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決意のとき。
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いつまでもティシューの不在が隠しておけるはずもなく、レントに隠さずに伝えることになった。ショックを受けて倒れたらどうしようと思っていたけど、さすがに国の金を動かす男だ。
「ご医師殿はご無事ですか?」
大きく深呼吸をしたレントが最初に尋ねてきたのは、ティシューの安否だった。
「最悪、子どもたちさえ無事なら良いのです。ご医師殿の身に危険がないよう、お願い申し上げます」
侯爵家が招いた医師が連れて行かれてしまったので、お義父様がレントに説明した。寝椅子から起き上がって挨拶しようとしたレントを押し留めると、決意した眼差しでお義父様に懇願した。
「軍務卿の隠居した先代と、君の叔母上の嫁ぎ先の伯爵家から、陛下に抗議をしてもらおう。レティシア医師を連れ去ったのが我が侯爵家に対する嫌がらせであるのなら、公爵家から抗議をしても意味がない」
お義父様の声は怒りを孕んでいた。侯爵家は上位貴族の中でも一番の高位である。そりゃ怒るな。それを虚仮にされたんだから。女神の加護を受けた約束の血脈の上に胡座をかいて、なんて稚拙で愚かな王なんだよ。
それから半月、事態は動かないまま時間だけがすぎていった。その間も俺たちのお腹はどんどん大きくなって、レントはトイレすら自分で行けなくなった。もう限界だ。
神殿と教会に頼んで腕のいい産婆さんを追加で探してもらう。⋯⋯名のある医者はどこで王家と繋がっているか分からない。
レントは気丈にしてるけど、お昼寝してるときに様子を見に行ったら、寝ながら泣いてた。軍務卿の名前を呼んで。
そうだよなぁ。旦那さんもいなくて、侯爵家で、頼みにする医者もいなくて。
シュリに頼んでレントについていてもらう。シュリは俺から離れることを躊躇ったけど、一番信頼してるから、レントの側にいて欲しいってお願いした。俺にはトーニャとリリィナがいる。
そんな俺たちを嘲笑うかのように、王城から使者がやってきた。俺は護衛のアーシーを連れて、応接室の隣の簡易キッチンに隠れて聞き耳を立てることにした。
影の一族のお仕着せを身につけた高慢ちきな態度の男は、しゃあしゃあと言ってのける。
「女医殿は王太后殿下の気鬱の病を診ておられますが、我が陛下はご自身の典医を殿下に遣わしても良いと仰せになられております」
それをわざわざ侯爵家に伝えるのは、陸でもない交換条件があるんだろう。
「王妃様に城にお戻りいただきたく存じます」
やっぱりな。王妃様⋯⋯俺だよな。
使者を迎えていたお義父様は、すぐに断ることができなかった。レントが本当に限界だから。ジェムに似た精悍な面貌が、苦渋に歪む。ギリギリと奥歯が軋む音が聞こえてきそうなほど、強く噛み締めている。
使者は望洋とした眼差しで、獰猛な熊のようなお義父様の威嚇を受け流している。これはこれでスゲェな。
「よい返事をいただけると嬉しいのですが」
使者は薄く笑った。
断ったらティシューも危なそうだ。レントの生命が保つギリギリを狙ったんだろう。これ以上は、ふたりの生命が消えてしまうかもしれない。
レントの叔母上の嘆きが、彼の状態を敵さんに感づかせてしまったんだろうな。抗議が懇願になっちゃったってのは、なんとなく聞いてた。⋯⋯政治に関与してないご婦人だから仕方ない。
しょうがねぇな。
俺にはまだ、一ヶ月ほど余裕がある。
ジェム、俺に勇気をくれよ。
こら、坊主。そんな抗議するみたいに、ポコポコ蹴っ飛ばしてくるんじゃねぇ。
「大丈夫、絶対にお前の父ちゃんに会わせてやるからな」
お腹を撫でながら話しかける。中からチュパチュパと弾けるような音がした。赤ちゃんがおしゃぶりの練習をしている音だって聞いたことがある。
