3 / 5
3
しおりを挟む
魔獣の討伐は、辺境の領主が想像したよりもあっさりと終了した。予想よりも多くの魔獣が城壁に向けて押し寄せてきたが、砦にたどり着く前に遠距離からの狙撃で数を減らしたからである。
魔術師は接近戦よりも遠距離での攻撃が得意な者が多い。ホーリーライトはその典型だった。魔弾銃という特殊な長銃に魔力を込め、狙い撃ちにする。一度引き金を引くだけで一直線に数頭の魔獣を串刺しに仕留めるのは、百米もの距離があることを考えると化け物じみた能力である。これが地方貴族の私兵団から中央に推挙された実力だった。他の魔術師たちも健闘したが火の魔術師は山火事を恐れて加減したし、風の魔術師は火を煽るのを懸念した。実際の実力の数分の一しか発揮できなかったが、それでも優れた魔術師が住んでいない辺境の地にあって、その活躍は十分であった。
魔術師たちの尽力で魔獣の数は半分ほどに減り、近くまで迫ってきた残りは待ち構えていた騎士たちが仕留めた。痩せた魔獣は訓練された騎士たちの敵ではない。数で押されなければなんとでもなる。クラングランは魔術師の身でありながら、騎士に混じって剣を振るった。ホーリーライトに至っては素手である。なんとも規格外な魔術師に、騎士たちは内心で呆れ果てるのだった。
無事に討伐を終えたその夜……クラングランと数人の騎士が発熱した。複数の患者が出たことで何かの伝染病が疑われたが、全員が翌朝にはけろりとしている。疲れが出たのだろうと決着をつけて、討伐隊は王都へ帰還すべく荷を整えた。
復路は往路よりも格段に楽に進んだ。春を迎えて昼間の気温は暖かくなり、日も少しずつ長くなっているおかげである。そんな中、ホーリーライトはとなりを進むクラングランから、爽やかな柑橘系の香りがすることに気がついた。蜂蜜を溶かした檸檬果汁のような甘酸っぱい匂いは、確かにクラングランから放たれている。
「クラン、遅れ気味だ。体調が良くないのか?」
やや弾むような呼吸で額に汗を滲ませているクラングランを訝しげに見やって、ホーリーライトは彼の額に落ちかかる白い前髪に手を伸ばした。指通りのいい柔らかな髪の毛をかきあげると汗の匂いなのか、ふわりと柑橘の香りが広がった。何かがおかしい。
「よくわからない。体温調節がうまくいってないみたいだ。とても暑い」
先ほどの問いに答えると襟元に人差し指を突っ込んで、早春の冷たい空気を取り込むように生地を浮かせている。
「隊列を離れるか? 俺たちふたりなら、隊長も許可するだろう」
「そこまでじゃないよ。野営地までは保つと思う」
「お前が言うなら信じるが」
背中を預けるに足る相手のことを信じている。そう言いながらもホーリーライトは気をつけてクラングランを見ていることにした。彼はホーリーライトを困らせるような嘘は言わないが、困らせないための嘘はその限りではない。ほんの時々だが。
野営地に辿り着いたとき、隊列のあちこちから体調不良者の報告が上がった。いずれも討伐達成の夜に発熱を訴えた隊員で、クラングラン以外はベータの二次性を持っている騎士である。医療班に所属するオメガの魔術師は、彼らを一目見るなり隔離を言い渡した。
『とにかくアルファから離して』
それはつまり、彼らの症状がオメガ特有のものに酷似しているということに他ならない。たまたまベータの騎士同士で固まっていたために事故が起こらなかっただけで、アルファが近くにいたら危なかったようだ。本人たちもわけがわからないといった様子で、言われるままに医療魔術師の言葉に従った。統率の取れた討伐隊の隊員らしく、理由のある命令には逆らわない。
