そう言えばの笹岡くん。

織緒こん

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伊集院、笹岡くんに打ち明ける

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 一ヶ月、何事もなく入浴と朝食の時間を過ごして、伊集院はご満悦である。時たま朝以外でも廊下で話したり、忘れた教科書を借りに行ったりするようになって、チワワちゃんがちょっとざわついているが、風紀の見守りもあって何事もない。

 そう、何事もない。

 健全に朝風呂に入って、朝食を摂るだけだ。

 なんなら健康的な生活で、伊集院の身体は逞しく厚みを増した。⋯⋯笹岡に見せたくて、こっそりしている筋トレを増やしたおかげもある。

 本当は夕食も共にしたいが、笹岡に拒否られた。朝食と違って夕食時は、親衛隊員がバラけた時間帯で食事しているからだ。ちょっとヘコむ。

 一ヶ月の間に、風紀委員長万里小路静までのこうじしずかも偶然を装って顔を繋いだ。見てくれだけなら少女のような万里小路と、おっとりした笹岡が並ぶと、朝からいいものを見た気分になる伊集院であった。

 そんなある日、二年花組に現れたのは、緑森学園生徒会長、二年雪組和泉御幸いずみみゆきである。

雄大ゆうだい、放課後付き合ってくれないか?」
「いいけど⋯⋯どうしたの、御幸くん」
「ちょっとプライベートだ」

 なんだかとっても思わせぶりだった。ふたりの関係を知るごく少数(風紀委員)は、ご家庭の事情かなぁと察したが、殆どの生徒が知らぬ情報だ。披露目もしないが隠しもしていないので、和泉も笹岡もオープンである。

「じゃあ、放課後に迎えに来る」
「僕から行くよ」
「いや、いい」

 付き合いたてのカップルみたいな会話に、廊下で聞いていた伊集院はイラッとした。そしてそれ以上にイラッとしたのが、生徒会長の親衛隊である。

 親衛隊員は笹岡雄大をこっそり観察し始めた。

 地味。

 その一言に尽きる。

 成績は上の下、運動はそこそこ、身長はド平均、顔は整っているが地味。最後の『地味』が全てを覆い隠して、存在を埋没させている。生徒会長が声をかけるまで、クラスに在籍していたことも忘れていた。『そう言えば、こんな奴いたな』と親衛隊員は思った。

 さらに観察を続けると、ごくたまに隣のクラスから会計様がやって来て、誰でもいいような口ぶりで、必ず笹岡に声をかける。借りた教科書と一緒にキャンディを渡したりしていた。会計様の親衛隊員は、キャンディには気付いていないようだったけれど。

 その頃から風紀委員長様の姿も、良く見かけるようになった。その傍らには必ず副委員長様も。⋯⋯あの地味な一般生徒が、生徒会長様の『特別』になったのだろうか? と、疑うのに時間はかからなかった。

 そんな訳で笹岡は、絶賛私刑のピンチにあった。放課後の生徒会室で継父からの伝言と新しい実家の鍵を受け取って別れた後、チワワたちとその手下のムサい拳闘部員に囲まれて、体育堂の裏に追い立てられた。

「⋯⋯どちらの親衛隊さん?」

 小首を傾げて考えるそぶりをする。そんな童謡があった気がするが、親衛隊員たちには地味があざとく可愛こぶっているようにしか見えなかった。

「ふざけないでよ! あの方の側にはアンタみたいな地味は似合わないんだから!」
「どの方?」
「会長様に決まってるじゃないか! 見たんだからね、合鍵貰ってたでしょ!」
「えぇッ! ホントッ⁈ 信じらんない!」
「それ、寄越せよ!」

 甲高い声に肩を竦ませて笹岡が眉を寄せると、親衛隊員は益々ヒートアップした。

「会長様の前に出られないように、楽しませてあげてよ!」

 ヒステリックな叫びを合図にして、大きな体躯の生徒がのっそりと出て来た。のしのしと笹岡の前まで進んで来たが、笹岡はぽかんと見上げるばかりで恐れる様子がない。

 拳闘部員は鼻白んで親衛隊員たちを振り返った。

「コイツ、頭ゆるい?」
「⋯⋯知らないよ、こんな地味な奴」
「あれ、何組の誰だっけ?」
「おいおい、どこの誰だか知らねぇ相手を制裁かよ。流石に無くね?」

 拳闘部員がチワワに突っ込んだ。

「制裁? そっか、御幸くんのところも気をつけなきゃならなかったんだ。失敗しちゃったね」

 この後に及んで自分が制裁に合っている自覚がない様子に、拳闘部員は絶句した。

「地味のくせに、何言ってんの? お前如きが会長様の恋人なんて烏滸がましいんだよ」
「んもう、アンタもさっさとコイツを犯してよ!」

「犯す? 制裁って殴られたりするんだと思ってたよ。どっちにしても犯罪じゃないかなぁ。僕、ちゃんと警察行くよ?」

「!」
「き、キズモノになったって、自分から言う気⁈」

 笹岡はさして怒ることもなく、淡々としている。拳闘部員は静かな佇まいの地味な生徒に、興味が湧いて来た。顔を真っ赤にしてキャンキャン吠えるチワワより、よっぽど魅力的に見えて来た。

 さてこの拳闘部員、名を坪倉真斗つぼくらまさとと言う。坪倉の父はそこで吠えているチワワの父が経営する会社の子会社の社長だった。『言うこと聞かないと、パパに言いつけてやる』と言うので参加したが、正直子守にも飽きた。

「アンタ、名前は?」
「笹岡です」
「そうか、俺は坪倉だ。なぁ、会長やめて俺にしとかねぇ?」

 真っ直ぐに見上げて来る顔は、地味だが大層整っている。こう言う顔は蕩けると際限なくエロい。囲まれて騒ぎ立てない胆力も気に入った。

「ちょっと、なに言ってるのさ」
「さっさと犯っちゃえって言ってるでしょ!」

 チワワがうるさい、内心イラつきながら坪倉は男臭い笑みを浮かべた。

「そうしねぇ?」
「⋯⋯しません」
「会長と別れたくねぇの?」
「別れるもなにも、僕は御幸くんの恋人ではないよ」

「嘘だッ!」
「じゃあ、その鍵は何なの⁈」

 チワワは黙ってろ! 坪倉がひと睨みすると、いったん黙る。力では叶わないのはわかっているらしい。

「僕の自宅の鍵。新しくなったから、預かって来てくれたんだ」
「⋯⋯なんで会長が?」

 やっぱり恋人じゃねぇかと、坪倉は思った。けれど帰って来た返事は予想外のものだった。

「僕が御幸くんのお兄ちゃんになったから」

 どこか誇らしげなのは『兄』だからなのだろうか。和泉が聞いたら、たかが数時間の差に歯噛みしそうだった。

「母の再婚で継兄弟になったから、家族だよ。だから坪倉くんのお兄ちゃんにはなれないよ」

 ほえほえ笑うのに、気が抜けた。坪倉がなりたいのは笹岡の弟じゃない。

 慌てたのは生徒会長の親衛隊員である。隊長に内緒で勝手に私刑を画策した挙句、勘違いだったのだ。寄りによってこの地味が、会長様のお身内だとは!

 チワワが数人抱き合ってガタガタ震えはじめた。未遂だが和泉の父に伝われば、実家が経営する会社がどうなるかわからない。彼らは自らが親の威を借ることを当たり前にして来たので、笹岡がそうすると疑わなかった。

「なるほど、付き合ってないのはよくわかった」

 衝撃の事実はあったけれど。

「なおさらだ、俺と付き合おう」
「⋯⋯どこまで?」
「そのボケはいらねぇ」

 坪倉は俄然本気になった。多分コイツは色恋に疎い。こんな体育堂の裏で青姦なんかじゃなく、ベッドの中で心ゆくまで味わって、朝までアンアン言わせてやりたい。

 全く理解していない笹岡は、なにがボケなんだとか呟いている。益々可愛い。

 ちょっとキスでもかましてやろうと、顎に手を添えて上向かせた。

 バンッ

「ひゃあッ」

 悲鳴が可愛すぎかよ! 

 飛んで来たサッカーボールを拳で弾き返した音に驚いて、笹岡が悲鳴をあげたのがめちゃくちゃ可愛い。

「誰だ? 笹岡に当たったらどうする」
「俺がそんなヘマするかよ」

 低く唸った坪倉の声に答えたのは。

「伊集院くん!」

 笹岡は坪倉の前からあっさりと身を翻し、とてとてと伊集院の側に寄って行った。

「こんなところで会うなんて、偶然だねぇ」
「偶然じゃないよ、探してたの。なんでこんなムサイのに捕まってんの? ちゅうされてない?」
「⋯⋯? どこかに付き合って欲しいって言うんだけど、どこだと思う?」

 伊集院は笹岡の肩に両手をついて、ガックリと脱力した。安心と呆れがごっちゃになって、力が抜けたのだ。

「お前、拳闘部の坪倉真斗だよね。この子、俺が大事にしてる子だから、余計なことしないでくれない?」
「はっ、会計サマだか知らねぇが、アンタのものじゃないだろ。初心ウブ過ぎて、なんもわかってねぇ」
「だから、大事にしてんだろ」

 ビジネスチャラをかなぐり捨てて、伊集院は坪倉を睨みつけた。身長はさほど変わらないが、身体の厚みは全然違う。パワーは確実に坪倉が上だ。

「え?」

 唐突に、笹岡が声を上げた。

「大事ってなに? 付き合うって、交際のこと⁈」

 ぽかんと口を開けて、伊集院と坪倉を交互に見た後、白い顔に朱をのぼらせた。ようやく意味を理解して、慌てふためいている。この一ヶ月、もう少し先に進めたかった伊集院は、奥手な笹岡にもう一歩踏み出すことにした。

「好きだから、これからガンガン攻めるよ。覚悟してね」

 そうして笹岡は。

 脱兎の如く逃げ出したのだった。


 
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