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それから編
坪倉くんは思い知る
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坪倉真斗は愕然とした。
拳闘三昧の夏休みが明けて充実した気持ちで登校すると、荷物を教室の机に放って二年花組に向かった。笹岡雄大とは相変わらず生活リズムが違うのか、寮では一切会わないので校舎で捕まえようと思ったのだ。
笹岡は教室の一番後ろの席で、三従兄弟半だか言う、古林宗近に守られて⋯⋯そう、守られていた。古林は夏休み前に比べて、明らかに目つきが鋭くなっている。得体の知れない威圧感を放つ古林に、坪倉は混乱した。
それよりも。
笹岡の雰囲気が変わった。ほにゃんとした柔らかな微笑みはそのままなのに、トロトロと芳醇な香りが溢れている。
なんだ、この生き物は?
相変わらず地味な顔なのに、気圧される。坪倉は花組の教室に足を踏み入れることができなかった。
「おはよう、坪倉くん」
「あ、あぁ。⋯⋯おはよう」
笹岡が坪倉を見つけて挨拶をしてくる。知った顔がそこにいたから、挨拶を交わす。当たり前のことを当たり前にして、笹岡はすぐに隣の古林に向き直った。古林が一瞬馬鹿にしたような視線を向けて来て、坪倉はカチンときてイラついた。
予鈴の音で我に返ると、ムカついた気持ちのまま教室へ帰る。スポーツマン精神に則り存外真面目な彼には、サボるという選択肢はない。
本鈴が鳴って担任が姿を現しても、脳裏に浮かぶのは笹岡だった。最後に会話をしたのは夏休みの前、笹岡の部屋の前だ。
笹岡は扉のチェーンを外さなかった。本人は危機感を持ち合わせていないが、言いつけは守る素直な性格をしている。継弟の和泉御幸、風紀委員長万里小路静などから、口を酸っぱくして言い含められていたのだろう。事実笹岡は「開けると叱られるから」と言っていた。
とにかくあの時は、普通だった。たまに恥ずかしくなったりすると色気を駄々漏れにすることはあったが、あんなのさっきのアレに比べたら子供騙しだ。
夏休みの間に伊集院と何かあったのか?
休み期間中、笹岡は実家に帰省すると言っていた。西の方の豪農だと人伝てに聞いていたし、伊集院隼人の実家は東京恵比寿にドデカイ本社ビルを持つ会社だ。
担任の話し声を聞き流しながら、坪倉は提出プリントをいじった。紙がぐちゃぐちゃになって、慌てて指先で伸ばす。そしてふと気づいた。
和泉製紙は東京の企業だ。自分と笹岡が出会った騒動だって、新しい実家の鍵が発端だったじゃないか。西の方って言うのは、笹岡の亡父の郷里であって、笹岡の実家ではなかったのだ。
別々の場所に離れて帰省して、進展なんて無いだろうと高を括っていたし、なんなら付き合いたての盛り上がりなんて、離れているうちに冷めているんじゃ無いかと思っていた。
夏休み中の学生大会で必死に減量してタイトルを手に入れた。減量を終えて、もう禁欲的に自分を追い込まなくても良いと思ったとき、側に笹岡がいたら滅茶苦茶に抱いてやると、色気の滴る眦を想像して抜いたのに。
現実の笹岡は自分のものではなかった。
気付くと放課後だった。始業式に出た記憶もない。今日の日程は半日だから、生徒のほとんどが寮に帰って食堂で昼食を摂るのだろう。教室には数人しか残っていなかった。
チワワがひとり、寄って来た。生徒会長の親衛隊に所属していて笹岡を私刑にかけようとした、父親の会社の親会社の社長子息だ。和泉製紙と比べたら、箸にも棒にも引っかからない会社だ。
「坪倉、なに惚けてるんだ。父様からご祝儀をあずかっているから、ボクの部屋まで取りに来なよ」
チワワの父親は自社や子会社の社員の家族が活躍すると、気前よく祝儀をくれる。夏の学生大会の結果を知って、息子に預けたのだろう。
「アンタがきっかけなんだよなぁ」
キャンキャン無駄吠えしていたチワワは風紀委員長と親衛隊長にガッツリ絞られて、少しおとなしくなった。このチワワについて行って、笹岡に出会ったのだ。恐ろしい天然ボケで坪倉の交際申し込みをスルーした、おっとりした笹岡を思い出す。
「つうかさ、オレ。ガチで当て馬じゃん」
伊集院が外泊したあの日、笹岡に言った内容はだれでも知っていると思っていた。伊集院がチワワと寝ているのは、周知の事実だ。順番が回って来たチワワたちが声高に自慢するから、知らない人間の方が少ない。
当然知っているものと思ってちょっと蒸し返してやるつもりだったのに、とても傷ついた顔していた。フォローしようとした矢先、古林が現れて追い払われてしまってそれきりだ。
傷つけてしまった罪悪感と、拳闘の重量級体重制限でしばらく足が遠のいた。そのまま夏休みに入って今に至る。
坪倉の言葉をきっかけに、チワワに焼き餅を焼いたかなにかして、伊集院との仲を縮めたに違いない。となると、坪倉は牝馬をその気にさせるだけでお役御免になる当て馬と変わらない。笹岡があれだけ匂い立つ色気を発していると言うことは、種馬が存分に力を奮ったに違いない。
『おはよう、坪倉くん』
笹岡はそんな言葉ひとつ、眼差しひとつで、坪倉に全てを悟らせた。
坪倉は新学期早々失恋を自覚して、残暑の残る青い空を見上げたのだった。
拳闘三昧の夏休みが明けて充実した気持ちで登校すると、荷物を教室の机に放って二年花組に向かった。笹岡雄大とは相変わらず生活リズムが違うのか、寮では一切会わないので校舎で捕まえようと思ったのだ。
笹岡は教室の一番後ろの席で、三従兄弟半だか言う、古林宗近に守られて⋯⋯そう、守られていた。古林は夏休み前に比べて、明らかに目つきが鋭くなっている。得体の知れない威圧感を放つ古林に、坪倉は混乱した。
それよりも。
笹岡の雰囲気が変わった。ほにゃんとした柔らかな微笑みはそのままなのに、トロトロと芳醇な香りが溢れている。
なんだ、この生き物は?
相変わらず地味な顔なのに、気圧される。坪倉は花組の教室に足を踏み入れることができなかった。
「おはよう、坪倉くん」
「あ、あぁ。⋯⋯おはよう」
笹岡が坪倉を見つけて挨拶をしてくる。知った顔がそこにいたから、挨拶を交わす。当たり前のことを当たり前にして、笹岡はすぐに隣の古林に向き直った。古林が一瞬馬鹿にしたような視線を向けて来て、坪倉はカチンときてイラついた。
予鈴の音で我に返ると、ムカついた気持ちのまま教室へ帰る。スポーツマン精神に則り存外真面目な彼には、サボるという選択肢はない。
本鈴が鳴って担任が姿を現しても、脳裏に浮かぶのは笹岡だった。最後に会話をしたのは夏休みの前、笹岡の部屋の前だ。
笹岡は扉のチェーンを外さなかった。本人は危機感を持ち合わせていないが、言いつけは守る素直な性格をしている。継弟の和泉御幸、風紀委員長万里小路静などから、口を酸っぱくして言い含められていたのだろう。事実笹岡は「開けると叱られるから」と言っていた。
とにかくあの時は、普通だった。たまに恥ずかしくなったりすると色気を駄々漏れにすることはあったが、あんなのさっきのアレに比べたら子供騙しだ。
夏休みの間に伊集院と何かあったのか?
休み期間中、笹岡は実家に帰省すると言っていた。西の方の豪農だと人伝てに聞いていたし、伊集院隼人の実家は東京恵比寿にドデカイ本社ビルを持つ会社だ。
担任の話し声を聞き流しながら、坪倉は提出プリントをいじった。紙がぐちゃぐちゃになって、慌てて指先で伸ばす。そしてふと気づいた。
和泉製紙は東京の企業だ。自分と笹岡が出会った騒動だって、新しい実家の鍵が発端だったじゃないか。西の方って言うのは、笹岡の亡父の郷里であって、笹岡の実家ではなかったのだ。
別々の場所に離れて帰省して、進展なんて無いだろうと高を括っていたし、なんなら付き合いたての盛り上がりなんて、離れているうちに冷めているんじゃ無いかと思っていた。
夏休み中の学生大会で必死に減量してタイトルを手に入れた。減量を終えて、もう禁欲的に自分を追い込まなくても良いと思ったとき、側に笹岡がいたら滅茶苦茶に抱いてやると、色気の滴る眦を想像して抜いたのに。
現実の笹岡は自分のものではなかった。
気付くと放課後だった。始業式に出た記憶もない。今日の日程は半日だから、生徒のほとんどが寮に帰って食堂で昼食を摂るのだろう。教室には数人しか残っていなかった。
チワワがひとり、寄って来た。生徒会長の親衛隊に所属していて笹岡を私刑にかけようとした、父親の会社の親会社の社長子息だ。和泉製紙と比べたら、箸にも棒にも引っかからない会社だ。
「坪倉、なに惚けてるんだ。父様からご祝儀をあずかっているから、ボクの部屋まで取りに来なよ」
チワワの父親は自社や子会社の社員の家族が活躍すると、気前よく祝儀をくれる。夏の学生大会の結果を知って、息子に預けたのだろう。
「アンタがきっかけなんだよなぁ」
キャンキャン無駄吠えしていたチワワは風紀委員長と親衛隊長にガッツリ絞られて、少しおとなしくなった。このチワワについて行って、笹岡に出会ったのだ。恐ろしい天然ボケで坪倉の交際申し込みをスルーした、おっとりした笹岡を思い出す。
「つうかさ、オレ。ガチで当て馬じゃん」
伊集院が外泊したあの日、笹岡に言った内容はだれでも知っていると思っていた。伊集院がチワワと寝ているのは、周知の事実だ。順番が回って来たチワワたちが声高に自慢するから、知らない人間の方が少ない。
当然知っているものと思ってちょっと蒸し返してやるつもりだったのに、とても傷ついた顔していた。フォローしようとした矢先、古林が現れて追い払われてしまってそれきりだ。
傷つけてしまった罪悪感と、拳闘の重量級体重制限でしばらく足が遠のいた。そのまま夏休みに入って今に至る。
坪倉の言葉をきっかけに、チワワに焼き餅を焼いたかなにかして、伊集院との仲を縮めたに違いない。となると、坪倉は牝馬をその気にさせるだけでお役御免になる当て馬と変わらない。笹岡があれだけ匂い立つ色気を発していると言うことは、種馬が存分に力を奮ったに違いない。
『おはよう、坪倉くん』
笹岡はそんな言葉ひとつ、眼差しひとつで、坪倉に全てを悟らせた。
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