ベータの患者はそうして集められたが、アルファのクラングランは彼らと同じ場所に隔離するのは危険と判断された。クラングランはオメガの匂いを感じられないが、それを知るものは少ない。ひとり天幕に引きこもり、その入り口をホーリーライトが見張った。アルファの中のアルファであるホーリーライトが見張りに立つことに難色を示す者もいたが、他のアルファが匂いにつられてやってきたとき、ベータの騎士では抑えることが難しい。
「治癒師がオメガで助かったな」
「規則だからね」
天幕の分厚い布越しに、ホーリーライトとクラングランは言葉を交わした。魔獣被害や天災の復興支援の現場には、オメガの被災者もいる。彼ら彼女らは初対面のアルファ騎士との接触で、予想外の発情期に入ることがある。災害の現場で被害者も加害者も作らないために、遠征には必ずオメガの治癒師がふたり以上同行することになっていた。
「ホーはなんともない?」
「正直言って、抑制剤は多量摂取している。ベータの患者の匂いは甘ったるくて好きじゃないが、お前の匂いは好ましくて今はマズいな。まだ薄いが、クランからは爽やかな蜂蜜檸檬の匂いがしているぞ」
「君からはスパイシーな石鹸の匂いがする」
「スパイシーな石鹸って、どんな石鹸なんだ?」
クラングランは「僕もわからない」と言って笑った。その笑い声の間に、熱い吐息が混じる。
「でも……君以外のアルファの匂いはわからないんだ」
天幕の中からの声はその後、朝になるまで途絶えた。
魔術師は接近戦よりも遠距離での攻撃が得意な者が多い。ホーリーライトはその典型だった。魔弾銃という特殊な長銃に魔力を込め、狙い撃ちにする。一度引き金を引くだけで一直線に数頭の魔獣を串刺しに仕留めるのは、百米もの距離があることを考えると化け物じみた能力である。これが地方貴族の私兵団から中央に推挙された実力だった。他の魔術師たちも健闘したが火の魔術師は山火事を恐れて加減したし、風の魔術師は火を煽るのを懸念した。実際の実力の数分の一しか発揮できなかったが、それでも優れた魔術師が住んでいない辺境の地にあって、その活躍は十分であった。
魔術師たちの尽力で魔獣の数は半分ほどに減り、近くまで迫ってきた残りは待ち構えていた騎士たちが仕留めた。痩せた魔獣は訓練された騎士たちの敵ではない。数で押されなければなんとでもなる。クラングランは魔術師の身でありながら、騎士に混じって剣を振るった。ホーリーライトに至っては素手である。なんとも規格外な魔術師に、騎士たちは内心で呆れ果てるのだった。
無事に討伐を終えたその夜……クラングランと数人の騎士が発熱した。複数の患者が出たことで何かの伝染病が疑われたが、全員が翌朝にはけろりとしている。疲れが出たのだろうと決着をつけて、討伐隊は王都へ帰還すべく荷を整えた。
復路は往路よりも格段に楽に進んだ。春を迎えて昼間の気温は暖かくなり、日も少しずつ長くなっているおかげである。そんな中、ホーリーライトはとなりを進むクラングランから、爽やかな柑橘系の香りがすることに気がついた。蜂蜜を溶かした檸檬果汁のような甘酸っぱい匂いは、確かにクラングランから放たれている。
「クラン、遅れ気味だ。体調が良くないのか?」
やや弾むような呼吸で額に汗を滲ませているクラングランを訝しげに見やって、ホーリーライトは彼の額に落ちかかる白い前髪に手を伸ばした。指通りのいい柔らかな髪の毛をかきあげると汗の匂いなのか、ふわりと柑橘の香りが広がった。何かがおかしい。
「よくわからない。体温調節がうまくいってないみたいだ。とても暑い」
