神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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逃走の支度。

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「三日と言わず、今すぐ脱出しましょう」

 メイフェアが青い顔で言った。大賛成だ。状況が変わった気がする。暗黒神が仮初とは言え、受肉してる。なんとかイェンに連絡しなくちゃ。

 こっちから会いに行けないのは厳しい。呼んでも呼んでも来やしないのは、何かあったからだろうか? 

「陛下がアリスレア夫人を求めたのは、御身おんみに神の気配を感じたからなのでしょうか?」

「それ、あるかも」

 三年前⋯⋯もう四年近いけど、思えばクズ王がアリスレアを求めたのは唐突だった。アリスレアは可憐で美しい少年だったけど、肉欲を覚えるにはいささか色気に欠けた。まぁ、変態の心理はわからんから、最初からクズ王がロリショタ趣味だった可能性もあるけど。

 それに孕み胎を持つ神子返りだなんてこと、外から見ただけじゃ確信が持てないだろ?

 それなのに教会を敵に回し、国を支える高位貴族を敵に回すなんて、頭がおかしい。

 暗黒神がユレの気配を察して、母神エレイアとの僅かな縁に懸けて、クズ王の身体を使ってアリスレアを手に入れたと言うんだろうか。

「いつからだろう?」

「過去のことは考えても詮ないです。昏き神がこれ以上力をつけないようにしなければ」

「供物を与えないようにすればいいのかな?」

 空腹になったらイライラするタイプだったらどうしよう。て言うか、供物ってなんだ? 疑問しか湧かない。

「⋯⋯最悪、クズ王ごと斬らなきゃならないかもな」

 神剣が必要だなぁ。

 それを振るえる剣士も。

 どうしよう、ジェムは本当に神殺しをしなきゃならないようだ。

「陛下をしいするのであれば、国民を味方につけておかねばなりません。民にとっては陛下は女神の加護を担う尊き御方おんかたです。災厄に備えるようイェン神のご神託があったとは言え、国が興ってより数百年間も信じてきた王家を、すぐに捨て去ることは難しいのです」

 そりゃそうだ。

「私たちがここで悩んでいてもどうにもなりません。まずは脱出しましょう」

 メイフェアは吹っ切れたように姿勢を正した。開き直ったんだろうか。確かにふたりでゴチャゴチャ言ってても、何も進まない。俺たちが得た情報を宰相と五卿に伝えて、対策を練らなきゃなんない。

「メイフェアは逃げ出す算段がつけられるの?」

 アリスレアは籠の鳥だったので、城内はともかく城から一歩出たら馬車に乗らないと目的地にたどり着けない。おっさん、別に方向音痴じゃないんだけど、歩かせてもらってないからな。

「途中までは、隠し通路で参りましょう」

「そんなのあるの?」

「緊急避難用の通路です。他国に侵略されたり反乱が起こったときに、王族が避難するのに使用します」

 王妃だったのに教えてもらってないってどう言うことだ? 俺が怪訝な表情カオをしていたら、メイフェアは困ったように眉を下げた。

「王太后様もご存知ありません。先王陛下は王太后様が逃げ出すのを殊の外恐れておいででしたので」

 なるほど。でもなにかあったら逃さなきゃいけないから、護衛には教えていたのか。前の王様のヤンデレ具合、ブレないな! アリスレアに教えてなったのは、単にゲス乳兄弟の嫌がらせだろうな。

「わかった、脱出経路は任せていい? 素人だしこのお腹だから、俺が勝手なことやらかすとろくなことにならないしね」

「助かります。張り切って計画外の動きをされるのは、非常に困りますもの」

 過去になんかあったな。偉い人の護衛中、我儘放題で手を焼いたとかかな?

