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お前は、誰だ?
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「いってきまーす」
「いってらっしゃい、気を付けて行くのだよ」
微笑むわたしの言葉ににこりともせずに彼女は玄関の扉を閉めて、鍵を掛けて家を出ていく。
がちゃりという鍵の音だけが家に響いた。
彼女の帰りが最近遅い。
いつも夥しい量の文字が書かれた紙束や書物を持って帰ってきたかと思うと、険しい顔をしてずっと読み込んでいる。
時折唸っては、何かを紙に書き記していた。
どうやら、彼女の学業に必要なものらしい。
縁側の窓から外を見やる。
厚い雲に覆われた空はどんよりとして重い。ざわざわと風が草木を騒がせていた。
「厭な天気だ」
*
彼女が帰ってくる気配がする。
その気配はいつも彼女ひとつなのに、今日は違う。
おかえり、といつも言う言葉が途端に喉の奥に引っ込む。
見たこともない男が彼女の隣を歩きながらこちらに来る。
「すごいな、文献でしか見たことなかったから楽しみだ。何年前くらいの家屋なんだ?」
「明治時代の初期に建てたらしいから、百四十年くらい前だと思う。でも、うちは少しリフォームもしてるから、役に立つかは分からないよ」
「いや十分すげぇよ、先生見たら喜ぶな絶対」
興奮気味にしゃべる男の声が不快だ。
馴れ馴れしく彼女に話しかけるこいつは誰だ?
歳は彼女と同じくらいのように見えるが軽薄そうな装い。客人と呼ぶには相応しくない。
その男が家の中に上がり込もうとしている。
「待て、貴様何者だ?何の用があってこの家に来た?」
人間にわたしの声が聞こえもしないのは承知だが、怒りで声が出る。
男は彼女に促されるまま家の中に入り、しげしげと家の柱や部屋の造りを見ている。
家主が案内しているとは言え、自分を見られているようで気分が悪い。
しまいには、二人で彼女の部屋のある二階にまで上がりはじめた。
「出ていけ!」
声を荒げずにはいられない。
ついていけば、男は驚いた顔で梁を見ていた。
この家はそれを支えるためにより強く、しなやかさもある木を使用している。
当然支柱の一部である梁もそれにふさわしい大きさと太さをもっている。
「すげぇ立派な梁だな!」と声を上げた男の声が不快だ。
「全部天然の木材を使ってるみたい」
「クレーン車も無い時代にこれだけ立派なのつけれるなんて、当時の技術はすげぇな」
男は感嘆の声を上げて隅々まで天井を見ている。
「すごいよね、願掛けとかも大工さんがやってたみたい」
梁を見ながら彼女は指を指す。
そこにあるものを見て苦々しい思いが込み上げて、思わず梁から目をそらした。
「願掛けのためにこの家を建てた当時の大工の棟梁さんがつけたんだって」
彼女が指すものを見て、男は首を傾げた。
「なんだあれ?草履か?片方だけしかないみたいだけど」
「あれは草鞋だよ。この家に住む神様が出ていかれないように、わざと片方しかないんだって」
「へぇ!なるほどな」
納得したように男は笑う。
願掛けなどという綺麗な言葉で片付けられているが、あの草鞋はわたしへの呪いだ。
家を守る神であるわたしに強いられた屈辱ともとれる呪い。
忌々しいあれがあるせいで、私はこの家の敷地から出ることが出来ない。
か弱く、愛しい人間の傍にいることも叶わない。
その呪いによって、毎日毎日その小さな背中を見送る苦しみを強いられていることも、この孤独もこの男は知りもしないのだ。
なぜ、彼女と話している?
なぜ、貴様は彼女に見えている?
なぜ、彼女の傍にいる?
