神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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約束の子。

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「せめて心の準備の時間が欲しかった⋯⋯」

 宰相の呟きが間抜けに響いた。外務卿が同意するように頷いたのが見える。

 宰相と四卿はそれを合図にソファーを立って床に跪いた。うちの義父母とトーニャもそれに倣う。⋯⋯財務卿は腰が立たずにぐんにゃりとして、となりの軍務卿に支えられていた。プルプル震えて泣きそうになっている。

「随分静かに現れた」

 マッティがボソリと言った。確かに、いつもは落雷みたいな登場の仕方だもんな。

「⋯⋯先日の、我らの願いを叶えてくださり、深く感謝申し上げます」

 お義父様が平伏したまま、絞り出すように礼を言った。なるほど、前回はドーンと現れて大騒ぎになったんだな。室内でやられたらいろんなものが吹き飛んで大変だったろうに。

「それで室内が新しい調度なのか」

「そう言えば、気にしてなかったけど、花瓶は見たことない物かも」

 居間や茶話室と違って応接間ってお客さんが来ないと使わないから、侯爵家に来て日の浅い俺は気づかなかったよ。

「堅苦しいのはおやめなさい。あらあら、お前、そんなところに座っちゃ駄目よ。が苦しそうよ」

 全員に立ち上がるように促したイェンが、財務卿の手を掴んで引き上げた。

 

「それにしても人間って凄いわね! さっきの今で、もうがいるなんて、凄い繁殖力だわ‼︎」

 繁殖力って⋯⋯やっぱり聞き間違いじゃない。って赤ちゃんだ! しかもさっきの今でって、そりゃ神様タイムだろ。

「あら、お前、の子でしょう? 剥がれ落ちかかってるじゃない」

 外務卿に支えられた財務卿のお腹のあたりに、イェンが跪いた。神様が膝をつく事態に、みんなが息を飲む。周りの焦りをお構いなしに、麗しい女神は財務卿の腹⋯⋯臍のした十センチあたりに服の上から唇を落とした。

「これで大丈夫よ。三人とも元気で産まれるわ!」

 イェンはいい仕事をやり切ったみたいな、満足そうな表情カオをした。

「三人⁈」

 軍務卿が驚いた声を出した。

「気づいてなかったの? が胎にしがみついて十日ほどよ。神の甘露ネクタルの作用で卵子が複数排出されたのね。の子がふたり、の子がひとり。の子がひとり流れかかっていたから、三人まとめて祝福しておいたわ」

「ここに、ケーニヒの子どもが? まさか、だって、こんな出来損ないの身体なのに?」

 財務卿が呆然として、手のひらで自分の下腹を撫でた。ほろほろと涙をこぼしながらの、優しい柔らかな仕草は、もともとのなよやかな容姿も相まって、宗教画のように神聖に見える。となりの獰猛そうな男さえ、聖者にひれ伏した野獣のようだ。

「出来損ないなんて言わぬものよ。分化がちょっと遅れていただけじゃない。アリスの子の生涯の友となる子たちよ。数日違いで胎にしがみつくなんて、なんて幸運なの!」

 ねっ、とイェンが俺に満面の笑みを向けた。

「は?」

 俺の口から間抜けた声がでたのは仕方のないことだ。この自由気ままな女神はなにを言ってるんだ⁈

「二年あれば子もできると思ったけど、早速ね。これなら神剣も一年先には条件が整うわ。もうすぐユレに会えるのも嬉しいし、暗黒神を斬る剣も張り切って鍛えちゃうわ」

 イェンが何を言っているのか理解できない。

 ジェムが俺を抱く手に力を込めた。

「イェン神、アリスの胎に子がいるとおっしゃられますか?」

「そうよ」

人間ひとは授かって数日では気づくことが出来ませぬゆえ、半信半疑なのですが」

「あら、そうなのね。の子がひとり、健気にアリスの胎にしがみついているわ。三日か四日と言うところね」

 なんですとーーッ!

 ハ⋯⋯ハネムーン・ベィビー⋯⋯ってヤツ?

「ユレの百番目のアリスレアは、約束の子」

 イェンの声に合わせてソーダ水が弾けるみたいに、パチパチと光が弾けた。彼女の声音は歌のような楽器のような、不思議なイントネーションで揺蕩った。

母様ははさまは眠りにつく前に、大きな術を施した。人間ひとの生命を全うしたユレが、再び神として受肉する術よ。ユレの魂の百番目の持ち主の最初の産褥で、初子ういごの臍の緒からユレの肉体を作り出し、魂の影で眠るあの子の宿体とするの」

 なんとも壮大な、そして誰も傷つかない術なんだ。神下ろしの術や神産みの術は、依代や母体、赤子が贄となるのが常だ。それが臍の緒って⋯⋯。臍帯血バンクだと思えば、誰かの役に立つなら何よりだ。誰かってユレ神だけど。

「ごめんなさい、可愛い九十九番目のわたくしの弟。百番目のアリスレアは、どうしても死なせるわけにはいかなかったの。眠っているお前を無理矢理に表に出してでも、生きてもらわねばならなかった。ユレを完全に喪っては、母様の悲しみが世界を壊してしまうから」

 そうか。アリスレアが死んでしまっても、普通だったら次の生命を待てばいいんだ。でも、百一番目の肉体では、女神エレイアの術の対象じゃない。そうしたら、ユレの復活の日は未来永劫やって来ない。

「謝らないで、イェン。そりゃ前面に押し出されてびっくりしたけどさ、俺、ジェムに会えて幸せだよ」

 イェンの碧い瞳を見つめながら、俺を抱くジェムの手に触れる。

「ユレが復活したら、二柱ふたりで神剣を鍛えるわ。わたくしたちは双子の神。二柱ふたり揃えば父様ちちさまにも勝るもの。お前の夫の為に素晴らしい剣を鍛えると約束するわ」

 暗黒神を屠るかもしれない神剣。それがジェムの為に鍛えられるってことは、この子の父親は、国を⋯⋯世界を救う為に死地へ赴かなきゃならないかもしれないんだ。

 実感なんてまるでないのに、手のひらが自然に下腹を守るように動いた。そこにジェムの手が重なる。

「アリス、ありがとう」

 耳に吹き込まれる、熱くて甘い声。

 胸がいっぱいになって、涙が溢れた。財務卿が涙を流したのと同じように、俺も泣いている。四十七歳の草臥れたおっさんの俺が、自分の胎に赤ちゃんがいることを自然に受け入れている。

「アリスレア様⋯⋯おめでとうございます」

 トーニャが震える声で寿ことほいでくれて、見ると顔を真っ赤にして泣いていた。

「アリスレア様がお幸せな姿をみて、わたくし、もう思い残すことはありません」

「なに、お別れみたいなこと言ってるの。大袈裟だなぁ」

 トーニャはアリスレアが一番辛かった日々を、手を取り合って過ごした兄妹のような存在だ。だからこそ、彼女は自分のことのように喜んでくれる。

 ベリーも興奮して騒いでいて、マッティがそれを背後からギュッと抱きしめている。義父母も初孫の衝撃に同じような状態で、イェンは満足そうだ。

 満面の笑みの軍務卿と、穏やかに微笑むジェムの腕の中にはそれぞれ財務卿と俺がいて、はっきり言って応接間はカオスだ。

「めでたい知らせではありますが、イェン神よ。話の道筋を修正させていただくのを、お許し願い申し上げます」

 呆然としていた宰相がなんとか持ち直してうやうやしく頭を下げたので、イェンを呼んだ理由を思い出した。

 あ、教会。

 イェンの爆弾発言で、すっかりどっかに飛ばしてた。
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