百合蜜ヲ啜ル。

黄金稚魚

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十話 生態と後遺症

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 病室だらけの二階は勝手が悪いのか、一階の診察室まで歩く事になった。入るなり月花は診察室のベットに腰を下ろした。

「こんな場所にJC連れ込むとか、やるじゃん。なに? お医者さんごっこでもするの?」

 ヒューと風を吹くだけの口笛を吹いて軽口を叩く。
 自分の椅子に腰掛けると藍一郎は途端に険しい表情を作った。

「はっきりいいますと様態は芳しくありません」
「……」

 月花の口元から笑みが消える。
 緑が入院してから月花は毎日のように見舞いに来ていた。しかし、緑の様態についての話しは今まで一切行われなかった。

 いや、明確に言えば月花はその話題から逃げていた。手続きを踏まずに病室へ入るのもそれが理由だった。これまでの月花は藍一郎と遭遇するや何かと理由を付けては逃げ出していた。
 月花は恐かったのだ。自分の大切な物がどう壊れてしまったのかを知るのが。例え月花が藍一郎の手を借りずとも事実を知ることが出来たとして、既に分りきった事実だとしても。
 確認し実感するのが厭だった。

 しかし、今日は違った。月花は自分から緑の様態についての話を振ったのだ。藍一郎はこれを月花が話を聞く覚悟が出来たのだと悟った。

 月花が黙っていると藍一郎は一枚のレントゲン写真を張り出す。レントゲン写真には頭蓋骨が写っている。
 その左目に白いもやが見える。ぐずぐずとした円柱状のもやが頭の奥まで続いている。それは緑の眼窩に開いた穴の存在を示していた。

「まず、肉体的損傷は、既に手の施しようのない状態であることは理解して頂けてますか? 目隠亜蔵の生態については貴方もご存じの筈ですね。その虫継の際に彼らは自らに合う孔を作ります」

 藍一郎は引き出しから模型を取り出して机の上に置いた。精巧に作られた頭部の断面だ。眼窩から脳に向けて孔が通っている。

「治せないんだっけ?」
「はい、現在の医療では不可能です」

 藍一郎の言葉は酷く残酷であった。緑の身に起きたのは不可避の喪失。十代の乙女が背負うには余りにも辛い現実だ。それは当事者では無い月花にとっても辛い事であった。話を聞く月花に茶化す余裕は無く、ただじっと模型を見つめている。
 

「ですがこれ以上悪化することもありません。眼窩ごと作り替えられている為、義眼こそ使えないですが、孔は通常時には閉じているので私生活においては失明以上の大きな障害はないでしょう」
「そっか」

「それよりも精神的な損傷の方が今は重大な問題です」

 藍一郎の言葉に気休めは無く、事実を包み隠す事無く淡々と口にする。月花にはそれを聞くだけの覚悟が出来ているからだ。

「依存症です。目隠亜蔵への隷属。これは他の虫神とのそれとは違い、目隠亜臓の虫継が脳に直接影響する為です。刷り込み、洗脳……言ってしまえば目隠亜蔵は脳を創り変えてしまうのです。目隠亜蔵との虫継による依存症状の発現率は凡そ六割に達します」
「……六割」

 月花は町のコミュニティの一つを思い出す。

 遮瞳寺しゃどうじ
 
 両目を目隠亜蔵に捧げた女達。彼女達は一つの建物に集まり暮らしている。
 町全体が虫神を崇める町の中でもカルト色の強い団体だ。
 光を失い一生閉を鎖的な環境で虫神と過ごす。

 月花はそんな生活を緑には送って欲しくなかった。

「脳と心に与えられた損傷ダメージを乗り越えられるかは彼女の精神の強さにかかっています」

 藍一郎は力強く言う。

「彼女は今、バラバラになった自らのパーソナリティーを組み立て直している最中なのです。ですので、不用意な発言は彼女に傷つけ、悪影響を与える可能性があります」
「私さ、あの子の先輩だよ? 私が来ない方があの子寂しがると思うけど」

 結局説教かと、月花がクスリと笑う。

「それは承知しています。今の水城さんがストレス無く対話できるのは月花さんだけです。やクラスメイトであっても心を開かせる事は出来ませんでした」

 なので、と藍一郎は区切る。

「きちんと面会許可を取り、私の立ち合いの上でなら問題は無いです」
「ガールズトークに混じる魂胆かよ。んっと、確かにまだぼーっとしてるけど今日は結構喋れたと思うよ?」

「彼女の場合、精神に受けたダメージが大きい。元々虫神への抵抗が高かった事が原因でしょう。あの程度で済んでいる、いや、持ちこたえたのは彼女自身の強さでしょう。禁断症状が強く出ています。彼女の指が眼帯に触れている事は気づいてますよね?」

「飲まれるか、乗り越えるか」
「その通りです。いいですか、彼女を救うには長い時間が必要です。この場所は彼女のような患者に必要な場所、ここはこの街で最も安全な場所なんです。だから……」

「だから」

 藍一郎の言葉を月花が遮った。

「だから中虫壁きみに全部任せて蛍原月花わたしは何もするなと言いたいの?」

 月花は笑っていた。
 それだけで反論の言葉が脳裏から消えてしまい藍一郎は言葉に詰った。そして疑問に思った。
 まだ十代半場の少女だと言うのにどうしてそんなに冷たい笑みを浮かべることが出来るのだろうか。



「大丈夫、私の緑は強いから」
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