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睡蓮の町(完)

瓦の下で

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 光蟲の去った後、光源と呼べるような物は一切無くマナは暗がりの中へ取り残されていた。黒い霧に包まれた町では、周囲の把握すら難しいだろう。それでも暗がりに慣れ親しんだマナの両目は、建物の輪郭を捉え、マナの両足は恐れなく進む。

 沈みかけの屋根の端に立ち、沼を見る。町を呑み込む沼は、周囲の暗さと相まってどこまでも続いているように思えた。だが、こんな暗闇の中でも、目印になるものはある。
 暗闇の中の目印、それは光だ。

 遠くの方に一筋の光が見えた。空を覆う黒い霧がそこだけ途切れており、光が差し込んでいるのだ。光は、一つの建物を照らしていた。建物までは距離があり、それが何かまでは分らない。

 マナはそこを目指していた。
 当てがある訳では無かったが、他に目指すべき場所も無かった。光に釣られる蛾のようにマナは真っ直ぐ進んでいく。

 沼に呑み込まれた町を進むには、まだ沈みきっていない建物の屋根を渡っていくしかない。足を踏み外せば、沼に落ちてしまうだろう。

 現在地はかつて住宅地であった場所のようだ。同じような形の建物が密集している。マナはそれを時には飛び移り、時には倒れた枯れ木を橋に使って屋根を渡る。
 この静かな町ではマナが歩む足音のみが小さく響いていた。


 それは、何度目かになる跳躍の時だった。
 その頃になると屋根を伝う移動も難儀なものとなっていた。建物同士の隙間は問題無く飛び越えられる距離であると思える。しかし、向こう側の建物の方が屋根が高い位置にあった。地形が影響しているのかそこから先は階段状に屋根の高さが少しずつ高くなっている。

 屋根を掴めば良い。そうすればよじ登ることが出来る。マナはそう考えて、助走の為、少し後ろへと戻り、足に力を込めて走り出そうとした。その時だった。

 マナが足を乗せていた屋根の一部が突然動いた。

「えっ」

 バランスを崩し、マナはその場に倒れた。

 足元を見ると、そこにあったのは横開きの扉だった。屋根に作られた出入り口。おそらくは、この町が沼に沈んだ後に作られたものだろう。
 試しにマナは中を覗く。暗くて良くは見えないが少なくとも床が沼という訳では無さそうだ。

 好奇心の赴くままマナはその隠し扉の中へと入る事にした。

 梯子が見当たらなかった為、そのまま飛び降りると固い床に着地出来た。
 部屋の中は外よりも暗い。入って直ぐは何も見えなかったが、次第に目が慣れてきた。

 部屋には幾つもの浴槽のようなものが並んでいた。浴槽は蝋に似た物質で造られており、中には水では無い何らかの液体で満ちていた。
 そして何より目を引くのは蝋の浴槽に浸かる全裸の女性だった。一つの浴槽に一人づつ入っている。彼女達はぴくりとも動かず、目が慣れるまでマナはその存在に気づけなかった。

 女性達の頭は煙突型のヘルメットのような機械に覆われていて、その素顔を見る事は出来ない。機械装着の為か、髪は剃られている。女性達は全員妊娠しているようでそのお腹を膨らませていた。


「何よこれ」

 マナは、試しにその身体に触れてみたが、女性達は何の反応も示さなかった。生きてはいるようで、触れた肌に体温を感じられる。

ぴちゃ。

 水音が聞こえた。部屋にある浴槽の一つからだ。女性の腹がぐぬんと低い音を立てた。

ぴちゃぴちゃぴちゃ。

 水音は何かが浴槽の中に放出された音だ。マナは浴槽へ近づきその中を覗き込んだ。

ぴちゃぴちゃぴちゃ。

 見れば、細長い糸のような虫が浴槽の中を泳いでいた。線虫はくるくると回るように泳ぎ、浴槽の中に幾つもの蟲玉を作っている。

ぴちゃぴちゃぴちゃ。

 産道を下り、羊水が漏れ出る。その中には新たな線虫が蠢いていた。女性達は蟲を産んでいるのだ。それが、彼女達の膨らんだ腹に詰まっているものの正体だった。

 人が蟲を産む。なんとも、おぞましい光景。ここは言わば蟲の養殖所であった。

「悪趣味ね、彼らの仕業かしら」

 マナはこの施設と光蟲の関連性を思い浮かべた。あの喋る蟲がこの施設、機械を用意したのだろうか。だとすれば、水槽で泳ぐこの線虫の正体は……。


 これ以上、ここで得られるものは無いだろう。
 一部始終の観察を終えたマナはそれ以上、この部屋では何もせず、屋根の上へ戻っていった。

 マナが立ち去った瓦屋根の下では新たな蟲が産み落とされている。
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