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昏き神の受肉。
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舞踏場の床が軋んだ。気のせいかな、中央のあたりがやや凹んでいるように見える。ときどきゴゴゴっと嫌な音もする。
それにしてもなんで急に、暗黒神は力をつけたんだろう。ユレの百番目の魂の持ち主が生まれてくるのに、タイミングを合わせたとしか思えない。
『まだエレイアの気配は遠い⋯⋯だが肉体の器を可愛がっておれば、直に熟れるであろう。すでに我が眷属一千人、この身の内に取り入れたれば、夜毎日毎に妃の肉体に力を注いでやろうぞ』
謹んでお断り申し上げます。
ないわ~。
肉欲全開じゃねぇか。女口説いたことないのかよ。あぁ、クズ王はなかったな。一方的に自分の意見を押し付けているだけだ。
なんだ、程度の差こそあれ、クズ王も暗黒神も変わらないじゃないか。
ちょっと待て。なんか変なことも言ってたぞ。
眷属一千人? 身の内に取り入れた?
「眷属って、なんだ? 影の一族のことか?」
まさかな。確かに影の一族は、城に一千五百人くらいいるよ。一族同士で婚姻して子孫を増やして代々王家に仕えているから、子どもから年寄りまで数えればそのくらいになる。城に物理的にそれだけの人数が住めるのか謎だけど、徳川幕府の大奥だって、最高で三千人くらいいたらしいから、なくはない。
その彼らを、食べちゃったとか?
精気を取り込むんだから、そこで三十人三十一脚で転がっている近衛騎士みたいになるのかも。
「⋯⋯我らは、昏き神を祀る一族であるのですよ」
ゲス乳兄弟が歌うように言った。
「我らは王族を隠れ蓑に城に住まい、代々、昏き神に供物を捧げてきたのです。ふふふ、王族に頼みにされ、我らがいなければ水の一杯も飲むことが出来ぬよう、何百年もかけてお育て申し上げたのですよ。我らが城に住まい続けるためにね」
初めは普通の奥仕えの一族だったのに、代を重ねて城に住う内に、地下に封印された暗黒神に取り込まれてしまったのだろう。いつごろからか、自分たちを供物に捧げ、暗黒神に力を与え続けてきたってことか。人間ひとりの命は神にとって微々たるものでも、長い時間をかけて大勢の人々を取り込めば、暗黒神も徐々に、そして気付かれずに力を蓄えられる。
生まれたときから、そんなふうに育てられて、多分、疑問を持ったら処分されていくんだ。
とんだカルト宗教だよ。
「わたくしがお育てした陛下は、八歳におなりなってすぐ、昏き神を身に宿されました。⋯⋯ふふふ、お分かりになりませんか? あなたが生まれた年ですよ。あなたさえ生まれねば、わたくしの陛下は昏き神の依代になど選ばれなかったというのに」
コイツ、暗黒神を信仰してないのか? 否定的だな。それに俺が生まれたせいってどういうことだ?
「理不尽な言いがかりだと、お思いですか? 女神エレイアの依代たるシュトレーゼンの嫡子よ。エレイア神を降ろすに足る肉体がこの世に生まれ出でたのを感知して、昏き神はご自身の肉体をお求めになられた⋯⋯女神エレイアの加護を受けた陛下の御身は、受肉の条件を揃えておられたのですよ」
長く暗黒神の重石となっている城で生まれ、女神エレイアの加護の血脈を持ち、善にも悪にも染まり得る柔らかな心を持っている。それが当時八歳だった、世継ぎの王子クシュナ。
女神の加護を持つ血脈を不用意に分散させないよう、王族は増え過ぎないよう婚姻をコントロールされている。他国に比べて極端に少ない王族の中に、条件を満たす存在はたったひとりしかいなかった。
「わたくしの愛しいクシュナ王子は、昏き神を宿されたときから、人間の理を外れて、絶望の深淵を覗き見ておられる。今さら神を引き剥がしたとて、神の力で無理矢理撚り合わせている肉体は、解けて消えるより他はない。故に陛下のお生命を長らえさせるためには、昏き神に供物を⋯⋯贄を捧げ続けるしかないのですよ」
『この贄の絶望は美味である。人間の子の王の意識が日に日に小さく薄まっていくのを見せつけると、重苦しく、冷たく、粘り気を帯びて、極上の供物となるのだよ。妃よ、嫉妬はせずとも良いぞ。所詮は贄だ。我が心を移すことなどないよ』
ゲス乳兄弟の独白めいた語りは痛々しい。でも同情はできない。暗黒神の餌が絶望の感情だというのなら、アリスレアへの虐待めいたアレコレは、それを引き出すためのものだったのだろうから。自分の主人を生かすための餌を、他人に求めちゃ駄目だろう。
それから暗黒神、いちいち気持ち悪い。負の感情が美味いなんて味覚音痴も甚だしいし、妃と連呼するのは止めろ。
「わかり申した。では遠慮はいらぬと仰せでございますな」
ジェムが剣を構えた。
「つまり、王家の直系は既に絶えたってことだろう? なら、いま斬っても結界が壊れるギリギリまで粘ってもおなじってことだ」
軍務卿の言葉に納得する。クズ王はもう死んだものとして扱うってことだ。ただの暗黒神の容れ物だ。
「陛下は、昏き神の裏側で微睡んでおられるだけだ! 昏き神の腹がくちくなれば、目覚めてくださるのだ! 陛下はわたくしがおらねば何もお出来にならぬ、可愛らしいお方だ。お小さいころはお手を繋がねば、怖い夢を見るといって睡眠さえろくにお取りになれなかった! 幼い御身に神を宿す苦痛に耐えた健気なかたを、手にかけると言うか‼︎」
「あのさ、ゲ⋯⋯じゃない、ハイマン」
戦闘の構えを取ったジェムと軍務卿を見て、クズ乳兄弟が激昂した。いつも厭らしい薄笑いで声を荒げることのなかった男が、落ち窪んだ眼窩に嵌る瞳を爛々と輝かせている。
コイツ、ほんとにクズ王が好きなんだな。
でもさ、コイツの大事な可愛いクシュナ王子を、こんな気持ち悪いヌタウナギまみれにしたのは、自分だってわかってるのかな?
