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お前の傍にいられぬのに、何を守り神というのか
しおりを挟む「神様すみません。今日から二日ほど家を空けます」
朝、膳と酒を神棚にあげ、手を合わせて彼女は言った。
あの忌々しい男が家を見に来てから数日が経った。
二度と来るな、と帰るその背に吐き捨てるように言ってから、今日の今日までわたしと彼女だけの穏やかな日々が続いている。
「明後日の朝には帰ります。多めにお膳とお酒を用意しましたので、どうかお許しください」
誰もいない部屋に一人で、わたしに話しかける彼女の横顔を見る。
人間というものは、瞬く間に歳をとる。
先日まで、幼い少女だと思っていた彼女は、もう一人の大人の姿をしている。
その姿をいつだって見つめてきた。
彼女は祖父母に年端もいかぬ時から毎日欠かさず膳と酒を神棚にあげるよう言われていた。
成長した今も、彼女は見えもしない私に詫びて手を合わせる。
「寂しいが、わたしは大丈夫だ」
ちゃんと家に帰ってくるのだよ?と愛しい人間(ひと)を見つめる。
彼女が家を空けるのは制服というものを着ていた頃だ。
同じ制服を着た人間たちと短い旅をしていたらしい。
その時はまだ家族がこの家にいてわたしと同じく彼女の帰りを待っていた。
けれど、その家族はもういない。
この家の領域でなければ、私の力は及ばない。
彼女が外に出てしまえば、わたしは彼女に何もしてあげることができない。
けれど、どこへ行くのだろうか。
怪我をするような危うい場所でなければ良いのだが…
妙にざわつく心を宥めるように、息をついて彼女を見つめる。
この前のように、また妙な人間を家に連れて来ないでおくれ。
そう思っていた時、電話が鳴った。
これは前からわたしが厭っているもの。何処ぞの知らぬ者の声が奥から聞こえてきて不快でしょうがない。
わたし以外の者とにこやかに語らう彼女を見ると心がささくれだつ。
「あ、もしもしおはよう。今から出るよ」
『おはよ。ごめん、言い忘れてたんだけど、駅じゃなくて研究室に集合で。そっから皆で行くからさ』
「分かった。大学着いたら連絡するね」
ほんの僅かなやりとり。
けれど、分かってしまった。
「行くな」
声が震える。
今の声は前にこの家に来たあの忌々しい男の声だ。
「あの男の処に行くのか…?」
掠れたわたしの声は彼女には聞こえない。
火元や戸締まりを確認して、足早に廊下に出る。
いつもより荷物が詰まった鞄を持つ彼女はその言葉通りここを空けてしまうつもりなのだ。
がたがたと震える体でその背中を追う。
「やめろ、行くな…!」
手を伸ばしても、触れることは叶わない。
「わたしを置いて、この家を出るのか…!?」
これほどまで、声が聞こえないことを恨めしいと思ったことは無い。
靴を履いて、外に出ようとする彼女に叫ぶ。
「待ってくれ!わたしをひとりにしないでくれ!」
叫んでも叫んでも、声は届かない。
いやだ、やめてくれ…!!
彼女がいなくなる不安と恐怖、そして怒りが沸き上がってくる。
勝手に涙が出ていた。
「わたしには、お前しかいないのだ!」
なぜ、わたしの声は聞こえない?
なぜ、わたしはこの家の領域から出られない?
他の人間に会うことを分かっていて、その背中を見送らねばならぬのか。
この身が張り裂けそうになる程の想いを強いられてまで、わたしはこの家の守り神でいなければいけないのか。
家人に姿も声も認知されることがないのに?
力なくその場に膝をつく。
「お願いだ。傍に…わたしの傍にいてくれ…!」
悲痛な声に重なるように「行ってきます」という彼女の声と、鍵が閉まるがちゃりという音が響いた。
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