神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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計画は崩れる。

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 ついに俺の夫が帰宅した。先触れによれば怪我もなく元気な様子だってことだ。

 小姓に扉を開けさせて、悠々と屋敷に入ってきたジェレマイア様は、圧倒されるほど大きな男だった。

 アリスレアは一段高い上座からから見下ろしたことしかなかったので、同じ高さに立つと見上げる首が痛い。この一月でお義父様と呼ぶようになった侯爵様によく似ているけど、彼よりも背が高く身体に厚みがあった。

 アリスレアはともかく前世の身体も中肉中背だったので、まったくうらやましい限りだ。

「おかえりなさいませ」

 トーニャと並んで微笑んだら微妙な表情をされた。そりゃそうだ、家を空けるときには存在しなかった妻が、自分の領域で出迎えをしてるんだもんな。

 ジェレマイア様は俺を驚かさないように配慮しているのか、気遣いの言葉を穏やかに紡いだ。この一月、お義父様にもお義母様にも申し訳ないくらい良くしてもらっているし、働く人々も清々しく気持ちの良い人ばかりだ。

 そんなわけで、彼の心配は杞憂だ。

 まずは当主であるお父上に挨拶をすると言うので、おとなしく背中を見送った。俺との時間は後で作ってくれるらしい。

 となりのトーニャが泣き出した。ジェレマイア様の気遣いに気が抜けたみたいだ。

 この一月ひとつき、威嚇する猫の仔みたいに気を張り詰めていたトーニャとは、以前より親密になった。

 アリスレアとは兄妹のように過ごしてはいたが、あまり親密すぎると王の乳兄弟に害されそうだったから、ギリギリのところで線を引いてたんだけど、侯爵夫妻の庇護下にあってはその心配もない。トーニャとのあれこれを思い出に語り、その都度言えなかった感謝や喜びを伝えることで、アリスレアが俺の中にいることを伝えた。

 トーニャは俺がアリスレアの意識と融合しかかっていることを理解して、変わらぬ忠義と敬愛を向けてくれる。その分、新しい環境に慣れず、俺の夫になったジェレマイア様を信用できずにいて、彼の帰宅の知らせを受けてから、ずっとピリピリしていたんだ。

 遠目でチラ見したことしかないおっかない将軍様が、俺に優しくしてくれる保証なんてどこにもないって、不安に思っているのが見て取れた。

 トーニャはアリスレアが虐げられるのを、間近に見すぎていたから。

 俺を労るように不自由はないか尋ねたジェレマイア様を、クズ王とは全く別物だと認識したんだろう。

「いい人です~っ。ゲスいロクデナシじゃないです~っ。良かったです~っ」

 ぐすぐす鼻を鳴らして泣くトーニャが堪らなく愛しくて、俺は肩を抱いて背中をあやしてやった。前世の娘はこの年齢になるとハグなんかさせてくれなかったので、感無量だ。

「駄目だよ、トーニャ。ここでならいいけど、よそでそんなことを言ったら縛り首になっちゃうよ。ほらほら、いい子だから泣き止んで」

 それにしても年頃の少年少女がハグギューしている姿を見ても、誰も咎めない。むしろ微笑ましく見守られている。継嗣のお出迎えは仰々しくはないが、俺たちの付き添いの侍女と女中はそこそこ控えているのだけれど、みんなニコニコして見ていた。

 トーニャは妹みたいな娘みたいな存在だから下心はまるでない。でも男としてちょっと複雑だ。アリスレアが可愛いのがいかん。

 トーニャを侍女に託して部屋で休ませることにして、俺は自室に帰った。

 俺の部屋はあるじ夫婦のための続き部屋の夫人用の私室で、寝室が夫であるジェレマイアのものと扉ひとつでつながっている。その扉は侯爵夫人の指示のもと、俺の目の前で施錠された。

 お義父様たちは普段は領地に住んでいるから、主寝室は総領息子に譲ったらしい。

 俺が日常過ごす居間でソファを利用してストレッチをする。精神年齢が高校生くらいにまで退行したせいか無性に暴れたいんだけど、この身体は華奢で運動不足だ。まずは基礎体力の向上からだと、二週間ほど前からこっそり始めてみた。

 空手部だったんだ、てへぺろ。

 小学三年生から地元の道場に、礼儀を覚えさせるのを目的に突っ込まれた。そのまま中学卒業まで道場に通った。地元の高校は殆ど同じ中学の持ち上がりみたいな田舎で、気づけば道場の仲間はみんな一緒に入学式に出席していた。

 インターハイに出るために空手部を名義だけ作って、みんなで道場に通ったんだよな。当時県内の高校に空手部がある学校が二校か三校しかなかったから、あっという間に県代表だったんだよ。女子なんか競技人口少なすぎて、クラスメイトが国体選手だったんだ。

 つまり、競争相手がいなかっただけで、強いわけではない(笑)。

 予想通り全国大会では一回戦負けで、それでも俺の青春だった。

 そんな俺から見たら、ジェレマイアの体躯はうらやましい限りだ。なんてことをつらつら思いながら入念に身体をほぐす。なんか楽しくなってきた。

 上等なカーペットに直接座って開脚して前屈すると、胸が床に床にピッタリついた。よし、身体は柔らかいぞ。これで格段に怪我のリスクが減る。

 調子に乗って鼻歌を歌いながらえっちらおっちら身体を伸ばしていたら⋯⋯。

「お⋯⋯王妃様?」

 あ?

 深い声音がやや困惑気味に俺を呼んだ。顔を上げたそこにいたのは⋯⋯まぁ、このシチュエーションじゃ、ジェレマイア様しかいないわな。

 ソファーの後ろで盛大に開脚したまま、上から覗き込んでいるジェレマイア様としばし見つめあった。俺が床に座っているせいで、マジで見上げる大男だ。

「侍女に部屋にうかがう旨を言付けたんだが、姿が見えないと⋯⋯」

 心配して来てくれたんだ。

 なんていい人。

「お見苦しいところをお見せしました」

 何事もなかったように立ち上がって、にこやかに会釈をする。カミングアウトはするつもりだったけど、せめて猫は被っておこうと計画してたのに⋯⋯。

「いや、見苦しくは⋯⋯」

 必死で言葉を探してるのが見て取れた。お転婆とかじゃじゃ馬とかブツブツ聞こえるぞ? それ、女の子に言うセリフだから、どう取り繕っても間違いだからね!

「⋯⋯元気でなによりだ」

 おい、その元気、健康を喜んでるんじゃないだろ。内務卿のボキャブラセンスと同じじゃないか。

 
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