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父と息子。
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三年ぶりに会う父上は、館のエントランスでウロウロしていた。それを家令に宥められて、奥に引っ込もうとしているのが見えて、先触れを受けて居ても立ってもいられなくなったのだと察せられた。
「父上⋯⋯」
馬車の窓からその姿を見て、身がすくむ。
「大丈夫だ。あなたの幼馴染みたちも、あなたをアリスレアだと認めている」
「アリスレア夫人、今のあなたの中には、確かに我々が知る王妃様がいらっしゃる。不安げに怖じ恐れる姿は、玉座にあったかの方と同じですよ。私は今ようやく、本当に彼の方とあなたが同じ存在だと確信できております」
「先程マティアス殿が言っていたではないか。自我が融合しかかっていると⋯⋯。あなたは壮年の男性でもあるが、ちゃんと十七歳のアリスレア・シュトレーゼンだ」
「おや、ジェレマイア。君は奥方がアリスレア・シュトレーゼンで良いのか?」
「アリスレア・ヴィッツだな」
最後にジェムは目尻を下げて笑って、俺の指先にキスをした。慌てて引っ込める。駄目、耳が熱くなるじゃないか。父上に見られちゃうだろ。
でも肩の力が抜けた。
まぁ、なるようにしかならない。
従僕が扉を開けて踏み台を設置した。最初にジェムが降りて、俺をエスコートする。外務卿は最後にそっと降りて気配を消した。俺たちの邪魔にならないようにって、降りる前に言ってたし。
「アリス⋯⋯ッ!」
父上は息子の名を一言つぶやいて、身体を強張らせた。父上を当主らしく館の中で待たせようとしていた家令は、諦めたらしく三歩下がって、俺に向かって恭しく頭を下げた。彼と会うのも三年ぶりだ。
一歩踏み出すのを躊躇っていると、ジェムがそっと手を引いてくれた。見上げるほど身長差のある逞しい身体が、安心感を与えてくれる。
「⋯⋯父上、お久しゅうございます」
「アリス、不甲斐ない父を、まだ父と呼んでくれるか⋯⋯」
父上が潤んだ瞳でこちらを見る。アリスレアと同じ色だった髪は、艶をなくして白茶けて、眼窩は落ち窪んでいる。記憶の中の父上は爽やかなナイスミドルだったのに、随分と老け込んでいる。まだ三十代のはずなのに、よっぽど心労がキツかったみたいだ。
そして、父上も俺に切り捨てられる心配をしていたようだ。
「父上とお呼びしたいのです」
俺が父上の知るアリスレアでなくても。
「アリス⋯⋯」
ジェムが俺の身体を前に送り出した。すぐに父上に抱きしめられて彼が声もなく涙をこぼしているのを感じた。どれくらいそうしていたのか、家令が優しく父上を促して全員を館の中に誘った。家令の眦にも光るものが見えた。
出迎えと挨拶が貴族の礼儀作法を全く無視したグダグダなものだったので、父上は応接間に入るなりジェムに謝罪した。ジェムは継嗣で父上は当主だから立場的には父上の方が上だけど、ジェムは国軍将軍だから家督を継いだ者と同等に扱って然るべきだ。伯爵家が礼を欠いてはならない相手だ。
「シュトレーゼン伯爵、顔をお上げください。暴力でもって掠奪された愛息子を、ようやく抱きしめることのできた父君を、どうして責められますか」
「そうですよ。それにジェレマイアがすぐに、あなたのご子息を攫っていくんです。少しくらい無視をしたって罰は当たりませんよ」
せっかくジェムがいい感じにまとめようとしたのに、外務卿が混ぜ返した。
「⋯⋯ではアリスが、ジェレマイア卿の妻に納められたのは誠でございますか」
応接間のソファーに腰を下ろしたとき、俺はジェムの隣に座った。シュトレーゼン家の庇護下でなくヴィッツ家の庇護下にあるということだ。
ここでジェムはお義父様からの手紙を差し出し、父上は断りをいれて開封した。貴族の結婚は家同士のものだから、当主であるお義父様から挨拶と謝罪と事の説明とが認められている。
読み終わった父上は深い、それは深いため息を漏らした。
「よく、耐えた」
絞り出すように紡がれた言葉に、俺は首を横に振った。
「耐えられなかったのです。わたくしはあなたの可愛いアリスレアだけれど、全てがそうではありません。あまりに辛く、苦しくて、あなたのアリスは魂の影で眠っています」
「ではお前は⋯⋯いや、あなたはアリスの魂を磨いておられたという方か。女性ではないな、鳥の方でもない。初めましての方だろうか?」
はい?
