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黙諾の花嫁
七話 落とし物
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夕日が月花の影を大きく伸ばしていた。
その小さな背中をラウラはじっと見つめている。怪訝と言うよりかは殆ど睨みつけるに近い目つきで視線を送る。
月花はくすぐったそうに肩をすくめた。
「そんな目で見ないでほしいな。私はお姉さんの味方だよ?」
ラウラは「場所を変えよう」と言って歩き出した月花について歩いていた。湖桃は初春に残ったので二人きりだ。
「まるで敵がいるみたいな言い方ね」
「お姉さんがいると思ってるからそう聞こえるんだよ」
「いきなり現れて味方だって言い出す人を信じられる? いえ、もう何も信じられない。この町は全部出鱈目よ」
初春から離れるとラウラは落ち着き取り戻したようで怒鳴るような事は無かった。とは言えそれは上辺だけ。
年下の女子高生に対してここまで辛辣な物言いは普段のラウラならけしてしない。不安などすでに飛び越えて苛立ちがラウラの内側に募っていた。
「お姉さんは大人気ないけど、物分かりはいいね」
もうすぐ夜になる。
町と外をつなぐ山道には昼間でさえ苦労させられた。今から町を出る事は不可能だとラウラにも分かっていた。
ラウラは警戒こそ解かないが、月花の後ろをちゃんと付いていく。
少なくとも月花はラウラをあの虫に遭遇させる気は無いようだ。通る町並みは見覚えがあり、旅館へ向う道だと分かった。
それはラウラが望む事では無かったが他に選択肢は無い。
自販機を見つけた月花が立ち止る。
「お姉さんは? 何が飲む?」
ラウラは無言で首を横に振った。
「うわっコーン売り切れだ。ココアでいいか」
自販機のラインナップには売り切れの赤ランプが並んでいた。
「あの虫は乃杏を襲っていたんですか?」
「違うよ」
ラウラが聞くと、月花はキッパリと否定した。
「杏姉が自分で呼んだ」
それ以上は説明の必要がないと月花は言葉を切った。
「路地で蠅を見ました。百足と同ぐらい巨大な蠅。湖桃は……」
「湖桃はあの道よく使うからね。まぁ不可抗力ってやつ?」
ココアを一口飲むと横目でラウラの方を見た。意味深な視線。
「ならあなたも?」
「私は違う」
一気にココアを飲み干すとゴミ箱の中に投げ入れた。ラウラの目の前に立って両手を広げた。
「それじゃぁ証明しましょう」
「何を?」
月花がクスリと笑った。その手がスカートの裾に触れた。華奢な太腿にスカートの影がひらひらと映る。
「今エッチなこと考えて……」
「考えてません」
「ふふ。冗談だよ。証明するのは私がお姉さんの味方って事」
そう言って両手を広げると月花は舞台役者のような大仰な仕草でポケットから一冊の手帳を取り出した。
「はいこれ」
小さな手帳。年季の入った皮のカバーには確かに見覚えがある。
ラウラは目を丸くして驚いた。
それは祖父の手記。
「なんで!」
慌てて鞄の中を探る。鞄にはいつの間にか拳代の穴が開いていた。手記は鞄の中に無かった。車の鍵やスマホはある。落としたのは鞄内のポケットに入っていた。穴が開いていたのはそのポケットだ。
「どうして?」
「お姉さんの落とし物でしょ? 路地にあったよ」
そう言って意地の悪そうな笑みを見せる月花。
気づけば月花はまた歩き始めていた。ぼんやりと手帳を眺めていたラウラは慌てて後を追いかける。
「私も山で襲われました。たぶん、あの大きな蝿」
「銀翅産尋ね。まぁそんなところだと思ったよ」
「それがあの化け物の名前?」
たいそうな名前だとラウラは思った。まるで本物の神様みたいだ。
「そうだけど。化け物よりかは虫神って呼んだ方がいいよ。この町では」
月花はしっと息を吐いて人差し指を立てて見せる。
「神様だからね。そしてこの町の住民から崇拝されてる」
