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将軍、妻に見(まみ)える。
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父侯爵と継母への挨拶もそこそこにアリスレアが嫁いできてからの様子を尋ねると、若い継母はニコニコ笑って嫁を褒めた。
侯爵夫人は孤児院や施療院への奉仕活動に、アリスレアとアントーニアを積極的に伴った。ふたりは子供たちと遊び、素朴なおやつを食べ、洗濯や庭の手入れをして、たちまち人気者になった。
「あんなにいい子を迎えるなんて、あなた幸運よ! 保護したつもりで大事にするのもいいけど、きちんと花嫁として大事になさいな。不幸にしたら、わたくしが許さなくてよ」
侯爵夫人はジェレマイアによく似た瞳を、キラキラと輝かせた。継母ではあるが実の母の妹なので、血の繋がった叔母でもあった。歳も近く遠慮がない。
「いずれ玉座から、あの男を引きずり下ろします。その時に、彼の立場が悪くならないようにしなければ」
「当たり前だ。あのクズの所業は、民には上っ面しか漏れてない。これからどんどん露出させていく予定だ。それと同時にアリスの功績を表に出す」
侯爵が泰然とソファーにくつろいだまま、ニヤリと笑った。
実際この三年間で行われた国王主催の慈善活動は、内務卿の指導の下で王妃が行ったものだ。
ユレ神の末裔たる、心優しい貞淑な妻。愚王に弄ばれた悲劇の人。民のための執政は全て彼の采配だと知らしめる。嘘はつかなくていい。王妃が居なくなってから、公共事業が滞るだけだ。
凹んだ石畳が修繕されない、魔物被害の補償がされない。すでに役所の窓口には少なくない苦情が寄せらせている。そこで役人はそっと囁くのだ。
ーー上の方でね、判子が止まってるんですよ。
国内事業の総責任者は国王である。建前上そうであって、実際に全てのことを国王本人が手がけるわけではない。街灯の魔力光球の寿命が切れたからと、いちいち国王に申請などしない。それぞれ管轄の部署があって、責任者がいる。その責任者の任命は突き詰めれば国王になる。
内務卿はそれを利用した。
アリスレアが王妃として頭角を現し始めた頃、内務卿はとある書類を作成し、王に署名をさせた。王妃への委任状である。元々王の仕事は委任状への署名が主なものである。陳情など「良きに計らえ」で終わりであり、言ってしまえば、良きに計らう担当を指名するのが仕事である。その権限をまるごと王妃に移し替えてある。
各署の長や責任者への委任状の中に、王妃のものもいくつかあった。その書類がそのまま効力を持っている。現在王妃が居ないのに、王妃の決裁が必要なのである。
「女神の加護が失われつつある今、王には速やかに退位していただかねばならん。そして女神に新たな加護を頂戴するのだ」
侯爵は息子に強い眼差しを向けた。王の権威を失墜させる。それは女神の加護を一気に失うかもしれぬ、あまりに危険な行為である。そして、女神の加護を受けるための条件も曖昧だ。
しかしユレの末裔シュトレーゼン伯爵家の子息は、彼らの保護下にある。王が教会に喧嘩を売ったも同然の今、最高司祭の協力も得られるだろう。国のためには、何としても新たな加護が必要であった。
ジェレマイアはアリスレアの優しい貌を思った。自分の妻になった少年は、波間に揺れる小舟のように運命に翻弄されている。大事にしなければ⋯⋯継母に言われるまでもなかった。
「あー、その、それから。アリスレア殿なんだが、此度の騒動で心労がだな⋯⋯」
「あなた」
侯爵がなにかを言おうとしたのを、夫人が笑顔で遮った。なにか含むものを感じたが、それを押し除けてまで語ることでもなかったのか、侯爵は諦めたようだった。
「早速、お茶にでも誘ってみましょう。私の部屋では萎縮すると思いますか? 母上、茶話室を借ります」
「なに言ってるの、この屋敷はもうあなたの管轄よ。わたくしたちはお客様。好きにしたらいいのよ」
どうやら少しづつ、采配する権限もアリスレアに譲渡しているようだ。国を動かして来た人だ、王都の屋敷のひとつやふたつ、どうということもないだろう。
