64 / 95
暗黒神の城。
しおりを挟む
人のフリ見て我がフリ直せ、とは、よく言ったものだ。軍務卿とレントの熱烈な再会に気圧されて、俺はジェムをそっと押しやった。ジェムが軍務卿より前に立っていたら、衆人監視の中で熱い抱擁を交わすのは俺たちだっただろう。
ジェムさんや、不満そうな表情するんじゃない。イェンに中断させられたけど、親子三人水入らずしたんだし、ここは軍務卿に譲ろう。
「おかえり。よかった、怪我もないみたいだ」
「ただいま帰った。父上と母上に帰還の挨拶をする前に、ユーリィの顔が見たい」
「お義母様がリリィナごと連れて行った」
お義母様は初孫にメロメロだった。
ユーリィは来なかったけど、三つ子ちゃんがメイフェア、サルーン、ギジェルの腕にそれぞれ抱っこされて連れてこられた。鳥の民はなし崩しに我が家に滞在している。
メイフェアが軍務卿似の長男君を父親に抱かせた瞬間、笑っちゃうくらい全身で抵抗して泣き出した。
「おいこら、チビ。父上だぞ」
軍務卿がオロオロと覚束なく抱いている。抱き方が下手な上に、知らない大男だもんなぁ。頑張れ、新米父ちゃん。レントが優しく微笑んでいる。イェンよりよっぽど女神みたいだ。
軍務卿一家は家令に任せて、ジェムと連れ立ってお義父様のところへ向かう。挨拶もそこそこにユーリィも一緒に辞すると、義父母は快く見送ってくれた。ただし夕食は共に摂るよう約束させられたけど。
「帰ってきたばかりなのに、汚れてないね」
行軍の名残はどこにもない、髭すら綺麗に剃られている。
「演習場の風呂場を使ってきた。汚れたままではアリスまで汚れてしまうからな。顔を見たら抱きしめずにはいられないだろう?」
⋯⋯真面目に返された。駄目だ。俺の旦那は素で小っ恥ずかしいことを抜かす人だった。
夫婦の部屋の居間でソファーに腰掛けて、俺が屋敷に戻ってからのあれこれを話す。ジェムは王都の上空⋯⋯否、王城の上空に垂れ込める黒雲に不吉を覚えたと言った。それ、王都の誰もが思ってるよ。
「内務卿がお義父様に話してたのを教えてもらったんだけどさ、王城の文官を下がらせたって」
目に見えて空気が澱んできた上、行方不明者がふたり出たらしい。各府の重要書類は各卿の自邸に移動したんだって。財務卿がうちにいるから、財務府の書類をどこに運ぶか聞きに来たんだよ。そのついでに色々話してくれたってわけだ。
「今夜の食事はジェムと軍務卿の慰労を建前にして、宰相と五卿が全員集合するらしいよ」
「そうか。では夕食会はすっぽかすわけにはいかないな」
将軍のジェムはともかく、俺はそんな重要な話を聞く立場にないと思うんだけど、イェンとユレの窓口だからなぁ。マッティとベリー、外務卿の屋敷に帰ったけど、彼と一緒に来るのかなぁ。トーニャは友達になったベリーの出迎えのためとか外務卿に丸め込まれて出かけてるから、そっちは帰ってくるだろうけど。着々と外務卿が外堀埋めてる気がする。
「多分これからの傾向と対策を練るんだと思う」
試験勉強みたいだな。
陽が落ちたころお客様が順次訪問してきて、ユーリィをリリィナに預けた。レントもメイフェアに三つ子ちゃんを預けて食堂にやって来た。寝てるとこを移動させるのも可哀想なので、今夜はそのまま乳母に任せることになった。
ジェムが残念そうにリリィナにユーリィを渡している。抱き方も堂に入ってたな。俺より身体が大きいから安定していて、ユーリィも安心してるみたいだ。
「おやすみ。また明日な」
ユーリィとリリィナを見送って席に着く。食事は和やかに進んで、宰相と内務卿が討伐隊を讃え感謝を述べた。
外務卿は鳥の民のふたりに礼儀正しく話題を振っている。さすが外務官を束ねる外務府の長だな。いつもの人を食ったような笑みも、駄々漏れる色気も封印している。となりの席に座っているトーニャがびっくりしていた。仕事中の男は格好いいんだぜ、と心の中で外務卿を応援しておく。
食事が終わるとトーニャは挨拶をして食堂を下がって、俺たちは小茶話室に移動した。普通の会食なら男性陣には酒と煙草が供されるけど、今日はお茶の支度がされている。真面目な話をするからな。
