神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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状況確認。

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 侯爵邸は俄かに騒然となった。帰ってきた馬車は破損していて、馭者が傷を負っていたからだ。護衛がひとり馬を走らせて知らせを持ってきていたので、待ち構えていた門番はすぐに家令に報告して、待機していた従僕たちが馭者を馭者台から下ろしたり、恐ろしい思いをした乳母たちを迎え入れたりした。

 シュリが止めるのも聞かずに玄関で待っていた俺は、真っ青な顔色で入ってきたトーニャに飛びついた。腕の中の赤ちゃんごと抱きしめる。

「トーニャ、トーニャ、無事でよかった!」

 俺の大きな声に驚いた赤ちゃんがほえほえ泣いた。それと一緒に子どものすすり泣きもする。トーニャのドレスのスカートをぎゅっと握った七歳くらいの男の子が、唇を噛み締めて嗚咽を堪えている。

 男の子は不釣り合いな長剣を背中にくくりつけられていた。

「アリスレア様、申し訳ありません。わたくし、ティシュー医師せんせいをお助けできませんでした」

 可愛い顔を歪めて泣くトーニャは、赤ちゃんを抱いていなかったらその場に泣き崩れていたのだろう。

「ティシュー医師せんせいには乳母がひとり同行しました。この子たちのお母様です」

 なんで男の子がいるのかと思ったけど、そりゃそうだ。乳母は別に初産の人でなくてもいい。むしろ子育ての経験がある人だと頼もしいもんな。

「は、母上は、だいじょうぶです。ケーニヒさまととケンカして、たまによ」

 見上げた男の子の瞳は、潤んでいたけど力強かった。

「と言うことは、軍務卿の縁者だね」

 レントの護衛も兼ねる人選だって言ってたな。二人目の出産だったのか。素晴らしい剣の腕で、男であったら軍務卿の片腕はジェムじゃなかったかもしれないって聞いた。

「皆さまを小茶話室サロンへ。お部屋に案内してもいいですが、ひとりでは心細いでしょう」

 玄関ホールを見回して、家令に指示を出す。乳母たちの面倒を見るのは俺の仕事だ。母親の不安を感じ取った赤ちゃんたちが、声の限りに泣いている。赤ちゃんの泣き声は、胸に刺さる。

 駆けつけてくださったお義母様に乳母たちを任せると、俺はトーニャと彼女が抱いた赤ちゃん、そしてそのお兄ちゃんを連れて俺の部屋の居間に向かった。お母さんが連れて行かれたのなら、小茶話室で母親に抱かれる赤ちゃんを見るのは辛いだろうと思ったんだけど⋯⋯。

「ケーニヒ卿のご紹介はご自身の乳姉妹、メイフェア様でしたね」

 シュリがお茶と子供用の果汁を用意しながら言った。

 メイフェアという女性は表立っては知られていない人物だけど、騎士団の中では有名人らしい。正規の団員ではないんだけど、女性の要人警護に秀でた女性剣士で、前の王妃様の護衛をしていた。蛇足をつけるなら男装の麗人だそうだ。

 上のお兄ちゃんを授かった時に引退したので、俺が王妃だったときは会ったこともない。

「⋯⋯クズ王が、王太后様の主治医にすると言い出したって言ってました!」

 だからメイフェアさんがついて行ったのか。

 それはともかくトーニャ、せっかくお義母様に淑女教育してもらってるのに、クズとか言っちゃダメじゃん。小さな子の前なんだから悪い言葉は控えような。⋯⋯俺もじゃん。

 前の王妃様、未だご存命で王太后の地位にある方だ。公務もなく、滅多に人前に出てこない。俺も王城でのプライベートで会ったことはない。夜会で挨拶するくらいだ。

 ゲス乳兄弟の愚痴めいた独り言によると、先代国王の寵愛にすがって王城に居座る、図々しい女ってことだ。

 いや、逃げたくても帰る場所がなくて、城から出たら死ぬしか無いからじゃね? 後ろ盾のない箱入りの王妃様、生活能力ないでしょ? とアリスレアの意識の裏側で思ってたけど、まさかこんなところで名前が出てくるとは。

「⋯⋯とにかく、ティシューに生命の危険はなさそうだな。メイフェアさん、守ってくれるつもりでついて行ったんだろうし」

 さしあたっての生命の危険は、レントだよ。

 前世の息子の同級生を三日だけ預かったことがある。お母さんが双子の妊娠で予定外にお産が早まって、遠方に住む実家のお母さんおばあちゃんが間に合わなかったんだ。

 少し早く生まれてしまった赤ちゃんたちは保育器に入り、子宮口が重さに耐えられずに中から押し開かれたお母さんは、緊急帝王切開して出血多量で生命が危なかったそうだ。うちの子どもと上の子を遊ばせながら、生きててよかったって笑ってたけど、本当によかったよ。

 双子でそんな騒動したんだよ。三つ子ちゃんなんて、マジでどうなるかわからない。帝王切開っていうお産がないから、頑張って生むしかないんだ。

 赤ちゃんひとりひとりが丁度いい大きさにまで育つと、三人一緒にお腹に留めているレントが耐えられない。万事用意を整えて、陣痛を促す薬湯を飲むことになっている。その調整はティシューに任せてるんだよ。

 いてて。

 お腹が張る。ヤバい、カチカチじゃん。

 下から掬うようにお腹をさする。

「若奥様、落ち着かれませ。赤様に障りますよ」

「アリス様⋯⋯」

 シュリが温かいハーブティーを淹れてくれて、トーニャのまなじりに新しい涙が滲んだ。

 ストレス怖いな。すぐに身体に異変が起こる。リラックスするために深呼吸して、お茶を飲んだ。俺とレントのためにシュリが選りすぐった妊夫にも優しいハーブティーは、とても美味しい。

 ホッとして身体を弛めると、お腹の張りが治まってきた。

「今すぐにティシューを返してもらわないとな。一ヶ月後でギリギリだな」

 九ヶ月の半ばから後半くらいに計画陣痛の予定だから。

「⋯⋯イェン、イェン、どこだ? あんたの祝福の子たちの危機だぞ」

 困った時の神頼みとばかりに呼びかけるのに、彼女が現れることはない。⋯⋯気まぐれなのか、なにかが起こっているのか。

 怖いな⋯⋯。

 ジェム、早く帰って来いよ。もう二ヶ月、あんたにキスしてもらってない。

 丸い大きなお腹の中で、赤ちゃんがぽこりと蹴っ飛ばした。

「⋯⋯ありがとな。励ましてくれてんのか? お前、絶対ジェム似のイケメンだろ」

 もう一度お腹を撫でて、俺はジェムのいない不安を振り払ったのだった。
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