神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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神は気まぐれ。

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 目が覚めたら景色が変わっているのは、どうにかならないものだろうか? 遠くからほえほえ泣く赤ちゃんの声が、次第に合唱になっていくのが聞こえてくる。うーん、連鎖が始まったな。

 魔獣討伐隊は無事に任務を完了して、王都に帰ってくることになった。赤ちゃんを産んだあの日、朦朧としてジェムを見送った後、次に目が覚めたらまたジェムに抱っこされていた。顳顬にキスされながら胸にキスされ⋯⋯って、赤ちゃんがチュウチュウしてた。

「うあっ。俺、ちち出るのか⁈」

 聞いてたけど、マジに出るとは。乳房があるわけじゃないのに全体が張ってる。バストサイズと乳腺の発達って別物だって本当なんだな。

「可愛い⋯⋯」

「そうだな。可愛くて、どうしようもなく愛おしい」

 思わずつぶやいたら、ジェムが肯定してくれた。

「おかえりなさい、ジェム。あれからどのくらい経った?」

 ジェムがこざっぱりしてるから、魔獣討伐が終わったあと、湯を浴びて着替える時間も充分にあったんだろう。汚れた状態で赤ちゃんや俺に近づくなんて、本人もシュリも許さないだろうし。

「まる二日だ。私がここへ戻ってからは一晩たっている」

 一晩⋯⋯。お産の後、そんなに眠るものか? 産んだ直後から意識がない。

 疑問が表情カオに出ていたのか、ジェムが困ったような諦めたような、ため息混じりに説明してくれた。

「ユレ神が産褥の身体を癒してくださったそうだ。⋯⋯その副作用で魔法の眠りに落ちていたと」

 ⋯⋯まだまともにユレと会ってないんだけど、本人に説明しないでイロイロかましてくるあたり、たしかにイェンの弟だな。

「ああ、そうだ。せっかく『おかえり』と言ってくれたのに、『ただいま』と言っていなかった。改めて『ただいま』」

 顎を掬われて唇を喰まれる。啄むように何度も小鳥のキスが落とされてうっとりしていると、赤ちゃんの口が俺の胸から離れた。

 首を支えた縦抱っこで背中を軽く叩いてゲップをさせる。けふっと可愛いゲップが聞こえて、胸がいっぱいになった。

 名前は顔を見てから考えようって決めていた。お義父様やお義母様も、俺たち夫婦で好きに決めていいって言ってたし。

 ジェムは俺に似てると言い張るけど、ジェムにそっくりだと思うぞ。それこそクズ王が自分の子だと言い出す余地はないほどに。これでジェムの子じゃなかったら、この黒い髪はどこからの遺伝だと言うんだ。

 ユレにあやかってユーリィと名付けた。アリスレア先祖せんそさんだし、慈愛の象徴だからな。未来のヴィッツ侯爵様だもん。領民を慈愛で包む優しい領主になってくれって願いも込めた。

 軍務卿が気を利かせてくれたんだろう。こうして親子三人の時間も充分に取れた。ユーリィを俺が抱いて、俺はジェムに抱かれて、ゆったりと時間を過ごす。申し訳ないことに、天幕の外からは帰還の準備で大騒ぎしているのが伝わってくる。本来ならその指示に当たらなきゃいけないひとを、俺は独り占め⋯⋯じゃない、ユーリィとふたり占めしている。

「離れたくはないが、あなたと産まれたばかりのユーリィを、討伐隊と共に帰還させるのは良くない。銀の君に頼もうと思う。屋敷で待っていてくれるか?」

 俺も離れたくないけど、騎士団の行軍に赤ちゃん連れが非常識だって知ってるさ。俺だけでもきっとお荷物なのに。

前世むかしの格言でさ、『家に帰るまでが遠足です』って言葉があるんだよ。目的を果たしたら終りじゃなくて、元気で家に帰ってくるまでが大事だぞってこと。おとなしく待ってるから、怪我とかしないで帰ってこいよ」