自分は違う。その台詞はそう言いたげなニュアンスだった。
「ねぇこの町は……」
「止まって」
月花が手を伸ばしてラウラを遮った。いつのまにか二人は横並びで歩いていた。
「こっちを通ろう」
月花は目の前の大通りではなくすぐ横にある裏道を指さした。
夕焼けは沈みかけていて街灯もない裏道は夜のように真っ暗だ。
湖桃と入った路地での記憶がフラッシュバックする。
「い、嫌です」
「大丈夫。こっちに奴らはいない」
青い顔でラウラは首を横に振って拒絶する。月花はため息をついて別の方角を指さした。
「見える?」
月花が指さす先をラウラも見た。それはラウラ達が進む道の先。異常の一つもない平穏な街角のはずだった。
巨大な蝉が電柱に張り付いていた。さっきまで居なかっはずの巨大な生き物。ぎょろぎょろと金魚鉢みたいな目を動かして道ゆく人々を見下していた。
化け物だ。
「なっ……あれって?」
「あれも虫神。私がいるから大丈夫だと思うけど近く通りたくないよね?」
「でも。あんなのさっきまでは」
「虫神はどこにでもいる。でも隠れるのが上手いからね。ちゃんと見ようとしないと気づけないよ」
裏道は何のトラブルもなく抜けることが出来た。五分ほど迂回しただけで大通りに戻ってくる。
「聞きたいことがあるんだけど、いい?」
しばらく無言で歩いていると、月花が少し低めの声色で聞いてきた。
ラウラは答えない。月花はそれを黙諾したと捉えた。
「その手帳、ちょっとだけ中身見せて貰ったけど。お姉さん、この町に縁があるみたいだね」
「中身を読みましたか?」
咄嗟にそう聞き返したラウラに月花は慌てて弁解した。
「本当にちょっとだけだよ。何が書いてあるかなんて知らなかったし、ペラペラと捲っただけ。しっかりと読む時間も無かったし。でも、大体の事情は分った」
それから、ごめんと言った。
「結局、騙すような形になっちゃった。恐い思いをさせちゃったね。だからまず謝らせて。ごめんなさい」
月花はペコリと頭を下げた。
「月花……虫神の事はまだ認められません。でも、手記を拾ってくれた事は感謝します」
「うん。ありがとう」
月花は頭を上げるとにこりと笑った。
「うん、それでいいよ。でもだからこそ聞かせて欲しいな。どうして、危険を冒してまでこの町に来たの?」
「そんなの……簡単ですよ」
本当に、それは単純な動機だった。
頼れる親戚なんて居ない。当時は珍しい国際結婚、祖父の人生は簡単なものじゃなかった。祖父が死んだとき、自分は一人なんだと思い知った。
だから手記を見つけた時、ラウラはそこに飛びついた。祖父が死ぬまで語らなかった母のこと。そこにそれがあると直感したからだ。そしてラウラの直感は当たった。
「私は家族に会いたいだけです。会って話しが出来ればそれで満足だったんです。私はまだ一人じゃないって分れば……なのになんでこんな目に……」
それ以上、言葉が出なかった。ラウラの目には涙が浮かんでいた。
「お母さんの名前聞いていい?」
月花は静かに言った。
「母の名前は瀬野ケイト」
「……」
「どう、何か知ってる?」
「いや。ごめん。知らない」
月花は少し間を開けてから答えた。
「瀬野って名字は普通にありそうだけど、こっちではあんまり見ないかも。良くも悪くも田舎だからね。名字は限られてる」
「分りました。ありがとう。なら次は知っている事を教えてください」
月花は軽く頷いた。
「この町はいったい、何なんですか? 聞いていいのかは分らないですけど、何も知らないままここで一晩過ごすなんて無理です。せめて納得させて下さい」
「いいよ」
あっさりと月花は答えた。
「いいの?」
今日一番の軽い返事だった。
「うん。別に隠すような事じゃない。お姉さんもう見ちゃってるし」
「隠すような事じゃ無いって……」
あの異形の存在をしてそう言い切る月花にショックのようなものを受けた。
「まず現実的な疑問から解消させてあげる」