「では、また、夕食の席で」
ジェレマイアは両親との挨拶を切り上げようとした。
「待って、これを返しておくわ。あなたたちの寝室の扉の鍵よ。閉まってるから顔を見に行くときは使いなさいな」
「⋯⋯私に持たせては駄目でしょう」
施錠してあることでアリスレアの心の安寧が保たれているのなら、ジェレマイアが手にしていいものではない。彼はそう主張した。
「なに言ってるの。いざというとき、わたくしのところに鍵を貰いに来るの? 今から閨を共にしますって? いい歳した大人が、そんな報告しないでしょ。あなたを信用して渡すんだから、アリスを泣かせたら容赦しないわよ」
被保護者でなく、妻。花嫁として遇すると言うことは、将来的にはそうなる可能性がある。継母は嫣然と笑った。
「まだ早いかもしれないけれど、心の傷が癒えたら、あの子にも愛し合う意味を知って欲しいもの。ただし、今じゃないわ。そこを間違えないでね」
「⋯⋯肝に銘じます」
確かにアリスレアの立場上、これ以上別の男に縁付けるわけにはいかない。ジェレマイアが最後の夫にならねばならないのだ。
可哀想な少年だと思う。
取り柄と言ったら国王であることしかない屑男の次は、戦場しか知らぬ無骨な男が夫とは。せめて大事に大事に、真綿に包むように愛してやらねばならない。
決意も新たに侍女に命じてサロンに茶の支度をさせると、訪いを知らせに先触れを出す。妻の居室を訪ねるのに先触れなど仰々しいが、まだふたりの仲は、始まってもいないのだ。
「若様、若奥様がお部屋にいらっしゃらないのですが⋯⋯」
先触れに出した侍女が戻ってきて、不安げな表情を見せた。その様を見てアリスレアは普段、部屋を空けることがないのだと知ったジェレマイアは、慌てて夫人用の居間へ駆け込んだ。
よもや自分を恐れてよくないことを考えたのでは、と血の気が引いた。そのとき耳に入ったのは、能天気な鼻歌だった。
楽しそうなその歌はソファーの陰から聞こえる。
「⋯⋯お、王妃様?」
覗き込んだ先にいたのは、白い頬を薄紅に染めてうっすらと汗をかいたアリスレアだった。⋯⋯なぜか床に座り込んで大きく脚を開くという、色気漂うあられもない姿で。
侯爵夫人は孤児院や施療院への奉仕活動に、アリスレアとアントーニアを積極的に伴った。ふたりは子供たちと遊び、素朴なおやつを食べ、洗濯や庭の手入れをして、たちまち人気者になった。
「あんなにいい子を迎えるなんて、あなた幸運よ! 保護したつもりで大事にするのもいいけど、きちんと花嫁として大事になさいな。不幸にしたら、わたくしが許さなくてよ」
侯爵夫人はジェレマイアによく似た瞳を、キラキラと輝かせた。継母ではあるが実の母の妹なので、血の繋がった叔母でもあった。歳も近く遠慮がない。
「いずれ玉座から、あの男を引きずり下ろします。その時に、彼の立場が悪くならないようにしなければ」
「当たり前だ。あのクズの所業は、民には上っ面しか漏れてない。これからどんどん露出させていく予定だ。それと同時にアリスの功績を表に出す」
侯爵が泰然とソファーにくつろいだまま、ニヤリと笑った。
実際この三年間で行われた国王主催の慈善活動は、内務卿の指導の下で王妃が行ったものだ。
ユレ神の末裔たる、心優しい貞淑な妻。愚王に弄ばれた悲劇の人。民のための執政は全て彼の采配だと知らしめる。嘘はつかなくていい。王妃が居なくなってから、公共事業が滞るだけだ。
凹んだ石畳が修繕されない、魔物被害の補償がされない。すでに役所の窓口には少なくない苦情が寄せらせている。そこで役人はそっと囁くのだ。
ーー上の方でね、判子が止まってるんですよ。
国内事業の総責任者は国王である。建前上そうであって、実際に全てのことを国王本人が手がけるわけではない。街灯の魔力光球の寿命が切れたからと、いちいち国王に申請などしない。それぞれ管轄の部署があって、責任者がいる。その責任者の任命は突き詰めれば国王になる。
内務卿はそれを利用した。