女性だの鳥だの、どういうこっちゃ。
「アリスは五歳ごろまで、睡眠中に別の人格が表に出てきていたのですよ」
「俺が寝てる間に、ねーさんとピーちゃん、外に出てたのか⁈ ⋯⋯あわわ」
ヤベ、地が出た。そんで余計なこと言ってもうた。慌てて口を押さえたけど遅かった。父上が切なげに微笑んで、となりのジェムが俺の腰を引き寄せた。
「なんだ、知らなかったのか?」
家令のとなりで控えていたマッティが棒読みで言った。相変わらず表情筋が死に絶えてるけど、耳がぴこぴこしてるから面白がっているのはバレバレだぞ。
「アリスの旦那さんは狼の民が珍しいみたいだから言っとくよ。狼の民って言うのはおおかた人間だけど、祖先の能力も持ち合わせているんだ」
人間よりも強靭な肉体と、精霊や幽鬼を視る目を持ち、生きるための本能が強い。彼らが番と呼ぶ伴侶を見つけたときは、命をかけて守り抜くんだそうだ。頑張れ、ベリー。
シュトレーゼンには当たり前にいるから、特別視はしない。いや、してるか。オリンピック選手に感動するノリ? 俺の異世界スッゲー、カッケー、の最初は狼の民のマッティの父ちゃんだ。
そしてさっき俺の中で眠るアリスレアを見つけたのは、その狼の眼だ。
「領主様、アリスは消えてない。でも、一番魂のニオイが似ているコイツに融合しつつある。記憶もあるみたいだ。だからコイツはアリスだ」
マッティが淡々と言って、父上が頷いた。
「父上⋯⋯」
馬車の窓からその姿を見て、身がすくむ。
「大丈夫だ。あなたの幼馴染みたちも、あなたをアリスレアだと認めている」
「アリスレア夫人、今のあなたの中には、確かに我々が知る王妃様がいらっしゃる。不安げに怖じ恐れる姿は、玉座にあったかの方と同じですよ。私は今ようやく、本当に彼の方とあなたが同じ存在だと確信できております」
「先程マティアス殿が言っていたではないか。自我が融合しかかっていると⋯⋯。あなたは壮年の男性でもあるが、ちゃんと十七歳のアリスレア・シュトレーゼンだ」
「おや、ジェレマイア。君は奥方がアリスレア・シュトレーゼンで良いのか?」
「アリスレア・ヴィッツだな」
最後にジェムは目尻を下げて笑って、俺の指先にキスをした。慌てて引っ込める。駄目、耳が熱くなるじゃないか。父上に見られちゃうだろ。
でも肩の力が抜けた。
まぁ、なるようにしかならない。
従僕が扉を開けて踏み台を設置した。最初にジェムが降りて、俺をエスコートする。外務卿は最後にそっと降りて気配を消した。俺たちの邪魔にならないようにって、降りる前に言ってたし。
「アリス⋯⋯ッ!」
父上は息子の名を一言つぶやいて、身体を強張らせた。父上を当主らしく館の中で待たせようとしていた家令は、諦めたらしく三歩下がって、俺に向かって恭しく頭を下げた。彼と会うのも三年ぶりだ。
一歩踏み出すのを躊躇っていると、ジェムがそっと手を引いてくれた。見上げるほど身長差のある逞しい身体が、安心感を与えてくれる。
「⋯⋯父上、お久しゅうございます」
「アリス、不甲斐ない父を、まだ父と呼んでくれるか⋯⋯」
父上が潤んだ瞳でこちらを見る。アリスレアと同じ色だった髪は、艶をなくして白茶けて、眼窩は落ち窪んでいる。記憶の中の父上は爽やかなナイスミドルだったのに、随分と老け込んでいる。まだ三十代のはずなのに、よっぽど心労がキツかったみたいだ。
そして、父上も俺に切り捨てられる心配をしていたようだ。
「父上とお呼びしたいのです」
俺が父上の知るアリスレアでなくても。