幸せの音だ。
「お義父様」
決意が鈍らないうちに声をかける。簡易キッチンから姿を現した俺を見て、お義父様は眉を顰めた。
「アリス、部屋に戻っていなさい」
気遣わしげに言ってくれるのを、笑顔で制する。
お義父様は本当はわかっている。
「わたくし、ヴィッツ侯爵継嗣の夫人として参ります。それだけは、決して譲りません」
「⋯⋯」
ほら、反対しない。できない。ここで断ると言うことは、レントの生命を諦めるということだ。それは軍務卿と財務卿を輩出した、優秀なふたつの貴族家を切り捨てるということ。ヴィッツ侯爵家がそれをしては、王家に反旗を翻そうとしている今、団結が揺らぐ。
使者は満足そうに笑った。にちゃにちゃと粘っこい笑みだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。ゲスクズからの使者だと思うと、それだけで腹立たしい。
「王城の入り口で、わたくしを送っていく侯爵家の馬車に、レティシア医師をお乗せください。馬車が走り出したのを目にするまで、城には入りません」
まるで人質交換だ。
俺が行くまでティシューを返す気はさらさら無いんだろうし、行っても約束を反古にされちゃたまらないからな。
「あなたは本当に王妃様ですか?」
こいつ、アリスレアを知ってるのか? 影の一族は奥宮を取り仕切ってるから、一方的にアリスを見知っている可能性はあるけど。
「違います。ヴィッツ侯爵継嗣の夫人と申しましたが、その耳は飾りですか?」
怒るなら、怒れ。
⋯⋯ちぇ、怒らないのかよ。冷静さを欠いて、なにかボロを出したらいいなぁとか思ったけど、スルーされた。
「産み月を過ぎておられますが、まだ孕んでおられるのですね。神仙の孕みは三年と申します。正しく、神の子を宿しておられるのですね。そして神の子の肉の父は我が陛下。なんという僥倖!」
なるほど、クズ王が思うところの臨月をとっくに過ぎているのに産まれていないのを、神様補正で修正してきやがった。この調子だと、クズ王も調子良くおんなじこと思ってそうだな。
気持ち悪いこと言ってんじゃねぇ。俺の子の父親は、ジェムだけだ!
「ご医師殿はご無事ですか?」
大きく深呼吸をしたレントが最初に尋ねてきたのは、ティシューの安否だった。
「最悪、子どもたちさえ無事なら良いのです。ご医師殿の身に危険がないよう、お願い申し上げます」
侯爵家が招いた医師が連れて行かれてしまったので、お義父様がレントに説明した。寝椅子から起き上がって挨拶しようとしたレントを押し留めると、決意した眼差しでお義父様に懇願した。
「軍務卿の隠居した先代と、君の叔母上の嫁ぎ先の伯爵家から、陛下に抗議をしてもらおう。レティシア医師を連れ去ったのが我が侯爵家に対する嫌がらせであるのなら、公爵家から抗議をしても意味がない」
お義父様の声は怒りを孕んでいた。侯爵家は上位貴族の中でも一番の高位である。そりゃ怒るな。それを虚仮にされたんだから。女神の加護を受けた約束の血脈の上に胡座をかいて、なんて稚拙で愚かな王なんだよ。
それから半月、事態は動かないまま時間だけがすぎていった。その間も俺たちのお腹はどんどん大きくなって、レントはトイレすら自分で行けなくなった。もう限界だ。
神殿と教会に頼んで腕のいい産婆さんを追加で探してもらう。⋯⋯名のある医者はどこで王家と繋がっているか分からない。
レントは気丈にしてるけど、お昼寝してるときに様子を見に行ったら、寝ながら泣いてた。軍務卿の名前を呼んで。
そうだよなぁ。旦那さんもいなくて、侯爵家で、頼みにする医者もいなくて。
シュリに頼んでレントについていてもらう。シュリは俺から離れることを躊躇ったけど、一番信頼してるから、レントの側にいて欲しいってお願いした。俺にはトーニャとリリィナがいる。
そんな俺たちを嘲笑うかのように、王城から使者がやってきた。俺は護衛のアーシーを連れて、応接室の隣の簡易キッチンに隠れて聞き耳を立てることにした。