月花はお構いなしに説明を始める。湖桃に対して「後は任せて」は任せてと言っていたが、得意なのだろうか。心なしか月花はウキウキしているようにも見えた。
「お姉さんは地図に乗らない町ってなんで生まれるか分かる?」
「え?」
「例えば過疎化。住民がどんどん居なくなって書類上誰も住んで無い場合、そこは町じゃなくなる。隠れて誰かが住んでたとしてもね。……お姉さんはこの町が地図に載っていないことは知ってたよね?」
「はい」
「お姉さんもボロボロの廃墟とか想像してなかった?」
「してました。でも喫茶店が出てきて驚いた」
「イメージと全然違うせいで戸惑ったでしょ」
軽口を叩く月花だが、ラウラは笑えなかった。
月花の言う通りだったからだ。想像との剥離にラウラは終始戸惑っていた。
変に怪しまれないようにと、聞きたいことも聞けなかった。
本当は最初に会った人に母の事を尋ねるつもりだった。
それが町の規模に戸惑い、湖桃達の親切さに戸惑い、虫神に驚愕させられた。
そう考えるとやりきれない感情が込み上げてきた。母探しという目標はまだスタート地点に立てていない。それどころか既に破綻しているのかもしれない。
「続けてください。この町はどうして地図に載ってないんですか?」
「他にもダムに沈む予定の土地とか、途中で開発が中止になったのにそれがあやふやな場所。みんな塗りつぶされて地図から消える」
「でもね。この町は少し違う、この町が地図に載ってない理由は入っちゃいけないから」
「禁足地ですか?」
「そうそう。なんと言っても神様が居るからね。そんなところを大ぴらげにするワケにはいかない。だから簡単に入れないように地図から消してるって事。例え建物や道ができてもそれが地図に載ることは無い」
「昔からね」
そう締めくくってウィンクして見せる月花。
「だけど……」
「まずその神様がなんなのか分からない……でしょ?」
ズバリとそう言う。
「虫神様。虫の形をした神様。この町は虫神を中心に回ってる。お姉さんも見たなら分かるよね?」
「それが虫とのセックスですか? 狂ってます」
「あははは。私もそう思う」
「おっと」
しまったと言わんばかりに月花は慌てて口を押さえる。
「今の内緒ね」
聞かれてはいけない事だったらしく、月花はキョロキョロと周囲を窺っている。
虫神は慶香町でどのような扱いなのか。ラウラにはいまいちピンと来なかった。月花といい湖桃といい崇めるという感じはしなかった。
「で、なんだっけ。あぁ蟲継か」
「むし……つぎ?」
「虫神との性行為をそう呼んでる。本来は儀式の一つなんだけど、まぁ湖桃とか見たら分かるけど、今では生活の一部になってる。継の字が表すように、次の虫神を産む為の儀式」
そういえば瑚桃も同じような事を言っていた。
「基本的には人間と同じかな。普通に妊娠して出産する。ただ人間の子供産むよりかは遥かに負担が少なくて期間も短い。それに一度虫神の子を産んだ母体は以降、妊娠しやすい身体になる。これは人間の時でも同じ。なんて言えばいいのかな? 母胎が強くなるって前に誰かが言ってた気がする」
想像するのも恐ろしい話だ。
幸いにも月花の説明は早口で自然と聞き流す形になった。
「原理は私に聞かないでよ? そういうのはお医者さんの役割だから」
「お医者さん?」
「お姉さんがスッキリする為に理解して欲しい事は単純」
聞き返したラウラを華麗にスルーして、月花は指を二つ立てた。
一つ、慶香町には虫神と呼ばれる巨大な虫の姿をした神様が居る事。
二つ、虫神は人間の女と性交して子供を産ませる。
この二つが慶香町のルール。
「オーケー?」
「……OK.」
「こんな話、自分の目で見なきゃ信じてくれないでしょ?」
「そうですね。でも私はまだ信じたくないです。さっきも見たのに、それでも心の奥ではまだタチの悪い冗談かもって思ってます、そう願ってます」
月花は何も言い返さなかった。気を遣ってくれているとは分かった。しかしそれは実質的、ラウラの願望を否定したようなものだった。
