星月夜と銃術師〈モノクロームの純愛〉

織緒こん

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 ニェーナ王国の軍隊の構成はアルファ二割、ベータ八割五分、オメガ五分であった。王国全体における二次性の割合では、アルファ人口は国民の一割にも上らない。しかし身体能力に優れた彼らが軍隊に集まるのは必然である。

 寒い中北の砦にたどり着いたニェーナ軍は、辺境の領主と領民に温かく迎え入れられた。自分たちを守ってくれる有難い存在として歓迎されているのだ。寒かったろうと、暖炉に火を入れて温かいスープを配られて、討伐隊の隊長が領主に礼を言っている。実際は魔術師たちの尽力であまり寒さを感じていなかったのだが、春が近付きぬかるんだ足元に苦労をしたので、騎士も魔術師もスープは遠慮なくいただいた。

 北の領民が討伐隊を大歓迎したのは、魔獣を迎え撃つことだけが理由ではない。軍に所属する優秀なアルファが、冬の砦に集まっている。その中に王都で若い娘やオメガの人気を二分する、ホーリーライトとクラングランがいるとの噂が出回ったからだ。果たして噂は真実であり、領民たちは神に捧げられた一対の彫刻のような美男子たちが、雪の白と冬枯れした樹々の黒を背にして立つ姿に見惚れた。

 魔獣が活動を始めるのには、もう数日かかるだろう。討伐隊は地形を確認して計画を練ったり、雪の重みで崩れた民家を片付けるなどして過ごした。見知らぬ土地での土木作業は、体力を必要とするし有事の際に土豪を作ったりするのに役立つ。訓練を兼ねて騎士たちは率先して参加している。見目よく優しい王都のアルファが、自分たちのために頑張っている。娘たちがのぼせ上がるも無理はない。見初められて王都に誘われることを夢見て、積極的に夜這いを始めるのはすぐだった。

 その夜ホーリーライトは未亡人だという色気のある女性に迫られて、卒なく断った。死に別れた夫と婚姻を結ぶ前にはそれなりの人数を袖にしてきたらしいが、ホーリーライトの食指は動かない。女性も大人の余裕でベータの騎士へ鞍替えしていったので、彼は罪悪感を覚えることなく後ろ姿を見送った。

 このまま眠る気にもなれなくなって、差し入れられた酒瓶を手にクラングランに割り当てられた部屋に向かうことにした。彼には星がよく見えるように、最奥の角部屋があてがわれている。

 近づくほどに、甘ったるい匂いが漂ってきて、ホーリーライトは眉をすがめた。時折会釈してすれ違うベータの騎士は、何も感じていないようだ。となれば、花や菓子の匂いではない。オメガが発する誘惑のフェロモンだ。彼は落ち着いて抑制剤のアンプルを取り出して摂取すると、クラングランの部屋に急いだ。

「ねぇ、抱いてよッ!」

 鍵のかかっていない扉を開けた瞬間に目飛び込んだのは、寝台の上で華奢な青年に馬乗りになられたクラングランだった。青年の寛げられた襟から覗く首筋は、上気して赤い。肩で息をしている様子は、すっかり出来上がっているようだ。寝台の下に空き瓶が転がっていて、青年が意図的に発情期に入ったのだと確信する。空き瓶はオメガ用の発情誘発剤であろう。興奮しすぎて動きがぎこちなく、指先が震えてうまくボタンが外せないようだ。

 対して下敷きになっているクラングランは、困ったように青年を見上げているだけだ。

「僕、アルファだけどオメガの匂いがわからないんだ」

「うっそでしょ⁈ この際匂いなんてわからなくていいよ! ボクの身体を見て、その気にならない? 匂いを感じないベータだって、ボクのこの姿を見たらメロメロなんだからぁ」

「ごめんね。欠陥アルファだから、好きなひとにしかときめかないみたいなんだよね」

「どうでもいいから、早くなんとかしてよ!」

 オメガの青年が叫びながら身体をくねらせた。クラングランはひとつため息をつくと、しなやかな身体に力を入れて青年と身体の位置を入れ替えた。青年の顔に喜色が上ったのも束の間、クラングランはするりと寝台から滑り降り、部屋の入り口にいたホーリーライトと目を合わせた。

「何してるの、ホー! 早く部屋に戻りなよ!」

 発情したオメガのいる部屋に、アルファのホーリーライトがいるのは危険だ。クラングランはホーリーライトが行きずりの関係を望むたちでないのを知っていて、焦ったように彼の手を引き廊下に飛び出した。

 部屋の扉に鍵をかけながら、ホーリーライトに苦言を述べる。外から別の男が入れないようにするための施錠で、オメガの青年は内側から開けることができる。症状が落ち着いたら自分でこの部屋を出ていけるし、落ち着いていないのに開けるのならそれは青年の意思だ。

「発情したオメガがいる部屋に来るなんて、馬鹿じゃないか?」

「それはお前もだろう。一緒に飲もうと思ってきてみれば、すごい臭いがしているぞ」

 ホーリーライトが掲げて見せた酒瓶に目をやって、クラングランは肩をすくめた。

「君の部屋にも来たんだ」

「ベータの未亡人だった」

 砦に仕える給仕の小姓の仕事を横取りして、寝酒の差し入れと称して入り込んだのだ。領主の怠慢である。否、領主の故意か。優秀な騎士や魔術師の子種を掠め取らせようとする地方の貴族は多い。うまくすれば優秀なアルファの子を授かるかもしれない。

 ふたりはホーリーライトの部屋に移って酒を飲むことにした。干し肉を齧りながら、領主が用意したのであろう酒の封を切る。そこそこに旨い。酒と女でもてなすのは、領主の善意なのかもしれない。お節介極まりないが。

「そんなにすごい匂いだった? 君の石鹸の香りはわかるんだけど、さっきの彼の匂いはよくわからなくて」

 クラングランが眉を顰めながらホーリーライトの首筋に鼻を寄せた。スンと匂いを嗅いで小さく頷く。

「匂いというか臭いだな。とにかく甘ったるくて重苦しい臭いだった。俺はもっと爽やかな香りのほうが好みだな」

「君の好みは聞いてないよ」

「俺だって、お前が俺の匂いを認識しているのかなんて聞いてないさ」

 ふたりは肩をすくめて笑った。

「何度か発情期のオメガに突撃されたけど、心を動かされることがなくてね。望まない番契約を結ばずに済んでいるのはいいけど、自分が本当にアルファなのか疑問に思うよ」

「その辺の雑魚アルファを萎縮させる、強烈な威圧フェロモンを出すくせに……。第一、俺と互角に試合う相手は、お前くらいなものだ」

「まぁ、僕のことはいいよ。君はどうなんだ。僕より五つも年上のくせに、番を得るつもりはないの?」

 酒が進むと口も滑らかになる。クラングランはクスクス笑いながら、グラスを干した。ホーリーライトのグラスも空になっていて、それぞれに酒を注ぎ足す。ほら、と手渡すと、酒に潤んだやけに熱い瞳がクラングランを見つめていた。

「番うのは無理だな。傍にいるのに手の届かない相手だ」

「………………そうか」

 まるで独り言のようなホーリーライトのつぶやきが、クラングランの胸を突く。小さな胸の痛みを誤魔化すように、彼はなみなみと注いだ酒を再び煽った。
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