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十二話 疼く眼窩
しおりを挟む暗く静かな病室で緑は目を覚ました。
入院用の寝巻きが汗を吸ってしっとりと湿っている。寝ている間に固く握りしめたシーツが皺になっていた。
わざわざ思い返す事もない。見ていたのはあの日の悪夢だ。
もぞもぞと身体を起こす。
視界の先に時計は無い。わざわざ探すのも億劫に感じた。
病室はぞっとするほど静かだ。時計の針が進む音だけが何処からか聞こえてくる。
ここで他の患者に会った事は無い。もしかしたら入院しているのは自分だけかもしれない。何度かそう思ったが特段寂しさを感じるわけでもない。そんな事を感じる必要もなかった。
さて、今日は何をしただろうか。
月花と会った記憶はあるが、その後の記憶は無い。すぐに眠ってしまったのだろうか。
夕食を食べたかどうかすら定かではない。いや、この小腹の感じは食べてないなと緑はぼんやり考える。
意識がはっきりしない事が多い事は自覚していた。朦朧と覚醒を交互に繰り返している。
つくづく不健康的だなと緑は自嘲する。この意識の不明瞭さについて、医者は精神的ショックによるものと言っていた。全くその通りだろう。何が原因なのかははっきりしていた。
なぜあの時、逃げなかったのだろうか。
正に悪夢の如き出来事。緑はあの日、目隠亜蔵に襲われ左目を奪われた。
眼孔を犯された。
ずきりと疼いた左目に寄り添うように伸びた自分の手を緑はもう片方の手で払い除けた。
自分の中で自分同士が争うのを感じる。
「ははっ……へんなの」
こんな緑だが、最近は幾分マシになっていると自負していた。
食欲を感じるのもいい兆候だ。それも月花が毎日お見舞いに来てくれたお陰だろう。
じろり。
静けさは時に聞こえないはずの物音を奏でる。
外で何かが動く音が聞こえた気がして緑は胸騒ぎを覚えた。
身体は動かさず目だけを動かしておそるおそるといった様子で窓を見る。
カーテンに閉ざされた小さな窓。そこには何も居ない。
しかし緑はガラス一枚で隔たれた先に気配を消して潜む無機質な存在を感じとった。平円型のシルエットをしたあの虫の姿が脳裏に浮かぶ。
緑は幼子のように布団を被り目を固く瞑った。
気のせいだという事は分かっている。
布団を被ったまま緑は窓の外へと意識を向ける。あの日以降、常にあの怪物はそこにいた。
窓の外に張り付き無機質な目で緑を見下ろしているのだ。
緑は緑の頭の中だけにいるその怪物から隠れるように息を殺す。
複雑に絡み合った恐怖の感情が緑の心を固く締め付けていく。
目を開けたく無い。
このまま眠ってしまおうかと考えたが先程起きたばかりでそれも出来そうになかった。
もやもやとした憂鬱が胸を張っているようで嫌な気分だ。
ふと、硬い感触が指に当たる。そっと撫でるとざらざらとした眼帯の質感が指に伝わる。
まただ。
緑は無意識に眼帯を触っていた。その奥へと指は行きたがっていた。金属板で固定された特製の眼帯は自分では外せないようになっている。
傷を触ってはいけないから。
医者はそう言っていた。しかしそれだけが理由でない事は緑の身体が知っていた。
穴が疼くのだ。
かりかりと爪を立て眼帯を剥がそうと指が動く。緑の意識に反して動く指は執念深く「やめて」といくら念じても止まることが出来ない。
ぞくぞくと心の真ん中に釘を充てがわれるような感覚。
鋭く尖った釘の先端が緑の一番敏感な所をなぞり、引っ掻く。
あぁ、もどかしい。
気づけば布団の中で手がもぞもぞと動いていた。お尻から太腿をなぞり鼠蹊部へと指が這う。
肌を伝う感触は芋虫のようで自分の指だと言うのに気持ち悪く感じる。
