百合蜜ヲ啜ル。

黄金稚魚

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七話 鐘鳴らす巫女

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 八月が終わりに差し掛かる頃。
 夏の熱気は衰える気配を見せず、青々とした山の木々を太陽の光が力強く照りつける。

 静かな山の中を鐘の音がこうこうと鳴り響いた。

 鐘が奏でる音域はけして単調なものでは無い。
 初めは荘重な響きの音が短く鳴り、その後を気品ある音が長く遠くに続きそれが唸りながら徐々に弱まってゆく。
 段階的にその性質を変えながら鐘の音は人々の耳と心に響く。

 この町では毎日夕方五時に決まって鐘が鳴る。町の住民にとって聞き馴染んだ音だ。何処の自治体にもある子供の帰宅を促す夕焼けチャイムと同じ。それが町ではこの鐘なのだ。

 だが、この鐘は一部の人間にとって別の意味を持っていた。


「あー、うるさいなぁ」

 この鐘を鳴らしている張本人である蛍原月花はそう吐き捨てて橦木の結び紐を乱暴に離した。
 耳当てを両手で抑え、逃げるとように塔の最上階を後にする。

「いいかげん誰か変わってくれないかなぁ」

 呟いた言葉が鐘の暴音に掻き消されて消える。毎日五時に月花はこの鐘を鳴らす。
 そう、毎日五時だ。それが月花の家の蛍原家の役割であった。学生である月花にとってこの役割は学生生活に大きな枷を嵌めていた。
 それを誤魔化す為に立ち上げたのがサイクリングなのだが、月花と一緒に毎日山を自転車で往復してくれるような物好きは後輩に一人居ただけだった。

 目の前で鳴り響く鐘は近くに立つ月花にとってはただ煩いだけだった。それこそ耳当てがなければ頭が壊れるのでは無いかと思う程に。

 その塔は山の中腹に聳え立っていた。古く小さな塔だ。
 周囲より少しだけ低い地面に建てられたその塔は背の高い木々に囲まれ、外からその姿を確認することを困難にしていた。
 塔は簡素な造りで、鐘が吊るされている最上階を除けば地上へ続く螺旋階段ぐらいだ。塔は鐘を鳴らす事だけを目的に建てられている。
 石造りの階段には薄らとカビや苔に覆われている。鉄格子に覆われた小さな窓が幾つがあるが、風通しは悪く特に夏場は蒸し風呂のような暑い湿気が満ちている。

 灯りなんて物はついておらず、窓から入り込むか細い光のみが塔の中に差し込んでいる。
 肝心の足元は殆ど何も見えない状態であったが、月花はポケットに手を入れたまま事もなしげに歩いてゆく。
 月花にとっては慣れた道だった。
 
 螺旋階段を降りて外へ出ると刺すような日差しに目が眩んだ。陽はもうじき沈むようで目玉焼きのように赤く輝いていた。
 

「お疲れ様です」

 塔の入り口には屈強な大男が直立不動の姿勢で待っていた。ただでさえ暑い山の中で見ているだけで暑苦しい分厚い法曹服に身を包んでいる。

 身体の全てのパーツが大きく大味で、ゴツゴツと岩から削りだされたような印象を受ける。その坊主に丸めた頭といい彼を目の前にした時の威圧感は計り知れない。
 狐のように釣りあがった目も男の人相の悪さを加速させていた。大男の名は城戸極臣。町にある大きな寺の住職だ。

 月花が塔から出て最初の一歩を踏み出すと同時に極臣が深々と頭を下げた。
 一瞥もせずに月花が歩き出すとバッと音を立てて極臣は元の姿勢へ戻る。
 
「明日は晴れる。以上」

 すれ違い様に、月花はそれだけを告げる。男は胸元からとり出した白札に筆でさらさらと書き記していく。
 そうこうしている間にも月花は足を止めず、塔から離れていく。

「お嬢様!」

 極臣が大声を張って月花を呼び止めた。急に立ち止まったせいで標縄を踏んでしまった。

 いや、それはいい。

 境界を区切る標縄は何度も踏まれていて地面に半端埋まっている。ここの標縄は塔と同じでもう随分と長いこと手入れされていない。月花にとってこの標縄は何の意味も持たない。
 
 今、月花は急いでいた。無駄な事で時間を取られたくなかった。何よりここはあまり好きではない。出来るだけ早く離れたかった。
 極臣は畏まった様子で言う。

「お車の用意がございます」
「は?」
「病院へ行くおつもりでしょう。お車を用意していますので送らせて頂きます」
「いらない」
「しかし、今からでは間に合いませんよ」

 月花が目を細める。自分のスケジュールを把握されている事は月花を苛立たせた。

「余計な事はしなくていい」
「御意」

 極臣が再び頭を下げた。音を立て姿勢を正すと塔に向かい両手を広げる。

「よぉおおおおおおお」

 極臣が雄叫びを上げる。両手を合わせ念仏に似た響きの真言を唱え始める。これ以上、その野太い声を聞いていると頭がおかしくなりそうだった。

 月花の鐘打ちも極臣の儀式めいた行動も代々続く町の風習の一つだ。月花は幼い頃から毎日これに参加させられていた。

「もういい加減、やめればいいのに」 

 吐き捨てるように呟き、月花は停めて置いた自転車に跨がる。夕日は刻一刻と沈んでいく、月花は力強くペダルを漕いだ。

 鐘の音は未だ止まず頭上で煩く鳴り響いていた。

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