈

 ミヤビンの右手の親指の腹に、プックリと小さな血の玉が浮かんだ。

「⁈」

 なんだ?

 空気が変わった?

 ざざっと生臭い風が吹き抜けて桜の花が吹雪いた。ミヤビンの長い髪が風に舞う。

「カオルン兄ちゃん! 太鼓の音がする‼︎」
「ミヤビン!」

 春の風がつむじを巻いて、ミヤビンはよろめきそうになってたたらを踏んだ。慌ててミヤビンに覆い被さるように抱きしめる。びょうびょうと鳴る旋風はなにかを探すようにウロウロと進路を変えて、やがて標的を俺たちに定めた。

 ⋯⋯生きて意思を持っているようだ。

 薄紅色の花霞。

 父さんの木、母さんの木、兄さんミノリンの木。

 そして俺たちは旋風つむじかぜに攫われて、空高く舞い上がった。
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