花咲く君は戀に惑う《一旦完結》

織緒こん

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 依頼は難しいものでなく報告は簡単に済んだようだ。マムを迎えにきたのはウィステリアひとりで、他の面子メンツは先に店に向かったらしい――

「嘘つき!」

 店ではなかった。ウィステリアがマムを連れてきたのはクラウンの自宅だった。稼ぎのある冒険者らしく、広くて立派な戸建てである。マムはてっきり酒場――パーンの結婚祝いをしたあそこだ――だと思っていたので、大きな声を出してしまう。まさか個人宅で家飲みとは思っていなかったので、手ぶらできてしまった。

「言ってくれたら、何か持ってきました!」

 失礼だし図々しい、マムはそう言って頭を抱えた。

「はははっ。言ったら迎えに行っても家から出てこなかったでしょ?」

 マムはウィステリアの特徴的な笑い声が結構好きなのだが、今は腹立たしい。彼がいう通りクラウンの自宅だと知っていたら来なかっただろう。長身の男に背中を押されて玄関を潜る。小さなホールまである大きな家は、間違いなくマムが立ち入ったことのある一般家庭の中で一番大きい。

 食堂ダイニングに通されると、驚くことにフライパンを振るっているのはサニーだった。パーンの夫でマムの一方的な恋敵だった男である。マムの気持ちはパーンに伝えなかったし、サニーとも数えるほどしか会っていない。そのせいか間近で言葉を交わしても僅かな寂寥を感じるだけで、憎らしいとも思えない。なんとも複雑で不思議な感情を持て余している。

 サニーは《命のかがやき》の中で最も体格が良く、職業は戦士だと聞いている。とても料理をするようには見えないが、マムはパーンが料理をしないことを知っている。なるほどと頷いて、勧められるまま席についた。

「俺もサニーを手伝ってくるから、パーンと話してて」

 ウィステリアがそう言って台所に引っ込むと、パーンは早速身を乗り出してマムの前に飲み物が入ったカップを置いた。

「マムとごはんするの、久しぶりじゃん」
「パーンが人妻になったからね」
「人妻言うな!」
「サニーさんを妻って言うより自然だと思うよ」
「それは、その……」

 マムは耳まで赤くなったパーンに生ぬるい視線を向けた。ふたりが出会ったのは未だ冒険者パーティ《命のかがやき》が結成される前のこと。当時健在だったマムの父親が出した依頼を受けたのが、駆け出しの冒険者パーンだった。強くて朗らかでちょっと熱血感なパーンに惹かれたのは、彼の中に自分にはない輝きを見たせいかもしれない。

「パーン、皿運んでくれる?」

 サニーに呼ばれたパーンが逃げるように席を立つ。よっぽど恥ずかしかったらしい。夫夫並んで皿を運ぶのは平気なのだろうか?

 テーブルの上はすぐにいっぱいになった。あまりにたくさんの皿が運ばれてくるのでマムも手伝いを申し出たが、やんわり断られたのでおとなしく座っている。家主のクラウンは最初から席について、手酌で一杯やっていた。動く気はないらしい。

 全員が腰を落ち着けると、ウィステリアとサニーが大皿に盛られた食欲をそそる料理をとりわけ始めた。クラウンは堂々とそれを待っていて、パーンは傍らの夫に「あれは嫌だ、これは嫌だ」と渋い顔をしている。そういえばパーンは好き嫌いが多かった。しかしサニーはニコニコ笑ってパーンの嫌いな食材を少しずつ皿に乗せている。マムはパーンと食事する時、彼が嫌いと言った食材が入った料理は注文しなかった。彼の懐に入っていけなかった理由を垣間見た気がして、マムはぼんやりと仲の良い夫夫を見つめるしかできない。

「マム君、遠慮なく食べなね」

 手元に置かれた皿には、美しく盛られた料理が乗っている。

「ウィステリアさん、魔法剣士ですよね?」

 冒険者を引退したら、王宮の料理人にでも転職できそうだ。こんな辺鄙な田舎に王宮への伝手などないが、腕利きの冒険者である彼らなら、かつての依頼者に口利きしてもらえる気がする。

「駆け出しの頃は遠征先で宿の飯が食えなくて。どうせなら美味いもの食いたいでしょ?」

 料理が上手い理由はわかったが、盛り付けの美しさは本人のセンスの問題だろう。

「ほらほら、早く食べないと全部クラウンの腹に消えちゃうよ」

 ウィステリアの言葉は冗談ではなく、精霊じみた男の前に置かれた皿はあっという間に空になった。クラウンの体格はウィステリアとよく似ており、それはつまりとても細身ということだ。ジャムと砂糖菓子で出来ていそうな男なのに、一体どこに入るのだろう。

「クラウン、今日は自分でやって。俺はマム君の専属だから」
「おう」

 軽い言葉の応酬から、仲の良さが伺える。ウィステリアは酒を飲みながらつまみ程度にしか食べず、パーンは眉間に皺を寄せて嫌いな食材をちまちま食べている。

「いや、俺もそんなには」
「そう? じゃあ、これだけは絶対に食べていってよ。俺の得意料理なんだ」
「美味いぞ」
「はははっ。クラウンの好物だもんね!」

 クラウンお墨付きらしい。目の前でどんどん皿を空にする大喰らいが褒めるのだから、美味いに違いない。仕事仲間以上の繋がりを感じて、マムは眩しさに目を細める。

「どうしたの? クラウンの顔面、眩しかった?」

 ウィステリアがマムの顔を覗き込むようにして言った。クラウンに負けず劣らず眩しい顔貌が、とても近い。

 待ち合わせて食事に行く時はテーブルの向かいに座る彼が、となりにぴったりくっついている。五人でテーブルを囲んでいるが、一脚だけ椅子が違う。普段は四人掛けで使っているのだろう。ひとり増えればウィステリアとマムの膝がぶつかるほどの隙間しかないのは当然だろう。マムは内心、となりの男の近さに慄きながら小さく首を横に振った。

「いえ、クラウンさんは確かに眩しいけど、そうじゃなくて……なんて言ったらいいのか」

 胸の内側で言葉を探す。

「ウィステリアさんとクラウンさんの友情が? 眩しい? 俺は何を言っているんでしょうね?」

 疑問符だらけの言葉に、混乱して首を傾げる。マムは「友情が眩しいってなんだ?」と自分に問いかける。喉元まで「ふたりは付き合っているの?」と出そうになったのを無理やり軌道修正した。脳裏で小間物屋の女将がにんまり笑ったので、慌てて質問を飲み込んだのだ。女将に釘は刺しているが、明日は食事会での会話を根掘り葉掘り聞かれるだろう。答えるつもりはない。しかし曖昧に誤魔化すと言葉尻を拾って大袈裟に、「ここだけの話」を広めるだろう。ならば初めから何も聞かないほうがいい。マムはそう自己完結した。

 ふと視線を感じて顔を上げると、対面にいるクラウンがじっとマムを見ている。銀色がかった紫色の瞳は、心の奥底のおりさらうかのようだ。

「あの……?」
「マムの風は心地いい。精霊がたわむれている」

 クラウンの口調は力強く迷いがない。しかしマムには意味がさっぱりわからなかった。となりのウィステリアに助けを求める。直近で見る彼の瞳は、黒い瞳に蜂蜜色の虹彩が滲んでひどく甘やかだった。一瞬惚けたマムは自分が唾を飲み込んだ音に驚いて我に返る。

「クラウンが言ってるのはね、マム君が心の優しいいい子だってことだよ」
「ますます意味がわからないんですが、まずはってとこに強く抗議したいです」
「はははっ。そこが一番重要なんだ?」

 マムは至極真面目に言ったつもりだったので、ウィステリアの軽やかな笑い声に眉根を寄せた。
「俺はパーンよりも年上ですよ」

一歳ひとつくらい誤差でしょ。俺は君より三歳みっつ上だから、でいいと思うよ」
「……話を戻しましょう」

 ウィステリアが満面の笑みで言い切ったので、マムはそれ以上突っ込むのはやめることにした。ふたりのやりとりをじっと見ていたクラウンが再び口を開く。

「精霊がマムと小間物屋の女将の声を運んできた。俺たちの情報を漏らさないと言い切ってくれたことに感謝する」
「えっと……」

 感謝される理由がわからない。マムは夕方からの一連の出来事がわからない尽くしで、考えるのが面倒になってきた。興味本位で他人様の個人情報をばら撒くなどよくないことだ。そんな当たり前のことを言っただけなのに。

「あのねぇ、マム君。俺たちメチャクチャ有名人なんよね。自惚れで我ながら気持ち悪いけど、事実だから。何をしても噂になるわけ。それって結構ストレスなんだ。四六時中観察されてる感じって言えばわかるかな」
「それは心が休まる暇がないですね」
「だから君みたいな存在は安心できる」

 不思議な心地だ。マムはウィステリアの存在に安心感を覚える。――顔面の派手さへの落ち着かなさは置いておくとして。彼はマムがパーンに失恋したのは知らないはずだが、急速に結ばれた友誼のお陰で落ち込む暇がなかった。

「今日ここに誘われたのは、それを伝えるためですか?」
「それもだけど、今度ちょっと面倒な依頼を受けてくるんで、その報告」

 ウィステリアは笑顔だったが、かえって感情が見えない。マムは「賭け事をする時は便利だろうな」と他所ごとを考えた。有名な腕利き冒険者パーティの予定を知らされる理由がわからなくて、思考の許容範囲を超えたようだ。

「ぼんやりしてるのも可愛いけど、聞いてる?」
「あ……うん。依頼がどうのって?」
「北の国境の魔獣討伐。去年の大討伐で半壊した辺境の自治騎士団が、人手が足りないんだって」

 それはまた随分と遠い。昨年は数年に一度訪れる魔獣の繁殖期にあたり、討伐隊に死傷者が多く出たというニュースはこの街まで届いている。

「去年より出現数は少ないが、迎え撃つ側の体制が整わないらしい」

 魔獣は人間の都合など考えない。減った隊員の補充を待ってはくれぬ。代わりに国中のギルドに依頼が届いている。ご丁寧に指名付きで。この街のギルドに届いたのは、一般的な依頼書と《命のかがやき》を指名するそれだった。

「一般人の生命がかかってるから、行かないわけにはいかないよね」
「そんな……冒険者だって一般人でしょう?」
「俺たちを一般人扱いしてくれるの、嬉しいね」

 ウィステリアは笑顔のまま、マムのカップに琥珀色の液体を注いだ。慣れた手つきで炭酸水で薄めてくれる。この街には天然の鉱泉があり炭酸水が湧き出している。いつでも飲めるが家庭で炭酸を維持するのは難しい。面倒な依頼を、食事の合間の何気ない会話のように酒で流そうとするウィステリアにわずかに苛立つ。

「俺が行かないでって言うのも変な話ですが、無理はしてほしくないです」

 カップの酒を啜るとピリピリした刺激が舌で遊ぶ。パーンが危険な依頼を受けるたびにドキドキしていたマムは、このところようやく穏やかに見送れるようになったというのに。瓶を見ると高そうな酒だがちっとも味がしない。マムは遠征の行き先など知らずにいたかった。

「そんな不安な表情かおをしないでよ。パーンのことは守ってやるから」
「俺が守るんでウィステリアは遠慮して」
「俺、強いよ⁈ 守られる前提なの、意味わからないんですけど⁈」

 マムを慰めるように言ったウィステリアにサニーがニコニコ笑って割り込んで、パーンが心外だというように大袈裟な身振りで騒いだ。恐らくいつものやり取りだろう。

 ウィステリアはマムがパーンの友人だから、安心させようとしたに違いない。彼はマムの恋心に気づいていたのだろうか。忘れていたのに胸がチクチクする。マムは黙ってカップの酒で唇を湿らせた。

 
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