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残骸の皿孔(完)

砂漠のワーム

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 見渡す限りの砂を踏みしめ、彼女達は旅を続けていた。
 喉に渇きを覚えたアトラスは水筒を取り出して中の液体を飲む。水筒の中身は真っ赤な赤色をしていた。
 生温い感触が喉を通る。これでも渇きを癒すには十分だ。
 水筒一杯に押し込まれいるのは先日討伐した綺獣の生き血だ。採取したそれを加熱させて飲んでいる。砂漠での飲み水確保にはこれが一番手っ取り早い。

 野生動物というのはあらゆる環境に適応し、進化している。砂漠という過酷な環境も、彼らにしてみればちょっとしたフレーバーに過ぎないのだろう。

「この頃、多くなったわね」
「そろそろ限界かな」

 アトラスは首からぶら下げたネックレスを取り出す。ネックレスの先端には文字が刻まれた牙が着いている。アトラスにはその牙の美しい琥珀色が心なしかくすんで見えた。
 獣避けの加護。野生動物を避ける力が込められた聖遺物だ。これまでの旅ではその力により、野生動物の襲撃をことごとく避けてきた。
 しかしこの頃はそうもいかなかった。
 あのエル・ヌーバ号での一件以降、野生動物が現るようになり、その頻度は週に一度、二三日に一度と増していき、今では毎日のように獰猛な野生動物の襲撃を受けていた。

「危害を避ける魔術はその対象を認識していないと効果は無いわ。この付近の生物は効果範囲外なのかもしれないわね」
「確かに。私の地元では見ない種類が多いね」
「食料に困らないのはいいのだけど、夜に見張りが必要なのは不便ね。連中たら私達の事を連絡網でも回してるのか、どこに居ても襲ってくるのだもの」

 そう言ってマナはわざとらしく欠伸をした。夜の襲撃を避けるため、二人は交代で見張を立てているのだ。
 睡眠が必要だとは思わなかったよ。つい口から出そうになったその軽口をアトラスは飲み込んだ。

 アトラスには疑念があった。本当は睡眠も、食事も必要無いのではなかろうか。そものそもマナという存在は人間などではないのではないのだろうか。それは奴隷都市で初めて出会い、旅を共にした時からの疑念だった。
 死体を爆破させ、新たな死体から復活する。爆死の連鎖はこの世に死体が、生物が存在する限り続くのだろう。そんな能力の持ち主が例え人間の姿をしていて人間と同じ感性を持っていようと、それが人間であるとはどうして言えようか。

 しかし、マナが己の事をどう認識しているのかアトラスは計りかねていた。

 マナは可能であれば食事を共にし、睡眠も通常の人と同じように取ろうとした。歩き続ければ疲れて休み、痛みにも鮮明に反応する。ただそれはという条件に限る。
 徐々に、そう徐々にマナの肉体から人間性は失われる。

 例えばこんな事があった。奴隷市街を出て暫くし、まだ獣避けの加護がその効力を発揮していた頃だ。手に入る食料はずっと少なく心許ないものであった。それは二人の人間を生かすには足り得ないものであったが、マナはアトラスへ優先的に食料を渡していた。
 初めのうちは空腹を感じるそぶりを見せていたマナであったが次第に空腹感を感じなくなっていたようであった。いや、そもそも食事による栄養補給を必要としない身体に変貌していたのではないだろうか。さもなければ、十日以上、何も食さずに動き続らけれる訳が無い。

 マナは自分の身体が無理の利くことを分っていた。だが、その異常性を正しく認識して居ない。それは他の要素にも見られる。
 痛みもそうだ。攻撃により負傷したマナはそれが初撃であれば確かに痛みを感じる。しかし、二撃三撃とその身体が傷つく度に、痛みは消え、いずれ血は流れ無くなる。
 マナはそれを慣れによる鈍化と思っているようだ。
 それに気付いた時、だがそれをアトラスが指摘する事は出来なかった。マナは自分を少なくとも人間であると、そう認識していたからだ。
 
 マナの正体がどうあれ、マナは旅の仲間であることには変わりないとアトラスは思っている。できる事なら、傷つけるような事をしたくなかった。


「アトラス?」

 言葉を選んでいる内に長考していまっていたようだ。マナが不審そうにアトラスの顔をのぞき込んでいる。アトラスは出来るだけ会話が長引きそうな話題をチョイスした。

「いや、ちょっと魔術と奇跡の違いについて考えていた」
「悪魔が与えたか、神が与えたかでしょう?試練に耐えた人間に神が奇跡を与えた。どうして与えたのかしら」
「必要だったから。第Ⅳ聖典はその点を強調していたね」
「そう」
「私の獣避けには奇跡、払う力が込められてる。私は奇跡の使い手……神父とは話したことあるけど魔術師には会った事もない」
「つまりピント来ないのね」
「うん。正直、本を読んでもよく分からなかった」

