神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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生命の音が止む刻。

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「ぎゃふっ!」

 受け身もへったくれもない。こんだけ落ちて生きてるって、どんだけラッキーなんだ。ヌタウナギのクッションのおかげだなんて、死んでも思いたくない。ぬちょぬちょして気持ち悪い。口に入らなくてよかった。

「アリス!」

 へ?

 でっかい丸い岩の上でクシュナ王の身体と対峙していたジェムが、軽やかに飛び降りてやって来る。スゲェ、パルクールみたいだ。

 ぽかっと口を開けて見惚れてしまう。

 近くに落ちていた騎士たちが、さっと場所を開けた。アンタら気を利かせすぎだ。

「アリス、怪我はないか⁈」

「ないよ」

 そりゃもう、びっくりするほどに。

「ごめん、きちゃった」

 嫌なサプライズですまんな。ちっともドキドキしない『きちゃった』だよ。

「昏き神がアリスの絶望を啜りたがっている。絶対に捕まらないでくれ」

「絶望? 俺、ジェムを信じてるから、今のところ絶望なんかしてないけど⋯⋯心配はしてるけどさ」

「いや⋯⋯そうじゃない。彼奴は⋯⋯」

「あの化け物は、アリスレア夫人に突っ込むために、ここまで引き摺り下ろしたのさ」

 ヌタウナギを槍の穂先で斬り裂きながら、軍務卿は、言い淀むジェムの言葉の続きを攫った。

「アンタを犯しながら燃料補給するつもりだとさ」

 なんだよ、そのバッテリー兼オナホみたいな扱いは。

「絶対にイヤ。死んだほうがマシだけど、ジェムに会えなくなるから、そうなる前にジェムが助けて」

「当然だ」

 チュッと唇を奪われる。

「こんなことしてる場合じゃないだろ!」

 安心するけど、騎士たちが見てる⋯⋯なんだその、あからさまによそ見して、見てませんよアピールは⁈ 余計に恥ずかしいわ‼︎

 俺たちが恥ずかしいやりとりをしている間、軍務卿が槍のリーチを活かして暗黒神を牽制していてくれた。

『我が妃よ。さぁ、ここに来よ。衣を脱いで足を開け!』

「黙れ、変態!」

 うっせぇわ。テメェの発言はエロいんじゃなくてグロいんだよ。口を開けばそんなことばっかり言いやがって、縫い付けてやりたい! そんなんだから、神代の昔、女神エレイアに振られるんだよ‼︎

「⋯⋯斟酌しんしゃくも容赦もせぬつもりだったが、楽に死ねると思うな」

 ジェムが神剣でのたうつヌタウナギを薙ぎ払った。こわっ。表情が抜け落ちて、ガチおこしてるじゃん!

 彼は騎士たちに俺を任せると、軍務卿とふたりでバッサバッサとヌタウナギを斬り伏せていく。うわぁ、八岐大蛇かよって、頭が九つだった。ヒュドラーだな。ヒュドラーの頭が斬り落とされて解けて消えると、その辺でのたうつヌタウナギが集合して、新しい頭になる。それを繰り返しているうちに床はすっかり綺麗になった。

 ⋯⋯綺麗になったは語弊があるか。ぬちゃぬちゃのぬめった瘴気が消えた後には、カサカサに乾いた遺体が無数に転がっていたんだ。その中に倒れていた王太后は、ただひとり、つやつやと美しい顔のままだった。無邪気な微笑みさえ浮かべている。その手足は生者にはあり得ない方向に折れ曲がっていたけれど。

 完全に消耗戦だ。戦術とか戦略とか、正々堂々とか一切ない。ヌメヌメしたヌタウナギは神剣にとって大した脅威でもないみたいだけど、振るっているジェムと軍務卿の体力が尽きたらそれまでだ。どっちが先にへばるかだよな。

『おのれ、おのれ⋯⋯。我は神ぞ。崇めよ、讃えよ、贄を寄越すのだ!』

 自分で崇めよって言っちゃうやつ、鼻で笑っちゃわね? 本当に崇められてるご利益のある神様は、勝手に人間ひとが讃えてくれるものさ。

 遂に視界からヌタウナギが消えた。よし、ジェムたちが競り勝った!

 暗黒王がぬらりと、関節を感じさせない動きでジェムから逃げた。自分を守る瘴気がなくなって、神剣に触れられたら消失するんだろう。どうでもいいが全裸はなんとかならんか。なにを興奮しているのか、アソコがギンギンに上を向いてやがるんだよ。

 おっさんのより、小せぇな!

 ⋯⋯神子返りアリスレアは別枠だ。比べるもんじゃない。オトコノコの沽券にかかわるけど、ないったらない(泣)。

 丸い岩を囲む古そうな鏡みたいなのを支える台が倒れた。元号が変わるときテレビで特集されてた三種の神器みたいなやつだよ。ジェムと軍務卿が無双している間、どったんばったんするたびに上から瓦礫が落ちて来るし、床には亀裂が入るしドキドキしてたんだけど。

 あの鏡、わざわざこんなところにあるってことは、暗黒神を封じていたものなんだろうか。⋯⋯台が倒れたよな? 

