とある本の醜くて寂しい旅の筆跡

黄金稚魚

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睡蓮の町(完)

渡し舟

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 沼に浮かぶ屋根を伝ってマナは進んで行く。かつては住宅地であった地域を抜けると長い橋へと差し掛かった。

 橋は広大な沼地の上に浮かんでいる。その先の方に一筋の光が見える。橋は光の差す方へ伸びていた。

 既に橋としての機能は失われているが、足場としては申し分無いだろう。橋を渡ろうとしたマナだったが、急に呼び止められ、足を止めた。

 その声は酷く掠れており、「おい」と言ったのにも関わらず嗚咽のように聞こえた。声の聞こえた方を見るとついさっきまでマナがいた屋根の影に小舟に乗った老人が潜んでいた。


「……そっ……そっ、そこは沈……むぞ」

 酷く枯れた声。老人の喉は長い時間使われていなかった為か、声の出し方を忘れてしまっているようだ。老人はマナが渡ろうとした橋を指差している。沈むと言ったのをマナは聞き取れていた。どうやら忠告をしてくれたようだ。

「どうも」

 礼を言ってマナは老人へ向き直る。

 老人はなんともみすぼらしい格好をしていた。服と呼ぶにはあまりにもボロボロで泥をよく吸った土色の布を纏い、口寂しさを誤魔化す為か、煙草代わりの棒を咥えている。顔の半分に及ぶ入れ墨はしわくしゃになった皮膚のお陰で元の形を失っており、老人の惨めな印象を助長させている。
 乗っている小船も、老人の格好と同じぐらいボロボロだ。あちこちに開いた穴を端材で埋めている。船首に括り付けられたランタンは割れていて灯りはつきそうにない。

「貴方は?」
「……この町の……住民」

 老人は枯れ木のような細腕を震わし、おいでおいでとジェスチャーをした。

「……ど……こへ……いきたい?」

 この老人は渡し船のつもりのようだ。
 掠れた喉で声を出す老人に答え、マナは橋の先を指差した。

「向こう側まで」

 老人はマナを見上げ歯垢に塗れ黄ばんだ歯を見せた。老人の笑顔は腐った魚のような臭いがした。
 ボロ舟や老人自体にも不安が無いわけでな無かったが先へ進めるのなら、何でも良かった。マナは小舟に乗り込むと老人から少し離れて座った。
 
 老人の目線がマナの下半身に向いていることにマナは気がついた。座るとコートの合わせ目が隙間となり、肉付きの良い太腿が覗く。不気味に歪めた笑顔を貼り付けたままマナの躰を視姦し、楽しんでいる。


 老人の陰茎は勃起していた。

 コート1枚のマナと同程度もしくはそれ以上に老人も薄着であり、身に纏っているぼろ布は夜露へのせめてもの抵抗というだけで服ですら無いはずだ。股にあてがわれた布を押し除け老人の陰茎が顔を覗かせている。

 白い胞子のようなブツだらけの汚れた男根。勃起した陰茎は腐ったカリフラワーを思わせるグロテスクな造形をしており、鼻を摘みたくなるような腐臭を漂わせていた。
 高まる不穏な気配をマナは感じとった。

「船を出して」

 マナがそう言うと、老人はようやくオールを動かして小舟を漕ぎ始めた。その細腕の見かけによらず、その動きは力強い。沼の硬い水を押し除けゆっくりと小舟が進んでいく。

 橋が見えなくなるほど進んだ時、老人は突然オールを漕ぐ手を止めた。そして、両手揃えてマナの前へ差し出した。

「……お代」

 マナはコートの中から金貨を1つ取り出し老人の掌へと落とす。老人は金貨を受けとらなかった。金貨は老人の手を避け、小舟の底に落ちた。

「これじゃダメかしら?」
「ぁぁぁああああああああああああああああああああああああ」

 マナの問いかけを老人の絶叫が遮った。枯れた喉から出されたその叫びは、所々途切れたノイズのような不気味な迫力があった。
 そして次の瞬間、マナは老人に押し倒されていた。

「何を?!」

 マナは腰のベルトからリボルバーを取り出そうした。しかし、それよりも早く、老人が隠していたナイフでマナの腕を突き刺した。

「アアアッ」

 激しい痛みと更なる脅威から逃れる為、マナは距離を取ろうと試みるも老人は馬乗りとなりそれを阻止した。

 老人はナイフを振るいマナの柔肌を何度も傷つけた。重要部位を避け、殺さないように意識しているようだが、容赦は一切無く、即死さえしなければそれで良いといった感じだった。

 特に手足は執拗に傷つけられ、すぐに動かせなくなった。マナは抵抗の術を失った。暴れる力が無くなった事を確認した老人はコートをめくりマナの恥部を露わにした。

「やめろ」

 痛みを押し込め、ぼそりと力なく呟いた。

 老人がナイフの柄でマナの頭を叩いた。失血と痛みで限界を迎えていたマナはその一撃で意識を失った。

 そうして完全に沈黙したマナの両足を老人は持ち上げた。勃起して膨張した老人の陰茎がマナの恥部へ迫っている。性病により肥大化した亀頭がマナの閉じた膣口に触れる。

 前戯も無く、老人は挿入した。

 老人の陰茎を覆う白い膿の塊がマナの膣内で削がれ瘡蓋のように剥がれ落ちる。老人が腰を振る度にマナの膣に汚物が塗り込まれてゆくようだ。

 不快感。汚物に侵入され、身体を汚される不快感はたとえ意識を失っていたとしても逃れられるものではない。
 こみ上げて来たそれはやがて吐き気となる。嘔吐と共に吐き出され、マナの顔を汚した。

「げほっげほっ」

 吐瀉物に窒息しかけたマナが目を覚ます。チカチカと電流の走る意識をなんとか持ち直そうと試みるが、身体は動かず、老人によって与えられる生々しい感触だけが深く伝わる。


「んーーー?!」

 あろうことか老人は嘔吐したマナの口にキスをしてきた。カエルのように身体を丸めマナに抱きついた老人は全身を使ってマナを貪るつもりなのだろう。みずみずしいマナの唇をこじ開け、やすり紙のような老人の乾いた舌がマナの口内を擦る。

ずずずっっ!

