神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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絶望の行方。

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 ジェムと軍務卿は、剣のつかに手をかけてはいるけど、仕掛ける様子はない。時間稼ぎをしてるんだ。

 夜明けからどのくらい経ったんだろう。鳥の民フィーリアのギジェルは、どの辺りまで進んだんだろうか。銀の君か、姉弟神のうち、誰かにこちらの様子が伝われば勝機はある。

 今この瞬間にも、暗黒神は餌を補給し続けている。たぶん、王都に残ってる人々の不安も。

 城の上空に漂う黒雲って、そこで転がっている近衛騎士から吐き出されたものと同じものだろう? 人々の王族への不満とか、なんとなく殺伐としてる気配とか、人々が漠然と抱えているいろんな不安を暗黒神が引き寄せてる。それが暗黒神が閉じ込められている場所、王城を包んで奴に力を与え続けている。

 そろそろ時間稼ぎも限界だろうか。暗黒神は自分勝手に気持ち悪い自己主張を繰り返し、ゲス乳兄弟は絶望の懺悔を繰り返す。

 なぁゲスさんや、ハイマンや。俺、アンタに同情出来ないわ。同情されるべきは、八歳のクシュナ王子だ。化け物に取り憑かれた挙句、アンタにねじ曲がった教育を施されて、踏んだり蹴ったりだ。

 子どもだったアンタに出来ることは少なかったかもしれないけど、大人になってからも、同じことを繰り返したんだろ?

「ハイマン、アンタはクシュナ王を救いたい?」

 奴は首を縦に振るんだろうな。

 虚をつかれたように俺を見るから、ジェムが身体でその視線を遮った。護ってくれるのは嬉しい。でも、ゲス乳兄弟と話がしたい。

 マントをチョイと引いて合図をすると、振り向いたジェムと目が合う。言いたいことが伝わったようで、すぐに身体を半分ずらしてくれた。⋯⋯半分かよ。

「クシュナ王、このまま消えちゃったら、魂を磨けないんじゃないかな」

 それは、魂の輪廻から外れると言うこと。

 世界を越えて、種族を越えて、アリスレアの魂は百人の意識が順繰りに磨き続けてきた。クシュナ王はそれが途切れてしまう。

「魂の影で眠るのはとても幸せなんだ。ゆらゆらと揺蕩たゆたって、ときどき起きて魂を磨いて、次の生命を見守るんだ。親戚のおっさんみたいな気持ちで、生まれ直した自分を眺めるのって、案外楽しいんだぜ。ときどき自分より前の意識と交流してると、全部見られてた恥ずかしさとか⋯⋯照れ臭くて居た堪れなくて、でも、愛されてんのがわかるんだ。クシュナにはそれを与えないつもり? 永劫、暗黒の中で彷徨わせたいの?」

「知った風なことを」

「知ってるさ。だって俺は九十九番目。アンタが虐げて追い詰めた百番目のアリスレアの、ひとつ前の意識。耐えきれず俺の中に溶けて混ざったあの子を知っている。俺だから⋯⋯俺だけが、言えるのさ。だからな、まだ人間ひととしての意識が残っているかもしれない今、死なせてやろうよ」

 ごめん、ララちゃん。君をお姉ちゃんの元に無事に返すまでは泣かないと決めたのに、涙が溢れて止まらない。

 前世の奥さんに子どもを産んでもらって、今世は神子返りの身体で赤ちゃんを産んで、今この瞬間、たぶん両親を失って孤児になってしまった赤ちゃんを抱いた俺が、ひとの死を願う。まるでそれが慈悲だと言わんばかりに。

「随分と粗野な口のききかたをなさると思ったら、あなた、アリスレア様ではなかったのですか」

「アリスだよ。同じ魂を共有する、どこぞのおっさんの記憶を持ってるけどな」

「魂の影で眠るのは、幸せなのですか?」

「それは保証する」

 全ての意識が癒されるための場所だから。

「⋯⋯では、陛下は、もう怖い夢を見ずとも済むのですか?」

「はじめは見るかもしれないけど、先住意識のみんなが、寄ってたかって慰めて、愛してくれるよ。アンタが虐めたアリスレアだって、七十三番目のねーさんと四十五番目のピーちゃんが、デロッデロに慰めてると思う」

 だから、死なせてやろう。

 俺の口は、残酷な慈悲を説く。

 そのくせ、なんの力も持たない俺は、結局自分の手は汚さずに、ジェムや軍務卿の生命を危険に晒す。

 もう、なんに対する涙なのかわからなくなって、眦を乱暴に手の甲で拭った。ゴシゴシ擦っても、ちっとも止まってくれない。振り向いたジェムが剣のつかから手を離して俺の手首を掴んだ。唇で涙を拭われるのを拒む。暗黒神に背中を向けるなんて自殺行為だ。

『⋯⋯うぬ、贄の絶望が薄まったか?』

 おい、暗黒神。テメェ、今までおとなしくしてたの、ハイマンの絶望を堪能してたからなのかよ。⋯⋯絶望が薄まったってのは、俺との会話に希望を見出したってことなのか?

