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僕、食べる人 勘違いヤンデレ×料理上手なあの子 ヤンデレ視点

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「良い匂い…」

食欲をそそる香りに普段は鳴らない腹が鳴った。
その匂いに誘われるように、台所に行く。

正直な体だと苦笑する。

このボロいアパートの部屋は玄関の真横に台所があり、その目の前に窓がある。
そこから、アパートの外の通路が見える。

まるで、そこで料理している彼女を想像するように台所に突っ立ったまま眼を閉じた。

食材を切る音は軽快で、リズムをとりたくなるくらいだ。
その音にのって、こちらの部屋までカレーの良い香りがしてくる。

彼女に関わる音のすべてを聞き漏らしたくなくて、窓を全開にしている僕は、さぞ無用心に見えるだろう。

けれど、別にこの部屋に大事なものなどないし、盗られても新しいものを買えば済む話。
今の僕には少しでも彼女の音や声を聞き、その存在を確かめることの方が優先されるべきこと。

彼女の部屋の換気扇から流れるこの匂いが、僕を癒してくれている。

「もうすぐ、持ってきてくれるかなぁ」

まるで母親の作ったごちそうを待ちわびる子供のようだと笑った。


彼女のことは前からずっと好きだった。
こんなボロいアパートに引っ越したのも、彼女の傍にいるため。彼女の存在をより強く感じるためだった。
最初こそボロくてセキュリティのセの字もないアパートに彼女を住まわせ続けることに激しい抵抗があった。
今すぐ僕の本宅のマンションに引っ越しをさせたい。
セキュリティも万全だし、綺麗で洗練されていて快適にすごせるはずだ。
その手を取って、夜景を見ながら二人きりで過ごしたいと考えていた。

しかし、住めば都というべきか。
なにより最愛の彼女がすぐ近くにいるからか、この生活も悪くはないと思えるようになった。

彼女は料理好きのようで、毎日料理をする。
彼女が料理をする音を調理器具ひとつない台所で窓を全開にして一人立ちながら聞き、香りを楽しむのが僕の日課になった。

今でも昨日のことのように思い出す。
始めて彼女が僕にお裾分けをくれた日のことを。

あれは運命だと僕は思っている。
まさか、彼女から僕にアプローチしてくれるだなんて。

「あの、突然すみません。隣の部屋の者なのですが…カレーを作りすぎてしまいまして、良かったら食べてもらえませんか…?」

仕事に追われてパソコンと何時間も格闘していた僕の部屋を訪ねて来た彼女は、おずおずと鍋を持ちながらそう言った。

これは夢なのではないかと思った。

愛しい人が、手作りの料理を持って目の前に立っていた。

驚いて声を出せずにいる僕を見て、彼女は「あ…やっぱりいいですよね、今時お裾分けなんて、すみません」とすまなそうに謝って帰ろうとした。

途端に我に返り「た、食べます!欲しいです」と声を掛ける。自分でも驚くほど声が出たと思った。

僕の声に少し驚いていたが、ほっとしたように彼女はカレーの入った鍋を渡してくれた。

自ら望んでいたこととはいえ、突然現実になると脳の処理が追い付かない。

これは、本当に現実なのだろうか。
忙しく、殺伐とした日常にこんな幸せがあるなんて。

「最近、忙しくて…嬉しいです。ありがとうございます」

本当に嬉しい。
思わず笑みが溢れる。

「こちらこそ突然すみません。あ、鍋はいつでも良いので」

そう言って部屋に戻る彼女を呆然と見送った。

二人前はあろうかというカレーが入った鍋。とても良い香りがする。

やっていた仕事など途中で放り投げて、僕は彼女の作ったカレーを味わいながら食べた。

ボロいアパートに住み、ボサボサの髪と外出もラフな格好でいる僕を彼女は貧乏学生だと思っているようだった。

食事に疎いだけで、職場に行くときはスーツも着るし髪も整える。
この歳で一応上場企業の役員なんですけどね。
まぁ、彼女はそんな僕を見たことがないからこちらとしては都合が良い。
貧乏学生だと思ってもらったほうが、彼女も気が楽だろうし僕も接してもらいやすいだろう。