「アリスレア夫人の帰宅の知らせを受ける二日前、王城の上空から立ち込める黒雲が濃くなったのだよ。聞けばそのころ、イェン神とユレ神が瘴気の出口を消滅させたとか?」
俺が帰宅する二日前ならそうだなぁ。
「出口が減った分、ヌタウナギがこっちに出たのかなぁ」
「ぬたうなぎ?」
「ねちょちねちょした粘液で身体を保護してる、蛇みたいに長くて、蚯蚓みたいにウネウネした生き物です」
あの瘴気が凝ると黒くてねちょちねちょした触手みたいになるんで、つい、知ってる気味の悪い生き物にたとえてしまった。ヌタウナギってこの世界にはいないのな。
「帰還の途中でイェン神が俺の前に降臨した。あの女神さん、マジで気まぐれだな。突然現れて、国境沿いにあちこち瘴気の噴出口がありそうだから、ちょっくら潰してくるって言ってたぜ」
「軍務卿! それは神託ではありませんか⁈」
軍務卿が肩をすくめながら言うと、宰相が真っ青になった。内務卿と宰相は未だ王城に出仕してるらしい。ウネウネを実際に目にして、文官たちを王城から出すことを決定したんだって。
「シュトレーゼン領の湖から汲んだ水に、かなりの聖性があるようです。此度の討伐で瘴気に対して有効な撃退手段となり得ました」
「王城に撒くか?」
ジェムと軍務卿が言う。それも有りだけど、どうやって王城に持ち込む?
「今、王城にいるのは王族と影の一族だけなのだ。あの場所で、普通に呼吸をしているのが不思議だがな。私はあそこに人をやりたくはない。⋯⋯国に命を捧げた騎士とても、あの暗黒に飲まれにいけとは言いたくはないのだ」
内務卿は辛そうだった。若者に無理を言いたくないのかな。
「では、我らに任せてみないか?」
鳥の民のサルーンが口を開いた。
「皮袋に聖水を詰めて、鳥に落とさせよう。暗黒神も嫌がって、外に出て来なくなるのではないかな? イェン神が神剣を鍛えるまでの時間稼ぎ程度にしかならないだろうがな」
サルーンはジェムを真っ直ぐに見た。ジェムが暗黒神を斬りに行くのは、決定事項なのだろうか。
となりに座るジェムの手を取ると、そっと指を絡められた。温もりに安心する。
⋯⋯どうでもいいけど、これ、恋人繋ぎってヤツじゃね?
ジェムさんや、不満そうな表情するんじゃない。イェンに中断させられたけど、親子三人水入らずしたんだし、ここは軍務卿に譲ろう。
「おかえり。よかった、怪我もないみたいだ」
「ただいま帰った。父上と母上に帰還の挨拶をする前に、ユーリィの顔が見たい」
「お義母様がリリィナごと連れて行った」
お義母様は初孫にメロメロだった。
ユーリィは来なかったけど、三つ子ちゃんがメイフェア、サルーン、ギジェルの腕にそれぞれ抱っこされて連れてこられた。鳥の民はなし崩しに我が家に滞在している。
メイフェアが軍務卿似の長男君を父親に抱かせた瞬間、笑っちゃうくらい全身で抵抗して泣き出した。
「おいこら、チビ。父上だぞ」
軍務卿がオロオロと覚束なく抱いている。抱き方が下手な上に、知らない大男だもんなぁ。頑張れ、新米父ちゃん。レントが優しく微笑んでいる。イェンよりよっぽど女神みたいだ。
軍務卿一家は家令に任せて、ジェムと連れ立ってお義父様のところへ向かう。挨拶もそこそこにユーリィも一緒に辞すると、義父母は快く見送ってくれた。ただし夕食は共に摂るよう約束させられたけど。
「帰ってきたばかりなのに、汚れてないね」
行軍の名残はどこにもない、髭すら綺麗に剃られている。
「演習場の風呂場を使ってきた。汚れたままではアリスまで汚れてしまうからな。顔を見たら抱きしめずにはいられないだろう?」
⋯⋯真面目に返された。駄目だ。俺の旦那は素で小っ恥ずかしいことを抜かす人だった。
夫婦の部屋の居間でソファーに腰掛けて、俺が屋敷に戻ってからのあれこれを話す。ジェムは王都の上空⋯⋯否、王城の上空に垂れ込める黒雲に不吉を覚えたと言った。それ、王都の誰もが思ってるよ。
「内務卿がお義父様に話してたのを教えてもらったんだけどさ、王城の文官を下がらせたって」
目に見えて空気が澱んできた上、行方不明者がふたり出たらしい。各府の重要書類は各卿の自邸に移動したんだって。財務卿がうちにいるから、財務府の書類をどこに運ぶか聞きに来たんだよ。そのついでに色々話してくれたってわけだ。
