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黙諾の花嫁
十一話 青ざめる
しおりを挟む蛍原月花は珍しく早起きだった。
朝が弱いというよりよく寝るのが月花だった。
夜は遅くとも十時には布団に入る。クラスメイトとのお泊まり会でも月花だけいつも先に寝ていた。起きるのも一番遅い。
日曜日。予定がなければ午前中を寝ぼけたまま過ごすことさえある。普段なら起床時刻は十時を越すところだがその日は違った。
「おはよう」
「おはようございます」
門の前で待っていた男がキレのいい一礼でで月花を出迎えた。
近くには黒塗りの高級車が停めてある。
スーツ姿にスキンヘッドの大男。どこからどう見てもそのスジの者だ。
「モーニングコールをするように言ってなかったっけ?」
「伺っております」
「なんでしてくれなかったの?」
ストレートの黒髪がぴこんと跳ねた。
「五時三十分、四十分、五十分と三度に渡りモーニングコールを致しました」
「六時は?」
「たった今、お掛けしようとしていた所です」
月花はスマホを取り出した。画面には着信の通知が三つ残っていた。
~~~♪♪。
軽快なメロディがスマホから流れた。画面にはファンシーな書体で「湖桃」の名前が浮かんでいる。
「はい」
「おはよー私だよー」
「おはよう」
「朝だよー、起きてー」
「おきてる」
「そうなのー?」
「うん」
「起きてるんだー。えらいねー」
「ありがとう」
「じゃぁ私寝るねー」
「うん、おやすみ」
「おやすみー」
通話が切れる。
「五時半って言ったじゃん……」
「お嬢様」
大男がドスの効いた声で呼ぶと月花は「分かってる」と食い気味に返した。
「時間がない。急ごう」
月花は大男に言って車に乗り込んだ。大男もすぐに運転席へと座り車を発進させた。
「ここからは真面目に行くよ」
「御意」
窓から外を眺める月花。町では朝早くから老人達が農作業に勤しんでいる。
ガラスに映る自分を見て月花はグローブボックスからクシを取り出した。
向かった先は慶香町唯一の旅館、洞々亭。
車から降りた月花は裏口から入ると無人のフロントを無断で通過した。
旅館で働く女中達は今日の月花以上に早起きだ。
開業前に旅館の隅々まで掃除をするからだ。宿泊客が居る場合は朝食の準備もしなければならない。
まだ薄暗いうちから身体を動かして働く姿を修行僧みたいだと月花は思っていた。
旅館の建物内を我が物顔で歩く月花だが、その途中で誰ともすれ違わなかった。
女将をはじめとする旅館のスタッフは客間に出揃っていた。
いつもはギビキビと働いている彼女たちが団子になってたむろしていた。
その部屋にはこの日唯一の宿泊客が泊まっていた。
「あぁ成る程。こうなったのか」
躑躅の間。入り口に掘られたその漢字を月花は読めなかったが、障子に描かれている花の絵からなんとなく理解した。
旅館の部屋はなんで植物の名前なんだろうか。なんてどうでもいい事を考えながら月花は集団の中心にいる女将へと話しかけた。
「おはようございまーす。大変そうだね」
「月花さん? いらしたのですか」
女将は眉を歪めて困り果てた様子で言った。突然現れた月花には然程驚いていないようだ。
「ねぇ、後は私に任せてくれない?」
「しかし……あの様子では……」
「大丈夫。私がなんとかする」
自信満々に言うと女将は首を縦に振った。
「分かりました。お願いします」
月花には女将の言う「あの様子」が何を指すのか全く知り得なかったが、さも全てを分かっているような態度をとった。
女将は周りの女中達を解散させた。そして自分も少し下がり月花だけをその場に残す様にした。
ツツジの間の扉は開いている。区切られた部屋の奥にラウラの姿があった。
「おはよう、お姉さん」
「来ないで!」
ラウラが鋭い声で叫んだ。畳の床を一歩踏み入れた月花はピタリと動きを止めた。
空気が張り詰めていた。背中に受ける女将の期待を込めた視線と重圧。
月花はどうして揃いも揃って女中達が部屋の入り口でたむろしていたのかその理由を知ることになった。
誰もラウラには近づけない。
「………」
「それ。置かない?」
ラウラの手には剃刀が握られていた。
触れれば切れる鋭利なその刃をラウラは自分の首に当てている。
その手は繊細なチワワのようにガクガクと震えいて、ふとした弾みで重大な事件に繋がる気配があった。
ラウラの目元は赤く腫れていた。既に泣きじゃくった後のようだ。
何か余計な事を言ったな。
月花は離れていく女中達を一瞥した。
