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虫継の町
三話 しがみつくもの
しおりを挟むごぅん……ごぅん。
重々しい音が病院の静かな廊下に響き渡る。フル稼働する換気扇の音だ。
ナースステーションとは名ばかりの事務所。椅子の背もたれに全体重をかけて気怠げに座る美和子。
誰も見ていないのをいいことにタバコをふかしている。驚くべきことに診療所に喫煙室は無かった。時代の流れはこと秘境の町にはどこ吹く風だ。
「あー眠い。眠くない?」
声をかけられたラウラは献立表作りを中断して美和子の方へ向き直った。
「随分と暇そうですね」
「あんたもでしょ。この時間は本気で仕事ないのよ」
「私、病院ってもっと忙しいと思ってました」
「あーそれね。いやラウラちゃんのおかげよそれ、忙しい時に雑務やってくれるから助かるわ……今は忙しくないけど」
「ナースコールってあんまり鳴らないんですね」
「今入院は二人だけだからね。あ、この人数はウチにしては多い方よ。緑ちゃんが来る前はゼロがデフォだったから」
骨折で入院したおばさんは早々に退院していった。
昔から二階のナースステーションは待機部屋として使われていたらしい。
ラウラは殆どの時間を二階のナースステーションで過ごしていた。診察をしている一階の様子を直接見ることはないが、それでも客足は把握出来ていた。
待合室に居る患者はニ~三人。多い時でも五人程度だ。
田舎の病院とは言え少なすぎる気がする。
「そういえば他に病院があるんでしたっけ?」
「別の区に慶香総合病院ってのがあってね。普通の風邪とか病気はそっち行くのよ」
「この町の発展ぶりには聞くたびに驚かされます……普通の?」
「ウチに来る患者の八割は虫神案件よ」
コールが鳴って美和子が受話器を取った。
「下に来いってさ」
「私もですか?」
「人手がいるらしいわ」
「何かあったのかな」
診療所のスタッフは明確に役割が分かれている。
美和子がワクワクしながら階段を降りていく。
「前にさ、イタチの襲撃受けた事あってさ……アレは一番楽しかったね」
「イタチ?」
「めっちゃすばしっこいし噛んでくるからスリリング」
「それは嫌ですね」
「何? イタチ苦手?」
「まず見た事ないです。というか野生動物がまず会う事ないですよね」
小動物は嫌いではないが、流石に野生のは勘弁してほしい。
そう思いながら階段を降りると一階は静かなままで、ラウラは一先ず安心した。
藍一郎と聖は診察室に集まっていた。
台の上で横向きに患者が寝かされている。下腹を大きく突き出した妊婦だ。
「ごめん検討外れだったわ」
ピシャリと冷え水を食らったように固まるラウラに美和子はボソリと謝った。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもないです」
要件は美和子が言っていたようなイベントでは無かった。むしろこの病院にとっては日常的なものだろう。
だが、ラウラにとっては衝撃を伴う光景だ。
妊婦の尻に巨大な虫が付いていた。
黒光するつるつるとした甲皮。帷子状の体を丸めて肌にしがみついている。
団子虫。
常帳尻。
知っている虫神だ。それにラウラはこの女性に見覚えがあった。
「女中さん?」
旅館洞々亭で働く女中の一人だ。慶香町に来た初日。倒れていた所を助けた事はまだ記憶に新しい。
女中はラウラの方を見たが返事は無かった。額に汗を流し苦しそうに呼吸している。
「知り合いですか?」
「はい。でもあの時、妊娠なんて……」
全く気付いていなかった。彼女の尻に張り付いた虫神、常帳尻に注意を奪われていたせいかもしれない。
「お腹の膨らみには個人差があります。それに虫神の場合ですと、胎児の成長速度も人間より早いですから」
藍一郎がラウラに説明する。しかし当のラウラは別の疑問が頭をよぎっていた。
「待ってください。産まれるのって?」
どっちだ?