指がお腹を強く押す。何かを探すようにじわじわと力を込めた指がゆっくりと円を描く。
「んッ……あっ……」
ぬるりとした生暖かい感触が漏れ出す。吐く息に混じり甘い声が漏れる。
ここにも穴はある。あの日あの虫が使わなかった穴が。
眼帯は諦め、両手で下半身を弄り始めた。
びちゃびちゃといやらしい水音が病室に響く。
「あんっ……やぁ、いいよぅ」
喉を通り出た声は、胸焼けがしそうなほど甘く。とても自分の声とは思えなかった。しかし、それが返って緑の興奮を助長させた。
蛹から羽を広げる虫のように違う生物に今まさに生まれかろうとしているのでは無いか。後戻りできなくなってしまう背徳感に緑は支配される。
緑は声を抑えようともせず夢中になって自慰を続ける。長く伸びた指が割れ目を探っては弾ける。
「気持ちいい、よぅ……っ、ぁあ……はぁんッ」
ピンク色の衝動が緑の脳内を染め上げていた。
「あっあっあっイク、イッちゃ、イッ」
力の入らなくなった膝がガクガクと揺れている。
絶頂の波が押し寄せ緑を飲み込むその直前、緑の脳裏をフラッシュバックしたのはあの無機質な眼球だった。
「嫌ぁああああ!!」
叫び声を上げ緑は出鱈目に手足を振って暴れる。
跳ねた身体が棚に当たり、置きっぱなしになっていたそれが落ちた。
帰り際に月花が置いていったものだった。そっと隠すように置かれたそれを緑は今まで忘れていた。
落ちた拍子に包みが捲れ中身が覗く。
小さな風車のような羽がついた棒だ。簡素な作りだが趣のある古い骨董品。
ぴたりと動きが止まり、緑の視線がそれに釘付けになる。緑はこの道具に見覚えがあった。
探知機。
この風車を月花は確かそう呼んでいた。
「月花先輩。私を守るために……」
月花が残したそれを抱きしめる。
これは月花が目隠亜蔵を探し出した時に使っていた道具だ。目隠亜蔵に反応して羽を回し、居場所を伝えてくれる。
羽の先端をじっと見る。
大丈夫、羽は微動だにしない。ここには目隠亜蔵は居ない。安全だ。
「先輩……ンッ!」
目の奥が急に疼き緑が悶える。
心がざわつき悪魔の如き誘惑が緑を支配しようと波紋を揺らす。
抗わなくてはいけない。しかし、緑は目を瞑ってしまう。自分が何をしているのか分からなくなってしまう。
くちゅくちゅ。
無意識の内に緑は再び自慰を再開していた。
「ああっ……イクッ……!」
緑の指が奥へと触れた。略奪者のごとく乱暴に緑の恥部を弄る。
一番敏感な部分から電撃のような刺激が流れ緑の全身に駆け巡る。
立っていられず緑は倒れ込むようにベットへ倒れた。
「あっ……ダメッ、ダメなのにぃ」
緑を抑えるものはもう何もなかった。
快楽の波に合わせて緑の体は激しく痙攣する。
発作のように暴れる体がシーツを巻き込みさながら繭のように緑を包み込んだ。
「はぁ、はぁ……気持ちイイの止まらなぃよぅ」
風車から手を離し両手を使う。一度お預けとなった為か、緑の手つきは一層激しさを増し快楽の波飛沫が緑を責め立てる。
快楽に犯され緑の理性が削り取られていく。
「嫌っやぁや!あっあんっ……イクッ!」
緑は絶頂を迎えた。
ビクンと緑の体がくの字にのけぞる。
「せ、せんぱい……ごめんなさい……わたし……」
「えへへ……」
シーツの繭をかき分けて一本の腕が伸びる。それはベッドに落ちた風車を掴んだ。
そう、これは探知機。
いつかの月花の言葉が頭の中をリフレインする。
これを使えば目隠亜蔵を探し出せる。
ベットから這い出た緑はかつての緑では無くなっていた。その股ぐらは淫らに濡れていた。
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