「嘘つき」
呪詛を込めるかのような鬼の形相でラウラが吐き捨てた。
月花が視線を落とす。
はだけた浴衣を治そうともせず、くしゃくしゃになった布団の上に両足を着けて座っていた。
浴衣の股下。そこへ広がる滲みが恥辱の後を物語っていた。
月花はしゃがみ込んでラウラと目線を合わせた。
「嘘なんて言ってないよ。お姉さんはただ、運が悪かったんだ」
月花は特に言葉を選ばなかったが、それでもいつもより少しゆっくりと喋った。
「これが目的だったんですか?」
「誤解だよ」
「私に何をしたんですか!」
「ここの人達はお姉さんに危害を加えるつもりなんて微塵もない。窓も扉も頑丈だったでしょ? 虫神も簡単には入れない」
「ならなんで?! なんで私が……私の……!」
月花はその場から部屋の様子を見渡した。荒らされた形跡は無い。虫神が入れるような隙間など、どこにも見当たらない。
しかし月花は見落とさない。窓の淵に付着した油のような液体が朝日を受けてキラリと光る。
「闇走の仕業だね。家屋の中に人知れず入り込み種を撒く。足が早くて誰にも見つからない」
「はぁ?!」
「例外って言ってもいいかな。昨日の晩お姉さんを襲うことが出来る唯一の虫神。例え金庫の中だろうと現れる。神出鬼没で正体不明。それが闇走」
そうは言うが月花は闇走の正体を知っている。その姿をあえて口に出して教えようとは思わない。
「なんで私がこんな目に遭わされなきゃならないんですか……私は何もしてないのに」
「それはねお姉さん」
事もなしに月花が答える。月花はその解を知っていた。
後ろでは女将が固唾を飲んで見守っている。
「お姉さんが黙諾をしてしまったからだよ」
月花は冷静に説いた。表情にはおくびにも出さないが内心気が重く滅入っていた。
月花はこれからラウラに町民しか知らない不条理な因習を説明しなければならなかった。
「もだ……?」
「普通に黙諾って言った方が分かりやすいかな。黙って許可をだすって意味だよ。儀式的な名前なら異世呼ウ黙諾って言うんだけど、まぁ」
仕来りの話だねと月花は続ける。
「髪飾り貰ったよね」
ラウラの目線は月花を外れて床に転がるキャップ帽に移った。いつのまにか帽子掛けは倒れている。
髪の代わりに帽子に付けた髪飾り。それはそのまま今も付いている。
喫茶店「初春」で受け取った物だ。湖桃は知らなかったようだが町の人間でない事をアピールするものだと聞かされている。
「あの髪飾りはお姉さんが外から来た証、町の人間では無いってことを知らせる為の目印って訳」
「それは聞きました。だから何?」
「じゃぁさ。誰に見せる目印か分かる?」
「えっ?」
ラウラは背筋にぞっと鳥肌が立った。
町に居る間、ずっと感じていた目線の正体にラウラは感づいた。
「虫神は町の至る所に存在している。中には普通の虫と同じように身を隠すのが得意だったり、空を飛んで移動するやつもいる。もちろん水中もね。そいつらはずっと狙っていたんだ。お姉さんの合図をね」
月花の言葉には威圧感があった。強い言葉を使っているわけではないのにラウラは締め付けられるような感覚を覚えた。
目の前の少女が酷く冷徹な存在に思えた。
いつのまにかラウラの首元に添えられていた剃刀は手を離れ床に転がっていた。震えは一層酷くなり両手で肩を抱いている。
「髪飾りを外すことは、虫神に身体を許した事を意味する」
「そんな事」
「勿論、伝えていない。黙諾の存在は隠さなきゃならない。虫神は新しい血を持つ人間を試すんだ。比喩的で遠回しだからもうそれがどんな意味を持つのか私達には分からないけど……これは仕来りだから」
月花は周りをチラリと横目で見た。女将以外の女中は解散して仕事に戻ったようだ。
「お姉さんは運が悪かった。建物の中にいれば普通、虫神は入ってこないんだけど……闇走だからね」
ラウラは青白い顔をがくりと落とし項垂れる。
「怖い話はここまでにして。それじゃここから先はお姉さんの為に私が手を差し伸べてあげるよ」
月花がラウラに歩み寄る。今度はそれを阻まなかった。
「私がお姉さんを助けてあげる」
差し出された右手にラウラは恐る恐る手を伸ばした。
ラウラは言葉が出なかった。地上に打ち上げられた魚のようにパクパクと口を開閉している。
月花は長い黒髪を揺らし、人形の様な妖しい笑みを浮かべる。
直後。怪鳥の鳴き声のような音が鳴り響き、ラウラの全身に電撃が走った。
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