「もう遅いよ。あんたさ、クシュナ王の身体を死なせないために暗黒神にせっせと餌を与えて⋯⋯結局、意識を殺しちゃったんだ。あんたの大事なクシュナ王は、いつだってあんたの言うことは『正しい』『すごい』って無条件で肯定してただろう? あんたの大事なひとは、あんたのことただの『贄』なんて言う?」
暗黒神だって、最初から好き勝手に意識を外に出してたわけじゃない。少なくともアリスレアの前では、クズ王本人だった。
タラレバ言ってもどうしようもないけど、ゲス乳兄弟が積極的に餌を与えなかったら、クズ王の寿命が来るまで体内で眠らせておくことができたんじゃないかと思う。
「あんたは最初を間違えた。可愛い、愛しい、そんな優しい心だけ注いでいれば、餌を得られない暗黒神は、クシュナ王の意識を食うだけの力を得られずにいたはずなのに」
アリスレアへの嫉妬心とかも、いいご馳走だったんだろうな。
「そう、遅い。わかっているさ。誰よりも。だからもう、陛下をお護りするには昏き神のお力に縋るしかないのだ!」
クズ乳兄弟⋯⋯ハイマンの絶望が暗黒神を育てる。
名前を与えられなかった神は、恍惚として絶望を啜った。
それにしてもなんで急に、暗黒神は力をつけたんだろう。ユレの百番目の魂の持ち主が生まれてくるのに、タイミングを合わせたとしか思えない。
『まだエレイアの気配は遠い⋯⋯だが肉体の器を可愛がっておれば、直に熟れるであろう。すでに我が眷属一千人、この身の内に取り入れたれば、夜毎日毎に妃の肉体に力を注いでやろうぞ』
謹んでお断り申し上げます。
ないわ~。
肉欲全開じゃねぇか。女口説いたことないのかよ。あぁ、クズ王はなかったな。一方的に自分の意見を押し付けているだけだ。
なんだ、程度の差こそあれ、クズ王も暗黒神も変わらないじゃないか。
ちょっと待て。なんか変なことも言ってたぞ。
眷属一千人? 身の内に取り入れた?
「眷属って、なんだ? 影の一族のことか?」
まさかな。確かに影の一族は、城に一千五百人くらいいるよ。一族同士で婚姻して子孫を増やして代々王家に仕えているから、子どもから年寄りまで数えればそのくらいになる。城に物理的にそれだけの人数が住めるのか謎だけど、徳川幕府の大奥だって、最高で三千人くらいいたらしいから、なくはない。
その彼らを、食べちゃったとか?
精気を取り込むんだから、そこで三十人三十一脚で転がっている近衛騎士みたいになるのかも。
「⋯⋯我らは、昏き神を祀る一族であるのですよ」
ゲス乳兄弟が歌うように言った。
「我らは王族を隠れ蓑に城に住まい、代々、昏き神に供物を捧げてきたのです。ふふふ、王族に頼みにされ、我らがいなければ水の一杯も飲むことが出来ぬよう、何百年もかけてお育て申し上げたのですよ。我らが城に住まい続けるためにね」
初めは普通の奥仕えの一族だったのに、代を重ねて城に住う内に、地下に封印された暗黒神に取り込まれてしまったのだろう。いつごろからか、自分たちを供物に捧げ、暗黒神に力を与え続けてきたってことか。人間ひとりの命は神にとって微々たるものでも、長い時間をかけて大勢の人々を取り込めば、暗黒神も徐々に、そして気付かれずに力を蓄えられる。
生まれたときから、そんなふうに育てられて、多分、疑問を持ったら処分されていくんだ。
とんだカルト宗教だよ。
「わたくしがお育てした陛下は、八歳におなりなってすぐ、昏き神を身に宿されました。⋯⋯ふふふ、お分かりになりませんか? あなたが生まれた年ですよ。あなたさえ生まれねば、わたくしの陛下は昏き神の依代になど選ばれなかったというのに」
コイツ、暗黒神を信仰してないのか? 否定的だな。それに俺が生まれたせいってどういうことだ?
