神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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魂はめぐる。

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 俺の身体のであった男は、どう取り繕ってもゲスだった。独りよがりで自己中心的、我欲が強く、権力を持っている。

 そんな奴だが、一国の王である。

 俺は新しく自分のために用意された部屋に落ち着くと、ため息を漏らした。

「おーい、アリス。怖い王様とは離婚したよ。もう、出てきても平気だよ」

 宙に向かって囁くように話しかけるが、当然返事などあるはずもない。俺が『アリス』と呼びかけるのは、壊れてしまったアリスレアの自我だった。

 魂は巡るのだという。

 アリスレアの中にいるのは、アリスレアがアリスレアになる前に、この魂の持ち主だった俺だ。地球という星の日本という国で、普通に生きて普通に死んだ⋯⋯四十六歳で膵臓がんは、普通なのかわからないが、事故や事件でなく寿命だった。

 普通に大学を出て、新卒でほどほどの企業に就職し、大学のサークルの後輩と結婚して、一男一女に恵まれた。

 体調を崩したのを自覚したときには末期の膵臓がんだったけれど、保険会社に勤める友人の勧めで入っていた保険が保障のいいやつだったので、俺的には安心して死ねた。

 嫁と子どもにはいっとき悲しい思いをさせたが、俺の選んだ女と子どもたちだ。無事に立ち直ってくれたと信じている。

 死んでから、自分以外の幾つもの意識が同じ魂に宿っているのを知った。微睡まどろみながらみんなで、一番新しい生を見守っている。思念体は人生のうち、最も充実した時間を過ごした頃の姿に固定されるようだ。自分の姿が部活に熱中した高校生時代のものになっているのがわかった。思考も外見に引きずられるように、大人の分別を欠いたように感じる。

 俺はそうして他の思念体と一緒に、アリスレアが生まれてから王宮の夜会に出かけるまで見守っていたのだ。

 アリスレアは地方貴族の息子で、孕み胎を持つ神子返りだった。

 神子返り、もしくは神の末裔。地球と違ってこの世界はまだ若いのか、神の息吹がそこかしこに感じられる。精霊はそこらを飛んでいるし、獣の神を祖とする種族は、当たり前のように獣耳も獣尾も晒して歩くし、それを差別されることはない。

 少女のように可憐で神子返りであるアリスレアは、隣領の継嗣の元に嫁ぐことが決まっていた。神を身近に感じることができる神子返りは、よき嫁がねと大切に育てられた。

 そんな幸福の象徴のようだったアリスレアは、婚約者と初めて行った夜会で、無残に王に手折られた。恐怖と絶望で心を殺した少年はそのまま死んでしまうのかと思われた。

 女官たちはアリスレアを元気付け、慰め、懸命に世話をしてくれた。それに応えるように、また、実家とその隣領の迷惑にならぬように、アリスレアも気を持ち直して王妃の立場を受け入れたのだった。

 そんなアリスレアは自分がジェレマイア・ハインツ・ヴィッツの妻になったことを知らなかった。と言うより、王との婚姻が無効になったことすら知らなかった。

 懸命に日々過ごしていたある日、外出の許可が下りた。長く孤児院への慰問を希望していたが、王の許しがなく実現しなかった。それがようやく⋯⋯と喜んで、女官に着替えを頼んだ。幼さを多分に残したアリスレア付きの女官は、数ヶ月ぶりの許可に張り切って支度をした。

 西の国境あたりで魔獣の活動が活発になったと聞いた。被害が少ないと良い。魔獣から子を救おうと命を落とす親が多いのだ。魔獣の活動が活発になると、孤児が増える。ヴィッツ将軍が魔獣討伐のために出陣したのは、昨日のことだ。いったい何人の子どもが保護されて来るのだろう。

 増えるであろう孤児を迎える算段のための慰問。アリスレアはそう思った。視察も兼ねるとなると、このタイミングで許可が下りたことに、彼は深く感謝した。喜ぶ王妃を見て女官は、「あの陛下にそんな知恵があるもんですか」と、腹の中で呟いた。俺もまったくその通りだと思った。

 アリスレアと女官は馬車に乗り、孤児院目指して出発した。程なくして馬車が停車し、女官が訝しげに小窓のカーテンに手を伸ばした。王都の外れにある孤児院に、こんなに早く到着するはずがない。

「お嬢さま、ヴィッツ侯爵の館に到着いたしました」

 従僕が恭しく告げて扉を開けた。王妃ではなくお嬢さまと言われ女官は警戒していたが、ヴィッツ侯爵と聞いて肩から力を抜いたようだ。魔獣討伐の指揮を執るヴィッツ将軍の住まいだ。孤児を新たに迎えるために、何か打ち合わせがあるのだろう。

 アリスレアと女官は応接間に通されて、丁重なもてなしを受けた。程なくしてヴィッツ侯爵ーー将軍の父であるーーが現れた時は、孤児院の現状を訴える良い機会だと微笑みさえ浮かんだ。

 しかし侯爵がもたらしたのは、アリスレアの人生そのものを揺るがす衝撃だった。

「わたくしがジェレマイア様の妻」

 アリスレアは呆然と呟いて、翠の瞳を見開いた。女官は行儀悪くぱっかり口を開いて言った。

「良いんだか悪いんだか!」

 女官の言い様は的を射ていたけれど、アリスレアは自失した。実家のために耐えた全てが、なかったことになったのだ。

 血の気がひいて真っ青になったアリスレアは、声もなく意識を失った。

 そうしてアリスレアのために用意された部屋の寝台に寝かされて、ひとりになった俺はアリスレアに語りかけた。

「あの気持ち悪いロリコン糞野郎とは離婚したよ。てか、結婚がなかったことになったよ。もう怖くないよ。おーい、アリスぅ」

 返事はなかった。

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