アリスレアが王妃として頭角を現し始めた頃、内務卿はとある書類を作成し、王に署名をさせた。王妃への委任状である。元々王の仕事は委任状への署名が主なものである。陳情など「良きに計らえ」で終わりであり、言ってしまえば、良きに計らう担当を指名するのが仕事である。その権限をまるごと王妃に移し替えてある。
各署の長や責任者への委任状の中に、王妃のものもいくつかあった。その書類がそのまま効力を持っている。現在王妃が居ないのに、王妃の決裁が必要なのである。
「女神の加護が失われつつある今、王には速やかに退位していただかねばならん。そして女神に新たな加護を頂戴するのだ」
侯爵は息子に強い眼差しを向けた。王の権威を失墜させる。それは女神の加護を一気に失うかもしれぬ、あまりに危険な行為である。そして、女神の加護を受けるための条件も曖昧だ。
しかしユレの末裔シュトレーゼン伯爵家の子息は、彼らの保護下にある。王が教会に喧嘩を売ったも同然の今、最高司祭の協力も得られるだろう。国のためには、何としても新たな加護が必要であった。
ジェレマイアはアリスレアの優しい貌を思った。自分の妻になった少年は、波間に揺れる小舟のように運命に翻弄されている。大事にしなければ⋯⋯継母に言われるまでもなかった。
「あー、その、それから。アリスレア殿なんだが、此度の騒動で心労がだな⋯⋯」
「あなた」
侯爵がなにかを言おうとしたのを、夫人が笑顔で遮った。なにか含むものを感じたが、それを押し除けてまで語ることでもなかったのか、侯爵は諦めたようだった。
「早速、お茶にでも誘ってみましょう。私の部屋では萎縮すると思いますか? 母上、茶話室を借ります」
「なに言ってるの、この屋敷はもうあなたの管轄よ。わたくしたちはお客様。好きにしたらいいのよ」
どうやら少しづつ、采配する権限もアリスレアに譲渡しているようだ。国を動かして来た人だ、王都の屋敷のひとつやふたつ、どうということもないだろう。
「では、また、夕食の席で」
ジェレマイアは両親との挨拶を切り上げようとした。
「待って、これを返しておくわ。あなたたちの寝室の扉の鍵よ。閉まってるから顔を見に行くときは使いなさいな」
「⋯⋯私に持たせては駄目でしょう」
施錠してあることでアリスレアの心の安寧が保たれているのなら、ジェレマイアが手にしていいものではない。彼はそう主張した。
「なに言ってるの。いざというとき、わたくしのところに鍵を貰いに来るの? 今から閨を共にしますって? いい歳した大人が、そんな報告しないでしょ。あなたを信用して渡すんだから、アリスを泣かせたら容赦しないわよ」
被保護者でなく、妻。花嫁として遇すると言うことは、将来的にはそうなる可能性がある。継母は嫣然と笑った。
「まだ早いかもしれないけれど、心の傷が癒えたら、あの子にも愛し合う意味を知って欲しいもの。ただし、今じゃないわ。そこを間違えないでね」
「⋯⋯肝に銘じます」
確かにアリスレアの立場上、これ以上別の男に縁付けるわけにはいかない。ジェレマイアが最後の夫にならねばならないのだ。
可哀想な少年だと思う。
取り柄と言ったら国王であることしかない屑男の次は、戦場しか知らぬ無骨な男が夫とは。せめて大事に大事に、真綿に包むように愛してやらねばならない。
決意も新たに侍女に命じてサロンに茶の支度をさせると、訪いを知らせに先触れを出す。妻の居室を訪ねるのに先触れなど仰々しいが、まだふたりの仲は、始まってもいないのだ。
「若様、若奥様がお部屋にいらっしゃらないのですが⋯⋯」
先触れに出した侍女が戻ってきて、不安げな表情を見せた。その様を見てアリスレアは普段、部屋を空けることがないのだと知ったジェレマイアは、慌てて夫人用の居間へ駆け込んだ。
よもや自分を恐れてよくないことを考えたのでは、と血の気が引いた。そのとき耳に入ったのは、能天気な鼻歌だった。
楽しそうなその歌はソファーの陰から聞こえる。
「⋯⋯お、王妃様?」
覗き込んだ先にいたのは、白い頬を薄紅に染めてうっすらと汗をかいたアリスレアだった。⋯⋯なぜか床に座り込んで大きく脚を開くという、色気漂うあられもない姿で。
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