「理不尽な言いがかりだと、お思いですか? 女神エレイアの依代たるシュトレーゼンの嫡子よ。エレイア神を降ろすに足る肉体がこの世に生まれ出でたのを感知して、昏き神はご自身の肉体をお求めになられた⋯⋯女神エレイアの加護を受けた陛下の御身は、受肉の条件を揃えておられたのですよ」
長く暗黒神の重石となっている城で生まれ、女神エレイアの加護の血脈を持ち、善にも悪にも染まり得る柔らかな心を持っている。それが当時八歳だった、世継ぎの王子クシュナ。
女神の加護を持つ血脈を不用意に分散させないよう、王族は増え過ぎないよう婚姻をコントロールされている。他国に比べて極端に少ない王族の中に、条件を満たす存在はたったひとりしかいなかった。
「わたくしの愛しいクシュナ王子は、昏き神を宿されたときから、人間の理を外れて、絶望の深淵を覗き見ておられる。今さら神を引き剥がしたとて、神の力で無理矢理撚り合わせている肉体は、解けて消えるより他はない。故に陛下のお生命を長らえさせるためには、昏き神に供物を⋯⋯贄を捧げ続けるしかないのですよ」
『この贄の絶望は美味である。人間の子の王の意識が日に日に小さく薄まっていくのを見せつけると、重苦しく、冷たく、粘り気を帯びて、極上の供物となるのだよ。妃よ、嫉妬はせずとも良いぞ。所詮は贄だ。我が心を移すことなどないよ』
ゲス乳兄弟の独白めいた語りは痛々しい。でも同情はできない。暗黒神の餌が絶望の感情だというのなら、アリスレアへの虐待めいたアレコレは、それを引き出すためのものだったのだろうから。自分の主人を生かすための餌を、他人に求めちゃ駄目だろう。
それから暗黒神、いちいち気持ち悪い。負の感情が美味いなんて味覚音痴も甚だしいし、妃と連呼するのは止めろ。
「わかり申した。では遠慮はいらぬと仰せでございますな」
ジェムが剣を構えた。
「つまり、王家の直系は既に絶えたってことだろう? なら、いま斬っても結界が壊れるギリギリまで粘ってもおなじってことだ」
軍務卿の言葉に納得する。クズ王はもう死んだものとして扱うってことだ。ただの暗黒神の容れ物だ。
「陛下は、昏き神の裏側で微睡んでおられるだけだ! 昏き神の腹がくちくなれば、目覚めてくださるのだ! 陛下はわたくしがおらねば何もお出来にならぬ、可愛らしいお方だ。お小さいころはお手を繋がねば、怖い夢を見るといって睡眠さえろくにお取りになれなかった! 幼い御身に神を宿す苦痛に耐えた健気なかたを、手にかけると言うか‼︎」
「あのさ、ゲ⋯⋯じゃない、ハイマン」
戦闘の構えを取ったジェムと軍務卿を見て、クズ乳兄弟が激昂した。いつも厭らしい薄笑いで声を荒げることのなかった男が、落ち窪んだ眼窩に嵌る瞳を爛々と輝かせている。
コイツ、ほんとにクズ王が好きなんだな。
でもさ、コイツの大事な可愛いクシュナ王子を、こんな気持ち悪いヌタウナギまみれにしたのは、自分だってわかってるのかな?
「もう遅いよ。あんたさ、クシュナ王の身体を死なせないために暗黒神にせっせと餌を与えて⋯⋯結局、意識を殺しちゃったんだ。あんたの大事なクシュナ王は、いつだってあんたの言うことは『正しい』『すごい』って無条件で肯定してただろう? あんたの大事なひとは、あんたのことただの『贄』なんて言う?」
暗黒神だって、最初から好き勝手に意識を外に出してたわけじゃない。少なくともアリスレアの前では、クズ王本人だった。
タラレバ言ってもどうしようもないけど、ゲス乳兄弟が積極的に餌を与えなかったら、クズ王の寿命が来るまで体内で眠らせておくことができたんじゃないかと思う。
「あんたは最初を間違えた。可愛い、愛しい、そんな優しい心だけ注いでいれば、餌を得られない暗黒神は、クシュナ王の意識を食うだけの力を得られずにいたはずなのに」
アリスレアへの嫉妬心とかも、いいご馳走だったんだろうな。
「そう、遅い。わかっているさ。誰よりも。だからもう、陛下をお護りするには昏き神のお力に縋るしかないのだ!」
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