 
 そのまま二人は各々が思っている事を語り合った。旅の中で彼女達は様々な事を話した。それは二人の旅人が、これまでの旅で見てきた事、その成果を示し合うものであった。
 ふと、マナが足を止めた。

「どうしたの?」

 進行方向にそれは見えた。砂漠の真ん中で大穴が開いている。それは広大で、蟻地獄のようなすり鉢状であった。

「クレーター、かなり大きいわね」
「ちょっとまってて」

 アトラスは地図を取り出して目の前のクレーターと交互に見やる。そしておもむろにペンを手に持ち地図に書き込んでいった。

「地図に無かったように」
「うん。でもちょっと妙だ。この辺りの地形はかなり正確に記録されている。こんな大きなクレーターなら書き漏らす訳が無い」
「地形が変わるような事でもあったのかもしれないわね。例えば地震とか」
「それか隕石でも落ちてたり」
「だったら少し面白いわね」

 二人はさほど躊躇う事なくクレーターへ足を踏み入れた。暫く歩くと、マナが再び何かを見つけ足を止める。

「あれは何かしら」

 マナが指差す先には四角い箱のようなものが見える。どうやら木造のようで、半分ほど砂に埋もれている。側面には大きな穴が空いていて、激しい破損が見て取れる。箱は壊れているものの、そう古いものではないようだ。

「あまり近寄りたくはないね。罠かも」

 率直にアトラスは述べる。好奇心が死を呼び込むことをマナとの旅の中でアトラスは嫌という程、思い知らされていた。マナは構わず調べてみましょうと告げると乗り気のないアトラスを置いて木箱へ近づく。アトラスは少し間隔を開けて続く。
 木箱へ近づくとそれが何なのかは直ぐに分かった。木箱の中に鉄格子がついている。檻だ。そして中に納められている木製の手錠には見覚えがあった。
 そして木箱の下からはボロボロになった機械の腕が見える。左右非対称に広がる六本の腕。木箱の下敷きになったそれは潰された虫を連想させた。

「これって?隠人?」

 人々を攫う古の機械人形。それはあの檻の町、奴隷市街で使われていたものだった。
 この木箱は隠人が使う奴隷運搬用のコンテナだ。

「隠人が襲われた?」
「そうみたいね」
「捕まった人の仲間が助けたとかかな」
「いえ、そうではなさそうね」

 マナは鉄格子に張り付いていた鱗を拾い上げた。鱗は大きさはちょうど掌に収まる程度で、錆びた鉄のような紅色をしていて、黄色く粘つく液体がこびりついていた。

「なにこれ、分かる?」
「分からないわ。少なくとも魚ではなさそうね」
「また碌でもないのがいるみたいだね。さっきのマナの理論だと私の獣避けは通じそうに無いね」
「さっさと進みましょう、その碌でもないのと出会わない内に」

 そうだねと、返事をする。
 次の瞬間、アトラスの目に映ったのは、音もなく現れた巨大な刃に両断されるマナの姿だった。

「なっ?!」

 マナの体は真っ二つに両断され、冷たい砂の地面に落ちる。

 ずさぁぁっと、砂の流れる音。そいつは地面から浮き上がるように姿を現した。

 巨大な鉄の刃を生やしたワーム。ワームの体を覆う鱗は先程マナが見つけた鱗と一致している。このワームこそ人攫いを襲った正体で間違い無いだろう。
 ワームは砂の中から頭を出している。その体の大部分は地面の下に潜んでいる。

「ヒュー!ヒュー!」

 マナが叫ぼうと口を動かす。しかし、分断された上半身に肺は残っておらず、喉からは空気が漏れるだけだ。
 致命傷。身体が冷たくなってく事が分る。この体に残されている時間が僅かしかないことを感じ取ったマナは無事な両手でリボルバーを拾おうともがくも、切り離された下半身に手が届かない。リボルバーは腰のベルトに挟んだままである。

「これ、不味い……」

 アトラスを逃がそうと必死にもがくマナだが弱々しく空気が漏れるだけで、その場から動く事が出来ない。何か手が無いかと辺りを見渡すマナ。その目線が切り離された下半身へ止る。だが、近すぎる。今、爆破させてばアトラスを巻き込んでしまう。

 アトラスは駆け出すとライフルを構えてワーム目掛けて引き金を引いた。

 タンタンタン!タンタンタン!

