神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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将軍、終を臨む。

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 脂汗を額に滲ませて、アリスレアは静かに陣痛の波をやり過ごしていた。泣き叫んだりする産婦も多いと言うが、大声を出すと魔獣を寄せる可能性があると伝えられて、必死に堪えている。

 ジェレマイアは自分の腕についた細い指の痕を愛しく思った。彼が必死に取り縋るのは、夫たる自分だ。

「ん~ッ」

 押し殺した声が健気だ。

「順調ですよ」

 医術に長けた妖精エルフは、穏やかに微笑んでいる。これほど苦しげなのに順調とは、世の中の女性はどれだけの想いで子を産むのか。ジェレマイアはアリスレアの額の汗を、そっと拭った。

「そろそろ来ましたよ」 

 緑の君の指示で産夫が体勢を整えるのを手伝うと、一瞬見上げてきた瞳が涙に濡れていた。信頼を込めて当然のように手を伸ばされて、思わず抱き締めそうになって耐える。子が降りてきやすい体勢を取らねばならない。

 二度吸って一度深く吐く、不思議な呼吸を繰り返している。何度か痛みを逃した後、緑の君の「いきんで」という合図でアリスレアが力を込めた。ジェレマイアの衣服を強く強く掴む。

「アリス、アリス。愛してるよ」

 愛の言葉を言わずにはいられなかった。

「んーーーーッ」

 赤子の顔が見えたのは瞬きの間だった。つるりと母親の足の間を抜け出してきた赤子を、首を折らぬように緑の君が受け止めた。

 その直後。

 目が眩む光がぱちぱちと弾けた。

 ほおやぁ⋯⋯。

 光の洪水の中、赤子の産声が高らかに響く。弾ける光は次第に収縮し、こごった塊は人の形を取り始めた。輪郭が定まるころには天幕の中の人々の目も慣れ、そこに佇む御方おんかたの姿を見ることができた。

 ほっそりとした肢体に身の丈よりも長い乳白色の髪、なにより姉神イェンと瓜二つの面貌。

 女神エレイアの末子すえご、双子の弟神ユレは柔らかな微笑みを浮かべて、緑の君から赤子を受け取った。

「僕のめぐし子、祝福を受け取って」

 産褥の汚れも落とさぬままの赤子の額に、そっと口付ける。それからぐったりとした母親と彼を支える父親の元に跪くと、母親の顳顬にも口付けた。

「ありがとう、百番目の僕の器に宿る、九十九番目の僕。君の心はとても優しくて、僕は愛されて生まれ直すことができた。疲れたろう⋯⋯ゆっくりおやすみ」

 その表情カオは姉神の溌剌さは薄いが、ただ慈愛に満ちている。

「愛し子の父よ。姉様あねさまの下へ行く前に、抱いてやるがよいよ」

 躊躇うジェレマイアの腕に赤子を抱かせると、彼の眦から涙が溢れた。ユレはそれを見て微笑んだ。

「君は夫として父として、この場に帰ってこなければならない。子はすぐに重くなるよ。今、君の腕にある重さを忘れては駄目だ。死なない覚悟はできたかい?」

「ありがとうございます、ユレ神。姉神あねがみ様の下へ参ります」

 ユレとジェレマイアのやり取りに、呆然としていた侍従のシュリが、我に返って手早くたらいに湯を張って運び込んだ。『はじまりの湖』で汲んだ水を沸かした産湯は、アリスレアの子を清めるのに相応しい。

「若様」

 シュリは妻と息子を抱いて涙を流す主人あるじを促して、赤子を清めるために預かった。

 綺麗になった赤子は冷えないように包まれて、ジェレマイアの元に返される。

「アリス、ありがとう。あなたに似て可愛い子だ。帰ってきたら、ふたりで名前を考えよう」

 うっすらと目を開けたアリスレアが小さく頷いた。とろとろと目蓋が落ちて、意識があるかは怪しかった。

「愛してるよ」

 アリスレアの胸に赤子を乗せて、唇を重ねる。それから赤子の額にキスをした。

「では、行ってくる」

 返事はなかった。ジェレマイアは後ろ髪を引かれる思いで立ち上がる。

 天幕の外には、軍務卿はいなかった。既に空堀を超えて黒い森に入っていったと、残っていた連絡係に告げられて、ジェレマイアは素早く武装を整えた。

「姉様が呼んでる」

 ユレは唐突に姿を消した。

「では、我らも行くぞ」

「お頼み申す」

 待ち構えていた銀の君と短いやり取りの後、瞬きの間にジェレマイアの視界は切り替わった。気づけば身体が吹き飛ばされて、もんどりうつ。なにが起こったかと視線を巡らせると、洞窟の前で麗しい神の姉弟がきつく抱きしめあっているのが見えた。

 圧倒的な力と光の奔流。

 二柱の神は半身を得て、数百年ぶりにその力を解き放とうとしている。

 繋いだ手を洞窟にかざす。

 なんの前触れもなかった。

 本能的にジェレマイアは顔を伏せて目をきつく閉じた。

 一瞬の熱と。

 瞳を閉じてなお、眩しい光の刃と。

 ジュッと何かが蒸発する音がした気がする。

 数瞬待って、ジェレマイアは目を開けた。変わらぬ背丈の双子神の後ろ姿の向こうに、そこにあった洞窟はなかった。

 ⋯⋯小山ごと。

 双子神は暗黒神が這い出していたという陣を、洞窟どころか一帯の土地ごと消失させたのだ。

 黒い森の樹々から鳥が一斉に羽ばたき、夜行性のはずの狼がそこかしこで遠吠えをあげる。身を隠していた魔獣が制御を失って暴れ狂いはじめて、ジェレマイアは我に返って剣を抜いた。

「ジェレマイア、久しぶりすぎて調整が出来ないわ。これ以上の手出しは森をまるごと消しちゃいそうよ。三つ子の父親ももうすぐここに辿り着くから、あとは人間ひとの手に任せていいかしら?」

 姉神があっけらかんと言った。

「危なくなったら呼んで。姉様とアリスの元にいるよ」

 かつて人間ひとの男の妻であった弟神は柔らかく微笑んで、姉の手を引いて消えた。

 ジェレマイアはぐるりとその場を見回すと、イェンのそばに侍っていたブラウン他の姿を見つけた。

「魔獣を殲滅する! これが最後だ‼︎」

 ジェレマイアの一喝に、神の御業みわざに呆然としていた騎士たちは奮い立った。暴れる魔獣の前で呆けているのは生命に関わる。

 彼らの身体はあっという間に赤黒い返り血に塗れた。
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