神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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昏い記憶。

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 軍務卿の耳に入れる前に将軍に相談したい、三等騎士のブラウンはそう言って頭を下げた。

 彼の同僚の妻が行方不明になった。

 ブラウンさんの同僚ってことは、ジェムの部下だな。

「アーシー・ガヴァナ、いい弓使いだ」

 そのアーシーさん、ジェムと一緒に魔獣討伐隊に加わっていたんだけど、今回家を空けるにあたり、奥さんがひとりで留守番するのは心配だからと、実家に身を寄せることにしてたんだそうだ。

 誰もいない自宅に帰宅したアーシーさんは、二日間泥のように眠って疲れを取ってから奥さんを迎えに行った。そしたら実家にはいなかったってことだ。

「近所の人には留守宅を気にかけてくれるよう頼んで出かけていたから、誰も不審に思わなかったようです」

「ご実家では、帰ってこない娘を心配していなかったのですか?」

 気になって、つい口を挟んでしまう。

「⋯⋯急に帰って驚かそうと、内緒にしていたようです。その⋯⋯奥方は妊娠が判ったばかりで、老いた両親をそれも合わせて驚かすつもりだったと」

 僅かに言い淀んだのは、アリスレアの表向きの婚姻無効が、不妊だからだろう。今はそれはどうでもいい。つまり、妊婦が行方不明だ。それも二ヶ月近く誰にも知られぬまま。

「届けはしたな?」

「はい」

 それなら警邏隊が捜索を開始しているはずだ。だとしたら、この青年はなぜ、直接ジェムに訴えに来たんだろう。捜索が難航しているのなら、組織の下から順番に報告が上がってくるはずだよね。なんか面倒ごとが見つかったのかもしれない。

「なぁ、君。もしかして手がかりが見つかったけど、貴族か王都の有力者が絡んでるっぽい?」

 ジェムがはっと俺を見て、青年は血の気を引かせた。

「褒賞休暇中の仲間たちも捜索に加わって聞き込みをして⋯⋯私たちが討伐に出立したその日、陛下が狩に出かけられたと。場所はアーシーの奥方の実家のそばです」

 おい。

 臣民が命懸けで害獣駆除に出掛けてるのに、あのクズ王、遊興かよ⁈ そんなに獲物が狩りたけりゃ、一緒に魔獣討伐隊に参加しろや。

 奥さんの父親は森番をしていて、実家は王都の外れの森の入り口近くにある。

「⋯⋯陛下は、新しい愛妾に夢中だそうだ」

 なんだそれ、初耳だ。一応クズ王の妃だった俺の耳には入れないように気を使われてたんだな。相手の女性が気の毒すぎて言えなかったのかも。

「ジェム、緊急事態だ。ここはお義母様にお任せして、俺たちは軍務卿と先に帰ろう。君はアーシーさんが無茶をしないよう、見張っていて」

 ブラウンさんは頷いた。

 子どもたちや文官を驚かさないように、外務卿と法務卿に簡単に事情を説明して宰相を起こす。マジで寝かせてあげたいけど、国家的最重要案件になりそうなんで仕方がない。

 俺たちは大急ぎで城に向かった。元王妃がいいのかって? 誰もわかりゃしないよ。かつてのアリスレアは奥に引っ込んでたし、常に女装だったし、今の俺は『わたくし』なんて猫を被るときしか言いやしない。咎められるとしたら、草の汁に塗れたこの薄汚れた格好だよな。

 内務卿の執務室に駆け込むと、禿頭とくとうのじーちゃんが、何事かと顔を上げた。先触れもしないでごめんよ。そこは宰相が謝った。立場的には宰相が上だけど、彼は人生の先輩を蔑ろにはしない男だ。

 内務卿はクズ王に愛妾の新しい宮を用意するように申しつけられて、手順が必要なことだと切々と諭している最中だという。

「⋯⋯懐妊したので王妃に立てると。ついてはアリスレア卿がお使いだった宮を改装せよと申されて⋯⋯」

 歯切れが悪い。

 アリスレア本人もクズ王の子どもは産みたくなかったと思うから、そんなに気を使わなくてもいいのに。て言うか、これ言っていいのかな。アリスレアは絶対に妊娠なんかするはずがなかったよ。

 コトが終わるたびに、ゲス乳兄弟にクソ不味い薬湯を飲まされてたからな。⋯⋯多分あれ、避妊薬だ。

「愛妾に陛下の乳兄弟を近づけてはいけません。お胎の赤ちゃんに危害を加えるかもしれません。俺たちの予想通りなら、愛妾はアーシーさんの子を授かったガヴァナ夫人です。誘拐ですよ⋯⋯助けなきゃ」

 あのクズ王、妊娠初期の女性に無体なことしてないだろうな。それよりもゲス乳兄弟のほうが危険だけど。

「陛下はご自分の初めての子だと大喜びですがな。医師の見立てでは、陛下がおっしゃるより育っているようだということでしたが、なるほど、そういうことでしたか」

 アリスレアが王妃だったころからの浮気を隠すために、日にちを誤魔化しているのだと思われていたそうだ。

「そんなこと、あの乳兄弟が許すものか。あのサイコヤンデレ野郎、本当は自分がクズ王にブチ込みたくてたまらないくせに。あいつ、アリスレアが憎くて仕方なかったんだ」

 俺は見てた。

 アリスレアの魂の影で。

 憎しみを帯びた眼差しは、主人の妃を射殺さんばかりだった。

「ア、アリスレア様、はしたないです。ブチ⋯⋯あの、とにかくそう言う言葉は、その」

 財務卿がオロオロするのを軍務卿が困った表情カオで見た。さすがにいちゃつけないだろ、この場面じゃね。

「アリス、あなたに陛下との婚姻中の出来事を聞くのは辛いだろうと思っていたが⋯⋯詳しく聞かねばならないようだ」

 おい、ジェムさんや。陛下って敬称で呼ぶの、めっちゃ嫌そうだな。

 けどジェムの言う通りだ。思い返すのも胸糞悪いけど、クズ王とゲス乳兄弟のことはきちんと話すべきだ。トーニャの前では話しにくいことも今なら話せる。

「直接言葉を交わすことなんて、ほとんどなかったよ。クズ王がアリスレアのところに来るときは、必ずゲス乳兄弟が一緒だった。初めてのとき以外は、閨まで見張ってやがったよ」

 アリスレアの可憐な唇から飛び出した俺の言葉は、呪いを吐き散らすかのように毒を孕んだ。
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