神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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安息の場所。

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 揺れる。

 ゆらゆら?

 ふわふわ?

 あったかい⋯⋯。

 大きな手のひらが、お腹を撫でてる。あ、赤ちゃんが蹴っ飛ばした。お腹がぐりゅんってした。

「アリス、今日もお腹の子は元気だ。あなたの元気な声も、聞かせてほしい」

 柔らかな声が耳に流し込まれる。ジェムの声だ。うっとりと微睡みから浮上していく。

「悪いな。交代の時間だから行ってくる」

 行ったらヤダ。

 まだジェムの顔、見ていない。

 お腹を撫でる手に俺のそれを重ねた。

「アリス?」

「ジェム⋯⋯」

「アリス!」

「ひゃいッ!」

 ぱかっと目が開いた。びっくりした、俺の声でけぇよ。赤ちゃんもびっくりするだろ⁉︎

 って、俺。自分の寝言に驚いて目を覚ますとか、どんな夢見てるんだよ。内容は覚えてないけどジェムの声がした。じゃあ、幸せな夢だったんだな。もう一度眠ったら、声だけじゃなくて顔も見ることができるかな。

 とろりと瞼が落ちてくる。

「アリス、また眠るのか? ⋯⋯いいよ、身体が欲しがるだけ眠って」

 声が甘い。

「おやすみ」

 チュッて小鳥が囀るような音がして、キスされた。⋯⋯っ?

「夢じゃない⁈」

 ゴツッて音がした! デコ痛い!

「っつ⋯⋯アリスらしいが、これはないだろう」

 目の前に目尻を下げてクスクス笑うジェムがいた。俺のおでこに指を這わせて、ジンジンする場所を優しくさする。赤くなってるな、なんて甘い声で囁いてるけど、あんたのおでこも赤いよ。

「空飛んでて、気を失っちゃったのか」

 そんで目覚めたらジェムがいる。感動的な再会を、自分でぶち壊してしまった。よりによって頭突きかよ。ロマンチックを期待したわけじゃないけど、あんまりだと思う。

「よかった、赤子に大事たいじなく、眠っているだけだと言われても、とても心配した」

 顳顬に眦に頬に、繰り返される小鳥のキス。そんな熱い声で言われるって、どれだけ眠ってたんだ? 確かメイフェアが呼んだサルーンとギジェルと空を飛んでたんだ。めっちゃ寒くて、安全ベルトが苦しくて、お腹が張ってカチコチだった。

 柔らかくて温かいお腹を撫でると、中からポコっと挨拶された。夢だったのか? ⋯⋯そんなわけない。

「なにがどうなってるんだ? 討伐っていつ終わったの?」

 まず、ここはどこだろう。天井がめちゃくちゃ低い。ベッドが高いのか?

 起きあがろうとして出来なかった。

「駄目だ。横になったままでいて。シュリ、緑の君を呼んできてくれ」

「かしこまりました」

 シュリいるの? 侯爵邸に帰ってきたのか⋯⋯。屋敷にこんな天井の低いゲルみたいな狭い部屋、あったっけ? シュトレーゼンに帰ったときに使った天幕みたいなんだけど。

「って、ここ、天幕じゃん」

「そうだ。ここは魔獣討伐隊の天幕だ」

「は?」

 メイフェアたち、ジェムのところに連れてきたのか? 邪魔じゃね?

 なにがどうなっているのかさっぱりだ。茫然としながらひとまずジェムに手を伸ばす。伸ばした手がホネホネだった。なんでこんなに痩せてるんだ?

「なぁジェム。俺、なんでこんなに痩せてるの? 身体が異常に重いし、怠いんだけど」

 骨皮筋右衛門ホネカワスジエモンなんだよ。一晩で一体、なにがあったんだか。お腹も急に大きくなった気がするし、ジェムは赤ちゃんは無事だって言うから問題ないのか?

「なんでもいいや。とりあえずジェムを堪能させて」

 抱き起こされて全ての体重をジェムに預ける。自力で座れない。お腹の重さで腰が痛い。

 ジェムの体温を感じると、唐突に涙が出てきた。

「本物のジェムだ」

 ヤベ、止まんない。後から後から涙が流れて、しゃくりあげるとお腹が揺れた。

「ごめん、俺。この子とレント、天秤にかけた。どっちも救いたくて、この子を危険な目に合わせたんだ」

「アリス、よく頑張った。無事に私の元に来てくれた、それだけでいい」

 暗黒神がクズ王に寄生してる今、クズ王を弑することは覆せない。そんなとき、俺たちの結束が弛むことがあってはならない。だから、あのときレントの無事を優先したのは、間違いじゃなかった。それを抜きにしても、アリスレアを三年の間支えてくれた優しい財務卿を見殺しにするなんて出来なかった。

 どっちも選べずに、ただ、お腹の子を危険に晒しただけだったんじゃないか。そんな後悔が胸に渦巻いている。

「でも、信じて。この子を、ジェムの子を愛してるんだ。絶対元気に産むって⋯⋯って」

「アリス!」

 俺の声はジェムの口の中に飲み込まれた。驚きに目を見開いたけど、近すぎてジェムの顔は見えなかった。わけがわからなくて今度はキツく目を閉じる。それを合図にしたように、ジェムの舌が硬く結んだ唇をノックして誘う。

「ん⋯⋯」

 息継ぎのためにわずかに弛んだ隙間から、遠慮を知らない舌が滑り込んできて、優しく俺の舌をくすぐった。官能を引き出すような舐り方じゃない、優しく柔く労るようなキスだ。

 唾液を送り込まれて飲み込むと、唇が離れた。寂しく思う間も無く宥めるように、頬も眦も溢れる涙を拭われる。そしてまた、唇に帰ってくる。

 頭が真っ白になる程キスを繰り返してようやく唇が離れると、ジェムは俺の身体を抱き寄せた。体格差がありすぎて、すっぽりと腕の中に収まってしまう。

「メイフェア殿に聞いた。素晴らしかった、アリス。侯爵家の妻として、最善だった」

 たとえそれが子を危険に晒す行為だとしても。

「父上が、そうしてくれと言ったのだろう?」

「お義父様は何も言わなかったよ」

「だが、あなたを引き止めなかった。それが答えだ」

 ジェムは俺の決意を肯定してくれる。

「大丈夫だ。あなたは赤子を立派に護ってくれた。王城を抜け出さなかったら、どうなっていたかわからない」

 全部メイフェアに聞いたんだな。この口調だとゲスクズが今、どんなになってるかも知ってるようだ。

「十日前だ。⋯⋯あなたが王城から逃げ出したのは」

「は?」

 十日⋯⋯って一から数えて九の次の?

 まさか俺、それから今まで眠ってた?

 そりゃジェムが心配するよ!

「それだけ心配すれば、熱烈な口付けをしたくなる気持ちはわかるよね」

 誰⋯⋯ッ⁈

「緑の君!」

 そう言えばさっきジェムが、シュリに緑の君を呼ぶように言ってたな! てか、そもそもなんでシュリが討伐隊の天幕にいるの⁈

 麗しい妖精エルフの君は、ゆったりと微笑んで言った。

「孫が大切にされているのを見るのは、いささか面映おもはゆいね」

 ⋯⋯いつから見てた?

 駄目だ、恥ずかしすぎて気を失いそうだ。一瞬気が遠くなったけど、ジェムが気遣うように顳顬にキスをくれた⋯⋯いや、だからそれを見られるのが恥ずかしいんだって。

 ジェムの腕の中で安心した俺は、どうでもいいことに頭を悩ませることがとても幸せなのだと知った。
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