程なくして二人は旅館の前にたどり着いた。
「まぁとにかく、今日はもう休もうよ。お姉さんも疲れたでしょ?」
月花は明るい口調でラウラを見送る。町はもう随分と暗くなっていた。
その小さな背中をラウラはじっと見つめている。怪訝と言うよりかは殆ど睨みつけるに近い目つきで視線を送る。
月花はくすぐったそうに肩をすくめた。
「そんな目で見ないでほしいな。私はお姉さんの味方だよ?」
ラウラは「場所を変えよう」と言って歩き出した月花について歩いていた。湖桃は初春に残ったので二人きりだ。
「まるで敵がいるみたいな言い方ね」
「お姉さんがいると思ってるからそう聞こえるんだよ」
「いきなり現れて味方だって言い出す人を信じられる? いえ、もう何も信じられない。この町は全部出鱈目よ」
初春から離れるとラウラは落ち着き取り戻したようで怒鳴るような事は無かった。とは言えそれは上辺だけ。
年下の女子高生に対してここまで辛辣な物言いは普段のラウラならけしてしない。不安などすでに飛び越えて苛立ちがラウラの内側に募っていた。
「お姉さんは大人気ないけど、物分かりはいいね」
もうすぐ夜になる。
町と外をつなぐ山道には昼間でさえ苦労させられた。今から町を出る事は不可能だとラウラにも分かっていた。
ラウラは警戒こそ解かないが、月花の後ろをちゃんと付いていく。
少なくとも月花はラウラをあの虫に遭遇させる気は無いようだ。通る町並みは見覚えがあり、旅館へ向う道だと分かった。
それはラウラが望む事では無かったが他に選択肢は無い。
自販機を見つけた月花が立ち止る。
「お姉さんは? 何が飲む?」
ラウラは無言で首を横に振った。
「うわっコーン売り切れだ。ココアでいいか」
自販機のラインナップには売り切れの赤ランプが並んでいた。
「あの虫は乃杏を襲っていたんですか?」
「違うよ」
ラウラが聞くと、月花はキッパリと否定した。
「杏姉が自分で呼んだ」
それ以上は説明の必要がないと月花は言葉を切った。
「路地で蠅を見ました。百足と同ぐらい巨大な蠅。湖桃は……」
「湖桃はあの道よく使うからね。まぁ不可抗力ってやつ?」
ココアを一口飲むと横目でラウラの方を見た。意味深な視線。
「ならあなたも?」
「私は違う」
一気にココアを飲み干すとゴミ箱の中に投げ入れた。ラウラの目の前に立って両手を広げた。
「それじゃぁ証明しましょう」
「何を?」
月花がクスリと笑った。その手がスカートの裾に触れた。華奢な太腿にスカートの影がひらひらと映る。
「今エッチなこと考えて……」
「考えてません」
「ふふ。冗談だよ。証明するのは私がお姉さんの味方って事」
そう言って両手を広げると月花は舞台役者のような大仰な仕草でポケットから一冊の手帳を取り出した。
「はいこれ」
小さな手帳。年季の入った皮のカバーには確かに見覚えがある。
ラウラは目を丸くして驚いた。
それは祖父の手記。
「なんで!」
慌てて鞄の中を探る。鞄にはいつの間にか拳代の穴が開いていた。手記は鞄の中に無かった。車の鍵やスマホはある。落としたのは鞄内のポケットに入っていた。穴が開いていたのはそのポケットだ。
「どうして?」
「お姉さんの落とし物でしょ? 路地にあったよ」
そう言って意地の悪そうな笑みを見せる月花。
気づけば月花はまた歩き始めていた。ぼんやりと手帳を眺めていたラウラは慌てて後を追いかける。
「私も山で襲われました。たぶん、あの大きな蝿」
「銀翅産尋ね。まぁそんなところだと思ったよ」
「それがあの化け物の名前?」
たいそうな名前だとラウラは思った。まるで本物の神様みたいだ。
「そうだけど。化け物よりかは虫神って呼んだ方がいいよ。この町では」
月花はしっと息を吐いて人差し指を立てて見せる。
「神様だからね。そしてこの町の住民から崇拝されてる」
自分は違う。その台詞はそう言いたげなニュアンスだった。
「ねぇこの町は……」
「止まって」
月花が手を伸ばしてラウラを遮った。いつのまにか二人は横並びで歩いていた。
「こっちを通ろう」
月花は目の前の大通りではなくすぐ横にある裏道を指さした。
夕焼けは沈みかけていて街灯もない裏道は夜のように真っ暗だ。
湖桃と入った路地での記憶がフラッシュバックする。
「い、嫌です」
「大丈夫。こっちに奴らはいない」
青い顔でラウラは首を横に振って拒絶する。月花はため息をついて別の方角を指さした。
「見える?」
月花が指さす先をラウラも見た。それはラウラ達が進む道の先。異常の一つもない平穏な街角のはずだった。
巨大な蝉が電柱に張り付いていた。さっきまで居なかっはずの巨大な生き物。ぎょろぎょろと金魚鉢みたいな目を動かして道ゆく人々を見下していた。
化け物だ。
「なっ……あれって?」
「あれも虫神。私がいるから大丈夫だと思うけど近く通りたくないよね?」
「でも。あんなのさっきまでは」
「虫神はどこにでもいる。でも隠れるのが上手いからね。ちゃんと見ようとしないと気づけないよ」
裏道は何のトラブルもなく抜けることが出来た。五分ほど迂回しただけで大通りに戻ってくる。
「聞きたいことがあるんだけど、いい?」
しばらく無言で歩いていると、月花が少し低めの声色で聞いてきた。
ラウラは答えない。月花はそれを黙諾したと捉えた。
「その手帳、ちょっとだけ中身見せて貰ったけど。お姉さん、この町に縁があるみたいだね」
「中身を読みましたか?」
咄嗟にそう聞き返したラウラに月花は慌てて弁解した。
「本当にちょっとだけだよ。何が書いてあるかなんて知らなかったし、ペラペラと捲っただけ。しっかりと読む時間も無かったし。でも、大体の事情は分った」
それから、ごめんと言った。
「結局、騙すような形になっちゃった。恐い思いをさせちゃったね。だからまず謝らせて。ごめんなさい」
月花はペコリと頭を下げた。
「月花……虫神の事はまだ認められません。でも、手記を拾ってくれた事は感謝します」
「うん。ありがとう」
月花は頭を上げるとにこりと笑った。
「うん、それでいいよ。でもだからこそ聞かせて欲しいな。どうして、危険を冒してまでこの町に来たの?」
「そんなの……簡単ですよ」
本当に、それは単純な動機だった。
頼れる親戚なんて居ない。当時は珍しい国際結婚、祖父の人生は簡単なものじゃなかった。祖父が死んだとき、自分は一人なんだと思い知った。
だから手記を見つけた時、ラウラはそこに飛びついた。祖父が死ぬまで語らなかった母のこと。そこにそれがあると直感したからだ。そしてラウラの直感は当たった。
「私は家族に会いたいだけです。会って話しが出来ればそれで満足だったんです。私はまだ一人じゃないって分れば……なのになんでこんな目に……」
それ以上、言葉が出なかった。ラウラの目には涙が浮かんでいた。
「お母さんの名前聞いていい?」
月花は静かに言った。
「母の名前は瀬野ケイト」
「……」
「どう、何か知ってる?」
「いや。ごめん。知らない」
月花は少し間を開けてから答えた。
「瀬野って名字は普通にありそうだけど、こっちではあんまり見ないかも。良くも悪くも田舎だからね。名字は限られてる」
「分りました。ありがとう。なら次は知っている事を教えてください」
月花は軽く頷いた。
「この町はいったい、何なんですか? 聞いていいのかは分らないですけど、何も知らないままここで一晩過ごすなんて無理です。せめて納得させて下さい」
「いいよ」
あっさりと月花は答えた。
「いいの?」
今日一番の軽い返事だった。
「うん。別に隠すような事じゃない。お姉さんもう見ちゃってるし」
「隠すような事じゃ無いって……」
あの異形の存在をしてそう言い切る月花にショックのようなものを受けた。
「まず現実的な疑問から解消させてあげる」
月花はお構いなしに説明を始める。湖桃に対して「後は任せて」は任せてと言っていたが、得意なのだろうか。心なしか月花はウキウキしているようにも見えた。
「お姉さんは地図に乗らない町ってなんで生まれるか分かる?」