 ジェムは俺の言葉を遮るのが得意だ。⋯⋯なので空いた片手で口を押さえながら話すと、指の間をぺろりと舐められた。

 ヤメロ。

「やだわ、わたくしがいるのに銀のに頼むの? そうね、わたくしの可愛いめぐし子たちにも会いたいし、もうひとりの神子返りのところへ行きましょう」

 突然出てきたイェンにおでこをツン、と突かれた。

 んで。

 目が覚めたら侯爵邸のベッドの中だった、と言うわけだ。

 聞こえてくる赤ちゃんの大合唱は、乳母の子どもたちだろうな。ユーリィはどこだ? 場所が侯爵邸なら心配はないはずだけど、産んだばかりの息子の姿が見えないことに、ものすごいストレスを感じる。

 イェンの気まぐれはときに理不尽だ。ジェムと話しの途中だったのに、勝手に攫われたんだよな。もうちょっとジェムを堪能させてくれてもよかったのに。

 ユレのおかげですっかり身体は元気だから、侍従を呼ばずに自分で勝手に起きる。立ち上がってもどこも痛くないし、歩くのもスムーズだ。

 おかしいな、シュリがやってこない⋯⋯まさか置いてけぼりなのか? シュリはただの侍従だ。行軍に着いて来られるわけないだろうに、大丈夫なのか?

 扉を開けると、目と口をOオーにして立っている侍女がいた。ノックをしようとしたっぽい手が、空振りする。

「ひゃあ」

 間抜けな声が出た。

「若奥様ぁ! お目覚めでございますね! アントーニア嬢をお連れいたします!」

 そう言えばこの侍女、お義母様がトーニャにつけた子だった。先触れにでも来てたんだな。バタバタと走って行く。⋯⋯普段は物静かで丁寧な仕事をする子だと思ったんだけど、よっぽど心配をかけていたらしい。

 部屋から出ると入れ違っちゃうな。部屋に戻るか⋯⋯でもユーリィが。

 ほんの少し迷っていると、侍女が閉めていった扉が盛大に押し広げられた。内開きの扉が鼻先を掠め、身の危険を感じる。

「アリス!」

「アリスレア様!」

 お義母様、お胸様!

 飛び込んできたお義母様にボディアタックをかまされて、彼女ごと床に尻餅をついた。顔が豊かなお胸様にめり込む。⋯⋯これは男として喜ぶべきなのか⁈ いや、死ぬから‼︎

「侯爵夫人! アリスレア様が死んじゃいますぅ!」

 トーニャが泣きながら訴えてくれたおかげで、命拾いした。

「アリスレア様!」

 今度はレントが駆け込んできて、俺と顔を合わせるなりヘナヘナとくずおれて涙を流した。お腹がぺったんこだ。自力で歩いてる。「よかった」と繰り返しながら嗚咽を漏らしているけど、それは俺の台詞だ。危なかったって聞いてたから、無事な姿を見てほっとした。

 気づけば部屋の扉の周りは人だかりで、侍女たちが啜り泣き、入って来られないお義父様と家令が人の頭の上から背伸びをして覗き込んでいる。扉が開きっぱなしなせいで、赤ちゃんの大合唱もよく聞こえる。

 ⋯⋯カオスだ。

 てか、ユーリィはどこだ。

「アリスレア様、ご無事でなによりです」

 人波が割れて、メイフェアがやって来た。俺が眠っている間にシュリと入れ違いに王都に戻っていたから、空で気を失って以来だ。メイフェアは赤ちゃんを抱いている。

「ユーリィ!」

 俺の腕に帰ってきた息子はこの騒ぎの中、健やかに眠っている。大物だなぁ。

「お義父様、お義母様、ただいま帰りました。この子はユーリィと名付けました」

「イェン神があなたたちを連れてきて、ブレント卿を癒してくれたのよ。そのあと、嵐のようにユレ神を巻き込んで去って行っちゃったわ。この子の名前を聞く暇もなかったわよ」

 お義母様が泣きながら笑った。

 ユーリィの温もりが嬉しい。俺、おっさんだけどちゃんと『お母さん』になれたんだなぁ。あとは『お父さん』がいてくれたらもっと嬉しいんだけど。

 その日ヴィッツ侯爵家は、小さな跡取り息子を迎え入れたのだった。
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