わたしには何一つ赦されていないというのに。
「…今すぐ立ち去れ」
怒りで心の底から出た声は伝播するように辺りをざわつかせた。外にとまっていた雀たちが一斉にけたたましい鳴き声をあげて飛び立っていく。
その音に古い磨りガラスの外窓はいとも簡単にがたつく。
音に驚いて二人は下に降りて行った。
我に返り、それを呆然と見つめた。
体が震える。
目が強い光を浴びた時のようにちかちかと眩しい。
胸が締め付けられるように、苦しくなる。
思わずその場に膝をついて手で肩を強く抑える。
まるで悪い呪いに掛かったように自制が効かず、ぞろりぞろりとそれに侵されていくような感覚になる。
「本当に厭な日だ…」
苦々しげに呟いた言葉。
まるで、その言葉も黒々とした呪いのようで吐き気がした。
「いってらっしゃい、気を付けて行くのだよ」
微笑むわたしの言葉ににこりともせずに彼女は玄関の扉を閉めて、鍵を掛けて家を出ていく。
がちゃりという鍵の音だけが家に響いた。
彼女の帰りが最近遅い。
いつも夥しい量の文字が書かれた紙束や書物を持って帰ってきたかと思うと、険しい顔をしてずっと読み込んでいる。
時折唸っては、何かを紙に書き記していた。
どうやら、彼女の学業に必要なものらしい。
縁側の窓から外を見やる。
厚い雲に覆われた空はどんよりとして重い。ざわざわと風が草木を騒がせていた。
「厭な天気だ」
*
彼女が帰ってくる気配がする。
その気配はいつも彼女ひとつなのに、今日は違う。
おかえり、といつも言う言葉が途端に喉の奥に引っ込む。
見たこともない男が彼女の隣を歩きながらこちらに来る。
「すごいな、文献でしか見たことなかったから楽しみだ。何年前くらいの家屋なんだ?」
「明治時代の初期に建てたらしいから、百四十年くらい前だと思う。でも、うちは少しリフォームもしてるから、役に立つかは分からないよ」
「いや十分すげぇよ、先生見たら喜ぶな絶対」
興奮気味にしゃべる男の声が不快だ。
馴れ馴れしく彼女に話しかけるこいつは誰だ?
歳は彼女と同じくらいのように見えるが軽薄そうな装い。客人と呼ぶには相応しくない。
その男が家の中に上がり込もうとしている。
「待て、貴様何者だ?何の用があってこの家に来た?」
人間にわたしの声が聞こえもしないのは承知だが、怒りで声が出る。
男は彼女に促されるまま家の中に入り、しげしげと家の柱や部屋の造りを見ている。
家主が案内しているとは言え、自分を見られているようで気分が悪い。
しまいには、二人で彼女の部屋のある二階にまで上がりはじめた。
「出ていけ!」
声を荒げずにはいられない。
ついていけば、男は驚いた顔で梁を見ていた。
この家はそれを支えるためにより強く、しなやかさもある木を使用している。
当然支柱の一部である梁もそれにふさわしい大きさと太さをもっている。
「すげぇ立派な梁だな!」と声を上げた男の声が不快だ。
「全部天然の木材を使ってるみたい」
「クレーン車も無い時代にこれだけ立派なのつけれるなんて、当時の技術はすげぇな」
男は感嘆の声を上げて隅々まで天井を見ている。
「すごいよね、願掛けとかも大工さんがやってたみたい」
梁を見ながら彼女は指を指す。
そこにあるものを見て苦々しい思いが込み上げて、思わず梁から目をそらした。
「願掛けのためにこの家を建てた当時の大工の棟梁さんがつけたんだって」
彼女が指すものを見て、男は首を傾げた。
「なんだあれ?草履か?片方だけしかないみたいだけど」
「あれは草鞋だよ。この家に住む神様が出ていかれないように、わざと片方しかないんだって」
「へぇ!なるほどな」
納得したように男は笑う。
願掛けなどという綺麗な言葉で片付けられているが、あの草鞋はわたしへの呪いだ。
家を守る神であるわたしに強いられた屈辱ともとれる呪い。
忌々しいあれがあるせいで、私はこの家の敷地から出ることが出来ない。
か弱く、愛しい人間の傍にいることも叶わない。
その呪いによって、毎日毎日その小さな背中を見送る苦しみを強いられていることも、この孤独もこの男は知りもしないのだ。
なぜ、彼女と話している?
なぜ、貴様は彼女に見えている?
なぜ、彼女の傍にいる?
わたしには何一つ赦されていないというのに。
「…今すぐ立ち去れ」
怒りで心の底から出た声は伝播するように辺りをざわつかせた。外にとまっていた雀たちが一斉にけたたましい鳴き声をあげて飛び立っていく。
その音に古い磨りガラスの外窓はいとも簡単にがたつく。
音に驚いて二人は下に降りて行った。
我に返り、それを呆然と見つめた。
体が震える。
目が強い光を浴びた時のようにちかちかと眩しい。
胸が締め付けられるように、苦しくなる。
思わずその場に膝をついて手で肩を強く抑える。
まるで悪い呪いに掛かったように自制が効かず、ぞろりぞろりとそれに侵されていくような感覚になる。
「本当に厭な日だ…」
苦々しげに呟いた言葉。
まるで、その言葉も黒々とした呪いのようで吐き気がした。
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