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蓼をくらう虫 貴族ヤンデレ×天涯孤独なあの子

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「たとえ明日の食事にありつけなくとも、体だけは売るな」

今は亡き母が、私に言った言葉。
その母は産みの親ではなく、育ての親だが、真剣な瞳と言葉から私の出生は察することができた。
貧しいながらも、実の子のように愛情を受け育ててもらう中で、自分の体は決して売らないと母に誓い、これまで生きてきた。

甘い言葉がなかったわけではない。
女が一人で生きていけるほど、この世の中は優しくない。
学も金もない女はどこかで給仕として安く働くか、夜の街で男に縋るしかない。
若く体力のある女は、皆後者を選んだ。
当然だ。
金回りもよく男からちやほやされる。
そして何よりもそれをすれば食事と寝床にありつける。
男に食事や酒を奢られ、安くとも宿や男の家で一夜を過ごし金も得られる。

「あんたもここで働けばいいのに。いい客がつくわよ」

亡き母と同じ歳の女店主は、料理を配達に行った私にニヤリと笑ってそう言った。
紙巻き煙草で黄ばんだ歯が、肉料理に食らい付く。
それが男が女に掴み掛かる様子に見えて、私は挨拶もほどほどに足早に帰った。

ぞわりと寒気を感じながら、働いているバルに帰る途中だった。


「こんばんは」


楽しそうな男の声がした。

この街で、女に声を掛けるということはそういうこと。

煙草や酒の匂いが無い。
汗や怪しい薬の臭いもしないのが、この街では珍しく反応が遅れてしまった。
いつも人気の無いところを歩く時はそれらに人一倍気をつけて歩いているのに。

「私は身売りではないので」

店以外で女を得ようという不届き者にはいつもこれを言う。
灯りの乏しく人気のないこの通りでは月明かりだけが頼りだが、男の顔は見えない。

「そう、それは嬉しいな」

その言葉を聞いた瞬間、持っていた篭を力いっぱい男に投げつけ逃げる。

少しでも時間稼ぎになればと投げつけたそれは、なんの役にも立たないようだった。
一瞬金属の擦れる音がした。

それはサーベルを抜く音。

まずい。
相手は武器を持っている。

必死に逃げながら考える。
なぜサーベルを持つ程の人間が貧民街であるここにいる?
軍人か貴族、相応の地位がなければ持てないそれをこの状況で扱えるなんて。

男の足音も気配もないのに追われている恐怖に足がもつれそうになるが、必死で逃げる。

あと少しで人通りのある表道へ出る。

助けて、母さん。

祈るように言った言葉は男の声に遮られる。

「捕まえた」

声が聞こえた後骨が折れそうな程、腕を強い力で引かれる。
悲鳴を上げる間もなく、体は後ろへ投げ出された。

あぁ、殺される。
そう思った。

しかし、来るはずの斬撃はなく、羽交い締めにされ手で口を塞がれる。
噛みつこうとするが、その手は革の手袋がされていて歯が立たない。
呻き声を上げ、もがく私に対し男は鼻歌を歌いながらどんどん逃げてきた道を戻っていく。

馬の嘶く声と車輪の音がする。
馬車だ。
そう思った瞬間、馬車の中に放り込まれる。
逃げ出そうと起き上がるが、男が馬車に乗り込みバタリと扉は閉められてしまった。

「出してっ!」

そう言った瞬間また口元を男の手で抑えられてしまった。

馬車の中はわずかだか、灯りがある。
目の前の男を睨み付ける。
男はこちらを射貫くように見ながらも、至極楽しそうにしている。
笑っている口元には人差し指が立てられて「しーっ!静かにして。ね?」と子供をあやすように言った。
その余裕が腹立たしい。

男は私とさほど歳が変わらないように見えるが、貧民街ではまず見ることのない立派に仕立てられた軍服を着ていた。
その腰には篭を斬ったであろう金細工が施されたサーベルが見える。
金持ちなのはすぐ分かる。
ならばこんな街ではなく、高級娼館で戯れればよいものを。

睨み付ける私に何故か少し顔を赤らめて、男は言った。

「僕を抱いて?」と。

男の宝石のように碧い双眼は、深く激しい熱を帯びていた。

まるで、女が男に愛を求める時のそれを目の前の男は甘い声で宣う。

「抱いて欲しいんだ、僕の愛しい人」

手入れの行き届いたきめ細やかな白い男の頬は、また化粧をしたように紅くなる。

「一夜と言わず死が僕らを別つまで。いや、死んだって傍にいたいよ」

水仕事でボロボロな私の手の甲に、うっとりと口付けられて骨の芯まで寒気が走る。

これから私はどうなるの。

恐怖の中でもただひとつ分かることは、母の約束はもう守れないということだった。

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