「侯爵邸にそのまま向かうと、追っ手が差し向けられたときにブレント様が危険です。申し訳ありませんが、反対の方向に逃げますが、よろしいですか?」

「任せるって言ったでしょ。会ったばかりだけど、メイフェアのこと、信じてる。あの真っ直ぐな眼差しのお兄ちゃんを育てたお母さんだもの、信じられるよ。あの子たちの名前、教えてくれる?」

 子どもたちの顔を一刻も早く見たいに違いないのに、俺やレントを優先してくれる。あの子のひねたところのない真っ直ぐな眼差しは、お母さんを映す鏡だと思う。

「上の子がナルージャ、下の子がメイルーと言います。あの子たちに誓って、あなた様を無事にお逃しします」

「生命とかかけちゃダメだよ! 鳥の民フィーリアがどうとかじゃなくて、俺にナルージャ君たちからお母さんを奪わせないで」

「⋯⋯かしこまりました」

 騎士の礼がとても優雅だ。まるでカーテシーを見せられたような美しい所作に、体幹の強さを見た。

「よし、本題に入ろう。具体的にはどうするの?」

 とにかく思い立ったばかりだから、準備にかける時間もなけりゃ、安全の確認も難しい。メイフェアの計画をよく聞いて、脳内シュミレーションでイメトレしとかないとな。

「夜は危険です。朝を待ちましょう。夜明けに使用人が起き出すころなら、人のさざめきに紛れることもできましょう」

 程よく暗くて静かすぎない明け方を狙うのか。

「なぁメイフェア。侯爵邸になにか連絡する手段ってある?」

 勝手に逃げて行方不明になるわけにはいかないな。無理かもしれないけど一応聞いてみると、メイフェアがにっこり笑った。

「お任せください」

 傾いた西日が差し込む窓を開けて、メイフェアが歌った。深く震える声音で短いフレーズを歌いきると、鳩が三羽飛んできた。

「この辺りにいる鳩で訓練されていませんから、あちらからの返信は期待できませんが、片道なら言い聞かせることができます。お手紙を小さな紙に書いてください。日が暮れると飛べませんからお急ぎください」

 紙片に暗黒神のことと逃走することをチマチマと書く。メイフェアが懐から取り出した小さな筒にそれを入れて、鳩の細い足に括り付けた。

「手紙は一通でいいの?」

「はい。侯爵邸には一羽だけ。残りの二羽は鳥の民フィーリアに伝言をします」

 手紙じゃなくても通じるのか。すごいな、鳥の民フィーリア

 鳩を送り出すと、後は明日に備えてゆっくり眠っておかなきゃならない。無理は禁物だからな。

「その前に、逃走用のお召し物を探しましょう。お身体を冷やしてはなりませんから、なにか温かいお召し物があるといいのですが」

 ⋯⋯。

 王妃の間にあるのは壊滅的な美的センスの持ち主が用意した、どう頑張ってもお洒落に着こなすことができないドレスしかないんだけど⋯⋯。

 衣装部屋を開けたらメイフェアが絶句した。

「言っておくけど俺の趣味じゃないからな」

 名誉に関わるのでそこはきちんと言っておかねばならない。

「⋯⋯⋯⋯。お足元が危ないのでお召し物は今のままで、外套だけ拝借しましょう」

 すげー言葉を探したな。そんでスルーしたな。

 アリスレアはほとんど外出しなかったので、一度も袖を通したことのない強烈な豹柄のコートを発見した。なんの毛だかわからないけど真っ白で埋もれそうなほどモッフモフのコートは、温かそうだったけどとても目立ちそうだった。どっちもどっちだけど強いて選べば保護色っぽい豹柄か?

「諦めよう」

 もう開き直るしかない。豹柄であって豹顔柄じゃなくて良かったと思おう。

 そして翌朝、柄に妥協してでも温かい外套が必要だった理由を知った。上空数十メートルでガタガタ震えているからである。

 逞しい鳥の民フィーリアの男性に抱えられて、空から脱出したのだった。妊夫に空中アクティビティは危険だと思う⋯⋯。
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