「ねぇ、アレって元に戻したほうがいいかな⁈」

 騎士のひとりに聞いてみる。

「気にはなりますが、下手に動いて将軍夫人に意識を向けられても大変です。我々の誰かが行くのもいけません。これ以上、夫人の周りを手薄にはできません」

 五人が三人に減ったもんな。ハイマンを連れて来るように頼んだ若いふたり、大丈夫だろうか。

 ゴト⋯⋯

「⋯⋯ねぇ、動いてね?」

 相当でかい、三メートルくらいあるんじゃないかって丸い石が、ゴトっていうか、ゴロっと動いた気がする。

 ゴト⋯⋯ゴト⋯⋯⋯⋯
 
「やっぱり動いてる!」

 岩の擦れる音が響いて、少しずつ大岩が動く。見えてきた床に亀裂が見えるような⋯⋯。

 ヒュルンって。

 なにが起こったのかわからなかった。亀裂から蔓のように伸びてきた細いヌタウナギに、足首が絡めとられる。そこは王太后の細い指の痕がアザになっていた。

 引っ張られて引き摺られる!

「将軍夫人!」

 壮年の騎士が叫んで、剣ですっぱりと切断してくれたのに、すぐに融合してくっつきやがる。やっぱり神剣じゃないとダメか⁈

 ズルズルと引き摺られて、そのまま逆さまに吊るされる。ウネウネぬちょぬちょしたヌタウナギが、舐め回すように身体を這う。

 気持ち悪いんだよ! どこのエロゲーだ‼︎

『妃よ、絶望を寄越せェえエェェッ!』

 ジェムに追われながらぬらぬらとこっちに来る。逆さ吊りされてるから、ヤツのポーク◯ッツがジャスト目の高さなんだよ‼︎

「ジェムーーーーッ‼︎」

「アリス‼︎」

 背中から一閃。

 目の前で、クシュナ王の身体がふたつにわかれた。真っ赤な血が噴き出して、顔を濡らす。

 ⋯⋯流石にコレは、気絶したいかも。

「アリス、アリス! 大丈夫か⁈」

 足首に絡むヌタウナギは、ジェムの神剣で斬り裂かれて、ひとまず自由になる。それでもウネウネは俺の足首ばかりに狙いを定めて追いかけようとして来る。王太后の付けた指の痕が、しるべのようだ。

「気持ち悪い! この痕に引き寄せる作用でもあるのか?」

 怖気が走ってジェムにしがみつきそうになって、思い直す。動きを妨げちゃいかんだろう。ぜんぶ終わったら、存分にハグしてやる!

「アリス、少し待て」

 ジェムが懐から聖水の小瓶を引き出して、指の痕にかけた。ジュワッと蒸気が立って足首は元の色を取り戻す。

「うわ、聖水で消えたってことは、ただの痕じゃなかったってことか」

 標的を見失って、ヌタウナギが戸惑っている。

『妃よ⋯⋯妃よ⋯⋯』

 暗黒神が上半身だけになってしまったクシュナ王の身体で、ズルズルと大岩のほうに這っていく。大岩って、封印の重石じゃないかと思うんだけど、あの下って、御大がいるんじゃないか?

「ジェム⋯⋯あの下、暗黒神の本体がいるんじゃないか?」

 本体。

 イェンもユレも、自由に動き回る肉体を持っている。暗黒神にそれがないと、言い切れるか? クシュナ王の身体は仮初の依代だろ? 餌を効率よく貢がせるための、仮の肉体にくだ。

「私たちには封印の術がない。あの大岩のズレを戻して鏡に霊力を込めることはできない。⋯⋯一か八か、這い出して来た瞬間に神剣コレで仕留めるほかない」

 だよね⋯⋯。

「しかしその前に、少しでも昏き神の力を削いでおかねばな」

 ジェムが一歩踏み出して、俺は邪魔にならないよう離れた。

 背中からは卑怯だなんて言ってられない。血の帯を床に引き摺って這うクシュナ王を、ジェムは背後から神剣で突き刺した。

『ガガッ』

 断末魔と呼ぶにも小さな叫び。しばらくピクピクと痙攣して、やがてクシュナ王は動かなくなった。エーレイェン王家の血が、途絶えたってことだ。

 でもまだ終わらない。

 ジェムは大岩がズレた隙間から、ユラユラと浮かぶヒト型の影を、眼光鋭く睨みつけている。

 もう少し。もう少しだ。

 影がこごる。

 あの影が差し貫けるほどの濃さを得た瞬間だ。

 暗黒神の本体が、俺を見る。

 俺だけを。

 輪郭もはっきりしないのに、ねっとりと視線が絡みつく。

『妃の肉体にくを寄越せ! さすれば、此奴も斬ることなど出来まい‼︎』

 影が跳躍する。真っ直ぐに俺の前に飛んでくる。ヤツの口っぽい部分が、ニタリと笑みの形に歪んだのが見えた瞬間、ジェムの身体が驚くべき膂力で俺と暗黒神の影の間に入った。

「間に合った⋯⋯」

「ジェム?」

 穏やかに微笑むジェムの肩の向こうに、驚愕して固まる暗黒神の影が⋯⋯。

「ジェレマイア‼︎」

 軍務卿の切羽詰まった声。

「ケーニヒ卿、とどめを」

 ジェムの身体がゆっくりと傾いた。どういうことだ? なにが起こった? なんでジェムのお腹に神剣が刺さってるんだ?

「自分ごと神剣で差し貫きやがったか⁈ 無駄にしないぜ! 暗黒神、俺が神殺しだ‼︎」

 軍務卿がなにか叫んでいる。

 神槍が影を縫い止めて、消失を促す。

 なにかの絶叫と、崩れ落ちる壁。

 砂に返っていく城の中、ゆっくりと刻が進んでいく。

 なにも聞こえない。

 ジェムの。

 心臓の音も。
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