「今夜の食事はジェムと軍務卿の慰労を建前にして、宰相と五卿が全員集合するらしいよ」
「そうか。では夕食会はすっぽかすわけにはいかないな」
将軍のジェムはともかく、俺はそんな重要な話を聞く立場にないと思うんだけど、イェンとユレの窓口だからなぁ。マッティとベリー、外務卿の屋敷に帰ったけど、彼と一緒に来るのかなぁ。トーニャは友達になったベリーの出迎えのためとか外務卿に丸め込まれて出かけてるから、そっちは帰ってくるだろうけど。着々と外務卿が外堀埋めてる気がする。
「多分これからの傾向と対策を練るんだと思う」
試験勉強みたいだな。
陽が落ちたころお客様が順次訪問してきて、ユーリィをリリィナに預けた。レントもメイフェアに三つ子ちゃんを預けて食堂にやって来た。寝てるとこを移動させるのも可哀想なので、今夜はそのまま乳母に任せることになった。
ジェムが残念そうにリリィナにユーリィを渡している。抱き方も堂に入ってたな。俺より身体が大きいから安定していて、ユーリィも安心してるみたいだ。
「おやすみ。また明日な」
ユーリィとリリィナを見送って席に着く。食事は和やかに進んで、宰相と内務卿が討伐隊を讃え感謝を述べた。
外務卿は鳥の民のふたりに礼儀正しく話題を振っている。さすが外務官を束ねる外務府の長だな。いつもの人を食ったような笑みも、駄々漏れる色気も封印している。となりの席に座っているトーニャがびっくりしていた。仕事中の男は格好いいんだぜ、と心の中で外務卿を応援しておく。
食事が終わるとトーニャは挨拶をして食堂を下がって、俺たちは小茶話室に移動した。普通の会食なら男性陣には酒と煙草が供されるけど、今日はお茶の支度がされている。真面目な話をするからな。
「アリスレア夫人の帰宅の知らせを受ける二日前、王城の上空から立ち込める黒雲が濃くなったのだよ。聞けばそのころ、イェン神とユレ神が瘴気の出口を消滅させたとか?」
俺が帰宅する二日前ならそうだなぁ。
「出口が減った分、ヌタウナギがこっちに出たのかなぁ」
「ぬたうなぎ?」
「ねちょちねちょした粘液で身体を保護してる、蛇みたいに長くて、蚯蚓みたいにウネウネした生き物です」
あの瘴気が凝ると黒くてねちょちねちょした触手みたいになるんで、つい、知ってる気味の悪い生き物にたとえてしまった。ヌタウナギってこの世界にはいないのな。
「帰還の途中でイェン神が俺の前に降臨した。あの女神さん、マジで気まぐれだな。突然現れて、国境沿いにあちこち瘴気の噴出口がありそうだから、ちょっくら潰してくるって言ってたぜ」
「軍務卿! それは神託ではありませんか⁈」
軍務卿が肩をすくめながら言うと、宰相が真っ青になった。内務卿と宰相は未だ王城に出仕してるらしい。ウネウネを実際に目にして、文官たちを王城から出すことを決定したんだって。
「シュトレーゼン領の湖から汲んだ水に、かなりの聖性があるようです。此度の討伐で瘴気に対して有効な撃退手段となり得ました」
「王城に撒くか?」
ジェムと軍務卿が言う。それも有りだけど、どうやって王城に持ち込む?
「今、王城にいるのは王族と影の一族だけなのだ。あの場所で、普通に呼吸をしているのが不思議だがな。私はあそこに人をやりたくはない。⋯⋯国に命を捧げた騎士とても、あの暗黒に飲まれにいけとは言いたくはないのだ」
内務卿は辛そうだった。若者に無理を言いたくないのかな。
「では、我らに任せてみないか?」
鳥の民のサルーンが口を開いた。
「皮袋に聖水を詰めて、鳥に落とさせよう。暗黒神も嫌がって、外に出て来なくなるのではないかな? イェン神が神剣を鍛えるまでの時間稼ぎ程度にしかならないだろうがな」
サルーンはジェムを真っ直ぐに見た。ジェムが暗黒神を斬りに行くのは、決定事項なのだろうか。
となりに座るジェムの手を取ると、そっと指を絡められた。温もりに安心する。
⋯⋯どうでもいいけど、これ、恋人繋ぎってヤツじゃね?
102
お気に入りに追加
2,436
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。


美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる