神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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旦那様のお仕事。

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 元女官さんは優しげな美人さんだった。どこか遠慮がちに兄様に寄り添っていて、兄様も奥様を大切にしているようだった。辛いときを支え合って信頼を深めた、大人の夫婦だったよ。

 三年前の夜会の日、俺を助けてくれたお礼を言って、ジェムを紹介して。

 兄様も俺をひとりにしたことを謝ってくれたけど、あれはどうしようもなかったと思うよ。そばにいてくれてても、怪我人が増えただけだったろうね。下手したら兄様の伯爵家、お取り潰しとかあったかも。

 最後は泣きながら笑って、お互いのパートナーに『兄様をよろしくお願いします』『弟分を大事にしてください』って言って隣領を出た。馬車の窓からそっと覗ったら、見送ってくれてたふたりが熱烈にキスしてた。⋯⋯やっぱり俺が枷になってたか。憂いが晴れてよかった。

「良い人物だったな」

「うん、アリスレアの兄がわりだもん」

「そうか、か」

 ジェムがちょっと嬉しそうだ。俺も兄様が良い人だって知ってもらえて嬉しい。

 外務卿が先に王都に帰ってしまったので、馬車の中はふたりきりだ。復路も馬のことを考えてゆっくり進む。本当は気が急いているけど、イェンが二年の猶予を保証してくれたから、なんとかはやる心を宥める。

 ジェムはさすがに将軍様だ。討伐隊のみならず、他国との競り合いの指揮も執る立場にある。俺と違って泰然と構えている。

 往路で野盗に遭遇した場所では何事もなく野営を終え、今夜からは旅籠に泊まれるな、なんて話をしていたら、なにやら馬車の外が騒がしくなった。

「なにがあった?」

 小窓からジェムが護衛に状況を報告させた。本当だったらすぐに出るんだろうけど、俺がいるから不用意に扉を開けない。

「馬が怯えております。この先でなにかが起こっていると思われますので、ふたりほど偵察に向かわせました」

 馬は人間より気配に敏いし臆病だから、なにか感じとってるのかもしれない。偵察にふたりで行かせたのは、なにかあってもどっちかが戻って来られるようにってことだ。⋯⋯ちょっとヤバいか?

 別の馬車に乗っていたシュリが呼ばれて、ジェムが出て行った。シュリは非戦闘員なので、有事の際は俺の側で一緒に守ってもらうことになっている。誰もなにも言わないけど、最悪、俺の盾になる気だろう。絶対認めないけどな。

 偵察に行った護衛がひとり、馬で戻って来た。護衛が乗る馬は軍馬で、馬車を引く馬とは違って多少のことには動じない。かっこいいけど俺は乗らせてもらえない。なにしろ普通の馬よりでかいから。

「魔獣です! 街の手前で商隊が襲われています! 街の守護壁の内側に逃げ込むのを拒否されている模様です!」

 商隊と一緒に魔獣も飛び込んできたら、大惨事だ。門兵は絶対に開けないだろうな。

 国境でもないのに何故とか、答えの出ないことを言ってても仕方がない。だってそこに魔獣はいるんだ。

「アリス、行ってくる。商隊が全滅したら、魔獣は必ずこちらに来る。あなたの側には決して近づけぬから、ここで待っていて」

 言うと思った。来た道を逃げ帰るなんて、頭の片隅にもないだろう。魔獣討伐の褒賞休暇中なのに、魔獣退治か。護衛隊も従軍経験がある元騎士だから、魔獣討伐の経験者だ。

 つまり足手まといは、俺とシュリだけ。

「怪我しないで」

 それだけしか言えなかった。いってらっしゃいなんて送り出せないし、行かないでなんてもっと駄目だ。

 馭者をひとりと、俺たちの護衛にふたりを残してジェムは行ってしまった。魔獣討伐隊を率いて辺境に向かったジェレマイア・ハインツ・ヴィッツという人は、どこか遠くの人だった。でもジェムは、ついさっきまで俺のとなりで穏やかに微笑んでいた人だ。