「え?」
「例えば過疎化。住民がどんどん居なくなって書類上誰も住んで無い場合、そこは町じゃなくなる。隠れて誰かが住んでたとしてもね。……お姉さんはこの町が地図に載っていないことは知ってたよね?」
「はい」
「お姉さんもボロボロの廃墟とか想像してなかった?」
「してました。でも喫茶店が出てきて驚いた」
「イメージと全然違うせいで戸惑ったでしょ」
軽口を叩く月花だが、ラウラは笑えなかった。
月花の言う通りだったからだ。想像との剥離にラウラは終始戸惑っていた。
変に怪しまれないようにと、聞きたいことも聞けなかった。
本当は最初に会った人に母の事を尋ねるつもりだった。
それが町の規模に戸惑い、湖桃達の親切さに戸惑い、虫神に驚愕させられた。
そう考えるとやりきれない感情が込み上げてきた。母探しという目標はまだスタート地点に立てていない。それどころか既に破綻しているのかもしれない。
「続けてください。この町はどうして地図に載ってないんですか?」
「他にもダムに沈む予定の土地とか、途中で開発が中止になったのにそれがあやふやな場所。みんな塗りつぶされて地図から消える」
「でもね。この町は少し違う、この町が地図に載ってない理由は入っちゃいけないから」
「禁足地ですか?」
「そうそう。なんと言っても神様が居るからね。そんなところを大ぴらげにするワケにはいかない。だから簡単に入れないように地図から消してるって事。例え建物や道ができてもそれが地図に載ることは無い」
「昔からね」
そう締めくくってウィンクして見せる月花。
「だけど……」
「まずその神様がなんなのか分からない……でしょ?」
ズバリとそう言う。
「虫神様。虫の形をした神様。この町は虫神を中心に回ってる。お姉さんも見たなら分かるよね?」
「それが虫とのセックスですか? 狂ってます」
「あははは。私もそう思う」
「おっと」
しまったと言わんばかりに月花は慌てて口を押さえる。
「今の内緒ね」
聞かれてはいけない事だったらしく、月花はキョロキョロと周囲を窺っている。
虫神は慶香町でどのような扱いなのか。ラウラにはいまいちピンと来なかった。月花といい湖桃といい崇めるという感じはしなかった。
「で、なんだっけ。あぁ蟲継か」
「むし……つぎ?」
「虫神との性行為をそう呼んでる。本来は儀式の一つなんだけど、まぁ湖桃とか見たら分かるけど、今では生活の一部になってる。継の字が表すように、次の虫神を産む為の儀式」
そういえば瑚桃も同じような事を言っていた。
「基本的には人間と同じかな。普通に妊娠して出産する。ただ人間の子供産むよりかは遥かに負担が少なくて期間も短い。それに一度虫神の子を産んだ母体は以降、妊娠しやすい身体になる。これは人間の時でも同じ。なんて言えばいいのかな? 母胎が強くなるって前に誰かが言ってた気がする」
想像するのも恐ろしい話だ。
幸いにも月花の説明は早口で自然と聞き流す形になった。
「原理は私に聞かないでよ? そういうのはお医者さんの役割だから」
「お医者さん?」
「お姉さんがスッキリする為に理解して欲しい事は単純」
聞き返したラウラを華麗にスルーして、月花は指を二つ立てた。
一つ、慶香町には虫神と呼ばれる巨大な虫の姿をした神様が居る事。
二つ、虫神は人間の女と性交して子供を産ませる。
この二つが慶香町のルール。
「オーケー?」
「……OK.」
「こんな話、自分の目で見なきゃ信じてくれないでしょ?」
「そうですね。でも私はまだ信じたくないです。さっきも見たのに、それでも心の奥ではまだタチの悪い冗談かもって思ってます、そう願ってます」
月花は何も言い返さなかった。気を遣ってくれているとは分かった。しかしそれは実質的、ラウラの願望を否定したようなものだった。
程なくして二人は旅館の前にたどり着いた。
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