「アリス⋯⋯」
ジェムが俺の身体を前に送り出した。すぐに父上に抱きしめられて彼が声もなく涙をこぼしているのを感じた。どれくらいそうしていたのか、家令が優しく父上を促して全員を館の中に誘った。家令の眦にも光るものが見えた。
出迎えと挨拶が貴族の礼儀作法を全く無視したグダグダなものだったので、父上は応接間に入るなりジェムに謝罪した。ジェムは継嗣で父上は当主だから立場的には父上の方が上だけど、ジェムは国軍将軍だから家督を継いだ者と同等に扱って然るべきだ。伯爵家が礼を欠いてはならない相手だ。
「シュトレーゼン伯爵、顔をお上げください。暴力でもって掠奪された愛息子を、ようやく抱きしめることのできた父君を、どうして責められますか」
「そうですよ。それにジェレマイアがすぐに、あなたのご子息を攫っていくんです。少しくらい無視をしたって罰は当たりませんよ」
せっかくジェムがいい感じにまとめようとしたのに、外務卿が混ぜ返した。
「⋯⋯ではアリスが、ジェレマイア卿の妻に納められたのは誠でございますか」
応接間のソファーに腰を下ろしたとき、俺はジェムの隣に座った。シュトレーゼン家の庇護下でなくヴィッツ家の庇護下にあるということだ。
ここでジェムはお義父様からの手紙を差し出し、父上は断りをいれて開封した。貴族の結婚は家同士のものだから、当主であるお義父様から挨拶と謝罪と事の説明とが認められている。
読み終わった父上は深い、それは深いため息を漏らした。
「よく、耐えた」
絞り出すように紡がれた言葉に、俺は首を横に振った。
「耐えられなかったのです。わたくしはあなたの可愛いアリスレアだけれど、全てがそうではありません。あまりに辛く、苦しくて、あなたのアリスは魂の影で眠っています」
「ではお前は⋯⋯いや、あなたはアリスの魂を磨いておられたという方か。女性ではないな、鳥の方でもない。初めましての方だろうか?」
はい?
女性だの鳥だの、どういうこっちゃ。
「アリスは五歳ごろまで、睡眠中に別の人格が表に出てきていたのですよ」
「俺が寝てる間に、ねーさんとピーちゃん、外に出てたのか⁈ ⋯⋯あわわ」
ヤベ、地が出た。そんで余計なこと言ってもうた。慌てて口を押さえたけど遅かった。父上が切なげに微笑んで、となりのジェムが俺の腰を引き寄せた。
「なんだ、知らなかったのか?」
家令のとなりで控えていたマッティが棒読みで言った。相変わらず表情筋が死に絶えてるけど、耳がぴこぴこしてるから面白がっているのはバレバレだぞ。
「アリスの旦那さんは狼の民が珍しいみたいだから言っとくよ。狼の民って言うのはおおかた人間だけど、祖先の能力も持ち合わせているんだ」
人間よりも強靭な肉体と、精霊や幽鬼を視る目を持ち、生きるための本能が強い。彼らが番と呼ぶ伴侶を見つけたときは、命をかけて守り抜くんだそうだ。頑張れ、ベリー。
シュトレーゼンには当たり前にいるから、特別視はしない。いや、してるか。オリンピック選手に感動するノリ? 俺の異世界スッゲー、カッケー、の最初は狼の民のマッティの父ちゃんだ。
そしてさっき俺の中で眠るアリスレアを見つけたのは、その狼の眼だ。
「領主様、アリスは消えてない。でも、一番魂のニオイが似ているコイツに融合しつつある。記憶もあるみたいだ。だからコイツはアリスだ」
マッティが淡々と言って、父上が頷いた。
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