 大丈夫、怪我なんかしない。父上も言っていたじゃないか。ジェムは国で、いちばん強い。

 遠くで魔獣の遠吠えが聞こえる。

「若奥様、大丈夫です。偵察では四つ足が二頭とのことですので、若様には大した獲物ではありません」

 小窓越しに若い護衛が励ましてくれる。一緒に馬車の中にいるシュリも微笑んで頷いた。

 それから暫くして、ジェムと一緒に魔獣のもとに行った護衛が戻ってきて、無事に仕留めたと伝えてくれた。馭者が手綱を引いて馬車を走らせて、ジェムのもとまで連れて行ってくれた。

 馬車が停まるとシュリの止める言葉なんか聞きもしないで扉を開ける。ジェムの姿は真っ直ぐに目に飛び込んできた。

「ジェム!」

 商隊の崩れた積荷も魔獣の屍もどうでもいい。

「ジェム、ジェム!」

 馬鹿みたいにジェムの名前だけを呼んで飛びついた。全力で突っ込んだのに大きな身体はびくともせず、難なく俺を抱きとめてくれた。

「汚れるぞ。魔獣の血だらけなんだ」

「返り血だけ? ジェムは?」

「なんともない」

 よかった⋯⋯。力が抜けてヘナヘナと座り込みかけるのを、「汚れついでだ」と言いながらジェムに抱き上げられた。これ、子ども抱っことかお父さん抱っことかいうやつじゃね?

「怖かったか?」

「魔獣は怖くなかったけど、ジェムになにかあったらって思ったら怖かったよ」

 でももう怖くない。急に恥ずかしくなって、笑けてきた。

 そうしているうちに砦壁の門が開けられて、街の魔獣討伐部隊みたいな男たちが出て来た。隊長格っぽい人がジェムに挨拶と感謝を伝えてくる。彼は手早く挨拶を終えると魔獣に襲われた商隊の被害状況を確認しに行った。

 門の中から旅装の若い女の人がふたり出てきて、泣きながら討伐隊の人たちに向かって罵り始めた。

「なんで門兵は門を閉めたのよ! 父さんたちを見殺しにするつもりだったの⁈ それでも騎士なの⁈」

「魔獣の専門家が門に到着する前に開けたら、大惨事になったかもしれないのです。偶然にも腕の確かな護衛連れの方が駆けつけられたが、普通はこんなに簡単に魔獣は狩れません」

 商隊の女性みたいだ。察するに先に助けを求めに門に送り出されて、自分たちだけ門の中に入れられたんだな。気持ちはわかるけど、門兵のが正しいよ。街の中に魔獣が入ったら、何十人もの人が食い殺されるかもしれないんだ。

 女性たちのところに怪我をしたおじさんがヨロヨロと向かって行って、討伐隊の人に頭を下げた。商隊の責任者が救助の礼と身内の無礼を謝罪している。⋯⋯女性たちもしゅんとなって頭を下げていた。身内の無事がわかって落ち着いたみたいだ。

 俺だって、ジェムが怪我ひとつないからこうしていられるけど、万一があったら討伐隊の人に文句言ってたかもしれない。

 商隊の一行は、今度はこっちにやって来た。おじさん、怪我の手当てしようよ。

 どう見てもジェムにお礼を言いに来てるから、このままでは恥ずかしい。ジェムに頼んで降ろしてもらうと、一歩下がって控える。

 おじさんは礼儀に則って挨拶と礼をした。謝礼の話になってジェムが断ると、後で旅籠に酒を届けると言って去っていった。そのくらいならありだろう。と言うか、押し問答してる間におじさんの顔色がどんどん悪くなったので、それで妥協したんだ。早く手当てをしてくれ。

 街に入るとジェムは調書を取るために詰所に同行して、俺はシュリに連れられて旅籠へ直行した。まず風呂だとシュリが怒っている。街では砦壁の外で起こった魔獣騒ぎは知れ渡っていて、血みどろの俺は被害者と勘違いされて大騒ぎになった。返り血のお裾分けなんだけど。

 シュリに頭のてっぺんから爪先までピッカピカに磨かれて風呂から出ると、旅籠の階下が騒がしい。ジェムが帰って来たっぽい。湯上がりだけどちゃんとした格好をしててよかった。出迎えに行こう。

 休暇中に仕事をしてきた旦那を労らなければ。
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