 老人はマナの唾液を啜り飲みむ。そして奥へ奥へとその舌を潜り込ませる。

甘い! 甘い!

 セックスに全神経を集中させていた老人は、マナの目に光りが戻っている事に気付かない。いや、それは光りなどでは無い。痛みも、嫌悪感も全て置き去りしてきたかのような、極めて平然とした意識。マナの緑色の瞳は、ただ淡々と老人を見ていた。快楽に脳を支配された無防備なその姿を。

 マナは老人の舌を噛んだ。

「ーッーッ!!」

 老人は声にならない悲鳴を上げた。マナを床に叩きつけ、勢いよく起き上がる。だらりと伸びた舌からは血が流れている。想定していなかった反撃に老人は激昂し、出鱈目にナイフを振るった。


 老人の怒りに晒されたマナは自らの舌を噛み切った。

「ほらいふぁもはふわ」

 躊躇無く舌は切り離され、マナは自らの息の根を止めた。その行動はあまりにも簡素に見え、死への恐怖や葛藤などは一切感じられなかった。放っておいても死ぬような出血量だ、マナの行動はただ次期を早めただけだ。

 だがそれを理解していない老人は面くらい、あっけなく自殺を選択したマナを眺め、忘れ呆けていた。

 あぁ、なんて勿体ないんだろう。生きた娘と交わる喜びをせっかく味わえると思ったのに。あくまで快楽への後悔。老人の中にはもはやそれしかないのだろう。うなだれる老人はしかしある事に気付いた。

 いや、まだだ。

 老人は未だ繋がったままの下半身に意識を集中させた。差し込まれた老人の陰茎を包み込んでいるマナの膣は未だ温もりを保っていた。

 まだ、マナの全てが死んだわけではない。反応を楽しむことは出来ないのは残念であるが、老人はマナの生命の残滓しを犯す事で自らの欲望を満たそうと考えた。

 老人の顔に不気味な活力が漲った。その時だった。どこからか現れた一匹の光蟲が小船の上にとまった。

「魔女を殺したな」

老人は驚いて飛び引くと、小舟の光蟲から最も遠くなる場所に逃げ込んだ。

「なぜ殺した?」

 光蟲が問いかける。骸骨のような不気味な頭部が、老人の顔を覗き込んでいる。その双眸には妖しい光が帯びている。

質問に答えよクエーカー。なぜ女を殺した」

 老人は祈るようにナイフを握りしめガタガタと震えていた。だが、その口だけは老人の意思を外れ、冷静に言葉を紡ぐ。

「死ぬ前に女を犯したかったからです。女を犯し切るまで殺す気は無かったです。女を犯した後に死ぬつもりでした。まだ殺す気は無かったです」

 掠れていた喉が嘘のように声が出る。劣化し、傷つき、もう元には戻らないと思われた老人の声帯が軽やかに言葉を紡ぐ。まさに奇跡だ。だが、それを喜ぶ事は出来ない、老人が喋らせられたのは本心であった。

「愚かしい。劣等なる人間種如きがよくも!」
「劣等の分際でまだ滅びていなかったのか」
「人間の生き残り、なぜ生きている」
「この町にまだ人間がいるとは」

 光蟲は次々に現れた。小舟に光蟲がとまる度に老人は逃げていたが、狭い小舟の中では直ぐに逃げ場がなくなっていた。

 一匹の光蟲が老人に問いかける。

「まだ、他に人間がいるか?」
「いまッーー」


キィィィィン!

 老人の言葉は遮られた。突然、マナの身体が爆破したのだ。

 金属同士が擦れるような音が空気を震わしたかと思うと。マナの身体が泡のように膨らみ爆発を引き起こした。それは火炎を伴わない、衝撃波の波だ。四方八方へ放たれた衝撃波は老人の体と小舟、そして光蟲達をズタズタに引き裂き破壊した。

 それは一瞬の事だった。

 沼の上に残ったのは半壊した小舟と老人だったぐずぐすの肉塊と、バラバラになった蟲の死骸だ。小舟の残骸の上にはマナの名が刻まれたリボルバーが1丁置き去りにされた。

 肉塊はゆっくりと沼の中に沈んでいく。新たに現れた光蟲が小舟の残骸に乗る。その双眸が沼の底を見つめる。

「大きい強い魔力を感じる」

 肉塊が沈んだ場所からはぶくぶくと小さな気泡が浮き出ていた。気泡はどんどん多くなり、やがて水面が慌ただしく荒れ出した。

 そして、沼の中から一本の腕が伸びた。

 光蟲の羽が騒めく。

 透き通った絹のような白い肌が沼から這い出てきたのだ。腕は手探りで小舟の残骸を掻き分けそこへ置かれたリボルバーを手に取った。浮き上がったもう一本の腕が小舟の残骸を掴み、その持ち主が這い上がってくる。

 光蟲が歓喜する。

「魔女だ、不死の魔女だ、繁栄は近い!」

 沼から出現した娘、マナはリボルバーの銃口を光蟲へと向けた。小舟の残骸は浮輪代わりに使っている。

「私は魔女ではないわ」

 引き金を引く。重い銃声が鳴り響き、銃口が火を吹いた。
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