その言葉を最後まで言えなかった。
他人事では無い。
ラウラにとって出産もう他人事では無いのだ。その事に気づき、ラウラは言葉を詰まらせた。もし妊娠した場合、生まれてくるのは……。
割り切った答え。出来るだけ考えないようにしていた事実が今、目の前で頭を出そうとしている。
神の子なのだ。それは神に決まっている。
そしてラウラの腹の中でも四十パーセントの確率でそれが誕生する。
「申し訳ないですが説明している時間はありません。すぐに剥がさなければ母胎にも負荷がかかります。既に破水はしていると聞いています」
「………破水?」
「瀬野さんは患者の身体を支えていてください。私と村上さんで剥がします」
ラウラは言われるがまま従った。確かに今はそれどころでは無い。
常帳尻は脚を食い込ませガッチリと体を固定している。
ラウラは出来るだけ虫神の姿を見ないようにして女中の身体を支えている。勿論体勢は横向きのままだ。うつ伏せにするわけにはいかない。
直接触れそうな程、近づくと常帳尻がゆっくりと動いている事に気づいた。
帷子状の関節が蠢いて女中の尻をぐりぐりと押している。
「ひぃ……」
ラウラの悲鳴は蚊の鳴くような小ささだった。
ぬちゃりぬちゃりと粘っこい水音。常帳尻はまだ交尾の最中なのだ。団子虫型のその体の裏側では性器が結合され、接続部からは愛液と精液が混じったものが漏れ出ている。
母体へ執着し繋がり続ける常帳尻。それは膨らんだ腹に収まる子供にとって最も大きな障害となっている。
「外すってどういう事ですか?」
「すみません。今は手法を説明している暇はありません」
そう断る藍一郎の手には太いペンチが握られている。力ずくで脚を引き剥がすつもりのようだ。
「いきます」
藍一郎はペンチを使い脚の一本を力づくで引き剥がした。
両手でペンチを持つ藍一郎だがその腕は震えている。大人の力でも脚一本を剥がすのが精一杯のようだ。
「美和子さん」
剥がされた脚はペンチを振り解きすぐにまた肌へしがみ付こうと動くが美和子が素肌との隙間にゴム板を挟み込んだ。
「んんんっ!!」
女中が苦しそうな声を上げた。
常帳尻は自分が自分の雌から引き剥がされようとしている事に気づき抵抗を始めた。バタバタと脚を動かし、腰を女中に打ちつける。
「瀬野さん、抑えてください」
「……うぅ」
暴れ始めた常帳尻の身体を両手で抑える。
小型とは言え、巨大な虫の力。両手の力だけでは止められない。
ガタガタと暴れる常帳尻に連動して女中が声を上げる。
「くぅ……んんっ! はぁっ……んっ!」
歯を食いしばり陣痛と恥部への攻めに耐えている。苦しげな呻き声と、吐く息に混じる嬌声。
「瀬野さん」
ラウラは泣きそうになりながらも上半身を乗り出して覆い被さるように体重をかけた。堅牢そうな見た目とは裏腹に常帳尻の外皮は柔らかい感触だった。関節の隙間からは白濁に泡だった液体が漏れ出していて、ラウラのナース服に黄ばんだ汚れを付けた。
「今です、外しましょう」
息のあった完璧だタイミングで藍一郎と美和子は食い込む脚にゴム板を差し込んでいく。
全ての脚を外すと、藍一郎は常帳尻の身体を両手で掴む。ゴム板に脚を乗っけているだけの常帳尻はあっさりと女中の身体から外れ、持ち上げられた。
そう、外れた。
繋がっていた部分がぬちゃりと音を立てて抜ける。わなわなと動く常帳尻の裏側には二本の太い管が二本生えていた。
半透明の液体をしたらせ、管がそれぞれの穴から抜ける。
「ゔぅううう……」
苦しそうな声。常帳尻が抜けた事で、女中はようやく仰向けになった。だがその顔まだ苦悶の表情が浮かんでいる。
これからが彼女の本当の戦いだ。
「これより分娩に移ります。準備をお願いします」
「はい。ですがその前に」
美和子がラウラの手を掴む。途中からラウラは放心し上の空になっていた。
「ラウラちゃんは上で待ってなさい」
「え、ですが」
「ここからは本職の仕事だわ。それに……」
女中はお腹を押さえて苦しそうに呻く。栓が無くなり本格的な出産が始まったのだ。その傍らでは籠に収められた常帳尻が顔を覗かせていた。
膨らんだお腹に居るモノはもう想像がついていた。
「見ない方がいいってことですか?」
「そう言う事。患者が不安になるわ。だから上はお願いね。先生もそれでいいですよね?」
「問題ありません。常帳尻の出産は長期戦です。二階の人員も必要なので瀬野さんは持ち場に戻ってください」
「分かりました」
ラウラは殆ど後退りに近いたどたどしい足取りで診療所を後にした。
「どうかしたんですか? 顔色が悪いですよ」
ナースステーションに戻ったラウラに話しかけてきたのは203号室の牛崎だ。
虫神の毒による発作は一日にニ~三度訪れる。発作がなければ健康そのものだ。やはり暇になるのか牛崎は度々ナースステーションに遊びに来ていた。
「大丈夫です。牛崎さんは?」
「ちょっと小腹が空いちゃって」
ナースステーションは売店を兼ねていた。品揃えは多く無いがお菓子やちょっとした果物を置いている。
医療行為に全く関係ない事もあり売店の仕事はラウラに任されていた。
「何が欲しいですか?」
牛崎が指さすお菓子を渡してお金を受け取る。レジスタなんて上等なものは無い。
「本当に顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか?」
「そんなに悪く見えます?」
「もう真っ青ですよ」
「……そうですか」
暗い表情で返すラウラを牛崎が心配そうに見つめる。
「私が言うのも変ですが、あまり溜め込まない方がいいですよ? 私が言うのもほんとに変な話ですが!」
「ありがとうございます。あの一つ聞いてもいいですか? 失礼じゃなきゃいいんですが……」
「え? なんですか?」
暗い顔のままラウラが顔をあげた。何を聞かれると思ったのか、牛崎は恥ずかしそうに頬を染める。
「牛崎さんは虫神の子供を産んだ事ありますか?」
牛崎はその問いを聞いて「あぁ、そんなことか」とほっと息を吐いた。
「もちろんありますよ」
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