先ほどの問いに答えると襟元に人差し指を突っ込んで、早春の冷たい空気を取り込むように生地を浮かせている。
「隊列を離れるか? 俺たちふたりなら、隊長も許可するだろう」
「そこまでじゃないよ。野営地までは保つと思う」
「お前が言うなら信じるが」
背中を預けるに足る相手のことを信じている。そう言いながらもホーリーライトは気をつけてクラングランを見ていることにした。彼はホーリーライトを困らせるような嘘は言わないが、困らせないための嘘はその限りではない。ほんの時々だが。
野営地に辿り着いたとき、隊列のあちこちから体調不良者の報告が上がった。いずれも討伐達成の夜に発熱を訴えた隊員で、クラングラン以外はベータの二次性を持っている騎士である。医療班に所属するオメガの魔術師は、彼らを一目見るなり隔離を言い渡した。
『とにかくアルファから離して』
それはつまり、彼らの症状がオメガ特有のものに酷似しているということに他ならない。たまたまベータの騎士同士で固まっていたために事故が起こらなかっただけで、アルファが近くにいたら危なかったようだ。本人たちもわけがわからないといった様子で、言われるままに医療魔術師の言葉に従った。統率の取れた討伐隊の隊員らしく、理由のある命令には逆らわない。
ベータの患者はそうして集められたが、アルファのクラングランは彼らと同じ場所に隔離するのは危険と判断された。クラングランはオメガの匂いを感じられないが、それを知るものは少ない。ひとり天幕に引きこもり、その入り口をホーリーライトが見張った。アルファの中のアルファであるホーリーライトが見張りに立つことに難色を示す者もいたが、他のアルファが匂いにつられてやってきたとき、ベータの騎士では抑えることが難しい。
「治癒師がオメガで助かったな」
「規則だからね」
天幕の分厚い布越しに、ホーリーライトとクラングランは言葉を交わした。魔獣被害や天災の復興支援の現場には、オメガの被災者もいる。彼ら彼女らは初対面のアルファ騎士との接触で、予想外の発情期に入ることがある。災害の現場で被害者も加害者も作らないために、遠征には必ずオメガの治癒師がふたり以上同行することになっていた。
「ホーはなんともない?」
「正直言って、抑制剤は多量摂取している。ベータの患者の匂いは甘ったるくて好きじゃないが、お前の匂いは好ましくて今はマズいな。まだ薄いが、クランからは爽やかな蜂蜜檸檬の匂いがしているぞ」
「君からはスパイシーな石鹸の匂いがする」
「スパイシーな石鹸って、どんな石鹸なんだ?」
クラングランは「僕もわからない」と言って笑った。その笑い声の間に、熱い吐息が混じる。
「でも……君以外のアルファの匂いはわからないんだ」
天幕の中からの声はその後、朝になるまで途絶えた。
284
お気に入りに追加
189
あなたにおすすめの小説

お前だけが俺の運命の番
水無瀬雨音
BL
孤児の俺ヴェルトリーはオメガだが、ベータのふりをして、宿屋で働かせてもらっている。それなりに充実した毎日を過ごしていたとき、狼の獣人のアルファ、リュカが現れた。いきなりキスしてきたリュカは、俺に「お前は俺の運命の番だ」と言ってきた。
オメガの集められる施設に行くか、リュカの屋敷に行くかの選択を迫られ、抜け出せる可能性の高いリュカの屋敷に行くことにした俺。新しい暮らしになれ、意外と優しいリュカにだんだんと惹かれて行く。
それなのにリュカが一向に番にしてくれないことに不満を抱いていたとき、彼に婚約者がいることを知り……?
