神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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世界の終焉を回避する。

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 姉弟神は尖塔のてっぺんから、重力など感じさせない軽やかさで、ふわりと降りてきた。虹の煌めきを放つ乳白色の長い髪が緩やかにたなびいて、そこかしこに散らばるヌタウナギの残骸とのコントラストがシュールだ。

 暗黒神はカサを減らして痩せていくヌタウナギと一緒に、ぬめるように穴の中へ引っ込んでいった。

 鳥たちキィキィチィチィとさえずりながら旋回し、半数が去って行った。

「随分と時間を短縮したつもりだったけど、鳥の民フィーリアのあの子が息も絶え絶えにシュトレーゼンに辿り着いたときは、間に合わなかったかと焦ったわよ」

 只人と鳥の民フィーリアとの混血のギジェルは、飛力が純血の鳥の民フィーリアよりも安定しないと言っていた。相当な無理をしただろう。

 姉神イェンはジェムに一振りの剣を差し出した。どこに隠し持っていたのか、唐突に宙から取り出したのでちょっとビビる。

 鞘にもつかにも目を引く装飾はない。一見地味なそれはジェムに鞘から抜かれると、神々しい光を放った。吸い込まれそうな、魅入られそうな、持つ人を選ぶ剣だと思う。

「おまえのものよ。わたくしの可愛いアリスレアを、暗黒神などに渡さないでちょうだい」

「謹んで拝領いたします」

 ジェムが恭しく頭を垂れた。

「ブレントの夫君。あなたにも」

 ユレもやっぱりなにもない空中から、無造作に槍を引っ張り出して、軍務卿に与えた。

「あなたの得手は、槍だと聞いたのですよ」

 軍務卿は穂先を確かめてから、重さを計るようにを握って軽く上下した。先端の尖ったスピアタイプの槍じゃなくて、長柄の先に短剣が付いたブレイスタイプの槍だ。両刃の薙刀みたいなヤツ。

「街中で槍は物騒なので、剣しか持たずに出てきたのですよ。とてもありがたい。謹んで拝領いたす」

 軍務卿が美しい所作で礼をした。自由闊達に見えて腐っても貴族、軍務卿はわかっていてやらないタイプだから、やるときはやる。

「アリスの夫、ジェレマイア。そして愛し子三つ子の父、ケーニヒ。おまえたち人間ふたりに託すわ。わたくしとユレは補助をしつつ、堀の内側を結界で覆う」

 人間ひとの残る城下町には、暗黒神を出さない。イェンが艶やかに微笑んだ。真っ赤な瞳は一向に色を変える様子はない。

「僕らが直接行くのは簡単だけれど、神力がぶつかり合って渾沌を産むだろう。一度世界を壊して再生させるのならそれもあるけれど、僕は愛しいあの人の血脈が生きる世界を、壊したくないんだ」

「わたくしも暗黒神を消失させることは避けたいの」

 ⋯⋯。

 実は『イェンとユレが一発ぶちかましたら終わりじゃね?』なんて、心のどこかで思ってた。けれど双子の神は諸刃の剣どころか、最終兵器リーサル・ウェポン終末戦争ハルマゲドン恐怖の大王アンゴル・モアだった。

 思いとどまっていただいて、あざっす。

 人間たちは心なし青褪めて、双子神の言葉を聞いた。妖精エルフの銀の君は、予想していたのか確信を持っていたのかはわからないけど、達観したように淡く微笑んでいる。

「お行きなさい。人間ひとの子の新たなる王よ」

 イェン、勝手に人の旦那を面倒くさい立場に押し上げるな!

 ジェムは都合の悪いことは聞かなかったことにしたのか、軍務卿の一歩後ろで控えている。エーレイェン国内での序列は、将軍は軍務卿の部下だからな。上司である軍務卿は、ニヤニヤと意味深な笑みを口元に浮かべてジェムをチラ見してるけどな。