「ダメだ効いて無いよ」

 ライフル弾はワームの鱗に弾かれ、ダメージを与えられている様には見えない。

「キャッ」

 突然アトラスが転んだ。足を強く引っ張られたように前のめりに倒れた。
 アストラの足は地面から生えた腕に掴まれていた。燻んだ土色の肌をした気味の悪い腕。人に似ているが関節が多く、指も異常に長い。

 動きが止ったアトラスにワームの頭が迫る。蛇のように不規則な動きでアトラスへ狙い着ける。
 逃げられない。だが、距離は取れた。アトラスはマナの狙いを理解していた。ワームの頭アトラスに迫る。その位置はちょうどマナとアトラスを遮るような形となっていた。

「マナ! 使って!」

 アトラスが叫ぶ。呼応するように金属音が響き渡る。

キィィィィン!

 切り離され、地面に転がっていたマナの下半身が爆破した。爆破の衝撃は地面へと潜り、大量の砂が噴き上がる。狙ったのはアトラスを掴んでいる手の本体だ。
 その目論見は成功し、アトラスの足を掴んでいた手の力が緩んだ。同時にワームがのたうち回る。その全容を知る事を出来ないがどうやら、砂から生えている腕とワームは繋がっているようだ。

「やった」

 掴んでた手を振り解くと、アトラスは逃げ場を探そうと周囲を見回した。しかし、辺り一面砂景色であり、身を隠せそうな場所は無かった。
 とにかく距離を取らなければ。ワームも地面から伸びる腕も目と鼻の先だ。アトラスは走り出そうとした。

「え?」

 大きくバランスを崩し、アトラスが地面に倒れた。じんわりとした熱が脚の方からこみ上げてくるのを感じた。
 恐る恐る足元を見る。切り落とされた両足がその視界に映った。

「あぁ……」

 ワームだ。その太い土管のような身体から伸びる鋭い刃が目にも止まらぬ速さでアトラスの両足を切断したのだ。

「い、嫌っ」

 アトラスの目の前にワームの頭が迫る。それは大口を開け、アトラスを飲み込んだ。


 膝から先の無い足をバタつかせるアトラス。
 マナは何かできないかと腕を伸ばしもなくもその掌は砂を掴むことしかできない。
 これは、一か八かの賭けだ。
 マナは残った力を使い自らの舌を噛み切った。薄れ始めた意識を強制終了したのだ。

 キィィィィィィン!

 マナの残っていた上半身が爆破する。爆破はワーム胴体を巻き込み、それを引きちぎった。
 千切れ落ちたワームの身体が砂の上に落ちてビチビチと跳ねる。その先端の頭からはぐったりとしたアトラスの脚がはみ出ている。
 残ったワームの身体が砂を潜り、何処かへ逃げ去っていく。どうやら頭を失っても生きている様だ。

 ぷちぷちと、肉の繊維を引き裂きながら残されたワームの身体からマナが這い出す。

「アトラス!無事?」

 マナはワームの頭からアトラスを引き抜く。べっちょりとしたワームの唾液を全身に帯びているが、目立った外傷は無い。
 だが脚の出血は酷く意識もない。

「まずは止血ね。何か縛るものは……」

 マナはその場に落ちていたアトラスのリュックを漁る。確かアトラスは応急処置に使える道具を携帯していたはずだ。
 しかし、それを見つける事は出来なかった。


 音も無く放たれたレーザー線がマナの心臓を撃ち抜いた。

「は?」

 全身から力が抜け落ち、マナはその場に崩れ落ちた。
 
「貴方……何?」

 そいつは一歩一歩を重いゆったりとした足取りで歩み寄る。
 黒いガラスの様な球状の頭。全身を灰色の機械で覆われておりシルエットは大きなリュックを背負った人間のように見える。

 ガラス頭はマナを撃った光線銃とは別の銃を取り出すとマナに向けた。

 ぐんっとマナの身体が持ち上がる。そしてガラス頭がもう一度トリガーを引くとマナの身体が弾かれ遠くに飛ばされる。
 次にガラス頭はアトラスを同じように持ち上げると、今度は自らの近くへ引き寄せた。

 それは明らかにマナの爆破を意識した措置であった。このガラス頭はマナの能力を把握していた。ワームとの戦いを見ていたのだ。ガラス頭はアトラスを担ぐと、マヤに背を向け皿孔の中心へと去って行く。

 意識の途切れる最中、マナはバチバチと音を立てて巨大な建築物が姿を現すのを目にした。
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