『ロマンチックな恋ならば』とリンクしていますが、読まなくても支障ありません。頭を空っぽにして読んでください。
ふじょっしーのコンテストに応募しています。

【完結】何一つ僕のお願いを聞いてくれない彼に、別れてほしいとお願いした結果。
N2O
BL
好きすぎて一部倫理観に反することをしたα × 好きすぎて馬鹿なことしちゃったΩ
※オメガバース設定をお借りしています。
※素人作品です。温かな目でご覧ください。

エンシェントリリー
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
短期間で新しい古代魔術をいくつも発表しているオメガがいる。名はリリー。本名ではない。顔も第一性も年齢も本名も全て不明。分かっているのはオメガの保護施設に入っていることと、二年前に突然現れたことだけ。このリリーという名さえも今代のリリーが施設を出れば他のオメガに与えられる。そのため、リリーの中でも特に古代魔法を解き明かす天才である今代のリリーを『エンシェントリリー』と特別な名前で呼ぶようになった。
その咬傷は、掻き消えて。
北月ゆり
BL
α以上にハイスペックなβ・千谷蒼は、高校時代からΩ・佐渡朝日に思いを寄せていた。蒼はαでない自分と結ばれることはないと想いを隠していたが、ある日酷い顔をした朝日が彼に告げる。
「噛まれ……ちゃった」
「……番にされた、ってこと?」
《運命になれなくとも支えたい一途な薬学部生β ×クズ男(α)に番にされた挙句捨てられた不憫Ω、のオメガバース》
※BSSからのハッピーエンドですがタグ注意
※ ストーリー上、攻めも受けも別の人とも関係を持ちます
【完結】あなたの恋人(Ω)になれますか?〜後天性オメガの僕〜
MEIKO
BL
この世界には3つの性がある。アルファ、ベータ、オメガ。その中でもオメガは希少な存在で。そのオメガで更に希少なのは┉僕、後天性オメガだ。ある瞬間、僕は恋をした!その人はアルファでオメガに対して強い拒否感を抱いている┉そんな人だった。もちろん僕をあなたの恋人(Ω)になんてしてくれませんよね?
前作「あなたの妻(Ω)辞めます!」スピンオフ作品です。こちら単独でも内容的には大丈夫です。でも両方読む方がより楽しんでいただけると思いますので、未読の方はそちらも読んでいただけると嬉しいです!
後天性オメガの平凡受け✕心に傷ありアルファの恋愛
※独自のオメガバース設定有り

アルファな俺が最推しを救う話〜どうして俺が受けなんだ?!〜
車不
BL
5歳の誕生日に階段から落ちて頭を打った主人公は、自身がオメガバースの世界を舞台にしたBLゲームに転生したことに気づく。「よりにもよってレオンハルトに転生なんて…悪役じゃねぇか!!待てよ、もしかしたらゲームで死んだ最推しの異母兄を助けられるかもしれない…」これは第二の性により人々の人生や生活が左右される世界に疑問を持った主人公が、最推しの死を阻止するために奮闘する物語である。
俺が番になりたくない理由
春瀬湖子
BL
大好きだから、進みたくて
大切だから、進めないー⋯
オメガの中岡蓮は、大学時代からアルファの大河内彰と付き合っていた。
穏やかに育み、もう8年目。
彰から何度も番になろうと言われているのだが、蓮はある不安からどうしても素直に頷く事が出来なくてー⋯?
※ゆるふわオメガバースです
※番になるとオメガは番のアルファしか受け付けなくなりますが、アルファにその縛りはない世界線です
※大島Q太様主催のTwitter企画「#溺愛アルファの巣作り」に参加している作品になります。
※他サイト様にも投稿しております

ミルクの出ない牛獣人
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
「はぁ……」
リュートスは胸に手をおきながら溜息を吐く。服装を変えてなんとか隠してきたものの、五年も片思いを続けていれば膨らみも隠せぬほどになってきた。
最近では同僚に「牛獣人ってベータでもこんなに胸でかいのか?」と聞かれてしまうほど。周りに比較対象がいないのをいいことに「ああ大変なんだ」と流したが、年中胸が張っている牛獣人などほとんどいないだろう。そもそもリュートスのように成体になってもベータでいる者自体が稀だ。
通常、牛獣人は群れで生活するため、単独で王都に出てくることはほぼない。あっても買い出し程度で棲み着くことはない。そんな種族である牛獣人のリュートスが王都にいる理由はベータであることと関係していた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる