神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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それぞれの時間。

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 ユーリィだ。ユーリィがリリィナの腕の中で泣いている。

 二階にある南向きの一番いい客間は、驚くべきことに壁をぶち抜かれてめちゃくちゃ広い空間になっていた。侯爵家の茶話室サロンを参考にしたのか、ティースペースが撤去されて分厚い絨毯カーペットが敷かれた床に、赤ちゃんたちが思い思いに寝転がったりハイハイしたりしている。世話をする乳母たちも、全員床に直座りだ。

 その真ん中でユーリィがほえほえ泣いていた。リリィナが優しく揺らしながら辛抱強く泣き止むのを待っている。

「あらあら、ユーリィ様。お母様が来てくださったのに、玄関で足止めされているのがわかるんですねぇ。本当に気の利かないおじいちゃんたちですね。大丈夫ですよ、お母様はすぐに来てくださいますよ」

 内務卿をさりげなくディスって、リリィナがユーリィを慰めている。いくらなんでも玄関の様子がわかるわけもないけど、俺の存在を感じて泣いているのなら嬉しい。

「ユーリィ」

 よろめきそうになって、背中からジェムに支えられながら、息子の名前を呼んだ。まだ首も座らないユーリィはぴたりと泣き止んで、握りしめた小さな手を口の中に突っ込んだ。あぐあぐと舌で感触を確かめる、赤ちゃん特有の行動をしながら、あたりを伺っている。

 リリィナが俺に気づいて、大きな目をクルンとさせてからにっこり笑った。ユーリィを驚かさないよう、大きな声は出さない。

「ユーリィ様。お母様とお父様がお帰りになりましたよ」

 リリィナは立ち尽くす俺の元にやって来て、ユーリィを抱かせてくれた。シュトレーゼンに送り出した時より重い。

「いい子で待っててくれて、ありがとう」

「ふぁう」

 口に突っ込んでいた手を伸ばして、俺の頬や髪の毛を確かめる。ユーリィのヨダレでベタベタになった。

「ヨダレまで可愛いや」

 我ながら親バカな発言だ。

 リリィナに促されて部屋の真ん中に行くと一緒にやってきたレントを見て、三人の赤ちゃんが手足をバタつかせた。三つ子ちゃんも大きくなったな。

 部屋の真ん中で床に座り込み、ユーリィを抱いたまま、レントと抱き合って泣いた。

「ギジェル殿が息も絶え絶えに飛んでいらしたとき、心臓が潰れるかと思いました。その後銀の君がララ嬢を抱いてお帰りになったのに、アリスレア様のご様子は、簡単に『ご無事』だとだけ⋯⋯」

「ごめんな、心配かけて。俺、レントがリリィナたちと一緒にユーリィを見ててくれたから、頑張れた」

 そうしてひとしきり泣いている間に、よく出来た乳母たちは、リリィナとメイフェアのふたりを残して、自分の子どもを連れて引き上げた。

 ようやく落ち着いて、レントと顔を合わせると目も鼻の頭も真っ赤にしている。きっと俺の顔も同じだろう。

 シュリが冷たく濡らした手巾を渡してくれた。腫れぼったい瞼を冷やすと気持ちがいい。どうしよう、ジェムとは違う意味で、シュリがいないと生きていけないもしれない。シュリがいないとなにも出来ない駄目人間になりそうで怖い。

 泣き止むまで待っていたんだろう。リリィナがララちゃんを抱っこした女の子をそばに連れてきた。ララちゃんのお姉ちゃんだ。

「お姉ちゃん、ララを助けてくれてありがとう」

 お姉ちゃんはお兄ちゃんなんだよ。⋯⋯とりあえず『アリス』と呼ぶように言い聞かせていると、背後でぶふっと失笑が聞こえた。だまれ、軍務卿。

 ララちゃんのお姉ちゃんはミラベルちゃんと言った。実はララちゃんも本当の名前はララベルちゃんだった。

 銀の君がシュリをここに連れてくるとき、一緒に連れてきたんだって。あのときミラちゃんにララちゃんの無事を知らせる余裕がなかったから、ミラちゃんを連れてきてくれた銀の君には感謝しなくちゃ。

 俺に感謝の言葉を伝えたミラちゃんは、メィフェアの長男のナルージャ君と一緒に部屋を辞した。これから大人のお話だから、赤ちゃん以外には耳に毒だ。⋯⋯本当は赤ちゃんにも聞かせたくないけど、ユーリィと離れたくないんだもん。

 ジェムと軍務卿も絨毯カーペットの上に腰を下ろして、ついでに俺とレントをそれぞれ胡座の間に引き込んだ。

 俺が王城に連れて行かれてからのアレコレやら、レントがシュトレーゼンで聞いたイロイロを情報交換する。俺の話を聞いたレントは、せっかく止まった涙を再び流して、『無事で良かった』と何度も繰り返した。

 シュリはだいぶ言い淀んでいたけれど、まぁ副作用のアレコレは言いにくいのはわかる。

「⋯⋯副作用から脱した後、レティシア医師に滋養強壮のお薬をいただいて、療養しておりました。その間、ミラ嬢は一言も口を聞かず、食事にもほとんど手をつけず、健康が危ぶまれておりました」

 サルーンのことは一言も言わず、ミラちゃんの様子を説明する。副作用って言ったとき、一瞬視線が泳いだのは見なかったことにしよう。俺だって突っ込まれたらヤダ。

 お義父様は俺たちと逸れた若い騎士ふたりと、拘束されたハイマンを連れて屋敷に帰ってきたそうだ。ハイマンは客室に監禁して、とりあえず衣食は保証することにしたらしい。法務卿の沙汰待ちだって。王都が機能してない上に、のさばっていた盗賊を一網打尽にしたせいで、収監出来る施設が満員御礼なんだと。

 騎士が無事で肩の荷が降りた。ハイマンと一緒に瓦礫に埋もれていたら、どうしようと思ってた。

 昨日になって、銀の君がシュリを迎えにヴィッツ邸にやって来た。そろそろ神の褥から俺たちが出てくるからそのお世話にって。

 ⋯⋯銀の君、セクハラだ。

 言葉はまだ理解できていないはずのユーリィの耳を、そっと押さえる。息子には聞かれたくない。なのにジェムは、見せつけるみたいに俺の顳顬にキスしてくる。ヤメロ、誰になんのアピールしてるんだよ。

 で、銀の君はシュリと一緒にミラちゃんをシュトレーゼンに運んだ。

 あれ?

 サルーン、放置? 

 鳥の民フィーリア狼の民ヴォルティスほどじゃないにしても、獣のが強い。つがいを掠奪されて正気でいられるはずないんだけど。

「あの、昨日の日没直前に⋯⋯サルーン殿が飛び込んでいらして、少々騒動が」

 レントが捕捉すると、シュリが視線を逸らした。首筋に赤い痕⋯⋯。ごめん。俺はなにも見なかった。

 それにしても純血の鳥の民フィーリア、飛力ハンパないな。風の妖精エルフの銀の君を追ったのかよ。

 銀の君はシュリが鳥の民フィーリアつがいだと知らずに攫ってきたことを詫びた。風のの上位種に謝罪されて、ひとまず矛を収めたサルーンだったけど、滾っちゃったんだな⋯⋯。

「それで、今、サルーンは?」

「俺の遣いで今朝から王都に飛ばした。イェン神が内務卿爺さんたちをまとめて連れてきちまったから、王都がガラ空きだ。ヴィッツ侯爵あてに治安維持を嘆願する書状を持たせてな」

 軍務卿が真面目に仕事をしている。

「明日から忙しいぞ。なにしろ内務卿爺さんと宰相、イェン神の神託を受けて遷都する心算こころづもりだからな」

 遷都って、王都を移すってことか? どこに? まさかシュトレーゼンに?

 空白の三日間の間に、なにやら凄い計画が打ち立てられたらしい。

 ⋯⋯目が覚めてからの数時間で、情報過剰で目が回りそうだ。

「頭が爆発しそうだから、ひとまずユーリィと一緒にお昼寝しちゃおうかな」

 ささやかな現実逃避をはかる。そうだ、そうしよう。とてもいい考えだ。

 話が大きくなりすぎて安心を求めるように、ユーリィごとジェムに体重を預けたのだった。
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