悪夢が囁く声がした

しみずりつ

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優しさに触れる

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「なんだよ、あいつ…」

国塚くんは田嶋さんのいた方を見ながら苦々しげに言った。

「あいつ前から性格ヤバイやつだと思ってたけど、本性見えたな」

ため息をついて、ドカッと田嶋さんが座っていたイスに国塚くんが腰かけた。

「お前、腕大丈夫かよ?」

「だ、大丈夫。軽く引っ掻かれただけだし」

はっとして、かばうように腕を手で隠した。

「見せてみ?」

こちらに手を出して彼は言ってきた。

「え、いいよ。帰ってから手当てするから」

腕は見られたくない。
自分でつけた爪痕は薄くはなったがまだ残っている。
業務時間中は長袖のカーディガンを羽織って隠していたのに。残業していて脱いでしまったことを後悔した。

「いいから見せろよ」

ぐっと彼は私の手腕を取った。

「ちょっと…!」

「大丈夫か?あいつ、爪痕まで残してんじゃん。あの爪、魔女みてぇに長いもんな」

あんなんでよくパソコン打てるよな。

田嶋さんの悪口を良いながら、私の腕の傷痕を見た。

それは田嶋さんではなく私がつけた爪痕だと言えるはずもなく、「もう、いいでしょ」と腕を彼の手から抜こうとする。

けれど、力を入れても腕はピクリとも動かない。

「お前、こんなに腕細かったか?」

傷痕を見ていた時よりも、痛々しげに彼は私の腕を見つめている。

彼の大きい手がやすやすと私の腕を一周した。

それを見てぎょっとする。

たしかに、ここ一週間くらいまともに食事らしい食事はしてこなかった。
けど、栄養はドリンクやゼリーで摂っていたつもりだったから痩せていたとは思ってなかった。

「だ、大丈夫だよ。深夜に食べることが増えて、ちょっとダイエットしただけだから」

取り繕うように笑えば彼はぱっと手を離した。

そしてデスクに置いていたコンビニの袋をずいっと差し出してきた。

「これ、食えよ」

「え?」

「差し入れ。少しだけど」

無理矢理私の手に袋を持たせる。
中を覗くと、サンドイッチと野菜ジュースがあった。

「これ、国塚くんのじゃないの?」

「そうだけど、やる。お前どうせまた食ってないだろ」

あいつの分は無いから丁度よかった。

そう言って顎でフロアのドアをしゃくった。
田嶋さんのことを言っているのだろう。

「ありがとう。帰ってから食べるね」

気持ちは本当にありがたいが、今食べてしまえば帰ってから寝てしまう気がして怖くて手が出ない。

明日の朝に食べたい。

「だめ、今ここで食べろ」

デスクを指でとんとんと叩いて彼は食べろと言ってくる。

「私ひとり食べるのは…」

なんとかごまかそうとしても、彼は眉根を寄せてこちらを見てくる。
凄みがあって怖い。

「いいから食えよ。お前が全部食べるまで俺帰んねぇから」

頬杖をついて、彼はこちらを見やる。

少しの沈黙。
じっと彼はこちらを見ている。

本当に食べるまで帰らないつもりだろうか。

ちらりと時計を見れば、もう8時をまわっている。
彼の方を見れば、なにも言わずに私とコンビニの袋を交互に見てくる。

そうだ、彼は良く言えば粘り強く、悪く言えば頑固なんだった。

本当に食べなければ彼は帰らないかもしれない。
恐る恐るコンビニの袋に手を掛ける。
野菜ジュースなら口にしても大丈夫だろう。

ストローを差して、ジュースを飲む。

ちらりと彼を見れば、「サンドイッチは?」と聞いてくる。

もう!

がさりと袋からサンドイッチを出して勢いよく開ける。

パンの匂いとトマトの香りが空腹を刺激した。
唾液が一気に溢れてくる。

目を瞑って、サンドイッチにかぶりついた。

ふんわりとしたパンの甘味とハムの塩味、トマトの酸味が口いっぱいに広がっていく。

噛む度に旨味が拡がって、お腹にだけでなく心も満たしていくのが分かった。

食事らしい食事はいつぶりだろう。
じんわりと涙が出てきそうになって、慌ててごまかすように笑った。

「ありがとう、すごく美味しい」

そう言えば国塚くんはほっとしたように笑った。

「ちゃんと食えよ?」

そう言って私が作っていた資料を手に取る。

「俺も手伝う。早く終わらせて帰ろうぜ」

「え、いいよそんな。もう少しで終わるし…」

「二人でやった方がはやく終わるだろ?誤字脱字しかチェックできねぇけど」

それだけでも充分助かる。

田嶋さんもいないし、助けてもらえるなら心強い。


「じゃあ、お願いします」

頭を下げて、お願いする。

「お安い御用で」

国塚くんはにっと笑って資料をごっそり私のデスクから持っていった。

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