影の一族のお仕着せを身につけた高慢ちきな態度の男は、しゃあしゃあと言ってのける。
「女医殿は王太后殿下の気鬱の病を診ておられますが、我が陛下はご自身の典医を殿下に遣わしても良いと仰せになられております」
それをわざわざ侯爵家に伝えるのは、陸でもない交換条件があるんだろう。
「王妃様に城にお戻りいただきたく存じます」
やっぱりな。王妃様⋯⋯俺だよな。
使者を迎えていたお義父様は、すぐに断ることができなかった。レントが本当に限界だから。ジェムに似た精悍な面貌が、苦渋に歪む。ギリギリと奥歯が軋む音が聞こえてきそうなほど、強く噛み締めている。
使者は望洋とした眼差しで、獰猛な熊のようなお義父様の威嚇を受け流している。これはこれでスゲェな。
「よい返事をいただけると嬉しいのですが」
使者は薄く笑った。
断ったらティシューも危なそうだ。レントの生命が保つギリギリを狙ったんだろう。これ以上は、ふたりの生命が消えてしまうかもしれない。
レントの叔母上の嘆きが、彼の状態を敵さんに感づかせてしまったんだろうな。抗議が懇願になっちゃったってのは、なんとなく聞いてた。⋯⋯政治に関与してないご婦人だから仕方ない。
しょうがねぇな。
俺にはまだ、一ヶ月ほど余裕がある。
ジェム、俺に勇気をくれよ。
こら、坊主。そんな抗議するみたいに、ポコポコ蹴っ飛ばしてくるんじゃねぇ。
「大丈夫、絶対にお前の父ちゃんに会わせてやるからな」
お腹を撫でながら話しかける。中からチュパチュパと弾けるような音がした。赤ちゃんがおしゃぶりの練習をしている音だって聞いたことがある。
幸せの音だ。
「お義父様」
決意が鈍らないうちに声をかける。簡易キッチンから姿を現した俺を見て、お義父様は眉を顰めた。
「アリス、部屋に戻っていなさい」
気遣わしげに言ってくれるのを、笑顔で制する。
お義父様は本当はわかっている。
「わたくし、ヴィッツ侯爵継嗣の夫人として参ります。それだけは、決して譲りません」
「⋯⋯」
ほら、反対しない。できない。ここで断ると言うことは、レントの生命を諦めるということだ。それは軍務卿と財務卿を輩出した、優秀なふたつの貴族家を切り捨てるということ。ヴィッツ侯爵家がそれをしては、王家に反旗を翻そうとしている今、団結が揺らぐ。
使者は満足そうに笑った。にちゃにちゃと粘っこい笑みだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。ゲスクズからの使者だと思うと、それだけで腹立たしい。
「王城の入り口で、わたくしを送っていく侯爵家の馬車に、レティシア医師をお乗せください。馬車が走り出したのを目にするまで、城には入りません」
まるで人質交換だ。
俺が行くまでティシューを返す気はさらさら無いんだろうし、行っても約束を反古にされちゃたまらないからな。
「あなたは本当に王妃様ですか?」
こいつ、アリスレアを知ってるのか? 影の一族は奥宮を取り仕切ってるから、一方的にアリスを見知っている可能性はあるけど。
「違います。ヴィッツ侯爵継嗣の夫人と申しましたが、その耳は飾りですか?」
怒るなら、怒れ。
⋯⋯ちぇ、怒らないのかよ。冷静さを欠いて、なにかボロを出したらいいなぁとか思ったけど、スルーされた。
「産み月を過ぎておられますが、まだ孕んでおられるのですね。神仙の孕みは三年と申します。正しく、神の子を宿しておられるのですね。そして神の子の肉の父は我が陛下。なんという僥倖!」
なるほど、クズ王が思うところの臨月をとっくに過ぎているのに産まれていないのを、神様補正で修正してきやがった。この調子だと、クズ王も調子良くおんなじこと思ってそうだな。
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