「軍務卿殿、将軍殿、陛下をお救いください」

 暗黒神から一歩退いて、ハイマンは頭を下げた。今更ながら覚悟を決めた男を、これ以上ゲス呼ばわりするのは気が引ける。過去は変わらないけど、尊厳だけは護ってやりたい。⋯⋯アリスレアに対する仕打ちは、一生許さないけどな。謝罪もされてないけど。

『贄よ、どうしたのだ。良いのか、其方の大事な人間ひとの子の王が、泣いておるぞ』

 クシュナ王の顔で暗黒神が嗤う。ねっとりと気持ちの悪い表情カオで。

「もうチョイ、時間稼ぎしときたかったんだけどなぁ。腹の底から怒りが煮えくり立ってんだよなぁ。堪え性がなくて悪りぃな」

 シュリンと軽やかな音を立てて、遂に軍務卿が剣を抜いた。近衛騎士を伸したときはほとんど拳にモノを言わせていたので、脂汚れの曇りのない綺麗な刃だった。

『面白い、そこな小童こわっぱ。我に歯向かう気か?』

 スゲェな軍務卿みたいなデカブツ相手に小童かよ。さすが神代から生きてるジジィだ。

『妃よ、しばし待て。小蝿を先に叩いてから、昏き褥で心ゆくまで目合まぐわろうぞ』

「絶対、嫌だ。テメェと一回ヤル暇があったら、ジェムと三回スルわ!」

「アリス、覚えていろよ」

 あれ? なんか、掘った?

「はっはっはっ、いいねぇ! さっさと全部終わらせて、俺もレニーにぶち込みに行くか‼︎」

 よくわからんが、軍務卿の謎のヤル気スイッチを押してしまったらしい。レント、逃げて! 超逃げて‼︎

 軍務卿の意気揚々とした雄叫びと同時に、暗黒神の胴体がぬらりと伸びた。にゅる~んとスライドするみたいに雛壇からぬめり降りてくる。変な表現だけど、そうとしか言い表せないぬらぬらっぷりだ。

 一言で言って気持ち悪い。

 見たくなかったけどよく見ると、胴が伸びたんじゃなくて大量のヌタウナギが絡まり合ってクシュナ王の下半身を覆って、半蛇の妖怪みたいな姿になっている。ハイマンが掛けたガウンはどこかに行って、上半身は生白い薄っぺらい身体が露わになっている。

 敵意、不和、支配、恐怖、悔恨、悲嘆、なにより人身御供を好む名前を授けられなかった神は、一気に存在感が増した。

 軍務卿とジェムが一歩前に出ると、残った騎士たちが俺の前で壁になった。

「ジェムたちが!」

「将軍夫人、我々では却って邪魔になります。せめて夫人をお守りすることで、将軍のお力になりたいのです」

 俺の悲鳴のような声に、壮年の騎士が穏やかに言った。

 騎士の壁の隙間から、のたうつヌタウナギが見える。ねちゃねちゃぐちゅぐちゅ音がして、ときどき、びしゃっと粘っこい水分が撒き散らされる音が混じる。

 相手が生物なまもののせいか剣戟は聞こえない。にゅるん、ずりゅん、と手応えのない攻撃ばかりが続いた。

 暗黒神は変わらずニタニタと嗤っている。ヌタウナギで出来た長い胴体は、上半身がどれほど動き回ろうと、尻尾を見せない。どこまで続いているんだろうか。

 ⋯⋯地下の本体に繋がってる?

 なにかが胸に引っかかって、微妙に胸がウズウズする。首を捻っていると、暗黒神に正面から斬りかかった軍務卿が、開け放たれたテラスから押し出された。大階段の最上段で、ヌタウナギが鎌首を上げた。

『虫けらどもが見ておるわ‼︎ なんとも美味な! 我の姿は神々しいであろうの。さぁ、甘美な絶望を我が糧に差し出すが良い‼︎』

 橋が落とされたり、前軍務卿が騎士団を率いて堀を囲ったり、日が昇ってからあらわになった王城の異変は、行き場がなくて息を潜めていた人々の注目を浴びていたのか。王城の門から一直線に伸びる大階段は、堀の外からもよく見える。

 その最上段に、異形の化け物。

 それが神の姿だなんて、誰が思う?

 国の要たる王の住まう城が、化け物に占拠されている。その恐怖が、暗黒神の餌になる。

『フ⋯⋯フハハハハハッ。美味ぞ、堪らなく美味ぞ!』

 ヌタウナギが一気に肥え太った。

 ⋯⋯きっと、堀の向こうでそれを見てしまった人々の恐怖も一緒に。
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