案の定、彼女は時々料理を僕の部屋のお裾分けに来てくれるようになった。

夢のような一時とはまさにこのこと。
一時の逢瀬だが、特別なその時間。
彼女が作る煮物や汁物はどれもとても美味しく、僕の体と心を満たしていった。




お裾分けを貰う隣同士の関係は今も続いていた。

毎回もらった料理は食べる前に写真を撮り、日付と食べた感想を書いてスクラップしている。
それらが増える度に、彼女からの愛情も積み重なっている気がして嬉しい。

もちろん僕も貰うだけではない。
彼女にしっかり礼をして、お返しをしている。

いつか、結婚をして一緒に住むようになればこんなボロアパートではなくてマンションの広いキッチンで一緒に料理をしよう。
最新式の冷蔵庫に食洗機、鍋や調理器具といった物も一級品を揃えたい。
彼女が望むものなら何だって買い与えたい。

そうだ。この前レンジの調子が悪いと言っていたな。
買ったオーブンレンジは届いただろうか。
機能や使い勝手はよく分からないが、一流メーカーの高いやつであれば品質に間違いはないだろう。

きっと新しいものでまた美味しい料理を作ってくれるはずだ。

心待ちにしながら、パソコンで仕事をしていると呼び鈴が鳴った。

きっと彼女だ。

僕は嬉しくてすぐに部屋を開けた。

「こんにちは」と言えば、
「こんにちは」と彼女も返してくれる。
あぁ、今日も会えて嬉しい。

そう思っていると彼女は少し困ったように言った。

「あの、オーブンレンジありがとうございます。でも、返品したくて…」

「なぜですか?」

あれでは気に入らなかっただろうか?
最新式のでデザインも良いとも思ったけど。

そうか、使う人の好みがあるのだろう。
やはり、彼女に選んで貰うのが一番良い。できれば一緒に買いに行けないだろうかと逡巡した。
けれど、彼女が言ったのは思ってもない一言だった。

「あんな高いもの貰えません」

値段なんて気にしなくて良いのに。

「私にお返しなんかするより、お弁当買ったり、食べに行った方が安く済むんじゃ?」

あぁ、そうか。
やはり好みではなかったのか。

彼女は優しいから僕を気遣ってくれているのだろう。
彼女にも美味しいものを食べて欲しくて海外の出張で買った良さそうな菓子を贈ったけれど、口に合わなかったかな。
漆塗りの器や箸も嫌だったのだろうか。

そのことを遠慮して、きっと言えないでいるのだろう。

困ったように「お礼は本当にもうよいですから」と言う彼女を見て申し訳ないことをしてしまったと反省する。

「すみませんでした」

こんなに今まで美味しい料理を持ってきてくれていたのに、それに酬いることのできない僕を赦してほしい。

「あなたの作ってくれる料理が一番美味しいので、お金には替えられません。菓子や食器は嫌でしたか?すみません気が利かなくて…これで良かったら好きなものを買ってください」

素直に謝罪して、財布に入れていたカードを彼女に差し出す。

これなら好きなものを買って貰えるだろうし、食材を買う時の足しになるだろう。
もともと彼女にはもっと良いものを食べて貰いたいと思っていたところだからちょうど良い。

彼女に選んでもらうのが一番良いだろう。

にこりと笑って彼女にカードを握らせようとすると、驚いてカードを僕に返そうとした。

少しでもあなたの役に立ちたいんです。
僕の傍にいてほしい。
だから、そのためならばどんなことだって何だってする。

「いいです、いいですってば!」と遠慮してこちらへカードを返そうとする彼女にどうしてもカードを渡したくて僕も思わず力を込めて彼女の手を握る。

あぁ、柔らかいあたたかな手。
この手で、僕も食べた料理を作っていたんだ。
いつか、その左手に僕が贈る指輪が嵌められるのだろうか。

嬉しくて思わず笑ってしまう。

「僕の気持ちですから、受け取ってください!」

いっそのことこのままマンションに連れて行ってしまおうかな、なんて思いながら僕は彼女の手をまたさらに強く握った。

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