「では麗しき女神エレイアの産みし、輝ける白き虹の双子神よ。名前を与えられなかった昏き神を屠って参ります」

 ふたりがそれぞれ神剣と神槍を掲げてクロスさせる。シャリンと透明な音がして、神が鍛えたもうた神剣の神々しい囀りに、背筋が伸びた。

 床の抜けた舞踏場に戻っていくふたりを引き止めて、懐とララちゃんのおくるみに隠していた聖水の小瓶を押し付ける。

「一本ずつでごめん。二本しかないんだ」

「いや、助かる。行ってくるよ」

 ジェムは俺の唇を一瞬だけ掠めて、軍務卿と共に抜けてしまった床の穴に飛び込んだ。馬鹿野郎、そんなこと別れのキスが変なフラグだったらどうすんだ。

 残された俺たちはこれから城が崩れることを考えて、大階段から脱出することにした。暗黒神を退治しても城が崩れたら、ジェムたちの退路はどうするんだろう。不安が脳裏をよぎったけれど、そこはイェンが笑って「掘り起こしてあげるわよ」と請け負ってくれた。なんだか言い様に安心できない。

 双子神は結界を張るために、城の尖塔のてっぺんまで飛んでいった。銀の君はシュトレーゼンに聖水の追加を汲みにいくと言うので、ララちゃんを預けることにした。

「シュトレーゼンのリリィナに預けて。名前はララちゃん。俺を攫うための人質だった子なんだ」

 これ以上濡れたままになんかして置けない。一刻も早くお風呂で温めてお着替えさせてあげなきゃ、肺炎でも起こしたら大変だ。ヴィッツ侯爵邸のお姉ちゃんのところに連れて行って欲しいけど、あそこには今、乳母がひとりもいないから。

 スリングを外してララちゃんを銀の君に預ける。

「お姉ちゃんに会うのは、もうちょっと我慢してね。シュトレーゼンには俺の息子がいるんだ。他にも赤ちゃんがたくさんいるから、仲良くして待ってて」

 おでこにチュッとキス。

 たった一晩だけど、とても濃密な時間を共に過ごした赤ちゃん。もうユーリィと同じくらい、大切な存在だから。

 ララちゃんが絶対安全な場所に保護された確信が持てると、文字通り肩の荷が降りた。

 双子神が尖塔の上に行き、銀の君がシュトレーゼン領に飛ぶと、空気が濃くなった気がする。壮絶な美貌の持ち主は、人数が過ぎると視界の暴力なんだよ。息苦しいったらない。思わず愚痴ったら壮年の騎士さんに「夫人も鏡をご覧ください」って真面目に返された。アリスレアは絶世の美少年だったよ。

 城が揺れるから、結構な時間をかけて大階段を降り切る。馬だまりから城門に続く堀にかかっていたはずの橋が、水中から歪な橋桁を晒している。壊れてんじゃん。ワイヤーを直すとか修理とか、そんな簡単な話じゃない。

 城の中から避難してくる人が少しずつ現れる。奥侍従のお仕着せを着た人に誘導されてくる人々は、影の一族だろう。彼らは吊り橋が落ちているのを見ると絶望に打ちひしがれてうずくまった。

 やったのアンタらのお仲間だからな。

 近衛騎士の鎧を着ているのも何人かいて、こっちの騎士を目にした途端、剣を抜いた。うわ、面倒くさい! こっちはハイマンの方に若いのをふたり回しちゃったから、ベテランひとりと中堅ふたりだ。俺はララちゃんを預けたぶん身軽になったけど、戦力にならない。むしろ足手纏いだ。

 実践経験の差で近衛騎士は騎士たちの敵じゃないけど、奥侍従に石を投げられながらは地味にキツそうだ。玉砂利は絶妙に投げやすいサイズなのが駄目だ。

 ふと目が合った。

 ⋯⋯鴉と。

 クカァッ!

 彼(?)が甲高く一鳴きすると、堀の塀や大階段の手摺りにとまっていた鳥たちが一斉に羽ばたいた。羽毛が飛んでギャアギャアバサバサとけたたましい音がすると、影の一族たちは地面に伏して頭を抱えた。鳥の鳴き声に混じって人間の悲鳴が飛び交って、阿鼻叫喚だ。

 わからんでもない。サイズによっては一羽でも怖いのに、ヒッチコックレベルの大群だぜ。

 その中から、ひとりの身なりのいい女性が怯えもせずに、うっすらと微笑みながらこっちに歩いてきた。

 邪気のない何処を見ているのかわからない曖昧な眼差しは、最後に会った時と変わらない。

「あらあら、クシュナのお嫁さん。ひとりでお庭に出ては危ないわ。わたくしとお部屋に帰りましょう」

 少女のようにあどけない表情カオで王太后様は俺に手を伸ばした。

 その手にヌタウナギを巻きつかせて⋯⋯。
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